手習(21・22・23) 浮舟のこと僧都から中宮の耳に入るが、、

p224-236
21.翌日、浮舟手習に歌を詠じ中将にも返歌す
 〈p306 翌朝は、姫君も念願を果たしたとは言え、〉

 ①髪を下ろした翌朝
  、、、髪の裾のにはかにおぼとれたるやうに、しどけなくさへ削がれたるを、、、
  →そりゃあ浮舟自身も髪を切った翌朝は身の変りざまにショックを受けたことだろう。

 ②浮舟 亡きものに身をも人をも思ひつつ棄ててし世をぞさらに棄てつる 代表歌
    限りぞと思ひなりにし世の中をかへすがへすもそむきぬるかな
  →何とも哀しい歌である。

 ③中将 岸とほく漕ぎはなるらむあま舟にのりおくれじといそがるるかな
  →自分がしつこく言い寄ったため浮舟が出家してしまったなど分かってない中将。ピエロである。

 ④浮舟 心こそうき世の岸をはなるれど行く方も知らぬあまのうき木を
  →出家して心の整理がついた。中将も怖くない。すんなり返歌を贈る。
  →段末脚注にこの歌は「悟りの境地からは遠い」とあるがそうでしょうかね?

22.妹尼小野に帰り悲嘆のうちに法衣を整える
 〈p310 初瀬にお詣りに行っていた尼君の一行が帰ってこられ、〉

 ①妹尼、初瀬詣でから帰って驚き嘆く
  「、、、よろづに思ひたまへてこそ、仏にも祈りきこえつれ」と臥しまろびつつ、いといみじげに思ひたまへるに、、
  →「私の留守中に何たることをしてくれたの!」一途に甲斐甲斐しく浮舟を世話してきた妹尼が可哀そうである。

 ②妹尼「いとものはかなくぞおはしける御心なれ」と、泣く泣く御衣のことなどいそぎたまふ
  →段末脚注 妹尼は人情深いなど言うに及ばずそれこそ「仏さま」ではなかろうか。

23.僧都、女一の宮の夜居に侍し浮舟を語る
〈p311 一品の宮の御病気は、たしかにあの弟子の言っていた通りに、〉

 ①一品の宮の御なやみ、、、、おこたらせたまひにければ、いよいよいと尊きものに言ひののしる。
  →当時病気とは物の怪がついたこと。高僧が再優秀な医者ということになる。

 ②御物の怪の執念きこと、さまざまに名のるが恐ろしきことなどのたまふ
  →謂わば日本国の秘蔵娘である女一の宮。そんなに憑りつく物の怪がいたのだろうか。

 ③僧都→中宮 かの見つけたりしことどもを語りきこえたまふ。
  →僧都は浮舟発見の当事者。リアルに語られたのであろう。

 ④ものよく言ふ僧都にて、語りつづけ申したまへば、、
  →横川の僧都は本当に徳の高い高僧だったのか議論がある。本テキストは高僧説だがこのフレーズ「よくもの言ふ僧都」をもって余計なことまでべらべら喋る軽薄な僧との見方もある由。私は~唯可信斯~高僧説であります。

 ⑤中宮&小宰相の君 そのころかのわたりに消え失せにけむ人を思し出づ。
  →中宮もびっくりしたことでしょう。それにしてもうまく話を運ぶものです。

 ⑥中宮「それにもこそあれ、大将に聞かせばや」
  →一旦薫に聞かせようと思ったがあれこれ考えてそのままにしてしまう。
  →結局薫が知るのはずっと後になってから。この時すぐに薫の耳に入っていたらどうなってたのだろう。
  →ウルトラCとしてはもしこの時匂宮の耳に入っていたら匂宮は浮舟奪還に向けて即行動を起したのでしょうかねぇ?

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4 Responses to 手習(21・22・23) 浮舟のこと僧都から中宮の耳に入るが、、

  1. 青玉 のコメント:

    剃髪後の浮舟の和歌二首

        亡きものに身をも人をも思ひつつ棄ててし世をぞさらに棄てつる 
        限りぞと思ひなりにし世の中をかへすがへすもそむきぬるかな

    胸をえぐられるような哀しみです。
    中将にも初めて返歌する、出家による心の安定でしょうか?

    初瀬から戻った妹尼はさぞや驚愕の思いだったでしょう。
    真から心開かぬ浮舟に対して妹尼は辛抱強く献身的です。
    やはり仏道修行もさることながら人情深い人物ですね。

    一方僧都は女一の宮の病気祈願で宮中へ。
    僧都から中宮に浮舟のことが詳しく語られる。
    ものよく言ふ僧都にて、語りつづけ申したまへば
    これは僧を快く思わぬ紫式部独特の皮肉ではないでしょうか?

    そして中宮から小宰相の君へ・・・いずれ早かれ遅かれ薫へと伝わることになるのでしょうね。
    物語はいかにも上手く繋がっていき感心するばかりです。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.「手習」=心に浮かぶ歌などを書きながすこと。すさび書き。源氏物語(手習)「硯にむかひて、思ひあまる折りには、手習をのみ」(広辞苑)

       巻名の「手習」はここから来てるんですね。二つの歌、「ああ、ついに俗世を捨ててしまった、、、」浮舟の心内が率直に詠われているいい歌だと思います。

       この二つに比べると中将への返歌は確かに俗世に未練を残しているような感じもします。これも偽らざるところなのでしょうか。

        心こそうき世の岸をはなるれど行く方も知らぬあまのうき木を

      2.この妹尼本当に偉いと思います。上に書きましたが「仏さま」ですね。それだけに浮舟との心のすれ違いが気の毒でなりません。
        →どなたに演じてもらうのがいいのでしょうか。考えておいてくださいね。

  2. 式部 のコメント:

     僧というものは昔も今も法話や説法が上手でなくては人の心をつかめないと思います。ものよく言う僧都はある意味では当然のような気がしますが、ここには作者の皮肉が感じられますよね。
     中宮に世間話をしたりして珍しい出来事などお耳に入れたかったでしょうね。
     高僧といえども木石にあらず、仏道修行のみでなく、心の奥に温かい人情が生きているようで、この僧都は好感がもてます。
     浮舟がこの僧都によって出家できたことを仏の導きと信じて、修行に励んでほしいなと思います。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      ものよく言ふ僧都

      青玉さんもおっしゃってますがここでは皮肉が込められていますよね。それにしても紫式部は僧のおしゃべりを物語の展開にうまく使っているものです。

       ①冷泉帝に出生の秘密を告げた「夜居の僧都」
       ②一条御息所に夕霧の朝帰りを問いかけた「小野の律師」
       ③父八の宮の死に際し大君・中の君に冷たくあたった「宇治の阿闍梨」
       そして
       ④明石の中宮に浮舟のことを告げた「横川の僧都」

      おっしゃるように僧は口達者が多かったのでしょうね。それを紫式部はあまり好きではなかった、でも利用せざるを得なかったということでしょうか。

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