悪役 & ちょっと変わった人たち

源氏物語にアクセントをつける脇役の面々、その内「素晴らしき従者たち」は先に述べました。ここではちょっと変わったキャラクターの人たちを整理してみました。読み進めるのに頭においていただけばと思います。

悪役・ヒールとしてはやはり弘徽殿女御でしょうか。いかにも憎々しい、相当性悪女に描かれています。その父親の右大臣、早口が特徴、この人もキャラです。賢木で光源氏・朧月夜密通の場に踏み込むところが抜群に面白い。

この弘徽殿女御に焦点を合わせて書かれたパロデイ小説が内館牧子の「十二単衣を着た悪魔」(源氏物語異聞)。弘徽殿女御こそ自分を主張し積極的に生きた評価すべき女性であるとの観点から現代と平安時代の世相比較を交えて述べられている。数あるパロデイの一つだが源氏物語を知らない人にはさっぱり分からないし知ってる人にも理解しにくいかなり乱暴なお話とお見受けしました(失礼ですが)。

源典侍 (げんのないしのすけ) 年令は+39 即ち源氏19才の時58才でコトに及ぶ(紅葉賀)。この件相当ドギツク圧巻です。この人紫式部はよほど愛着があったのか葵の巻でも出てくるし、その後何と朝顔の巻でも登場する。この時71才くらいか、、「出たあ~」という感じです。

末摘花 年令は出てこない。この特異な姫君のことも異常に長く詳しく書かれている(末摘花と蓬生の二巻は丸々この人のお話)。7割方は笑いとばし3割くらい同情を持って描かれている感じでしょうか。

唐衣また唐衣からごろもかへすがへすも唐衣かな

(源氏→末摘花 「行幸」)

近江の君 この姫君の描き方はちょっと酷すぎる。私が源氏物語中唯一紫式部に対し「チョイ待ち」と言いたいのは近江の君と末摘花をボロクソに嘲笑している部分です。官能場面をあれだけ省筆の極意で書いた紫式部が何でこの辺露骨になってしまったのか。まあ止められなかったのでしょうね。

草わかみひたちのうらのいかが崎いかであひ見む田子の浦波

(近江の君 「常夏」)

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何故にこんなに暑いのか

全く異常ですね。もうお彼岸近いというのに連日の30度超、呆れ飛ばすしかありません。

リタイアしたら今まで行きたくて行けてないところ・ゆっくり見れてないところに行こうということで昨日は江の島に行ってきました。2時間ほどかけて楽しんできました。あいにく富士山は見えませんでしたが弁天さん・展望台・海べり・岩屋と全部回ってきました。フェリーで対岸に渡って生しらす丼(初めて食べました)。そして江ノ電で長谷までいって長谷寺の観音さんにお参りしてきました。桜井には行けてないので替りのつもりです。ここも小規模ながら境内が二段になっておりお花で有名のようです(昨日は萩くらいでしたが)。平日なので観光は楽々、ただ往復とも道は混んでて車の多さに改めて驚きました。

せっかく時間ができたのだから好きなゴルフに少しまじめに取り組もうと思い、暑い中ゴルフのレッスンを始めました。毎週一回、個人的にアドバイスしてもらい後は打ちたいだけ打つというコースです。コーチもなかなかいい人で質問に明解に答えてくれて日頃抱えていた疑問が次々に氷解していく思いです。それと打ちたいだけ打てるというのがいいのです。ゴルフの上達法は基本をおさえて後はできるだけ多くボールを打つということに尽きると思いました。
「4番アイアンは難しい」「ボールが上がらないのはヘッドスピードが遅いから」「ヘッドスピードを上げるには怖がらず思い切り振るしかない」「初めは当たらないが少しづつ当たりボールも上がるようになる」「4番は乗せるクラブでないのでそこそこ距離が稼げれば十分」「4番で練習しておけばショートアイアンはやさしく打てる」、、こう言われてひたすら打っています。確かに少しづつは当たるようになってきたような気がします。しばらく続けようと思っています。教わるというのもいいものですね。

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紫のゆかり

源氏物語は色々なテーマが重層的に展開しストーリーが作り上げられていくのですが、その最たるものは「紫のゆかり」と呼ばれるものです。

光源氏が生まれ3才の時母桐壷更衣が亡くなる。その母に似た藤壷を追い求め遂には禁断の恋を契る。その藤壷の俤をやどし姪にあたる紫の上を見つけ出し最愛の伴侶に育てあげる。そして晩年には藤壷の姪即ち紫の上の従妹にあたる女三の宮を正妻に迎える。

