葵(16・17・18) 葵の上急逝

[お知らせ]
 右欄の源氏百首・名場面集・青玉和歌集を「花宴」までアップデートしました(万葉さん、ありがとうございました)。ご参考に。今後もアップの都度お知らせします。

p52 – 64
16.源氏、左大臣家の人々、すべて参内する
 〈p180 源氏の君は、若君のお眼もとの愛らしさなどが、〉

 ①源氏が産後の葵の上を訪れ言葉を交わすシーン。薬を飲ませやさしい言葉をかける。葵の上の方もそれに応えていつもとは違った愛着の眼差しで源氏を見送る。そしてそれが最後の別れとなる。

  →子どもを身籠るに至る過程、懐妊中の夫婦の労わり合いなどが一切語られず(なかったのだろう)、最後の最後で少し心が通い合う。そりゃ遅すぎってことじゃないでしょうか。

17.留守中に葵の上急逝、その葬送を行う
 〈p183 こうしてお邸の中が人少なになり、ひっそりとなったころ、〉

 ①G22年8月20余日 葵の上急逝

 ②足を空にて誰も誰もまかでたまひぬれば
 殿の内の人 物にぞ当たる  
  → あわてふためいている様子を表わす面白い表現

 ③葵の上は桐壷院にとっては妹(大宮)の娘であって息子(源氏)の嫁。
  左大臣も自分が源氏に嫁がせたばかりに夫婦仲もうまく行かずに死なせてしまった、、、との気持ちがあったのではなかろうか。

18.源氏、葵の上の死去を哀悼する
 〈p186 左大臣のお邸にお戻りになってからも、〉 

 ①改めて冷たかった夫婦関係を悔いる源氏

 ②大宮の嘆きは一番だったのではないか。この後も源氏の顔を見る度に葵の上のことを思い出すことになる。

 ③源氏は四十九日が過ぎるまで左大臣邸で喪に服している。さすがにおとなしくひたすらに念仏を唱え、ここで初めて出家の心が芽生える。

死去の場面は意外にあっさりと語られる。ただその後葵の上哀悼の様子は延々と語られる。皆にとり如何に衝撃だったのかを物語っているのだと思います。

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葵(13・14・15) 物の怪 ~ 葵の上出産

葵の巻のクライマックスシーンです。徐々に話を高めていき一気に上り詰める紫式部の筆使い、素晴らしいと称されているところです。

p40 – 52
13.御息所、物の怪となり葵の上を苦しめる
 〈p170 左大臣家では、葵の上に物の怪がさかんに現れて、〉

 ①この御生霊、故父大臣の御霊など言ふものありと聞きたまふにつけて
  ここは御息所の出自と過去の権力争いが暗示されてる重要部分です。
  御息所の父は大臣とだけあり詳しくは語られていないが娘を入内させた(勿論正妻として)訳でそのまま東宮が天皇になり皇子が生まれておれば外祖父として権力をふるえた筈であった。何故死んだのか不明だが政治的に対立していた左大臣に恨みがあったのかもしれない。

  →御息所も葵の上も大臣の娘。御息所は父は死に夫東宮も亡くなり今は未亡人。一方葵の上は入内ではないが今をときめく源氏の正妻。御息所が葵の上を呪い殺そうとまで思うにいたるバックグラウンドが分かるような気がします。

 ②もの思ひにあくがるなる魂は
  和泉式部 物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 
  理性では自制しているつもりだがどうにもならない御息所の心内。

14.源氏、不意に御息所の物の怪と対面する
 〈p173 まだ御出産の時期ではないからと、左大臣家では、〉

 ①すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことあり
 から
  なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま
 まで葵の上に御息所の生霊が乗り移って源氏に迫る、、、息もつかせぬ迫力のオカルトシーンです。

 ②この場面産室の白一色に波打つ長い黒髪、白と黒の世界であります。
  加持祈祷の僧の声と護摩を焚く芥子の匂い。

 ③源氏にとってはなにがしの院での妖物との対面以来の修羅場でしょうか。
  そして正体が御息所と分かった源氏、どんな思いだったのでしょう。

 この段、解説に多言は無用でしょう。

15.葵の上、男子を出産し、御息所の苦悩深し
 〈p177 少し御病人の声が静まったので、〉

 ①物の怪が正体を現しやがて出産。源氏を始め人々の安堵と後産に対する不安。
  → ともかく異常な状態での出産であった。すんなり収まるわけがない。

 ②葵の上、無事男子を出産。それを聞いた御息所の心境。
  かねてはいと危く聞こえしを、たひらにもはたと、うち思しけり。あやしう、我にもあらぬ御心地を思しつづくるに、御衣などもただ芥子の香にしみかへりたり

