手習(21・22・23) 浮舟のこと僧都から中宮の耳に入るが、、

p224-236
21.翌日、浮舟手習に歌を詠じ中将にも返歌す
 〈p306 翌朝は、姫君も念願を果たしたとは言え、〉

 ①髪を下ろした翌朝
  、、、髪の裾のにはかにおぼとれたるやうに、しどけなくさへ削がれたるを、、、
  →そりゃあ浮舟自身も髪を切った翌朝は身の変りざまにショックを受けたことだろう。

 ②浮舟 亡きものに身をも人をも思ひつつ棄ててし世をぞさらに棄てつる 代表歌
    限りぞと思ひなりにし世の中をかへすがへすもそむきぬるかな
  →何とも哀しい歌である。

 ③中将 岸とほく漕ぎはなるらむあま舟にのりおくれじといそがるるかな
  →自分がしつこく言い寄ったため浮舟が出家してしまったなど分かってない中将。ピエロである。

 ④浮舟 心こそうき世の岸をはなるれど行く方も知らぬあまのうき木を
  →出家して心の整理がついた。中将も怖くない。すんなり返歌を贈る。
  →段末脚注にこの歌は「悟りの境地からは遠い」とあるがそうでしょうかね?

22.妹尼小野に帰り悲嘆のうちに法衣を整える
 〈p310 初瀬にお詣りに行っていた尼君の一行が帰ってこられ、〉

 ①妹尼、初瀬詣でから帰って驚き嘆く
  「、、、よろづに思ひたまへてこそ、仏にも祈りきこえつれ」と臥しまろびつつ、いといみじげに思ひたまへるに、、
  →「私の留守中に何たることをしてくれたの!」一途に甲斐甲斐しく浮舟を世話してきた妹尼が可哀そうである。

 ②妹尼「いとものはかなくぞおはしける御心なれ」と、泣く泣く御衣のことなどいそぎたまふ
  →段末脚注 妹尼は人情深いなど言うに及ばずそれこそ「仏さま」ではなかろうか。

23.僧都、女一の宮の夜居に侍し浮舟を語る
〈p311 一品の宮の御病気は、たしかにあの弟子の言っていた通りに、〉

 ①一品の宮の御なやみ、、、、おこたらせたまひにければ、いよいよいと尊きものに言ひののしる。
  →当時病気とは物の怪がついたこと。高僧が再優秀な医者ということになる。

 ②御物の怪の執念きこと、さまざまに名のるが恐ろしきことなどのたまふ
  →謂わば日本国の秘蔵娘である女一の宮。そんなに憑りつく物の怪がいたのだろうか。

 ③僧都→中宮 かの見つけたりしことどもを語りきこえたまふ。
  →僧都は浮舟発見の当事者。リアルに語られたのであろう。

 ④ものよく言ふ僧都にて、語りつづけ申したまへば、、
  →横川の僧都は本当に徳の高い高僧だったのか議論がある。本テキストは高僧説だがこのフレーズ「よくもの言ふ僧都」をもって余計なことまでべらべら喋る軽薄な僧との見方もある由。私は~唯可信斯~高僧説であります。

 ⑤中宮&小宰相の君 そのころかのわたりに消え失せにけむ人を思し出づ。
  →中宮もびっくりしたことでしょう。それにしてもうまく話を運ぶものです。

 ⑥中宮「それにもこそあれ、大将に聞かせばや」
  →一旦薫に聞かせようと思ったがあれこれ考えてそのままにしてしまう。
  →結局薫が知るのはずっと後になってから。この時すぐに薫の耳に入っていたらどうなってたのだろう。
  →ウルトラCとしてはもしこの時匂宮の耳に入っていたら匂宮は浮舟奪還に向けて即行動を起したのでしょうかねぇ?