桐壷更衣 → 藤壷 → 紫の上 → 女三の宮

これが「紫のゆかり」です。源氏物語を読んでいくにはやはりこの背骨にあたる太いラインを常に意識するのがいいと思います。

紫は平安王朝の高貴な色。桐の花、藤の花の紫。そして武蔵野の象徴であるむらさき草(根が染料として用いられた)にも因んでいる。実に含蓄深いテーマ設定ではないでしょうか。

手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草「若紫」

幼き若紫に思いを馳せる源氏の歌、紫のゆかりを象徴する歌だと思います。

そして宇治十帖ではよく似た概念で「形代」というのが出てきます。よく似た人を身代わりとして追い求めるというものです。

宇治の三人の姫君。 大君(おおいぎみ)→中の君→浮舟です。

こちらの方は「紫のゆかり」ほど高尚ではなく身代わり、代用品といった感じに思えるのですがいかがでしょう(それだけ宇治十帖の方がリアリテイがあるのかも知れませんが)。

見し人の形代ならば身にそへて恋しき瀬々のなでものにせむ

(薫→中の君 「東屋」)ちょっと露骨ではないでしょうか。

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声に出して読もう、名場面

源氏物語には名場面、名調子が沢山出てきます。思いつくところを列挙すると、

 ①余りにも有名な冒頭「いづれの御時にか、女御更衣、、」
 ②北山で若紫発見「雀の子を犬君が逃がしつる、、」(大河で出てきた)
 ③ああ末摘花「あなかたはと見ゆるものは鼻なり、、」
 ④車争い「これは、さやうにさし退けなどすべき御車にもあらず、、」
 ⑤野宮の別れ「はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり」
 ⑥須磨の秋「須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、」
 ⑦右近・玉鬘、長谷寺での遭遇「なほさしのぞけ、我をば見知りたりや」
 ⑧蛍に浮かぶ玉鬘「さと光もの、紙燭をさし出でたるかとあきれたり」
 ⑨近江君の爆笑譚「何か、そは。、、大御大壺とりにも仕うまつりなむ、」
 ⑩初めて見たり紫の上「、、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」
などなど。  

こういう名場面は何れも名文・名調子なので声に出して読むとすごく気持ちがいい、「あ~あ、源氏物語を読んでるんだ」と自己満足に浸れます。最初は難しいですが、段落や振り仮名をつけて何度も読んでいると慣れてきます。是非トライしてください。

源氏物語は口承文学ではなく書かれた文字を読むのであったと思うのですが、写本は限られた数しかなかったので女房たちが朗読してそれを聞くという方法も一般的だった筈です。中世の武将なども読むのは苦手だけど源氏は身につけておかなくてはと音読をきいたのではないでしょうか。

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六条院 - 源氏物語のランドマーク

六条院、この豪華な舞台を作り出したこと誠にアッパレ!だと思います。
正に源氏物語を象徴する舞台装置です。場所は内裏からけっこう遠い。そして六条とは即ちあの御息所のところです。御息所の死後その旧邸宅をどうしたのか不明ながら手に入れそこを含む四町の広大地(240M X 240M)に豪華な国風寝殿造りを出現させたのです。春・秋・夏・冬の四区画に分け女君を分散配置して住まわせ、源氏は気の向くままに泊まり巡る、、、「六条ハーレム」と呼ばれる訳であります。

六条院の図、それぞれの町の配置と趣向は是非頭の中に入れていただければと思います(六条院の復元図色々書かれています)。玉鬘十帖は主としてここを舞台に展開されます。そして第二部は若菜上でこの紫の上の根城たる六条院春の町に女三宮が入り込んでくるところから始まります。こりゃあ大変なことになるなあとピンと来るのです。

六条院の四季の風情は少女の巻に素晴らしい描写があります。繰り返し朗読すべきところかと思います。また玉鬘の巻で女性たちそれぞれに見合った正月用の新調晴着を配る場面(「衣配り」と呼ばれる)も名場面です。