   芥子の匂いがうまく使われている。葵の上の寝所は芥子の匂いで一杯、その匂いが空間を超えて。すごい工夫だと思います。

   ここは色々に解説されてる重要場面です。
   「危ないと聞いて死ねばいいとは思わなかったけど無事に生まれたとは、、」   こういう気持ちをよくも1000年前に描けたものだと驚いてしまいます。 

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葵(10・11・12) 車争いの後 御息所・葵の上の苦悩

車争いの後 御息所・葵の上ともに心身がおかしくなる。苦悩の場面です。

p32 – 40
10.車争いのため、御息所の物思い深まる
 〈p163 六条の御息所は、この頃深くお悩みになって、〉

 ①車争いの直後はとにかく悔しいの一点張りだったのではないでしょうか。
 「世が世なら私は中宮になっていたのに、、葵の上風情に辱められるとは!」

  そして日が経つにつれ世間のこと、源氏のこと色々考えるうちに益々悔しさ・惨めさが嵩じてくる。本来こういう時に慰めてもらう(自分の身になって考えてくれる)のが源氏であるはずなのに相変わらず独善的な言を弄して心は離れていくばかり。
   → 御息所、さぞ辛かったろうと同情します。

 ②御禊河の荒かりし瀬に、いとどよろづいとうく思し入れたり
   → よくできた表現だと思います。

11.懐妊中の葵の上、物の怪に悩まされる
 〈p164 左大臣家では、葵の上が物の怪に憑かれたらしく、〉

 ①懐妊中に病気になる。大分妊娠も進み安定期だったろうに。やはり葵の上にとっても車争いが心の負担だったのか。源氏もやっと妊娠した妻に対しもっと愛情深く接することはできなかったのか。→ 「やった、やっと私にも(表にだせる)子どもが生まれる!」なんて気持ちはなかったのでしょうね。

 ②物の怪とその調伏の仕方がよく分かる。
  何れにせよ加持祈祷・物の怪調伏、これが病を治す唯一の方法であった。

 ③紫の上が「二条の君」と呼ばれて源氏の大事な女君との位置づけがなされている。世間もそういう認識になってきている。

 ④桐壷院も葵の上の病状を心配している。
   →桐壷院にとって葵の上は息子の正妻であり、妹(大宮)の娘でもある。

12.源氏、物思いに乱れる御息所を訪問
 〈p167 御息所は、こうした御憂悶が原因で沈んでばかりいらっしゃり、〉

 ①御息所の方も心労で心身おかしくなっている。そんな所に源氏が忍んで訪れる。

 ②色々語り繕って夜を過ごす。
   →やはりここでも実事はあったのだろうか。
    御息所は「金輪際源氏など」との思いもあったであろうが、夜を過ごしてみると なほふり離れなむことは思し返さる やはり別れることはできないと悩みは深まったのであろう。

 ③御息所 袖ぬるるこひぢとかつは知りながら下り立つ田子のみづからぞうき
   御息所の絶唱。貴婦人の自らを泥の田んぼに立たせる。
   細流抄(三条西実隆の源氏物語注釈書)では物語中第一の歌と評されている。

  源氏の返歌 浅みにや人は下り立つわが方は身もそぼつまで深きこひぢを 
   脚注にもあるが御息所の歌に比べいかにも安っぽい。

   →解説書では挙って「源氏と六条御息所との歌の応酬では常に御息所の歌の方が数段勝っている。紫式部の意図したところであろう」と言われています。和歌よく分かりませんがこの応酬などはいかにもそう思います。  

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葵(7・8・9) 祭りの日 紫の上と物見に

p26 – 32
7.源氏、葵の上と御息所の車争いを聞く
 〈p156 祭りの当日は、左大臣家では御見物なさいません。〉
 
 ①なほ、あたら、重りかにおはする人の、ものに情おくれ、すくすくしきところつきたなへるあまりに、、、、、、いかに思しうむじにけん

  葵の上・御息所に対する源氏の心内 →その通り分かってるじゃない。

 ②源氏が御息所の所へ行くが会ってくれない。
   →そりゃあそうでしょう。でも行くだけエライ。
   
  榊の憚りにことつけて
   斎宮に卜定されると門に榊を立てて不浄を避ける。ややこしいですね。

8.祭の日、源氏、紫の上と物見に出る
 〈p158 その日は二条の院に、源氏の君はひとりでお帰りになられ、〉

 ①二条院に来て紫の上と戯れると気も心も晴れる。嬉しそうな源氏。

 ②君の御髪は我削がむ
   髪は女性の命、自ら切り揃えてあげる。こういう愛情を葵の上に示せなかったものか(年令的にも無理だろうな)。

 ③源氏 はかりなき千尋の底の海松ぶさの生ひゆく末は我のみぞ見む
  紫の上 千尋ともいかでか知らむさだめなく満ち干る潮ののどけからむに

   紫の上の返歌がかわいい。

9.源氏、好色女源典侍と歌の応酬をする
 〈p160 今日も見物の車が隙間もなくびっしりと立てこんでいます。〉

 ①かの典侍なりけり 
   →またもや出た~~アラ還源典侍! 作者もこの人好きですねぇ。

 ②源典侍 はかなしや人のかざせるあふひゆゑ神のゆるしの今日を待ちける
  源氏 かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏人になべてあふひを

