紅葉賀 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

紅葉賀のまとめです。

和歌
13.袖ぬるる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまとなでしこ
   (藤壷)   秘密の皇子の誕生

14.尽きもせぬ心の闇にくるるかな雲居に人を見るにつけても
   (源氏)   藤壷立后

番外  君し来ば手なれの駒に刈り飼はむさかり過ぎたる下葉なりとも    
   (源典侍)  先の講読会では取り上げなかったがやはり物語中一番露骨といわれるこの歌を加えておきたい

名場面
13.源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭中将、容貌用意人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。入り方の日影さやかにさしたるに、、、
   (p182 源氏 青海波を舞う)

14.~~太刀を引き抜けば、女、「あが君、あが君」と向かひて手をするに、ほとほと笑ひぬべし。、、、
   (p228 源氏・頭中 VS 源典侍)

【紅葉賀を終えてのブログ作成者の感想】

2013年、年が改まりました。紅葉賀-花宴とお目出度い宴の巻で新年が始まるというのはいいのじゃないでしょうか。

「紅葉賀」は紫のゆかりのメインストーリーで「若紫」での不義密通・懐妊に続き藤壷の出産~立后と進んでいくわけですが、そこに賀宴での雅にして華やかな「青海波」&とんでもないエピソードとして源典侍とのコトが挿入されているという位置づけでしょうか。

私はこれまでは専らメインストーリーを捉えることに意を注いできましたが今回は源典侍とのエピソードが何とも楽しく面白く感じました。コメントの皆さんもそう感じておられるようで一本調子の進め方でなくこのようなサイドストーリーを挟んでいく紫式部に改めて(もう何十回も思っていますが)感服しています。

これで物語は源氏の十代を終え次巻花宴を経て第一部中盤へとさしかかります。
新年からやってみようかと思っておられる方、大歓迎です。最初(桐壷)から始めて追いついていただくもよし、これまでのところは寂聴さんですませてこれから原文でご一緒するというのでもいいかと思います。是非トライしてみてください。

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紅葉賀(16・17) 藤壷 立后

源典侍を巡るドタバタ劇から物語の中枢にもどる。

p236 – 238
16.藤壷、弘徽殿女御を越えて后に立つ
 〈p117 七月には、藤壷の宮が中宮にお立ちになられたようでございます。〉

 ①愛おしい藤壷が産んでくれた玉の皇子を次の次の天皇にするためにとった桐壷帝のやや強引な政治措置。当然弘徽殿女御は怒る。世間もあっと言ったのでは。
   
  → 桐壷帝 近い内に譲位
    藤壷  中宮に
    源氏  宰相に昇進 春宮となる新皇子を後見させるため

 ②源氏 尽きもせぬ心の闇にくるるかな雲居に人を見るにつけても
   
  → 藤壷は宮中の奥深くに、秘密の子ともなかなか会えまい。源氏の絶望

17.生い立つ皇子、源氏と相並んで美しく 
 〈p119 若宮は御成長あそばす月日とともに、〉

 源氏と皇子は瓜二つ。実際源氏と藤壷の子なのだから似てるのは当然だろうけど、藤壷と桐壷更衣は瓜二つだったのだから桐壷帝の子であっても源氏とそっくりで当たり前なのでは。

   桐壷帝 X 桐壷更衣(藤壷と瓜二つ)   →  源氏
   桐壷帝 X 藤壷(桐壷更衣と瓜二つ)   →  皇子
 
 異母兄弟と考える方がよりよく似ているのではなかろうか、、、、考え過ぎか。
 
 
   

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紅葉賀(13・14・15) 熟女源典侍

p218 – 236
この源典侍(げんのないしのすけ)のことは紫のゆかりのメインストーリーには関係ない一つのエピソードで、紫式部の筆使いもちょっと異なるように思います。あとから挿し込まれたのかもしれません。何ともユニークな馬鹿げた話であります。でもけっこう面白いです。一気に読んでしまいましょう。

13.源氏、老女 源典侍とたわむれる
 〈p100 帝はもうかなりのお年でいらっしゃいますけれど、〉

 ①桐壷帝の老いても(何才か諸説あるが)お盛んなことが語られる。帝の周りはきれいどころがいっぱい。華やいだ後宮である。

 ②源典侍の紹介。モデルは誰かとか色々言われている物語中でも屈指の有名人物。
  家柄高く才気があり好色、衰えを知らない。この時点で57~58才。催馬楽・俗謡などにも通じている。