四季の町を配して季節の移ろいを語り花鳥風月とともに年中の行事が描かれる。そして紫の上と秋好中宮との春秋論争も盛り込む、、、六条院あってのことです。

六条院のモデルは源融の河原院とも言われています。一時は須磨に流れた身でどこにそんな財力があったのか、、、なんて考えるのは無用の詮索と言うものでしょう。

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カテゴリー 身辺雑記を設けました。

真面目人間の一途なブログ、全く余裕がありませんね。反省しています。
不定期になるかと思いますが「身辺雑記」みたいなもの載せることにしました。「オレは源氏など興味がないので、、、」という知り合いの方にも気軽にレスしていただければと思います。

完全フリーになって3か月経ち漸くペースがつかめてきました。結構やることがあって忙しいものです。アレもコレもと思うと結局何もできない、選択と集中、、どこかで聞いたことあるフレーズが蘇ります。

通勤しなくていいとなると早く目覚めます。寝ておれないのです。最近は5時に目を覚まし新聞(読売)をゆっくり読み、6時から1時間散歩に行きます。付近は40年変わらない田舎で畑・田んぼをたどって江戸川の土手へ。しばらく土手を歩き周遊して戻ってくると丁度1時間7000歩です。土手では360度のパノラマビュー、今日も富士山がよく見えました。季節の移ろいも感じられ気持ちよしです(俳句に活かせるといいんだけどそれは全くできてません)。

結婚して40年になります。一昨日~昨日一泊のお手軽バスツアーで上高地と高山に行ってきました。40年前の新婚旅行がこのコースだったのです。大正池・河童橋・朝市・古い町なみと40年前を思い出してきました。

津で結婚式を挙げて鳥羽-高山-上高地-美ヶ原の4泊5日、即ち東京への帰途を新婚旅行にしたまででした。家内の記憶によるとこの4泊5日で交通費・宿泊費入れたパッケージで2人6万円だったよし、、。慎ましかったものです。「よ~し、10年後結婚50周年にはこのコースを再現してみよう!」と話しながら帰ってきました。いい目標ができました。健康でいなくっちゃ。。

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王朝女性の教養 ‐ 琴 和歌 書

王朝男性にとっては勿論、女性にも各種教養を身につけることは必須であり、幼少の頃から優秀な家庭教師などをつけて習い事の特訓をするのが常であったようです。女性の場合色々ある中で最重要なのは音楽と和歌と書道であったようです。

音楽関係では琴・笛・琵琶が主たるものですが女性は琴(琴にも何種類かあるが)を一人前に弾ける事が大事だったようです。何せ末摘花でも弾いているのですから。物語では六条院に朱雀院を迎えるにあたって源氏が六条院の女君を集めて女楽を執り行うくだりが圧巻です(若菜下)。

次に前回書いた和歌。男性から贈られた和歌に臨機応変に返事をするには古歌・故事の引用など幅広い知識が要るのは勿論、機智とかユーモアも含め総合的な人間力が試されたのでしょう。それと自ら手書きで書かねばならないから書道が重要だったのでしょう。いくら和歌の内容がよくても金釘流の離し書きでは話にならない。やはり流麗な仮名文字でサラサラと書いてなければならない。あ~あ昔に生まれてなくてよかったと思うことしきりです。

古来和歌と書をいっしょに習うお手本として次の二首が使われたようで、源氏が若紫に和歌を教えるくだりにも引用されています→(若紫)②p58

(古今集・紀貫之の仮名序に和歌の父母と呼ばれている手習い歌)
  「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」 (古今仮名序)
  「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」 (万葉集)

この歌を繰り返し繰り返し書いて手習いとしたのでしょう。

他にも絵画・香道・染色→衣服へのセンスなど盛り沢山で、教える方も教わる方も大変だったと思います。源氏に全てを教わった紫の上が全てを身につけていたことは当然として、九州で二十年近く過ごした玉鬘の万事堪能ぶりには驚かされます(ちょっと不自然な感じもします)。

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恋の手立て - 和歌

源氏物語の時代、和歌は重要なコミュニケーション手段でした。和歌を通じ男女が知り合い仲良くなっていき、女性宅に招き入れられ結ばれる。その後も和歌を詠み合って愛情を確かめ合う、、、そんな風だったようです。

どこそこに良さそうな女性がいると聞いた男は万全を期して和歌を女性に贈る。女性側(取次の女房が男を値踏みするので女房対策も必要)に好印象を与えるため、和歌そのものの内容は勿論どんな紙にどんな墨を使いどんな書跡書体で書くのか、そして然るべき花木につけて和歌を贈る、、、大変に神経を使うのです。逆に女君もうかつな返事はできない。いろいろな駆け引きが繰り広げられるのです。優秀な女房が果たす役割は大きいのです。

