賜姓源氏について

高校古文にも出てきたので源氏物語とは紫式部が書いた光源氏を主人公とする物語ということは知ってましたが、何故源氏物語というのかよく分かりませんでした。源氏・平氏と言うと源平の武家の両雄とばかり思っていたものです。

源氏物語を読み始めてやっと源氏の意味するところが分かりました。天皇の皇子が多数生まれそのまま皇族として残しておくと財政的にも大変だし皇位継承で政治的混乱も起こしかねないとして一部の皇子に「源氏」姓を与え皇族から離脱させることにした(臣籍降下)、これが賜姓源氏ということです。

源氏物語は冒頭桐壷帝が寵愛した女性(桐壷更衣)の生んだ第二皇子を臣籍降下させ源氏とするところから始まる、、、それ故に「源氏のものがたり」→「源氏物語」と呼ばれるのです。

何故、藤原摂関政治全盛の時天皇でもなく摂関家でもない賜姓源氏を主人公にした物語が書かれたのか、この辺も論議かまびすしい所です。

ところで桐壷帝には10人も皇子がいたのだが、何故第二皇子の光源氏だけを源氏としたのか。それは光源氏が幼少から容貌も才能も抜群でこのままいくと既に皇太子になっていた第一皇子との皇位継承争いに発展しかねない。また母親は既になくなりその出自も低くとても皇位につける血筋でないし、財政基盤もない、このままでは可哀相なことになるとして桐壷帝が決断したのです。

天皇の皇子で全ゆる面で光輝くスーパースター、でも天皇にはなれない男=光源氏、この設定は如何にも上手いなあと思いませんか。だって何でもできるんですもんね。

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4 Responses to 賜姓源氏について

  1. 青玉 のコメント:

    以前からずっと源平合戦の源氏と光源氏に何らかの関係、接点があるのか疑問に思っていたところです。
    今回、源氏を学ぶに当たりその辺のところをはっきりさせておきたいと検索したりはして居りました。
    これでようやく納得、理解ができてすっきりしました。
    昔は平家物語があるのだからその対になるものが源氏物語だと思っていました・・・

    ところで光源氏のモデルですが源融では?というのがありました。
    百人一首の14番 河原左大臣 
        みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにしわれならなくに  
    sassaさんはどう思われますか?
    嵯峨天皇の皇子で臣籍に下りに六条河原の院での風流、後の平等院となった宇治や嵯峨にも別荘があったりで似たような背景ですが・・・
    過去の歴史に詳しい式部のことですから多少は参考にしたかもしれないけど、あくまでも独自の創作のように思いますが・・・

    最近になってようやくsassaさんが百人一首の順番が重要なのだとおっしゃった意味がわかってきました。いろいろ有難う!!
    そして少し賢くなったような気もするけど忘れるのも超特急並みです。

    • 清々爺 のコメント:

      源融のこと青玉さんのおっしゃる通りだと思います。即ち賜姓源氏という身分、活動した場所・舞台など状況設定においては大いに参考にしている、或いは利用していると思います。でも光源氏の人間的形成は紫式部が作り出したものだと思います。第一部では紫式部自身にとってもの理想の男性像を作り上げたのでしょう。でもそんな男いる訳ないじゃんって悟って第二部・第三部へ進んだのかなあと思っています。

      源氏物語と百人一首については予定原稿にしましたので追ってご披露します。。

  2. 式部 のコメント:

    光源氏は臣籍降下していたから、あちこち自由に外出できたのですものね。天皇や皇子の身分ではこの物語は成り立ちません。本当に上手い設定だとおもいます。
     それに天皇にはなれないという身分上のコンプレックスが物語を重層的にしているように感じます。
     あまたいる皇子のうち出家させる場合も多かったようです。
     史実ですが、和泉式部と帥の宮との間にできた子供は、岩倉宮といいますが、生まれてすぐ出家させています。男女間に身分差があると政争の具にされやすかったためでしょう。
     子供への思いも和歌に詠んでいます。

    • 清々爺 のコメント:

      そうですか、和泉式部には男の子も生まれたのですね。でも即出家ですか、、う~ん、可哀相、、、というか余りにもスキャンダラスな恋の果実で仕方なしと言うべきでしょうか。

      和泉式部日記読むと平衡感覚がおかしくなりそうなんで、源氏終えてからまた挑戦してみます。。

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