 ③裳の裾を引きおどろかしたまへれば、かはほりのえならずゑがきたるをさし隠して見かへりたるまみ、いたう見延べたれど、目皮らいたく黒み落ち入りて、いみじうはつれそそけたり

   → 裾など引いてチョッカイを出すのがいけない、、いやそこがいい所か
   → 末摘花の描写にも匹敵する強烈な表現 ここまで言うかって感じです

 ④引歌の応酬による下世話な会話。
   源典侍 君し来ば手なれの駒に刈り飼はむさかり過ぎたる下葉なりとも
    
   →丸谷才一は「驚くばかり露骨な歌でこれだけ露骨な歌は源氏物語のなかにもないんじゃないか」と言ってます。でも古歌を引きあっての応酬であるところが床しいところです。

 ⑤頭中もききつけてオレも負けていないぜとばかり老女にアタック(友だちっていいですね)
  頭中をこのようにかませて物語を進展させるところが実にいい。源氏と老女だけの秘めたる情事なんていくらなんでも気持ち悪いだけではなかろうか。

14.源氏と典侍との逢瀬を、頭中将おどす
 〈p105 頭の中将も人よりははるかに優れていらっしゃいますので、〉

 この場面、式部さんの朗読も笑いを堪えながらの感じ、実にいいです。

 ① 温明殿のあたりから琵琶の音(源典侍は琵琶の名手、催馬楽を歌うのも上手だったのだろう)

 ②催馬楽 「山城」&「東屋」を引き合っての冗談事の応酬。この辺も露骨。
   → まことに床しい紫のゆかりの筆致とは大違い。ちょっと場違いな感じです。

 ③19才 ♡ ♡ 57才 (19 x 3 = 57 ですね)

 ④頭中が現場に侵入。
   源氏: 「何だオレは当て馬か!」
   源典侍:「あら、またかち合っちゃったわ」

   この時代、性的にとてもオープンでこのようにかち合ったり踏み込まれたりしたこと日常茶飯事だったのだろうか。大らかなものです。

 ⑤「ふるふふるふ」「あが君、あが君」 
   → 滑稽表現の続出。読み聞かされた女房たちはきゃっきゃっ言って喜んだのでは。
   → 太刀が出てくるのは夕顔なにがし院の場面とこの場面のみ

15.源典侍とのことで、源氏、頭中将と応酬
 〈p112 源氏の君は、頭の中将に見つけられてしまったことを、〉

 ①翌朝の様子。源氏・典侍 & 源氏・頭中の歌の詠み合いはさすが。
   → 歌がいっぱい。この辺 紫式部自身が楽しんでる感じ

 ②源氏 「妹には言うなよ」
  頭中 「簡単に言ってたまるものですか」

 ③頭中の出自・性向の紹介が改めてなされる。
  脚注12「左大臣の子供のうち、桐壷帝の妹を母としているのは、頭中と葵の上の二人だけ」
   → 重要。源氏と頭中は以後友だちかつライバルという関係を続けていく
 
 
 

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紅葉賀(10・11・12) 紫の上との様子

p210 – 217
10.源氏・藤壷、和歌に託して思いを交す
 〈p94 源氏の君は二条の院の御自分のお部屋でお寝みになって、〉

 ①源氏と藤壷の歌の贈答。信頼できる王命婦経由とはいえ危なっかしい。
  源氏 よそへつつ見るに心は慰まで露けさまさるなでしこの花
  藤壷 袖ぬるる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまとなでしこ

   この藤壷の歌、解釈が難しい。「やはり若宮をいとおしむ気にならない」と脚注にあるがそれなら藤壷は心にもないウソの気持ちを源氏に伝えたのだろうか。よく分かりません。

11.源氏、紫の上との遊びに思ひを慰める
 〈p96 つくづくと物思いに沈みこんで寝ていらっしゃっても、〉

 ①紫の上のあどけない姿。会話に古歌を引用するところなど11才と言えどさすがに源氏の教育が行き届いてきたなあと思わせる。

 ②小さい紫の上が背を伸ばして琴を引く様子がいかにも可愛らしい。琴の名手になる。
  小さき御ほどに、さしやりてゆしたまふ御手つきいとうつくしければ、

 ③出かけるに際しての源氏の紫の上への言い訳が何とも傑作
  まづくねくねしく恨むる人の心破らじと思ひてむつかしければしばしかくも歩くぞ 
     → 自業自得とはいえご苦労さまです。

