源氏物語には男女主人公のお傍に従者として脇役が登場します。これらお付きの人たちが素晴らしいのです。物語を展開させる鍵を握ることもあれば、展開させない=変わらないことの象徴であったりもします。狂言回し的なところもあるし、主人公を代弁させるようなところもあります。
第一部では何と言っても「惟光」と「右近」でしょうか。惟光は源氏の乳母兄弟、右近は夕顔の乳母姉妹、従って年もほぼ同じ、身分は違っても兄弟姉妹同様の間柄だったのでしょう。「夕顔」の巻は彼ら4人の織りなす素晴らしいストーリーだと思います。17才ヤンチャ盛りで怖いもの知らずの源氏にいつも付き添い面倒をみている惟光(お傍去らずの惟光)、右近も同様で夕顔こそわが命みたいなお付きです。
この4人が某の院で遭遇した事件、こともあろうにお傍去らずの惟光がどこかにしけ込んでいて見当たらない、焦る源氏弱冠17才、、、、迫力満点の場面です。ここを読むと「源氏物語ってすごいなぁ」となるはずです。その後右近は何十年も源氏に仕え、執念で夕顔の忘れ形見「玉鬘」を見つけ出すのです。
(→「夕顔」の巻、私はベスト5に入ると言うに、髭白大将は異議ありとのこと。11月には通過しますので議論はまたその時に。。)
宇治十帖になると物語の筆致も近代小説風になってくるので、興味あるバイプレーヤーがいっぱい出てきます。とりわけ「東屋」以降の浮舟の物語、これに登場する人たちは誠に面白いです。浮舟の女房の「右近」(乳母子)と「侍従」、それとガマの様相の「乳母」、浮舟のお母さん(中将の君)もいい。
それと男たちも。私が好きでたまらないのが浮舟の結婚に関わる口利き人(仲人)が出て来て帝の言葉をもねつ造して熱弁をふるう場面(⑮p32)。商社マンも顔負けの口八丁手八丁でここ読むと笑いが止まりません。
完璧に心許せる者が男君にも女君にもいるというのが、いいですよね。従者でありながら主人のすべてを握っている存在は、重みがある。
「惟光」を主人公にした物語なんかがあっても面白いと思う。源氏の君を何より大切に思いながらも、ちょこっと批判的であったり、軽かったり・・・ この人のキャラクター好きですねえ。
惟光、まさに愛すべき人物ですね。
おっしゃる通り狂言的的な役割を果たしているように思います。
思えば乳兄弟、乳母の関係と言うのは特別な信頼と絆で結ばれているようですね。
平家物語でも義朝と鎌田政清 義仲と今井兼平しかり。
又、後白河は信西の妻が乳母だった為、格別な関係にあったようです。
宇治十帖にはまだ至っていないので解らないのですが浮舟の女房、右近と夕顔、玉鬘の右近は同一人物?
時代から言って別人かしら?
夕顔・玉鬘の右近と浮舟の右近とは別人です。浮舟の右近も大活躍します。
右近は女房名としていっぱい出て来ますね。
百人一首No38 右近
「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」
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源氏物語 玉鬘の右近
「二本の杉の立所を尋ねずは古川のべに君を見ましや」
この右近繋がりを芭蕉と京都俳人の連句が取り上げています。
(「芭蕉はいつから芭蕉になったか」より)
薬物右近が歌を煎じても (桃青=芭蕉)
古川のべにぶたを見ましや (春澄=京都俳人)
更に宇治十帖ではもう一人中の君の女房としての右近が出て来ます。ややこしいこと限りありません。
「惟光」、私も大好きです。「夕顔」での事件処理、「若紫」での拉致補佐、「葵」での三日餅、「須磨」に随行と大活躍。その後偉くなってあまり出てこなくなるが「少女」で娘が夕霧に見初められていると知ってニタッとするところなど何とも微笑ましいのです。
講読会での配役決めでは満場一致で惟光=妻夫木聡でしたよね。当時大河ドラマで上杉景勝の従者である直江兼続役をやっておりぴったしでしたもんね。。