源氏物語は紫式部が生み、藤原定家が育てたと勝手に思っています。その定家がプロデュースしたのが小倉百人一首ですからその結びつきは極めて強い。定家は源氏物語を思い浮かべながら人を選び、歌を選んだのだと思います。
ざっと関係を見渡すと;
No.8「わが庵は都のたつみ、、」 宇治十帖の舞台 宇治と憂し
No.10「これやこの行くも帰るも、、」 逢坂の関 → 関屋の舞台
No.11「わたの原八十島かけて、、」 小野篁、遠流 → 須磨を連想
No.13「筑波嶺の峯より落つる、、」 関屋(空蝉が帰ってくる)&浮舟の育った筑波
No.14「陸奥のしのぶもぢずり、、」 源融、某の院 & 伊勢物語初段 若紫
No.15「君がため春の野に出でて若菜つむ、、、」 大長編若菜は上下二巻
No.16「立別れいなばの山の、、」 在原行平 須磨流謫
No.17「ちはやぶる神代もきかず、」 在原業平 色好みの代名詞
No.18「住の江の岸による浪、、」 住吉神社 紫の上唯一の遠出
No.19「難波潟短き葦の、、」伊勢は紫式部のお手本、18-20は難波3連発
No.20「侘びぬれば今はた同じ、、」 澪標 元良親王は光源氏モデルの一人
No.23「月見れば千々に、、」 大江千里→「、、朧月夜にしくものぞなき」花宴
No.24「このたびは幣もとりあへず、、」 菅原道真 色んなところで引合いに出る
No.27「みかの原わきて流るる泉川、、」 藤原兼輔 紫式部の曽祖父
No.29「心あてに折らばや折らむ、、」 →「心あてにそれかとぞ見る、」夕顔の歌
No.34「誰をかも知る人にせむ高砂の、」 明石を偲ぶ尼君(松風)
No.42「契りきなかたみに袖を、、、」 末の松山→薫の浮舟詰問の歌に引用
No.45「哀れともいうべき人は、、、」 身のいたづらになりぬ→哀れ柏木
No.47「八重葎しげれる宿の、、」 荒れ果てた河原院→夕顔 某の院のモデル
No.55「滝の音は絶えて久しく、」 藤原公任、京都嵐山大覚寺(松風)
No.57「めぐり逢ひて見しやそれとも、、」 紫式部ご自身の御歌です
50番台~64番は紫式部と同世代の歌人が並ぶ。
75番藤原忠通からは源氏物語も顔負けの待賢門院璋子がらみの人間模様が繰り広げられる、、興味は尽きません。
長々とマニアックな羅列でスミマセン、、、私の記録用です。。
このように関連付けて読んでいけば、なお一層の興味がそそられます。
定家は大いに源氏物語を意識していたのでしょう。
又、紫式部もほとんどの古歌を諳んじていたようですね。
百首中、2割以上もの歌が源氏関連から選ばれているとは!!
50~64はそうそうたるメンバーで女性の活躍が目立ちます。
75からは藤原摂関家、大河、清盛関連更にその後、後鳥羽院、順徳院に至る時代の流れ、人間関係が歌から読みとれます。
おくの細道、間もなく市振ですね。
そうか、市振は8月26日ですね。
「一家に遊女もねたり萩と月」
この件「おくの細道」中、最大の虚構だと思います。それだけに芭蕉の人となりがよく分かる部分じゃないでしょうか。山田洋次監督で映画にできませんかねぇ。。
このテーマ、面白いですね。ゆっくり調べてみたくなりました。
「新古今」当時の歌人たちの必読書は万葉集、古今集、源氏物語で、みなそれなりに読んでいたことでしょう。
定家は「源氏物語」を読むのはただ本歌を求めるためだけでなくて、「紫式部の筆をみれば心もすみて、歌の姿詞優によまるるなり」といっています。
sassaさんが調べたように「源氏物語」の文章の妙味や物語的余情を採りいれて、楽しみながら百人一首を選んだのかもしれませんね。
私の楽しみがまた増えました。ありがとう!
青玉さん、式部さん 激励のメッセージありがとうございます。
「源氏物語は世界の文化遺産そして小倉百人一首は最たる日本の文化遺産である」と信じて疑いません。
こじつけの結び付けも多いですが、もっと増やしていきたいと思っています。
源氏講読の都度更に百人一首との関連を調べ上げていきたいです。
どうぞドンドン指摘してください。。
田辺聖子「小倉百人一首」を今日再度読んでいて、源氏物語との関連記述があったので忘れないうちに。
№64「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに、、、」→「宇治十帖」の世界を暗示
№78「淡路島かよふ千鳥のなく声に、、、」 →「須磨」の巻「まどろまれぬ暁の空に、千鳥
いとあはれに鳴く」
とりあえずここまで。
ありがとうございます。こうしてデータ保存していけばと思います。
No.64 「朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえにあらはれ渡る瀬々の網代木」
藤原定頼(公任の息子)、、宇治十帖に憧れていたのでしょうか。
田辺聖子は「百人一首中屈指の佳作の一つ」と言ってますね。
宇治十帖が浮かび上がって来ますもんね。
宇治の川霧とくれば小野の夕霧
No.39源等
「浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき」
小野は「夕霧」の巻の舞台、夕霧大将の名前の由来となった歌
「山里のあわれをそふる夕霧にたち出でん空もなき心地して」
No.78源兼昌
「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいくよ寝覚めぬ須磨の関守」
そうですね、そんなに有名でもないこの歌人のこの歌がなぜ選ばれたのか、そりゃあ須磨を一つ入れておかなきゃと定家が思ったのでしょうね。