 ④でも紫の上の無邪気さに負けて外出取りやめとなる。
     → それはいいけど、取りやめられた方の恨みは如何なんでしょうかね。

12.紫の上との風評につき、帝、源氏を戒める
 〈p99 こんなふうにして、姫君に引き止められておしまいになる折々も〉

 ①噂を流すのは女房たち。色んな屋敷に出入りしている女房たちが見知ったプライバシーを尾ひれをつけて流し合う。ゴシップ・スキャンダルほど楽しい話題はないこと今も昔も変わりはない。

  源氏が二条院に幼い娘を隠しているなどはかっこうの噂のタネだったろう。
  「ねぇねぇ、ちょっと聞いて、とんでもないわよ!!」声が聞こえるようです。

 ②父帝にも噂が届いて苦言を呈する。当然でしょうね。

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紅葉賀(7・8・9) 不義の皇子誕生

藤壷との不義の子が生まれる重要場面です。

p198 – 210
7.源氏、左大臣邸に退出 翌日、藤壷へ参賀
 〈p85 源氏の君は宮中の拝賀を終えて、〉

 ①葵の上と源氏 年が改まっても心の擦れ違いは変わらない。

 ②左大臣は相変わらず婿殿に甲斐甲斐しい。
   → 「婿殿、一杯行きましょう。ウチの葵とはどんなもんですかな」てな具合に腹を割って話せなかったのだろうか。

 ③そして藤壷お里下がりの三条宮に参賀。誰しも疑わず「源氏の君は律儀なこと」と思ったのであろう。

8.皇子の誕生と、源氏・藤壷の苦悩
 〈p88 藤壷の宮の御出産の御予定の十二月も、〉

 ①二月十余日 皇子誕生 (→ 女では物語にならない)
  帝に伝えている出産予定は十二月、一月余にわたり藤壷は苦悩したことであろう。

 ②命長くもと思はすは心憂けれど、弘徽殿などのうけはしげにのたまふと聞きしを、空しく聞きなしたまはましかば人笑はれにや、と思しつよりてなむ、やうやうすこしづつさはやいたまひける
   → 藤壷はここで心が吹っ切れた。「強く生きよう」と心を決めた一瞬であったのだろう。

 ③源氏が甲斐甲斐しく伺候する。皇子を先ず見せろと言われても無理というもの。

 ④人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな 藤原兼輔
  百人一首No.27 紫式部の曽祖父藤原兼輔の歌です。何度も引用されます。
   (吉海直人によると26回以上引かれている由=最多)
 
 ⑤命婦との歌のやりとり。如何にも危険だと思うのですが、、。
  命婦はどんな人でどんな心境だったのか。寂聴さんならずとも小説に書いてみたくなるところなんでしょうね。
  
9.皇子参内 帝の寵愛と源氏・藤壷の苦悩
 〈p92 四月に若宮は参内あそばされました。〉

 ①二月に誕生、二ヶ月経って四月に参内する。帝は待ちかねたことであろう。

 ②帝 皇子たちあまたあれど、そこをのみなむかかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ

   帝が皇子を抱き上げて源氏に話しかける場面。
   帝は本当に知らなかったのか、知らないふりをしていたのか。
     → この辺が読み解きの醍醐味でしょうか。
   
 ③源氏 恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あわれにも、かたがたうつろふ心地して、 

   源氏の心境も誠に複雑なものであったのだろう。
  

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紅葉賀(4・5・6) 葵の上・藤壷・紫の上

p189 – 198
4.源氏と葵の上の仲 紫の上、源氏を慕う
 〈p77 藤壷の宮はこの頃、〉

 ①相変わらずの葵の上との心の擦れ違い。
 葵の上にもたらされる情報は女房からのもので紫の上との経緯など全くなしに二条院に女性を連れ込んだらしいというだけ。これでは機嫌が悪くなるのも当然だろう。

 ②逆に紫の上への愛しさが募る。まだ身内にも秘密、父兵部卿宮にもバレていない。

5.源氏、三条宮に藤壷をとぶらふ
 〈p79 藤壷の宮のお下がりになっていらっしゃる三条の宮に、〉

 ①源氏が藤壷(身重の義理の母)を訪ねるなんて世間からおかしいと思われないのだろうか。藤壷の方は迷惑気味でそっけない対応 →当たり前だろう。

 ②兵部卿宮・源氏 互いに相手を女にて見ばやと思っている。
   → この表現よく出てくる。ちょっと違和感を禁じ得ない。

 ③はかなの契りやと思し乱るること、かたみに尽きせず  
   → こんなラブ表現が1000年前に書かれたと思うと感動します。

6.源氏、幼い紫の上をいとおしみ、相睦ぶ
 〈p82 若紫の姫君の乳母の少納言は、〉

 ①少納言の目を通して紫の上の様子が語られる。派手な衣装でなく無地の服を着る好ましき姿。

 ②年明けてG19年。紫の上11才。
  まだ人形遊びをしている幼い様子。

 ③我はさは男まうけてけり、この人々の男とてあるはみにくくこそあれ、我はかくをかしげに若き人をも持たりけるかな
   →紫の上のこの心内がいじらしい。他の男はみな醜いというのはいただけないが。