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手習(20) 浮舟、出家する

p212-224
20.僧都立ち寄る 浮舟懇願して遂に出家する
 〈p296 ようやくのことで、鶏の鳴き声を聞いて、〉

 ①いびきの人はいととく起きて、粥などむつかしきことどもをもてはやして、、、、
  →母尼、老尼たち老醜をさらした姿ではあるが浮舟には親身に世話している。

 ②僧都、今日下りさせたまふべし
  →比叡山から僧都が京へ下りるのは余程のこと。女一の宮が病気になったためである。

 ③いと多くて、六尺ばかりなる末などぞうつくしかりける。筋なども、いとこまかにうつくしげなり。
  →髪を下ろす前の浮舟の髪の描写。長く見事な黒髪である。

 ④母尼→僧都「、、、忌むことうけたてまつらんとのたまひつる
  →浮舟に頼まれたことを忘れずに僧都に伝える。母尼も呆けてない、えらい。

 ⑤浮舟「尼になさせたまひてよ。世の中にはべるとも、例の人にて、ながらふべくもはべらぬ身になむ
  →浮舟の必死の訴え。

 ⑥僧都「思ひたちて、心を起したまふほどは強く思せど、年月経れば、女の御身といふもの、いとたいだいしきものになん
  →諌める僧都。僧都は浮舟の第一発見者であり、常に浮舟のことが心にかかっていたのであろう。キチンと浮舟に向き合って相談に乗ってやっている。

 ⑦僧都は考えた末浮舟に受戒させるべく合意する。然もその日の内に。
  →物語のアヤとは言え何ともあわただしい。

 ⑧尼削ぎの場面
  鋏とりて、櫛の箱の蓋さし出でたれば、、、、
  几帳の帷子の綻びより、御髪をかき出だしたまへるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし鋏をもてやすらひける。

  →経験者寂聴さんはこの場面を「はじめて紫式部は、出家の儀式を具体的にリアルに書き残した」と絶賛している(寂聴訳巻十 源氏のしおりp391)
  →髪を切るのも几帳を隔ててというところが凄いですね。

 ⑨僧都「親の御方拝みたてまつりたまへ」「流転三界中」
  →出家、世を捨てる。親との俗縁も切るということになるのであろうか。

 ⑩老尼、女房たち
 「残り多かる御世の末を、いかにせさせたまはんとするぞ。老い衰へたる人だに、今は限りと思ひはてられて、いと悲しきわざにはべる
  →中将が浮舟の所へ通って来る賑やかな事態を期待していた人たちにもショックだったことだろう。

 ⑪浮舟 なほ、ただ今は、心やすくうれし。世に経べきものとは思ひかけずなりぬるこそはいとめでたきことなれと、胸のあきたる心地したまひける
  →出家を果たしてホッとする浮舟。分からないではないが何だか空しい感じがする。

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手習(18・19) 妹尼、初瀬に 浮舟は残る

p198-212
18.妹尼初瀬にお礼参り 浮舟少人数で居残る
 〈p284 九月になって、この尼君はまた初瀬に参詣しました。〉

 ①九月になりて、この尼君、初瀬に詣づ。
  →8月も過ぎて9月秋も深まる。
  →初瀬に行くということは宇治を通るということ。
  →妹尼は浮舟を誘うが浮舟はさらりと断る。

 ②浮舟 はかなくて世にふる川のうき瀬にはたづねもゆかじ二本の杉 代表歌
  →手習(巻名)する浮舟 二本は薫と匂宮を暗示 紫式部の歌の才能はすごい!

 ③尼君「二本は、またもあひきこえんと思ひたまふ人あるべし」と、戯れ言を言ひあてたるに、胸つぶれて面赤めたまへるも、いと愛敬づきうつくしげなり。
  →図星を言い当てられて戸惑う浮舟。思い出したくない、、でも忘れられない。

 ④我はと思ひて先せさせたてまつるに、いとこよなければ、また手なほして打つ。
  →浮舟は囲碁が強かった。頭がよかったのであろう。益々いい女ですなあ。

  既出の囲碁の場面
   1.空蝉と軒端荻 (空蝉p167)
   2.玉鬘の大君と中の君 (竹河p104) 国宝源氏物語絵巻 竹河(二)
   3.今上帝と薫 (宿木p66)

 ⑤もの好みするに、むつかしきこともしそめてけるかなと思ひて、心地あしとて臥したまひね。
  →妹尼が帰ったら囲碁を打たされる。ひっそりしていたい浮舟には煩わしい。
 
19.中将来訪 浮舟、母尼の傍らに夜を過す
 〈p289 月が上って美しい夜になった頃、〉

 ①月さし出でてをかしきほどに、昼、文ありつる中将おはしたり。
  →浮舟からの返事はもらえない。ただ妹尼も女房たちも歓迎してくれているし、、ここはもう一押しと言うことだろうか。中将は小まめな男である。

