手習(13・14・15) 中将の浮舟へのアタック続く

p180-192
13.中将、横川で弟の禅師に浮舟のことを聞く
 〈p266 中将は、比叡山の横川にお着きになりました。〉

 ①中将は、山におはし着きて僧都もめづらしがりて、世の中の物語したまふ。
  →中将は元々横川に僧都&弟を訪ねるのが目的であった。

 ②小野で垣間見た女の正体をさぐる中将、
  禅師の君「この春、初瀬に詣でて、あやしくて見出でたる人となむ聞きはべりし
  →それだけ聞けば十分。「よし言い寄ってみよう」と中将は決意したことだろう。

14.翌日小野に立ち寄り浮舟に贈歌 妹尼返歌
 〈p267 翌日、お帰りになる時にも、中将は、〉

 ①中将は横川からの帰りに再び小野の妹尼を訪ねる。勿論垣間見た女が目的である。

 ②中将「、、、まして思しよそふらん方につけては、ことごとに隔てたまふまじきことにこそは。いかなる筋に世を恨みたまふ人にか。慰めきこえばや
  →すっぱりしたものの言い方。ストレートである。

 ③中将 あだし野の風になびくな女郎花われしめ結はん道とほくとも
  妹尼うつし植ゑて思ひみだれぬ女郎花うき世をそむく草の庵に
  →中将の押しつけがましい恋歌に浮舟はぞっとしたことだろう。

15.中将三たび訪れる 妹尼応対する
 〈p271 京に帰ってからも、わざわざ手紙などを送るのは、〉

 ①八月十余日のほどに、小鷹狩のついでにおはしたり。
  →三回目の訪問 仲秋の名月が近い。

 ②中将→妹尼「、、、世に心地よげなる人の上は、かく屈したる人の心からにや、ふさはしからずなん。もの思ひたまふらん人に、思ふことを聞こえばや
  →今の通い妻に不満だから浮舟と話をしたい、、。そりゃあないでしょうに。

 ③妹尼「例の人にてあらじと、いとうたたあるまで世を恨みたまふめれば。、、、」
  →浮舟はまだ妹尼にも心を開ききっていない。中将のアクションは性急に過ぎるというものである。

 ④浮舟「人にもの聞こゆらん方も知らず、何ごとも言ふかひなくのみこそ
  →浮舟の嘘偽りのない正直な心であろう。

 ⑤中将 松虫の声をたづねて来つれどもまた荻原の露にまどひぬ
  →何となく陳腐な歌に聞こえるがいかがでしょう。

 ⑥女房「、、、世の常なる筋に思しかけずとも、情なからぬほどに、御答へばかりは聞こえたまへかし」など、ひき動かしつべく言ふ
  →女房たちの気持ちも分からぬではないが浮舟が可哀そうである。

 ⑦中将「、、、あまりもて離れ奥深なるけはひも所のさまにあはずすさまじ
  →あまりに頑なな浮舟に中将も業をにやす。無理もない。所詮は折り合わない恋である。

 ⑧妹尼(浮舟からの歌として)
  ふかき夜の月をあはれと見ぬ人や山の端ちかき宿にとまらぬ
  →そりゃあ中将がぐぐっとくるのも無理はない。妹尼にしても左程の悪気はないのであろう。だが浮舟の心とはかけ離れている。

  中将 山の端に入るまで月をながめ見ん閨の板間もしるしありやと
  →こういう風に畳み掛けて行くのが常道なのだろう。でもここでは空しいだけである。

何とも空しい茶番劇が演じられている。

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3 Responses to 手習(13・14・15) 中将の浮舟へのアタック続く

  1. 青玉 のコメント:

    浮舟を垣間見て心奪われた中将、何とかしてきっかけを作りたい。

    そして浮舟への贈歌。いきなりですね。
    返事など出来るわけないでしょう。

    中将、三たびの訪問、よほど垣間見の印象が強かったのでしょうか?
    浮舟の心情を理解する人は小野には誰も居ないようです。
    中将も性急なら代筆する妹尼も少し軽率に感じます。
    これも亡き娘の再来とばかりに中将と縁づかせたい妹尼の気持としては無理もないことですが・・・

    浮舟の空しさと醒めた気持ちは読者にだけしか理解できないのでしょうか?
    浮舟の深い孤独感が伝わってきます。

  2. 式部 のコメント:

    中将は単純すぎる男ですねえ。この時代の貴族の常識なのかもしれませんが、(若い)女とみれば言い寄るものだくらいの浅い考えのもち主だと思われます。
     小野の里にいる詳しい訳はわからなくても何か深い事情がありそうだ、と思って一歩ひいてみることができないのでしょうかね。
     相手のことを思いやる、それができなくては恋は無理でしょう。

  3. 清々爺 のコメント:

    青玉さん、式部さん ありがとうございます。

    奇しくも今日は中秋の名月。中将が小野を訪れるこの場面にぴったりです。
    名月に女性を訪れる(源氏が明石の君を)、女性を垣間見る(薫が大君・中の君を)。月に絡んだ名場面が数多くありました。残念ながら中将が浮舟を訪れる本段はさっぱり感情移入ができません。月の光が空しく感じられます。

    みなさん中将には手厳しいですが、浮舟の心を知る読者としては「中将よ、そっとしてやっておくれ」と思わざるを得ませんものね。

    この中将、妻としていた妹尼の娘を亡くし今は藤中納言の娘の所へ通っている。ところがこの妻に飽き足らない。

     「世に心地よげなる人の上は、かく屈したる人の心からにや、ふさはしからずなん。もの思ひたまふらん人に、思ふことを聞こえばや

     →こんなこと妹尼に言いますかね。私はこの一言で中将を見下げてしまいました。「中納言の娘」という身分的なもの(中納言家からの後見が余り得られないとか)に不満だったのでしょうか。

     →妹尼の娘も器量良しではなかったとありましたからこの中将、面食いではないと思うのですが。。

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