ある解説書で「平安時代、占いは科学であった」と言うのを読みなるほどと思ったものです。人の心を律するもの色々ありますが、それは時代によって異なる。そしてこの目に見えない心の世界が人々の行動を規制し、それが社会の規範となっていくという図式でしょうか。
安倍晴明(彼も紫式部の時代であった)に代表される陰陽師、陰陽道。これが大きな役割を果たします。占いは科学なので真実として絶対の力を持つ。やってはいけないことやらねばならないこと、貴族の生活はガンジガラメに規制されてたようです。
方違え(かたたがえ)=行く方向に神がいると行けない、三角形に迂回する必要あり=これが面白いのです。帚木の巻、面白くない雨夜の品定めの後パッと明るくなる話の展開のきっかけが方違えです。源氏は方向が悪いとして図々しく部下の屋敷に泊まりに行く、、、「もてなしはあるのだろうな。。。」とか言って。非日常なので心はウキウキ。ここで空蝉と出会うことになるのです(先日髭白大将がありゃあ犯罪行為だぜとおっしゃった一幕)。
もう一つは物の怪。人に弱点があると物の怪が憑き心身を苦しめる。僧侶に祈祷させ、憑座(よりまし)に乗り移らせて退治する。これも科学として信じられていたので随所に出てきます。葵の巻、六条御息所の生霊が葵の上に憑りつくシーン、、見せ場であります。
「なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」(物の怪)
信じる・信じない、心の世界。これはいつの世でも不可思議なんでしょうか。