手習(6・7・8) 浮舟、正気に戻る

p150-160
6.女依然として意識不明、妹尼たち憂慮する
 〈p243 こういう若い女を連れて来るなどということは、〉

 ①小野山荘に到着
  かかる人なん率て来たるなど、法師のあたりにはよからぬことなれば、、
  →山荘は僧都の里、そんな所に妙齢の女性が連れ込まれていては噂になってまずい。

 ②継母などやうの人のたばかりて置かせたるにやなどぞ思ひ寄りける。
  →複雑な夫婦関係が多かった当時、継母に見棄てられる娘なんてのも多かったのだろう。
  →実子すら虐待される現代、何も言えませんが。。

 ③夢語もし出でて、はじめより祈らせし阿闍梨にも、忍びやかに芥子焼くことせさせたまふ。
  →必死に看病し回復を祈らせる妹尼。頭が下がります。

7.僧都の加持により、物の怪現れ、去る
 〈p244 その後長く引きつづいてこうして手篤く看病しているうちに、〉

 ①かくあつかふほどに、四五月も過ぎぬ。
  →小野に戻って約2ヶ月が過ぎた。

 ②妹尼「なほ降りたまへ。この人助けたまへ
  僧都「かくまでもありける人の命を、やがてうち棄ててましかば
  →妹尼のSOSに応え僧都が横川から小野まで下りてくる。
   (京まで下りるのは差支えあるが小野なら目立たない)

 ③僧都「我無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけて、まだ謗りとらず、過つことなし。齢六十あまりて、今さらに人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ
   「この修法のほどに験見えずは
  →さすが僧都。必死の決意で加持祈祷にかかる。
  →何が僧都にかくも熱心にさせたのか。まさか浮舟の美貌のせいではなかろうに。

 ④物の怪が出てくる。
  「、、よき女のあまた住みたまひし所に住みつきて、かたへは失ひてしに、この人は、心と世を恨みたまひて、、、、されど観音とざまかうざまにはぐくみたまひければ、この僧都に負けたてまつりぬ。今はまかりなん
  →大君はこの物の怪に憑りつかれて亡くなった!?(脚注7)
  →浮舟は長谷観音のご加護で助かった。初瀬詣での有難さが強調される。

8.浮舟意識を回復し、失踪前後のことを回想
 〈p248 御病人自身の気分は、物の怪が去って爽やかになり、〉

 ①正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて見まはしたれば、、
  →物の怪が去って浮舟が正気を取り戻す。

 ②浮舟が自ら何が起こったのかを回想する。
  いといみじとものを思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、、、
  いときよげなる男の寄り来て、いざたまへ、おのがもとへ、と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のしたまふとおぼえしほどより心地まどひにけるなめり、

  →作者が浮舟をして何があったのかを回想させる。見事な手法である。
  →抱きかかえてくれたのは匂宮、薫は抱っこなどしていない。

 ③つひにかくて生きかへりぬるかと思ふも口惜しければ、、、
  →この時点で浮舟は正気に返り記憶も戻ったのだろう。
  →2ヶ月間意識朦朧として記憶喪失状態にあったということか。
   ともあれ、よかった。

カテゴリー: 手習 パーマリンク

4 Responses to 手習(6・7・8) 浮舟、正気に戻る

  1. 青玉 のコメント:

    懸命なる妹尼の看護もなかなか功を成さず僧都の加持祈祷を・・・

    この時代物の怪がよく出ますね。
    科学的な根拠は解りませんが祈りによって物の怪が調伏され効験が現れると言うのは何となく解るような気がします。
    必死の誓願により浮舟が正気を取り戻す。
    僧都の祈りの深さが勝ったと言うことでしょうか。

    意識を取り戻した浮舟の回想。
    意識混濁の中で過去のことがおぼろげに甦る・・・
    なにはともあれ読者もほっとする思いです。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.物の怪の登場。p156脚注7および段末脚注にあるようにこの物の怪(成仏できず彷徨っていた法師)が大君を取り殺したというのは如何にも唐突でちょっと納得できません。大君発病~死亡まで通常の修法・加持祈祷はされていたが(それすら大君は望んでいなかった)物の怪を憑座に乗り移らせて退治するような手立てはなされてません。薫がこれを聞いたら「抜かった、物の怪だったか!」と臍をかんだことでしょうに。

      2.2ヶ月も記憶喪失状態にあった浮舟がようやく意識を回復する場面ですが、失踪から発見されるまで浮舟は一体何をしてたのでしょうか。

       ①実際に宇治川に身を投げた。急流で岸に打ち上げられ、記憶がないまま宇治院のたもとに横たわっていた。

       ②投身はしていない。投身しようとふらふら出かけたが何かに躓きでもしたか気を失ってしまい、宇治院のたもとに横たわっていた。

       →浮舟自身にも分からない。従って読者にも分からないということであります。

  2. 式部 のコメント:

     少し擁護すると、薫は情熱的ではありませんが、優しいところもありますよ。
     東屋40 のところで、薫が三条の隠れ家から宇治へ車に乗せて浮舟を連れ出す場面「かき抱きて乗せたまひつ」とあり、東屋41 で「石高きわたりは苦しきものを」とて、抱きたまへり」とあります。ちゃんと抱いているのですよ。
     もちろん匂宮のような情熱をこめた抱き方ではありませんが・・・

    • 清々爺 のコメント:

      あっ、そうでした。失礼しました。ご指摘ありがとうございます。

      浮舟との初夜の場面は省筆されてましたが宇治へ「お連れ申し上げる時」にはえらく気を配って優しくしてましたね。薫にはずっとこの調子で浮舟に優しく接し続けて欲しかった。油断してほったらかしにしたのが命取りでした。
        →浮舟には薫に抱っこされた記憶などとっくにすっ飛んでいたのでしょうね。

コメントを残す