手習(9・10・11) 小野で落ち着きを取り戻した浮舟だが、、

p160-170
9.浮舟快方に向う 出家を望み戒を受ける
 〈p250 尼君は、「どうしてあなたは、こんなふうに頼りなさそうな〉

 ①妹尼「いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ
  →必死に介抱しているのにシャキッとしない浮舟。妹尼も我慢強い人である。

 ②心には、なほいかで死なんとぞ思ひわたりたまへど、、
  →記憶が回復し昔を思い出すにまた絶望感が甦ったのであろうか。

 ③浮舟「尼になしたまひてよ。さてのみなん生くやうもあるべき
  ただ頂ばかりを削ぎ、五戒ばかりを受けさせたてまつる。
  →脚注17 五戒(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)を受けたということは結婚はしてはならないということだろうか。まあ、結婚=邪淫ではないですね。

10.妹尼浮舟を慈しみ、事情を明かさぬを恨む
 〈p252 尼君は、初瀬でお告げの夢に見たような人を〉

 ①一年たらぬつくも髪
  →百マイナス一=白 白髪、なるほど。

 ②妹尼「いづくに誰と聞こえし人の、さる所にはいかでおはせしぞ
  →未だに正体を明かしてくれない浮舟。妹尼がいささか可哀そうである。

 ③浮舟「あやしかりしほどにみな忘れたるにやあらむ、ありけんさまなどもさらにおぼえはべらず、、、、、」
  →肝心なことは思い出せないとして語らない浮舟。しゃべってしまってはおしまいである。

 ④かぐや姫を見つけたりけん竹取の翁よりもめづらしき心地するに、、、
  →竹取物語は周知のお話。正体の分からない姫とあらばかぐや姫が連想される。 

11.浮舟、小野の僧庵に不幸な半生を回想す
 〈p254 この庵の庵主も身分の貴い人でした。〉

 ①この主も、あてなる人なりけり。
  母尼、妹尼の素性が明かされる。
  母尼=出自不明 あてなる人だから身分高い人の妻だったのだろう。
  妹尼=上達部(衛門督)の北の方だったが夫と死別。娘が中将に嫁いだが数年前死亡。出家して小野の山荘に住み移った。

 ②妹尼 ねびにたれど、いときよげによしありて、ありさまもあてはかなり。
  →相当な貴人であった様に書かれている。

 ③秋になりゆけば、空のけしきもあはれなるを、門田の稲刈るとて、、、
  →小野の秋の様子。稲田である。
   百人一首NO.71 源経信
   夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く

 ④かの夕霧の御息所のおはせし山里よりはいますこし入りて、
  →脚注1 夕霧という巻名がここに記されている。作者が巻名をつけた証拠。

 ⑤尼君ぞ、月など明き夜は、琴など弾きたまふ。少将の尼君などいふ人は、琵琶弾きなどしつつ遊ぶ
  →女尼の所帯なのに管弦の遊び。優雅である。

 ⑥浮舟の手習
  身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけて誰かとどめし
  われかくてうき世の中にめぐるとも誰かは知らむ月のみやこに
  →浮舟の独唱。誰にも話しかけられない。孤独である。
  →かぐら姫になぞらえられる浮舟。
   紫の上の臨終の場面もかぐや姫昇天のイメージが重ねられていた(御法p264)

 ⑦こと人々はさしも思ひ出でられず、ただ親いかにまどひたまひけん、乳母、よろづに、いかで人並々になさむと思ひ焦られしを、、、  
  よろづ隔つることなく語らひ見馴れたりし右近などもをりをりは思ひ出でらる。

  →思い出されるは母のことそして乳母と右近。薫も匂宮も出て来ない。
  →思い出したくないのであろう。

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4 Responses to 手習(9・10・11) 小野で落ち着きを取り戻した浮舟だが、、

  1. 青玉 のコメント:

    正気を取り戻し快方に向うも心を開かぬ浮舟に尽くす妹尼たち。
    記憶が戻るにつれ一層過去を嘆く浮舟の心情はこの場の誰に話しても理解を得られぬ複雑さだと推測します。
    それほど浮舟の絶望は深く心身ともに傷ついているのでしょう。
    そして出家への願望が芽生えてくる・・・

    一年たらぬつくも髪
    おもしろい表現ですね。確かに百マイナス一=白で白髪
    白寿はここからきているのでしょうか?