 ②中将 山里の秋の夜ふかきあはれをももの思ふ人は思ひこそ知れ
  浮舟(つぶやき)うきものと思ひも知らですぐす身をもの思ふ人と人は知りけり
  →考えていることの次元が違うので二人の想いは噛みあう筈がない。
  →「中将よ、この女性はおよしなさい!」とアドバイスしたくなる。

 ③例は、かりそめにもさしのぞきたまはぬ老人の御方に入りたまひにけり。
  →お屋敷なら塗籠へでも隠れるところ。老人の居室とはよく考えたものである。

 ④中将「それももの懲りしたまへるか。なほ、いかなるさまに世を恨みて、いつまでおはすべき人ぞ
  →中将の推測は図星である。誰が考えても男との出来事が原因だろうと察しがついたのだろう。

 ⑤宵まどひは、えもいはずおどろおどろしきいびきしつつ、前にも、うちすがひたる尼ども二人臥して、劣らじといびきあはせたり。
  →これも傑作場面でしょう。考えるだに恐ろしくなります。
  (大分前になりますが身内の通夜で八十後半の老婆三人と同室で夜を明かしたときのこと思い出しました)

 ⑥浮舟の回顧
  あさましうもてそこなひたる身を思ひもてゆけば、宮を、すこしもあはれと思ひきこえけん心ぞいとけしからぬ、、、、
  →あの匂宮との二回の逢瀬が全てを狂わせてしまった、、でも過去は塗り替えられない。

 ⑦さすがに、この世には、ありし御さまを、よそながらだに、いつかは見んずるとうち思ふ、
  →少し俗心がよみがえる。でもそれは一瞬のことだろう。

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手習(16・17) 母尼、吾妻琴を独(断)奏

p192-198
16.母尼和琴を得意げに弾き、一座興ざめる
 〈p278 話の途中のそこここで咳をしながら、〉

ここかしこうちしはぶき、あさましきわななき声にて、なかなか昔のことなどもかけて言はず、誰とも思ひわかぬなるべし。
  →年老いた母尼の様子がすごくリアルに描写されている。
  →母尼は80才+ 源氏物語中登場人物の最高年齢ではなかろうか。
  (源典侍がお化けのように登場したのは朝顔の巻(p34)70か71才の時)

 ②母尼「くそたち、琴とりてまゐれ
  →「くそたち」が面白い。「お前たち」と言うことか。年寄りの昔言葉であったのだろうか。

 ③中将が笛を吹き、妹尼が琴の琴。そして母尼が昔とった杵柄、吾妻琴を持ち出す。
  →さすが小野の山里とは言え風流な人たちである。

 ④母尼「、、この僧都の、聞きにくし、念仏よりほかのあだわざなせそとはしたなめられしかば、何かはとて弾きはべらぬなり
  →「お婆ちゃんは念仏だけ唱えてればいいんですよ」僧都にたしなめられていた。いつの時代でもいっしょですね。微笑ましい。

 ⑤ただ今の笛の音をもたづねず、ただおのが心をやりて、あづまの調べを爪さはやかに調ぶ
  →唯我独尊。けっこうじゃないですか。

 ⑥「たけふ、ちちりちちり、たりたんな
  →そりゃあ越前国武生のことでしょう。

 ⑦中将「いとをかしう、今の世に聞こえぬ言葉こそは弾きたまひけれ」とほむれば、
  →年寄りをおだてる。この中将なかなかの人物じゃないですか。

 ⑧母尼「ここに月ごろものしたまふめる姫君、容貌はいときよらにものしたまふめれど、もはら、かかるあだわざなどしたまはず、埋れてなんものしたまふめる
  →母尼の言葉を借りて浮舟のひっそりした様子を読者に伝える。

17.中将、妹尼と歌を贈答 浮舟経を習い読む
 〈p281 その朝、「昨夜は、何かにつけて、心が乱れましたので、〉

 ①翌朝、中将から浮舟に逢えなかったことを恨む文が届く。
  中将 忘られぬむかしのことも笛竹のつらきふしにも音ぞ泣かれける
  →浮舟の固い心を知っている読者には空しい歌である。

 ②妹尼 笛の音にむかしのこともしのばれてかへりしほども袖ぞぬれにし
  →妹尼は何とかして中将に通って欲しいと心から願っていたのであろう。そのためには先ず浮舟が心を開いてくれなければならない。

 ③出家を願う浮舟の心
  人の心はあながちなるものなりけりと見知りにしをりをりも、やうやう思ひ出づるままに、「なほかかる筋のこと、人にも思ひ放たすべきさまにとくなしたまひてよ」
  →窮極の恋に悩み抜いた浮舟には中将のアタックなど煩わしいだけである。