そして後朝(きぬぎぬ)の朝、男は帰ってすかさず思いやりを込めた歌を贈らねばならない。帰りの車中、不埒な男は居眠りでもしてたのかも知れませんがちょっと気の弱い男などは和歌が気になって仕方がなかったのではと心配してしまいます。後朝の文、タイミングが大事で愚図愚図してて出しそびれたなどとなると大変なことになる。

後朝の文のこと紫式部は色々と小道具的に使って物語を進めて行きます。うまいもんです。末摘花への後朝の文はなおざりにしてしまったとか、夕霧が雲居雁に手紙を取られ一条御息所への返事を出し遅れたとか、、、。(後朝の文ではないが、事が発覚するのも和歌・手紙を見つけられてのことが多いのです→柏木の密通がバレルところが圧巻)

源氏物語の中で和歌・手紙の果たす役割りは誠に大きいのです。

→是非、各巻2つ、和歌を憶えましょう。。

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源氏物語 物語論

源氏物語第二十五帖「蛍」の巻に有名な物語論が展開されます。梅雨時の徒然に玉鬘が絵・物語で時間をつぶしている所へ源氏がやってきて「ものがたり」に対する自論を述べるのです。

神代より世にあることを記しおきけるななり。日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しくくはしきことはあらめ。

事実を述べたとされる日本書紀などよりも却って物語の中に真実が述べられているのでしょう、、、と言っているのです。当時源氏物語などはまだ「女が書いた女のための絵空事」という位置づけだったのに対する紫式部の強烈な自己主張で、文学論・物語論としても高く評価されているところです。

日本書紀はともかく栄花物語も大鏡も所詮は歴史物語であり、現代の司馬遼太郎の「竜馬がゆく」や塩野七生の「ローマ人の物語」と大差はないということでしょうか。
(NHKの大河ドラマを評して「あれは史実に基づいていない、だって司馬遼太郎はそう書いてないもん」というのが一般的な歴史の見方なんでしょう。それでいいのだと思っています)

→以上、私自身が物語について述べるつもりは毛頭なく、こう言う高尚な議論がなされている高尚なお話なんですよということをPRしたかった迄であります。。

逆に源氏物語が歴史を作っている例もあるのでしょう。平安後期・鎌倉以降、宮中の儀式や貴人の身の処し方など源氏物語にこう書かれているからそれを踏襲しようなんてこともあったのではないでしょうか。

同じような例ですが、「空蝉」の巻の最後に「空蝉の羽におく露の木がくれてしのぶしのぶにぬるる袖かな」というのがあり、これは伊勢集(紫式部に100年先行する女性歌人)に入ってる歌そのもので、紫式部がそっくりパクッたという説と逆に後世の人が源氏物語のこの歌をパクって伊勢集に増補したという説があるのです。面白いと思いました。

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9月になりました & ハンドルネーム変更しました

おっかなびっくりでブログを始めて2ヶ月、投稿は続けてますが読み返してみると内容は独善的、文章は散漫。恥ずかしい限りです。「道しるべ」などとおこがましい。まあでもこれが等身大なので仕方がありません。

コメントを寄せていただいている皆さんには本当にありがたく感謝申し上げます。独り善がりで暴走気味の「道しるべ」です。是非色々な観点からの意見・感想を書き込んでいただき「道しるべ」をごいっしょに作り上げていければと思っています。どうぞよろしくお願いします。

原文講読開始まで後1ヶ月になりました。そろそろテキストにかかります。(少なくとも2週間は先行して予約投稿しておかないと苦しいのです)。未だどういうスタイルでブログアップしていくのかよく分かりません。まあ立ち上がって「あとは流れで」で行こうかと思います。ご意見あれば聞かせて下さい。

ブログ作成者の経験に基づくテキストの使い方、時間の目安などを固定ページに「テキストの使い方」として載せましたのでご参照ください。

結構時間がかかります。特に最初慣れるまでの2ヶ月ほどは大変です。でも一人で読むのに比べると刺激もあっていいかと思います。ごいっしょに源氏物語をエンジョイしましょう。

ところでハンドルネームを「清々爺」(せいせいや)に変更しました。本名から一字とり、親しみの持てる老人になりたいとの思いと将来孫たちにも読んで欲しいなとの思いから「爺」をつけたものです。何事にも清々しく立ち向かっていこうとの思いも込めたものです。ちょっと変ですかね、まあ慣れるでしょう。

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