王朝男性にとっては勿論、女性にも各種教養を身につけることは必須であり、幼少の頃から優秀な家庭教師などをつけて習い事の特訓をするのが常であったようです。女性の場合色々ある中で最重要なのは音楽と和歌と書道であったようです。
音楽関係では琴・笛・琵琶が主たるものですが女性は琴(琴にも何種類かあるが)を一人前に弾ける事が大事だったようです。何せ末摘花でも弾いているのですから。物語では六条院に朱雀院を迎えるにあたって源氏が六条院の女君を集めて女楽を執り行うくだりが圧巻です(若菜下)。
次に前回書いた和歌。男性から贈られた和歌に臨機応変に返事をするには古歌・故事の引用など幅広い知識が要るのは勿論、機智とかユーモアも含め総合的な人間力が試されたのでしょう。それと自ら手書きで書かねばならないから書道が重要だったのでしょう。いくら和歌の内容がよくても金釘流の離し書きでは話にならない。やはり流麗な仮名文字でサラサラと書いてなければならない。あ~あ昔に生まれてなくてよかったと思うことしきりです。
古来和歌と書をいっしょに習うお手本として次の二首が使われたようで、源氏が若紫に和歌を教えるくだりにも引用されています→(若紫)②p58
(古今集・紀貫之の仮名序に和歌の父母と呼ばれている手習い歌)
「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」 (古今仮名序)
「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」 (万葉集)
この歌を繰り返し繰り返し書いて手習いとしたのでしょう。
他にも絵画・香道・染色→衣服へのセンスなど盛り沢山で、教える方も教わる方も大変だったと思います。源氏に全てを教わった紫の上が全てを身につけていたことは当然として、九州で二十年近く過ごした玉鬘の万事堪能ぶりには驚かされます(ちょっと不自然な感じもします)。
なるほどね~ 前回の疑問が解決しました。
王朝時代、男女ともに大変な努力があったことが分かりました。
今のお受験じゃないけど、幼少のころから教養を身につける教育がなされていたのね。
清々爺さんじゃないけど私もこの時代に生まれなくて良かった!!
だって音楽 和歌 書、三拍子そろってなんてとても無理。
音楽もあらゆる楽器、和琴、琴、筝 、笙、琵琶等、見分けもつきません。
でも一般庶民下々には関係ない?
源氏はそのすべてに人並み外れた才能があったようですね。
源氏が最も苦手とするものは何だったのかしら?
今日は午前、名古屋ボストン美術館。午後、市美術館(エルミタージュ)を掛け持ちしました。
海を渡った幻の国宝の里帰り展。
圧巻は「平治物語絵巻」生々しくリアリティ溢れる絵巻でした。
そのほか「吉備大臣入唐絵巻」
以前三重県立美術館では観られなかった蕭白の「雲竜図」が印象に残りました。
明治政府が廃仏毀釈とやらで数多くの国宝が見捨てられたり燃やされる運命にあったのを二人のアメリカ人と岡倉天心により海外へ流失した数や10万点ということです。
コメントありがとうございます。
源氏の苦手課目ですか、難しいですね。
文科系はほぼ万能ですよね。楽器は色々あって笛(横笛)は左大臣家のものということで上手に吹いてる場面はないと思いますが、吹けなかったとは書いてないですしね。
この時代、体育系と言えば狩猟・競馬・弓・相撲・蹴鞠くらいでしょうか。
相撲は貴族はやらなかったろうから別ものとして、馬はどうでしたかね。夕顔が死んで亡骸に会いに行った帰りに落馬したところがあるけれど、あれは異常事態での動転と疲労困憊のせいで例外。葵祭りでの颯爽とした乗馬姿などからするとやはり乗馬も得意だったのでしょう。
蹴鞠、これは源氏自身がやったところは出て来ないけど、例の唐猫事件のところで柏木が一番との叙述があるし、何事も一番だった源氏にすれば大得意科目ではなかったのかも。
名古屋ボストン美術館ですか、いいですね。
昨年ボストン美術館に行く機会があり駆け足ですが廻ってきました。岡倉天心のコーナーではおっしゃるようなこと色々考えさせられました。。