平安王朝は無論のこと身分社会であり、国の支配はごく限られた人々の手にあった。この時代の官人は位階制によって序列づけられ権限・給与・生活ぶりなど厳しく差別がされていた。何たって衣服の色が違うし邸宅の広さも路頭での礼も乗り物も身分次第、上にはいいが下にはたまらない社会だったのでしょう。
解説書からの知識をまとめると、平安京の総人口は約10万人。官位一位~五位までが貴族で200人前後、家族を入れて約1000人、即ち全人口の1%。その内高級貴族である公卿(三位以上)は2~30人で国政は専ら彼らが大臣・納言などの職につき行っていたのです。
公卿クラスは世襲で下の者の手には届かない世界でしたが、ポイントは貴族との分かれ目の六位→五位。昇進に向けて様々な猟官運動、自己申告、付け届けなどが行われたようです。まあこれは今の官民の世界でもそんなに変わりはないのでしょうか。
異動通知(除目=じもく)は通例正月でこの時の悲喜交々は枕草子に詳しく描かれています。源氏物語の主人公たちは生まれつき貴族なので除目など余り関係ないが、源氏が息子の夕霧を敢えて六位から出発させるというところで官位制のことが語られています(第二十一巻「少女」=源氏の教育論が述べられる興味深い部分でもあります)。
そして成り上がり貴族が求めたのが「受領=ずりょう」、全国68ヵ国の県知事です。これになると蓄財ができる。大国になるか中小国に止まるか、これも大きな境目であったようです。例えば播磨の守は大国で明石物語はここで大富豪になった明石入道から始まるし、大河ドラマの平清盛も播磨の守でした。
受領階級は中下級貴族と言われるが中央を目指して子女に教養をつけさせたもので紫式部も清少納言もそして中宮定子の母(百人一首54番)も受領階級の娘なんです。教養ある女性を求めるなら受領階級からというのが定番であったようです。
そうですか、この物語はごく1%に住む世界の人たちのお話なのですね。
一般の庶民からはかけ離れた天上界の物語で豪華絢爛の筈ですね。
源氏が若君を四位に叙さず六位に任じ大宮から苦情の出る場面、なかなか読み応えありました。
我が子を甘やかさずあえて六位の軽輩に処する、親の厳しくも深い愛情ですね。
明石の君が音曲に秀で教養もあり和歌の詠み手でもあったのは本人の能力もさることながら親の財力が大いに影響したものと考えてよいのでしょうね。
それだけ裕福な環境に育ちながら欲を言えばもう少し心の内を素直に表現し感受性豊かであればと思った次第です。
でもそれを抑えて耐え忍ぶ女であるからこそ私にとっては憧れなんですけどね。
少女の巻の大宮、私は人情深いこのおばあちゃんが大好きなんです。娘葵の上の忘れ形見夕霧と息子頭中の娘雲居の雁、二人とも可愛い孫、、、筒井筒の恋。
除目と言えば紫式部の父為時の話が面白い。待ちにまった除目、先ず告げられた行き先は淡路、ここは小国で面白くない。そこで為時ゴネて漢文で不満の意を表明した。これが一条帝の目に触れて道長も同意して大国の越前に変更された。その越前に紫式部もついてゆく。学芸が身を助けたという一節であります。。