 ④よろづの咎見ゆるして、明け暮れの見ものにしたり。すこしうち笑ひたまふをりは、めづらしくめでたきものに思へり
  →妹尼はじめ小野の里の人たち、何と我慢強く心優しいのであろう。浮舟ももうちょっと愛想よく振る舞ってもいいのではと思ってしまう(それができればオシマイだろうけど)。

[早朝から那須へ一泊ゴルフに出かけます。返信遅れます。ご容赦ください]

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手習(13・14・15) 中将の浮舟へのアタック続く

p180-192
13.中将、横川で弟の禅師に浮舟のことを聞く
 〈p266 中将は、比叡山の横川にお着きになりました。〉

 ①中将は、山におはし着きて僧都もめづらしがりて、世の中の物語したまふ。
  →中将は元々横川に僧都&弟を訪ねるのが目的であった。

 ②小野で垣間見た女の正体をさぐる中将、
  禅師の君「この春、初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人となむ聞きはべりし
  →それだけ聞けば十分。「よし言い寄ってみよう」と中将は決意したことだろう。

14.翌日小野に立ち寄り浮舟に贈歌 妹尼返歌
 〈p267 翌日、お帰りになる時にも、中将は、〉

 ①中将は横川からの帰りに再び小野の妹尼を訪ねる。勿論垣間見た女が目的である。

 ②中将「、、、まして思しよそふらん方につけては、ことごとに隔てたまふまじきことにこそは。いかなる筋に世を恨みたまふ人にか。慰めきこえばや
  →すっぱりしたものの言い方。ストレートである。

 ③中将 あだし野の風になびくな女郎花われしめ結はん道とほくとも
  妹尼うつし植ゑて思ひみだれぬ女郎花うき世をそむく草の庵に
  →中将の押しつけがましい恋歌に浮舟はぞっとしたことだろう。

15.中将三たび訪れる 妹尼応対する
 〈p271 京に帰ってからも、わざわざ手紙などを送るのは、〉

 ①八月十余日のほどに、小鷹狩のついでにおはしたり。
  →三回目の訪問 仲秋の名月が近い。

 ②中将→妹尼「、、、世に心地よげなる人の上は、かく屈したる人の心からにや、ふさはしからずなん。もの思ひたまふらん人に、思ふことを聞こえばや
  →今の通い妻に不満だから浮舟と話をしたい、、。そりゃあないでしょうに。

 ③妹尼「例の人にてあらじと、いとうたたあるまで世を恨みたまふめれば。、、、」
  →浮舟はまだ妹尼にも心を開ききっていない。中将のアクションは性急に過ぎるというものである。

 ④浮舟「人にもの聞こゆらん方も知らず、何ごとも言ふかひなくのみこそ
  →浮舟の嘘偽りのない正直な心であろう。

 ⑤中将 松虫の声をたづねて来つれどもまた荻原の露にまどひぬ
  →何となく陳腐な歌に聞こえるがいかがでしょう。

 ⑥女房「、、、世の常なる筋に思しかけずとも、情なからぬほどに、御答へばかりは聞こえたまへかし」など、ひき動かしつべく言ふ
  →女房たちの気持ちも分からぬではないが浮舟が可哀そうである。

 ⑦中将「、、、あまりもて離れ奥深なるけはひも所のさまにあはずすさまじ
  →あまりに頑なな浮舟に中将も業をにやす。無理もない。所詮は折り合わない恋である。

 ⑧妹尼(浮舟からの歌として)
  ふかき夜の月をあはれと見ぬ人や山の端ちかき宿にとまらぬ
  →そりゃあ中将がぐぐっとくるのも無理はない。妹尼にしても左程の悪気はないのであろう。だが浮舟の心とはかけ離れている。

  中将 山の端に入るまで月をながめ見ん閨の板間もしるしありやと
  →こういう風に畳み掛けて行くのが常道なのだろう。でもここでは空しいだけである。

何とも空しい茶番劇が演じられている。

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手習(12) 中将登場 浮舟を垣間見て心動く

p170-180
12.妹尼の婿中将訪れる 浮舟を見て心動く
 〈p259 尼君の亡くなった娘の婿君は、今は中将になっています。〉

 ①新しい登場人物、中将の登場
  中将=妹尼の娘婿 5~6年前に娘は亡くなっている。
  中将だから結構の身分か。
  →この男が浮舟に絡んでくる。新しい物語はどう展開するのか。