    小野の僧庵の尼君たちは管弦の遊びなど優雅で雰囲気からも高貴な過去をもった集団のようですね。
    そしてこの山里は宇治と違って何か落ち着いた癒しが感じられます。

       かの夕霧の御息所のおはせし山里よりはいますこし入りて
    思い出しますね~夕霧の巻を・・・
    そして脚注の「作者が巻名をつけた証拠」には納得の思いです。

    こうした環境の中、浮舟の和歌(手習)の日々が生まれる。

       身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけて誰かとどめし
       われかくてうき世の中にめぐるとも誰かは知らむ月のみやこに

    二首とも浮舟の思いが伝わります。
    ここで「涙の川」の言葉がありますね。
    私の好きな言葉です。
    ゆずの歌、「涙の河も海へと帰る 誰の心も雨のち晴レルヤ」のフレーズが大好きです。

    思い出すのは母のこと、乳母、右近、よもや浮舟が生きているとは・・・

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.「記憶が戻るにつれ一層過去を嘆く浮舟の心情はこの場の誰に話しても理解を得られぬ複雑さだと推測します」
       
       →誠にいい所を指摘していただきました。記憶の戻らぬ内の浮舟は自分でも得体が分からず「浮かぬ表情」に終始していたのではないでしょうか。それが記憶が戻り昔の絶望感が蘇るにつけ表情は暗くなり溜息をついたり、独り言をつぶやいたり、冷汗をかいたり。昔のことは思い出したくない、でも母のこと乳母のこと右近のことは時々心に浮かぶ。

       →賢い妹尼のこと、浮舟の話せない過去については凡その察しはついたのでしょう。正しくかぐや姫に接している感じだったと思います。

      2.母尼の出自(父が誰で夫は誰だったか)は不明ですが、息子は比叡山の高僧(中宮の覚えめでたい)で娘(妹尼)は上達部(三位以上公卿)の北の方であった(父の身分が相当に高くなければ上達部の北の方にはなれなかったでしょう)。妹尼の娘は亡くなったが近衛中将を婿としていた。この中将、現在27~8才(匂宮・薫と同年代)今をときめく若公達。
       
       →相当身分の高い上流貴族の家族であったと言えましょう。小野の山荘が床しげであることが分かります。

      (「ごちそうさん」でしたね。朝ドラの主題歌、毎日聞くので耳から離れませんねぇ)

  2. 式部 のコメント:

     浮舟にとっての救いは、僧都、その妹尼、母尼ですね。
     物語の中の僧都のモデルは「往生要集」をあらわした恵心僧都源信。その母もその妹も立派な人物であることは説話などからうかがい知ることができます。(グーグルで読むのが簡単。知っている話だと思います。)
     同時代に生きた紫式部は上手く取り入れてお話を発展させていますよね。
     僧都たちとの出会いが浮舟に心の平安を与えてくれるといいですね。
     

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      紫式部は今までロクな法師を登場させて来ませんでしたが最後の最後で切り札的に立派な聖職者を出してきた感じがします。

      源信の母も立派だったようですね(wikiからコピペしました)
       下賜された褒美を母に送った源信を母が諌めた和歌:
        
        後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき
          まことの求道者となり給へ

       (付録p327の話も有名だったのだろう。僧都はめったに山を下りない) 

      物語上では母尼やその夫の出自は語られてませんが十分高貴な徳の高い人たちであったことは世間の常識だったのでしょう。

       →その僧都が浮舟と薫とに絡んで俗っぽい面を出していくところも面白いのですが。。

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