ある解説書で「平安時代、占いは科学であった」と言うのを読みなるほどと思ったものです。人の心を律するもの色々ありますが、それは時代によって異なる。そしてこの目に見えない心の世界が人々の行動を規制し、それが社会の規範となっていくという図式でしょうか。
安倍晴明(彼も紫式部の時代であった)に代表される陰陽師、陰陽道。これが大きな役割を果たします。占いは科学なので真実として絶対の力を持つ。やってはいけないことやらねばならないこと、貴族の生活はガンジガラメに規制されてたようです。
方違え(かたたがえ)=行く方向に神がいると行けない、三角形に迂回する必要あり=これが面白いのです。帚木の巻、面白くない雨夜の品定めの後パッと明るくなる話の展開のきっかけが方違えです。源氏は方向が悪いとして図々しく部下の屋敷に泊まりに行く、、、「もてなしはあるのだろうな。。。」とか言って。非日常なので心はウキウキ。ここで空蝉と出会うことになるのです(先日髭白大将がありゃあ犯罪行為だぜとおっしゃった一幕)。
もう一つは物の怪。人に弱点があると物の怪が憑き心身を苦しめる。僧侶に祈祷させ、憑座(よりまし)に乗り移らせて退治する。これも科学として信じられていたので随所に出てきます。葵の巻、六条御息所の生霊が葵の上に憑りつくシーン、、見せ場であります。
「なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」(物の怪)
信じる・信じない、心の世界。これはいつの世でも不可思議なんでしょうか。
陰陽道、物の怪と言えば何やら怪しげなるものを想像してしまいます。
なのに「占いは科学であった」えっ!!と思いました。
占いとか霊とか一切信じない私ですけど、心の問題と結びつけたとき、ハハ~ン、なるほどと新たな発見をした思いです
以前に映画、源氏物語 千年の謎を観たときにも陰陽師 阿倍清明の登場が大きな部分を占めていたのを記憶しています。
さて今日は佑之氏の「古事記」2回目の講座。
テーマは「出雲神話が意味するもの」ー日本海文化圏ーでした。
「稲羽の素兎神話」のオホクニヌシ(幼名、オホナムジ)にも大いにシャーマン的な性格があったと聞きこの時代からシャーマニズムの観念があったことを認識しました。
来月最終回は「神話の起源はどこにあるか」のテーマで語られます。
最近のコメントは的外れが多くてごめんなさいね。不勉強です。
いやいやとんでもない。いつも的を得たコメントありがたく思っています。
人の心の世界、シャーマニズムは大きな力を持ったのでしょうね。
憑座女に乗り移らせて調伏する。巫女さんみたいな人、私が幼児のころ(昭和25ごろ)近所にも居たような記憶があるのですが、、、。(産婆さん・巫女さん・血を吸いだして肩こりなおす婆さん、色々いましたね)
「古事記」の講座、いいですね。番外で「神話から物語へ」ってテーマを是非やって欲しいものです。
「源氏」は、物の怪が 面白い、とか。その中でも、六条御息所は出色のキャラ、とか。広辞苑を見るとその凄まじさが実に短絡的に記されています ⇒ 「秋好中宮の母。源氏の愛人となるが、正妻葵の上を生霊となって取り殺し、死後も死霊となって紫の上、女三の宮を苦しめる。」 “取り殺す”なんてゾクゾクしますね、本番の清々爺の語りが待ち遠しいです。
(ハンドルネーム変更の都度、投稿を承認しなくちゃならないのですが、その承認が遅れました、ゴメンナサイね)
大分勉強されてますね。その調子です。すぐキャッチアップできます。ご安心を。
ウオームアップで色々書いてますのでこれらのポイントを是非頭に入れておいて下さい。必ず役に立ちますから。。