末摘花のまとめです。
和歌
11.からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ
(末摘花) 雪の朝 →源氏への贈歌
12.なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ
(源氏) 雪の朝 独詠(うめき)
名場面
12.まづ、居丈の高く、を背長にみえたまふに、さればよと胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。、、、、、、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかり余りたらむと見ゆ。
(p154 何はとまれ名場面です。何度も声を出して読んでみましょう)
[「末摘花」を終えてのブログ作成者の感想]
「末摘花」いかがだったでしょうか。やはり語り口が「若紫」とは違いますよね。雨夜の品定めで語られた中の品の女の一類型として没落した皇族・貴族の娘を登場させる必要があったのでしょうか。
それにしてもこの女性、極端に過ぎるなあというのが感想です。深窓のお嬢さまが世間知らずで自立心がなく人の言うままなすままと言うのは分かるのですが、ちょっと行き過ぎで現実感に乏しく思います。これでは評価のしようがありません。
紫式部には大輔命婦という格好の狂言回しを通してもう少し末摘花の心内を語って欲しかったなあと思います。きっと末摘花にも言いたいところ想うところはあったのではないでしょうか。
てなことがストーリーに対する感想ですが、頭中との恋の駆け引きや雪の夜~朝の荒れた屋敷での貧しい暮らしの様子やらは非常にリアルで面白いと思いました。
さて、これで雨夜の品定め談義は一段落、紫のゆかりのメインストーリーへと戻ります。お楽しみに。
各帖には、ほぼ「共寝」の場面があります。末摘花にも当然ありました。
清々爺さんもおっしゃっている通り、紫式部は露骨な性描写はしていません。
リンボウ先生のコメントで「行間を読むこと」というお話がありました。
往古の日本人にとって「肉体の介在しない恋」など存在しなかった。
恋とは男が女の閨に通って夜を共にし夜明け前の闇の中を戻っていくという営為のなかに存在したのであり、つまり闇のあれこれなど書くに及ばぬこと、それは食事とか排泄とかを露骨に書かないのと同様、いわば書かずともよい自明の前提なのであると言っています。
露骨には書かないけれど物語りの行間からそういう濃厚な一夜を読みとる、その方がずっとエロティックで「秘すれば花」的な書き方の中に描き込められている。
露骨には書いていないけれど、だからこそそこはすべからく行間を読まなくてはならぬ。
それがこうした物語の「読み方」なのである。と断言しておられます。
ちょっと長くなりましたが引用させていただきました。
なるほど、実にもっともだと思った次第です。
それにしても末摘花までの学習の仕方、見事なテキストの配分でした。
これは前もって計画されてるのでしょうね。
いきあたりばったりではこうはいきませんよね。お見事と言うほかありません。
有難うございます。
年始めは紅葉賀、よろしくお願いします。
今日は一年半に及ぶ「名場面で読む平家物語」最終講義です。
生涯にこれほど古典に浸った一年はなかったです。
今後ともよろしくお願いします。
皆様どうぞ良いお年を!!
平家にどっぷり漬かっておられる青玉さんを無理やり源氏に引きずり込んでしまい失礼しました。私の拙い道しるべを忠実に辿っていただきこれほど嬉しいことはありません。つい数年前まで日本古典には全くの門外漢だった私がとにかく素人タッチで進めているものなので、不安でいっぱいなのですが日々応援いただき本当にありがたく思っています。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
1.リンボウ先生のコメント紹介ありがとうございます。
「肉体の介在しない恋」など存在しなかった。、、、なるほどねぇ。通い婚だから当たり前だけど今のセックスレス夫婦なんてのはあり得なかった。即ち精神的に結びついていた男女には(夫婦でも愛人関係でも)必ず肉体関係があったということですね。
逆に「恋ではない男女の肉体関係は当然あった」のでしょうね。召人がそうだし白拍子・遊女の類との関係もそうですしね。でもそんなのは物語にならないですもんね。
今後「夜のことは行間を読め」、これで行きたいと思います。
2.テキストの進め具合・ペース配分は先年の講読会での経験に基づいています。とにかく2年で完読するのが目標なのでトロトロはできません。キツイかも知れませんが面白さの方が勝っていると思っていただければと思います。
末摘花の今後はまたのお楽しみとしましょう。
新春からの「紅葉賀」にすこし役立つかもと思いご案内します。
「国立劇場小劇場雅楽」で検索、3月雅楽公演「管弦壱越調と平調」のところを見てください。ポスターの解説文を拡大して読んでみてください。なんとなくわかったような、わからないようなですが、テキストの注よりは深いかな?
私はどんなものか公演に出かけてみようと思っています。(眠くなるかも・・・)
みなさま、よいお年を!
ありがとうございます。
雅楽まではとても手が回らないのですがポスターの解説文読ませてもらいました。何となくわかったような気がします。
ちょっと調べたところ演目中源氏物語に出てくるのは壱越調の蘭陵王ですかね。若菜下・御法・橋姫に出てくるようです。チェックしておいてください。
管弦・舞楽・歌謡の分野、どうぞ色々と紹介お願いしますね。
清ゝ爺
今朝 末摘花を読み終えました。若紫を東京マラソンのあった一週間前に終えていますので、スピードは上がってきています。息切れが心配ですが、マイペースで頑張って、早く皆さんに追い付きたいと思います。
歌では、清々爺も挙げている、この暢を表しかつ源氏の人の良さ(または色好き)がにじみ出ていると思えた、
なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ
と、川柳的で面白味を覚えた
いわぬをもいふにまさると知りながらおしこめたるはくるしかりけり
が興味ありでした。
話としては、(一八)に出てくる、”こころから、などかかううき世をみあつかふらむ、かく心苦しきものを見てゐたらでと” と ”かかる人々の末々いかなりけむ”は、源氏の本性を窺がわせて、さてこれから面白くなるよと,進行させるあたり、流石先に興味を抱かせられて、小説として筋が上手いと思いました。初読の小生の感想ですが、重読の皆さんはいかがですか?
ぐっとペースが上がりましたね。慣れてきたのでしょう。2ヶ月で3ヶ月分行きましたからこのペースだと6月末で追いつきます。でも無理して消化不良も拙いので時々は後ろを振り返る余裕も持つといいと思いますよ。
1.「いはぬをもいふにまさると、、、」、なるほど川柳的ですか。面白いですよね。掛詞というのは洒落・ダジャレでもありますもんね。こういう所を読むと紫式部のユーモアセンスに感心してしまいます。
2.おっしゃる通り話の進め方が上手いなあと思います。長編で話は色々飛んでいくのですが、常に本筋を意識して少しづつながら本筋の人物(ここでは紫の上)を登場させて続きを読みたくさせる。大したもんです。(現在連続TV小説「純と愛」もなかなか上手いです)。
源氏物語は繰り返し読むに値するものなので初読の時も再読・再再読を意識してその都度感想やら疑問点やら納得できない所などをテキストに書き込んでおくといいと思います。後で必ず役に立ちます。じゃあね。。。