  「葵」の巻の巻名はこの歌から来ている。「葵の上」の呼び名は源氏物語には一切出て来ず、「あふひ」の巻で亡くなる女君ということで後世の人が「葵の上」と呼ぶようになったもの。
   →とすると「葵の上」の名付け親は源典侍と言うことじゃなかろうか。

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葵(4・5・6) 車争い

さて車争いです。もう有名な場面なのでコメントは控えめにしました。

p17 – 26
4.新斎院御禊の日、葵の上物見に出る
 〈p148 その頃、賀茂の斎院もおやめになられましたので、〉

 ①斎院・斎宮になるとかなり長期間に及び大変。かと言って神に仕える厳かなお勤めを断るわけにもいかず、選ばれた本人・親は悩んだのではないか。

 ②新斎院御禊の日 葵祭りのパレード
  パレードの道筋 = 一条大路
  桟敷席もできて華やかな政治的見世物であったのだろう。都人は勿論遠くから見物人が集まる。

5.葵の上の一行、御息所の車に乱暴する
 〈p150 日が高くなってから、お供廻りもあまり目立たないように〉

 ①六条御息所そっと目立たぬように来ている。
  →六条邸から一条大路までは随分遠い。いかなる気持ちで出向いたのだろう。

 ②出遅れた葵の上。家来たちの振舞で自ずと車争いになる。

 ③通り過ぎる馬上の源氏の姿。

 ④御息所 影をのみみたらし川のつれなきに身のうきほどぞいとど知らるる  
  この歌に御息所の悔しい気持ちが表れている。

この段の御息所の心境を400字で述べよ。
    → いい問題だと思いませんか。

6.見物の人々 源氏の美しさを讃嘆する
 〈p154 供奉の人々も、身分相応に、装束や姿形を、〉

 ①馬上の源氏のまばゆいほどの美しさが語られる。
   紅葉賀の青海波や花宴の春鶯囀と同様だが今回は一般人も見ている。

 ②倒れまろびつつ 面白い表現
  パレードを見るそれぞれの階層の人の想い。
  一般人にとっては源氏の顔を見れるなんて一生に一度の機会だったのでしょう。どよめきと歓声、観衆の熱気が伝わってきそうです。
  (有名スターに憧れる姿は今も変わりありませんね)

 ③朝顔の姫君も来ていてここで初めて源氏の姿を見る。

清々爺のつぶやき:式部卿宮や朝顔の君は桟敷で見たとあるが六条御息所や葵の上への特別席はなかったのか。源氏も家族席みたいなのを手当てしてやればよかったのに、、、。でもそうすると外れた女君は怒るし、席の良し悪しでも争いになる、、、う~ん難しいかな。

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葵(1・2・3) 冒頭部分 世の中の変化

【お知らせ】
 式部さんの朗読「葵」を全巻アップしました。ただブログ作成システムの変更で従来とは違った形式になっています。クリックしていくとWindows Media Playerによる再生になってるかと思います。コンテンツそのものは従来通りですのでどうぞご愛用ください。

「葵」恨めしと人を目におくこともこそ身のおとろへにほかならぬかな(与謝野晶子)
  (与謝野晶子の歌、私には難解ですが解説書をみつけました。下記で検索してください) 
    libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/2981/1/KJ00004859909.pdf

テキストも3冊目に入り第九帖「葵」の巻です。若紫-紅葉賀-花宴と進められて来たメインストーリーがダイナミックに展開する重要な巻です。一言で言えば「葵の上と六条御息所との源氏を巡るガチンコの三角関係」ということでしょうか。サイドストーリーとは違ったすごく重い話です。

p12 – 16
1.桐壷帝譲位後の源氏と藤壷の宮
 〈寂聴訳巻二 p144 桐壷の帝が譲位あそばされて、〉

 「花宴」の終わりがG20年3月。これから2年経っている。
 空白のG21年の出来事 →ここを押さえておくことが必要 
  ・桐壷帝譲位 藤壷と仙洞御所(どこにあったか場所不詳)で隠居生活
  ・朱雀帝即位 母弘徽殿女御が皇太后になり宮中に住む
  ・藤壷腹皇子立太子 源氏は右大将に昇進し春宮を後見
  ・世の中は朱雀帝の外祖父右大臣方(弘徽殿女御方)の勢いとなっている 