 ④いとかう世づかぬ御添臥ならむとは思はざりけり
   →そりゃあ普通の目からみればロリコンとしか思えませんものね。

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紅葉賀(1・2・3) 源氏 青海波を舞う 

謹賀新年  本年もよろしくお願いいたします。

「紅葉賀」青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心は下に鳴れども(与謝野晶子)

さて、第七巻は「紅葉賀」(もみじのが)、「若紫」に続く紫のゆかりメインストーリーです。これからはしばらく(第十四巻「澪標」まで)メインストーリーが続きます。「紅葉賀」は次巻「花宴」とセットで秋&春の華やかな賀宴の模様を語りつつ物語が展開する趣向です。けっこうテンポも早いので飽かせず読ませてくれる巻だと思います。

p182 – 188
1.行幸の試楽に、源氏、青海波を舞う
 〈寂聴訳巻二 p70 朱雀院への行幸は十月十日過ぎでした。〉

 ①G18年10月(末摘花の正体を見たちょっと前の頃か)から始まる。

 ②朱雀院 位置をチェック。三条の南、朱雀大路の西。極めて広大。
  ここに一院(桐壷帝の父か兄)が住んでいる。そこへの行幸。
  この朱雀院、後に朱雀帝(源氏の兄)が住むので重要な場所になる。

 ③行幸には后は同行できない。リハーサルをやってそれを藤壷に見せる(桐壷帝の藤壷への計らい)。

 ④青海波 これは有名なのでご存知でしょう。清盛でも出てきましたかね。
  青海波を舞うところ美文で読んでてもきれいだなあと思います。

 ⑤「なお花のかたはらの深山木なり」 → 頭中がかわいそう
  「神など空にめでつべき容貌かな。うたてゆゆし」 →弘徽殿女御の悪態集の一つ
  
 ⑥桐壷帝と藤壷の会話 → 無邪気な帝と複雑なる心境の藤壷
 「こと(異)にはべりつ」 → 何とも含みのある言で解説書でも賞賛されている  
  源氏の舞が絶賛されていて試楽で完璧にやり過ぎで本番では困るだろうなんて言われているが、源氏にとっては藤壷の前で舞うこの日こそが一世一代の見せ場だったのではなかろうか。

2.翌朝、源氏と藤壷、和歌を贈答する
 〈p73 その翌朝、源氏の君から藤壷の宮へ、〉

  源氏 もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや
  藤壷 から人の袖ふることは遠けれど立ちゐにつけてあはれとは見き
   → いいですね。紫式部も源氏・藤壷になりきってうっとりして書いたのでしょうね

3.朱雀院での舞楽に、源氏妙技を尽す
 〈p74 朱雀院への行幸には、親王たちをはじめ、〉

 ①行幸 & 舞楽の様子 
  唐土・高麗伝来の舞楽、もう遣唐使は終わり鎖国に近い状況なのに何とも国際色豊か。やはり先行文明であった中国・朝鮮半島の影響は計り知れない。

  この行幸での舞楽の描写は以後の貴族社会の賀宴の教科書になったのではなかろうか。

 ②旧暦10月、今で言えば11月まさに京都の紅葉は絶好の見ごろ。それに松の緑と色取り取りの菊、「紅葉の賀」っていい言葉ですね。

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年末のご挨拶

押し迫りました。ブログを始めてから半年経とうとしています。早いものです。お付き合いいただき応援いただいている皆さまに厚くお礼申し上げます。

何せ対象が源氏物語の原文という厄介なものですので参加者が限られることは仕方ないと思っています。ただやってみようと思ってる方には何らかの役には立っているのではと思ってる次第です。どうぞ引き続き伴走のほどよろしくお願いいたします。また新年を機にやってみるよと言ってくれている友もおり少しづつでも広がりを期待しています。

リタイアして7ヶ月経ち頭の中、心の中はすっかり変わりました。今まで見えてなかったもの、見る余裕がなかったものが見えてくるのが楽しいです。冬の関東地方は空気が澄んで遠くの山まで見通せます。近くの江戸川の土手に立つと真正面(西)に富士山、真横(北)に日光連山がくっきりと見えびっくりです。この年令にならないと見えない(見る余裕がない)景色でした。