 ②垣ほに植ゑたる撫子もおもしろく、女郎花、桔梗など咲きはじめたるに、、
  →小野の里の秋の描写。このところ風景描写は少なかったが、、、。

 ③年二十七八のほどにて、ねびととのひ、心地なからぬさまもてつけたり。
  →中将は27~8才。匂宮が28才、薫が27才だから同年齢である。

 ④妹尼と中将の対話
  →娘が亡くなって大分年も経っているのにまだ娘のことが忘れられない妹尼。
  →中将も昔の義母を見舞うとは殊勝な心がけである。

 ⑤姫君は、我は我と思ひ出づる方多くて、ながめ出だしたまへるさまいとうつくし。
  →浮舟。はじめて「姫君」と呼ばれる(脚注8)。恋の条件が整った?まだでしょうに!

 ⑥女房たちの心
  「、、同じくは、昔のさまにておはしまさせばや。いとよき御あはひならむかし」
  →浮舟の心を知らない女房たちに悪気はない。正直な願望であろう。

 ⑦浮舟の心中
  あないみじや、世にありて、いかにもいかにも人に見えんこそ。それにつけてぞ昔のこと思ひ出でらるべき、さやうの筋は、思ひ絶えて忘れなん
  →まだ心の傷は癒えていない(いつ癒えるのか分からないが)。女房たちの言葉にはぞっとしたことだろう。

 ⑧中将「かの廊のつま入りつるほど、風の騒がしかりつる紛れに、簾の隙より、なべてのさまにはあるまじかりつる人の、うち垂れ髪の見えつるは、世を背きたまへるあたりに、誰ぞとなん見驚かれつる」
  →いつも男が女に懸想するのは垣間見がきっかけである。

 ⑨中将の問いかけに少将の尼は全てを語るわけではないが妹尼が亡き娘に代って手に入れ可愛がっている姫であることを告げる。
  →中将は「おお、そうだったのか」と身を乗り出したことであろう。

 ⑩妹尼「いときよげに、あらまほしくもねびまさりたまひにけるかな。同じくは、昔のやうにても見たてまつらばや」
  →妹尼の気持ちは明快である。中将に浮舟の所に通ってもらいたい。
  →こんな小野の山里、尼さんばかりの所へ通えるのかは疑問だが。

 ⑪藤中納言の御あたりには、絶えず通ひたまふやうなれど、心もとどめたまはず、親の殿がちになんものしたまふとこそ言ふなれ
  →中将は藤中納言の娘の所へ通っている。
  →ということは浮舟は第二夫人でよしと妹尼は考えてるのだろうか。

 ⑫もう少し心を開いて欲しいと頼む妹尼に浮舟は、
  「隔てきこゆる心もはべらねど、あやしく生き返りけるほどに、よろづのこと夢のやうにたどられて、、、、、今は、知るべき人世にあらんとも思ひ出でず、ひたみちにこそ睦ましく思ひきこゆれ
  →浮舟には新しい男のことを考える気持ちなど毛頭湧いて来ない。
  →折角平静を保ってきた浮舟の心にまた苦悩が忍び寄って来ている。

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手習(9・10・11) 小野で落ち着きを取り戻した浮舟だが、、

p160-170
9.浮舟快方に向う 出家を望み戒を受ける
 〈p250 尼君は、「どうしてあなたは、こんなふうに頼りなさそうな〉

 ①妹尼「いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ
  →必死に介抱しているのにシャキッとしない浮舟。妹尼も我慢強い人である。

 ②心には、なほいかで死なんとぞ思ひわたりたまへど、、
  →記憶が回復し昔を思い出すにまた絶望感が甦ったのであろうか。

 ③浮舟「尼になしたまひてよ。さてのみなん生くやうもあるべき
  ただ頂ばかりを削ぎ、五戒ばかりを受けさせたてまつる。
  →脚注17 五戒(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)を受けたということは結婚はしてはならないということだろうか。まあ、結婚=邪淫ではないですね。

10.妹尼浮舟を慈しみ、事情を明かさぬを恨む
 〈p252 尼君は、初瀬でお告げの夢に見たような人を〉

 ①一年たらぬつくも髪
  →百マイナス一=白 白髪、なるほど。

 ②妹尼「いづくに誰と聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ
  →未だに正体を明かしてくれない浮舟。妹尼がいささか可哀そうである。

 ③浮舟「あやしかりしほどにみな忘れたるにやあらむ、ありけんさまなどもさらにおぼえはべらず、、、、、」
  →肝心なことは思い出せないとして語らない浮舟。しゃべってしまってはおしまいである。

 ④かぐや姫を見つけたりけん竹取の翁よりもめづらしき心地するに、、、
  →竹取物語は周知のお話。正体の分からない姫とあらばかぐや姫が連想される。 

11.浮舟、小野の僧庵に不幸な半生を回想す
 〈p254 この庵の庵主も身分の貴い人でした。〉

 ①この主も、あてなる人なりけり。
  母尼、妹尼の素性が明かされる。
  母尼=出自不明 あてなる人だから身分高い人の妻だったのだろう。
  妹尼=上達部(衛門督)の北の方だったが夫と死別。娘が中将に嫁いだが数年前死亡。出家して小野の山荘に住み移った。

 ②妹尼 ねびにたれど、いときよげによしありて、ありさまもあてはかなり。
  →相当な貴人であった様に書かれている。

 ③秋になりゆけば、空のけしきもあはれなるを、門田の稲刈るとて、、、
  →小野の秋の様子。稲田である。
   百人一首NO.71 源経信
   夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く

 ④かの夕霧の御息所のおはせし山里よりはいますこし入りて、
  →脚注1 夕霧という巻名がここに記されている。作者が巻名をつけた証拠。

 ⑤尼君ぞ、月など明き夜は、琴など弾きたまふ。少将の尼君などいふ人は、琵琶弾きなどしつつ遊ぶ
  →女尼の所帯なのに管弦の遊び。優雅である。

 ⑥浮舟の手習
  身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけて誰かとどめし
  われかくてうき世の中にめぐるとも誰かは知らむ月のみやこに
  →浮舟の独唱。誰にも話しかけられない。孤独である。
  →かぐら姫になぞらえられる浮舟。
   紫の上の臨終の場面もかぐや姫昇天のイメージが重ねられていた(御法p264)

 ⑦こと人々はさしも思ひ出でられず、ただ親いかにまどひたまひけん、乳母、よろづに、いかで人並々になさむと思ひ焦られしを、、、  
  よろづ隔つることなく語らひ見馴れたりし右近などもをりをりは思ひ出でらる。

  →思い出されるは母のことそして乳母と右近。薫も匂宮も出て来ない。
  →思い出したくないのであろう。

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手習(6・7・8) 浮舟、正気に戻る

p150-160
6.女依然として意識不明、妹尼たち憂慮する
 〈p243 こういう若い女を連れて来るなどということは、〉

 ①小野山荘に到着
  かかる人なん率て来たるなど、法師のあたりにはよからぬことなれば、、
  →山荘は僧都の里、そんな所に妙齢の女性が連れ込まれていては噂になってまずい。

 ②継母などやうの人のたばかりて置かせたるにやなどぞ思ひ寄りける。
  →複雑な夫婦関係が多かった当時、継母に見棄てられる娘なんてのも多かったのだろう。
  →実子すら虐待される現代、何も言えませんが。。

 ③夢語もし出でて、はじめより祈らせし阿闍梨にも、忍びやかに芥子焼くことせさせたまふ。
  →必死に看病し回復を祈らせる妹尼。頭が下がります。

7.僧都の加持により、物の怪現れ、去る
 〈p244 その後長く引きつづいてこうして手篤く看病しているうちに、〉

 ①かくあつかふほどに、四五月も過ぎぬ。
  →小野に戻って約2ヶ月が過ぎた。

 ②妹尼「なほ降りたまへ。この人助けたまへ
  僧都「かくまでもありける人の命を、やがてうち棄ててましかば
  →妹尼のSOSに応え僧都が横川から小野まで下りてくる。
   (京まで下りるのは差支えあるが小野なら目立たない)

 ③僧都「我無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけて、まだ謗りとらず、過つことなし。齢六十あまりて、今さらに人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ
   「この修法のほどに験見えずは
  →さすが僧都。必死の決意で加持祈祷にかかる。
  →何が僧都にかくも熱心にさせたのか。まさか浮舟の美貌のせいではなかろうに。