ブログを始めて源氏物語にどっぷり漬かっているのは楽しくていいのですが源氏関係の本ばかりで、他の分野の本を読むことが少なくなりました。これはマズイです。来年はジャンルの違うものも少しづつやってみようかなと思っています。「ほし」にするか「むし」にするか思案中です。

それでは、どうぞ良いお年をお迎えください。

[来月前半の投稿予定は次のとおりです。予習の参考にしてください]

紅葉賀(1・2・3) 源氏 青海波を舞う   1月3日
紅葉賀(4・5・6) 葵の上・藤壷・紫の上   1月4日
紅葉賀(7・8・9) 不義の皇子誕生     1月7日
紅葉賀(10・11・12) 紫の上との様子  1月8日
紅葉賀(13・14・15) 熟女源典侍    1月9日
紅葉賀(16・17) 藤壷 立后       1月10日
紅葉賀 総括                 1月11日
花宴 (1・2・3) 花の宴 朧月夜登場   1月14日
花宴 (4・5・6) 藤の宴 正体は六の君  1月15日
花宴 総括                  1月16日

尚、式部さんの朗読は紅葉賀・花宴を一気に1月3日にアップいたします。    

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末摘花 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

末摘花のまとめです。

和歌
11.からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ
   (末摘花) 雪の朝 →源氏への贈歌

12.なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ 
  (源氏)  雪の朝 独詠(うめき)

名場面
12.まづ、居丈の高く、を背長にみえたまふに、さればよと胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。、、、、、、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかり余りたらむと見ゆ。
   
   (p154 何はとまれ名場面です。何度も声を出して読んでみましょう)

[「末摘花」を終えてのブログ作成者の感想]

「末摘花」いかがだったでしょうか。やはり語り口が「若紫」とは違いますよね。雨夜の品定めで語られた中の品の女の一類型として没落した皇族・貴族の娘を登場させる必要があったのでしょうか。

それにしてもこの女性、極端に過ぎるなあというのが感想です。深窓のお嬢さまが世間知らずで自立心がなく人の言うままなすままと言うのは分かるのですが、ちょっと行き過ぎで現実感に乏しく思います。これでは評価のしようがありません。

紫式部には大輔命婦という格好の狂言回しを通してもう少し末摘花の心内を語って欲しかったなあと思います。きっと末摘花にも言いたいところ想うところはあったのではないでしょうか。

てなことがストーリーに対する感想ですが、頭中との恋の駆け引きや雪の夜~朝の荒れた屋敷での貧しい暮らしの様子やらは非常にリアルで面白いと思いました。

さて、これで雨夜の品定め談義は一段落、紫のゆかりのメインストーリーへと戻ります。お楽しみに。

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末摘花(17・18) G19年正月 末摘花と若紫

p170 – 176
17.正月七日の夜、源氏、末摘花を訪れる
 〈p61 元日から幾日かすぎますと、〉

 ①明けてG19年正月 源氏は忙しい年始の宮中行事を終えて気分転換に末摘花邸に赴く。
  源氏の援助により華やいだ気配の末摘花邸。

 ②日さし出づるほどにやすらひなして出でたまふ
  いっしょに夜を過ごしたということは ♡♡ だったんでしょうかねぇ。
(昨日の私のコメントではもう共寝はゴメンだと書いたのですが、、、)

 ③末摘花の黒髪の賞賛を作者は忘れない。

 ④源氏 「待たるるものは」
     (あらたまの年たちかへる朝より待たるるものは鶯の声=素性法師)

  末摘花 「さへづる春は」
      (百千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく=古今集)

  古歌を引いて、末摘花なかなかやるじゃないですか。

18.源氏、二条院で、紫の上と睦び戯れる
 〈p64 二条の院においでになりますと、〉

 ①紫の上の二条院での様子。引取ってからまだ1~2ヶ月、すっかり馴染んでいる。

 ②末摘花を出しにして滑稽喜劇譚として締め括る。まあここまでくると紫式部の悪意などと言わず、おもろいなあと言うことでいいんでしょうかね。

   末摘花=紅花 → 奥の細道 尾花沢 まゆはきを俤にして紅粉の花
 
 ③巻末、赤い花はもう勘弁してほしいとうちうめかれたまひて締め括られる。

さて末摘花、どう読まれましたか。

  1.末摘花(姫君)をどう思われますか。
  2.紫式部の描写についてはどう思われますか。

(もう既にコメントしていただいてるかと思いますがその節はご免なさい) 
 

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