 ④物の怪が出てくる。
  「、、よき女のあまた住みたまひし所に住みつきて、かたへは失ひてしに、この人は、心と世を恨みたまひて、、、、されど観音とざまかうざまにはぐくみたまひければ、この僧都に負けたてまつりぬ。今はまかりなん
  →大君はこの物の怪に憑りつかれて亡くなった!?(脚注7)
  →浮舟は長谷観音のご加護で助かった。初瀬詣での有難さが強調される。

8.浮舟意識を回復し、失踪前後のことを回想
 〈p248 御病人自身の気分は、物の怪が去って爽やかになり、〉

 ①正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて見まはしたれば、、
  →物の怪が去って浮舟が正気を取り戻す。

 ②浮舟が自ら何が起こったのかを回想する。
  いといみじとものを思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、、、
  いときよげなる男の寄り来て、いざたまへ、おのがもとへ、と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のしたまふとおぼえしほどより心地まどひにけるなめり、

  →作者が浮舟をして何があったのかを回想させる。見事な手法である。
  →抱きかかえてくれたのは匂宮、薫は抱っこなどしていない。

 ③つひにかくて生きかへりぬるかと思ふも口惜しければ、、、
  →この時点で浮舟は正気に返り記憶も戻ったのだろう。
  →2ヶ月間意識朦朧として記憶喪失状態にあったということか。
   ともあれ、よかった。

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手習(3・4・5) 浮舟、小野山荘へ

p142-150
3.妹尼、女を預り介抱するが、意識不明
 〈p236 母尼君たちの一行が到着して、〉

 ①僧都の妹尼の登場。この人が浮舟に寄り添っていく。
  「おのが寺にて見し夢ありき。いかやうなる人ぞ。まづそのさま見ん」
  →妹尼 50才ばかり 未亡人で中将に嫁いだ娘を失くし傷心している。娘の身代わりでも得たいものと長谷寺にお詣りしてきた。その願いが叶うのかも知れない。

 ②いと若ううつくしげなる女の、白き綾の衣一襲、紅の袴ぞ着たる、香はいみじうかうばしくて、あてなるけはひ限りなし。
  →妹尼は一目見てこれは高貴な女君だとピンと来たことだろう。

 ③妹尼「もののたまへや。いかなる人か。かくてはものしたまへる」
  →やさしくいたわりながら声をかける妹尼。こんな人に見つけられてよかった!

 ④尼君は、親のわづらひたまふよりも、この人を生けはてて見まほしう惜しみて、うちつけに添ひゐたり。
  →そうだ、母尼が重病だったのだ。母親をほっぱらかして女を介抱する妹尼。何と慈悲深い人であろう。

 ⑤問いかける妹尼に女(浮舟)が答える。
  「生き出でたりとも、あやしき不用の人なり。人に見せで、夜、この川に落とし入れたまひてよ」
  →第一声がこんな言葉。何と哀しいことを言うのでしょう!

4.下人来て、八の宮の姫君葬送のことを語る
 〈p214 一行は二日ばかり、そこに滞在します。〉

 ①宇治の里の下人どもが僧都に先ごろの出来事をご注進する。
  「故八の宮の御むすめ、右大将殿の通ひたまひし、ことになやみたまふこともなくてにはかに隠れたまへりとて、騒ぎはべる。、、、」
  →「浮舟」巻末とストーリーが繋がる。
  →ここまで聞いても僧都は見つけた女が浮舟とは思いつかない。もう少しの所だったのに、、、。

 ②妹尼の女房たち
  「大将殿は宮の御むすめもちたまへりしは亡せたまひて年ごろになりぬるものを、誰を言ふにかあらん。姫宮をおきたてまつりたまひて、よに異心おはせじ」
  →薫が宇治の大君に通っていたことは噂になっていたが、浮舟のことは秘密裡に進めていたので噂になっていない。
  →帝の女二の宮を娶って世にときめく薫が宇治に身分の低い女を匿ってるなどとは世間では思いもつかない。当然である。

5.母尼回復し僧都ら女を連れて小野へ帰る
 〈p242 母の尼君は、御病気がよくなられました。〉

 ①尼君、よろしくなりたまひぬ。
  →よくなってよかった。この尼君の病気のお蔭で浮舟が発見されたのです。

 ②比叡坂本に、小野といふ所にぞ住みたまひける、
  →舞台は宇治から離れ小野に移ります。以後宇治は物語の舞台からは消えることになります。
  →浮舟小野山荘
    かの夕霧の御息所のおはせし山里よりはいま少し入りて、山に片かけたる家なれば、、(手習11p166)とあり横川の手前になる。
  (夕霧小野山荘は今の修学院離宮あたりと想定されている)

 ③宇治から小野まで山道を約25KM
  僧都は親をあつかひ、むすめの尼君は、この知らぬ人をはぐくみて、みな抱きおろしつつ休む。
  →ちょっと現実離れした宗教心に厚い慈悲深い人たちである。

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手習(1・2) 横川の僧都 宇治院で怪しきもの発見 浮舟か!

[お知らせ]
式部さんの朗読、夢浮橋まで完了、全てアップさせていただきました。ざっとカウントして65時間に及ぶ大偉業です。これだけ並ぶと壮観です。ご苦労談などは追々伺うとして先ずは完読いただいたことに対しお礼とお祝いを申し上げます。ありがとうございました。

手習 ほど近き法の御山をたのみたる女郎花かと見ゆるかりけれ 与謝野晶子

蜻蛉の巻は浮舟が失踪したK27年3月末から始まり浮舟の四十九日が終り夏が過ぎ秋になって蜻蛉のはかなげに飛び交う場面で終わっていました。手習の巻は浮舟が失踪したK27年3月末まで遡って始まります。

横川の僧都と妹尼が助演男女優として登場、宇治から小野の山里へと舞台が移ります。新しい最後の物語の始まりです。

p132-142
1.横川の僧都の母尼、初瀬詣での帰途発病す
 〈寂聴訳巻十 p228 その頃、比叡山の横川に、某の僧都とかいって、〉

 ①p133挿絵比叡山周辺図参照 横川は根本中堂の北方山間
  なにがし僧都=源信(恵心僧都)がモデル
  →当時誰しも知る高僧 物語が現実味を帯びる。

 ②僧都 60ほど 母尼 80あまり 妹尼 50ばかり
  母想いの僧都 妹尼も母・兄と睦ましい関係にある。

 ③古き願ありて、初瀬に詣でたりけり。
  →初瀬長谷観音参りが物語を作っていく。

 ④母尼が初瀬からの帰途宇治で病気になり僧都が横川からかけつける。
  限りのさまなる親の道の空にて亡くやならむと驚きて、急ぎものしたまへり。 
  →親孝行の僧都、徳の高い僧であることを印象づける。

 ⑤故朱雀院の御領にて宇治院といひし所、このわたりならむと思ひ出でて、
  →朱雀院が出てくる。ああ、あの源氏の兄で女三の宮の父の朱雀院だ、、、。

2.僧都、宇治院に赴き怪しき物を発見
 〈p230 まず、僧都がさきにお出かけになります。〉

 ①いといたく荒れて、恐ろしげなる所かなと見たまひて、「大徳たち、経読め」などのたまふ。
  →荒れたところには妖怪変化が棲む。経を読んで追い払う。当時の常識だったのだろう。

 ②森かと見ゆる木の下を疎ましげのわたりやと見入れたるに、白き物のひろごりたるぞ見ゆる。
  →白い物、狐か妖怪か、、、。読者はよかった浮舟が出て来た、、、とピンと来る。

 ③頭の髪あらば太りぬべき心地するに、、、
  →坊主頭では髪の毛が逆立つこともない。ユーモア表現に読者もホッとする。

 ④僧都「これは人なり。さらに非常のけしからぬ物にあらず。寄りて問へ。亡くなりたる人にはあらぬにこそあめれ。もし死にたる人を棄てたりけるが、蘇りたるか」
  →さすが僧都、冷静である。当時は人をさらって棄てるなんてこともあったのだろうか。恐ろしい世の中である。

 ⑤宿守「狐は、さこそは人はおびやかせど、事にもあらぬ奴」と言ふさま、いと馴れたり。
  →狐や妖怪など何とも思ってないような荒くれ者の宿守。頼もしい限りである。

 ⑥僧「雨いたく降りぬべし。かくおいたらば、死にはてはべりぬべし。垣の下にこそ出ださめ」
 僧都「まことの人のかたちなり。その命絶えぬを見る見る棄てんこといみじきことなり。池に泳ぐ魚、山になく鹿をだに、、、、、」
  →雨が降り続いている。
  →注12 常識的現実的な僧と聖職者たる僧都の対比。この僧都なら浮舟を何とかしてくれるだろう。紫式部の思いのままにストーリーは進行して行きます。

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