2.伊勢下向を思案する御息所と源氏の心境 
 〈p145 それはそうと、あの六条の御息所と、〉

 ①六条御息所の本格的登場 出自をしっかり捉えておきたい
   父:ある大臣 母:出て来ない → でも超上流だった筈
   東宮(桐壷帝の弟)に嫁いで15~16才で女子を産む
   東宮間もなく死去 宮中から六条邸に下がり未亡人生活
   源氏より7才上でこの時29才(斎宮になる娘は13才)
   (源氏と関係ができたのはG16年ころだから6年経っている)

   即ちもし東宮が死ななければ中宮になっていた訳で未亡人といっても格が全く違う。財産も莫大で教養も容貌も抜群、、、、そういう極上の貴婦人であったということをしっかり頭に入れておくことが肝心です。

 ②斎宮=伊勢神宮 斎院=賀茂神社 神に仕える未婚の皇女

 ③桐壷院にしてみれば六条御息所は故弟の未亡人。源氏がおろそかに扱うことは許せない。そこで説教する。

   いづれをもなだらかにもてなして、女の恨みな負ひそ 
    → お前はどうなんだ!桐壷更衣を偏愛したのは誰だ!って野次りたくなる 
  
  六条御息所の悩みは深い。

3.朝顔の姫君の深慮、葵の上の懐妊
 〈p147 そうした噂をお聞きになるにつけても、〉

 ①朝顔の姫君がチラッと登場する。この女君はチラチラとしか出て来ず本格登場は「朝顔」の巻

 ②突如結婚9年目にして初めて葵の上が懐妊していることが述べられる。唐突。
  → 子を身籠るのは愛情の賜物という考えからすると二人の間に変化あったのか

   

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花宴 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

花宴のまとめです。

和歌

15.深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ
    (源氏) 南殿花の宴 朧月夜の登場

16.心いる方ならませばゆみはりのつきなき空に迷はましやは
    (朧月夜) 藤の花の宴

名場面

15.かやうにて世の中の過ちはするぞかしと思ひて、やをら上りてのぞきたまふ。、、、、「朧月夜に似るものぞなき」とうち誦じて、こなたざまに来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。
   (p248 朧月夜との出会い)

16.「扇を取られてからきめを見る」と、うちおほどけたる声に言ひなして、寄りゐたまへり。
   (p263 朧月夜との再会)

[「花宴」を終えてのブログ作成者の感想]

「花宴」はごく短い巻ですが脚注にある通り春の朧月夜、微酔の中で夢幻的に繰り広げられる艶麗な一帖です。内容的には春の賀宴の雅な様子とその夜の朧月夜との遭遇が前半、敵方右大臣邸に招かれての藤の宴と朧月夜との再会が後半、ただそれだけ。非常に分かり易いです。でも藤原俊成が絶賛しているようにこの一帖は幽艶そのもので源氏物語の雰囲気を表わす巻としては一番ではないでしょうか。

式部さんの朗読もトータルで21分半、雅な賀宴の様子と艶やかな朧月夜の登場、実にいいです。何れか一巻を例に挙げて源氏物語を語れと言われればこの「花宴」の巻にしたいと思いました。

さて、朧月夜の君。登場からしてセンセーショナルですね。この女君、これから源氏にとってさほど表には出ないものの極めて重要な存在になっていきます。彼女の生き様は奔放で好き嫌い意見が分かれるところかもしれません。これから若菜上下まで長きに亘るおつきあいになります。どうぞお楽しみに。

以下 寂聴さんと万智ちゃんの対談から抜粋(「愛する源氏物語」俵万智)

 寂聴: 万智ちゃんは「源氏」の中では誰がいちばん好き?
 万智: 私は朧月夜の君が好きなんです。
 寂聴: 私も好きなのよ。いいわね。じゃ、相当あなた、悪い子よ。(笑)
 万智: 源氏に対する恋の仕方が、すごく積極的で。
 寂聴: でも、意外だわね。万智ちゃんが朧月夜が好きなんて。
 万智: 「源氏物語」の中で、もし自分に役が与えられて、どの女人になりたいかって言われたら、やっぱり朧月夜がやりたいです。

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花宴(4・5・6) 藤の宴 正体は六の君

p256 – 264
4.源氏、二条院に退出、紫の上を見る
 〈p133 左大臣家にも、久しくご無沙汰をしてしまったと、〉

  忙しい中にも紫の上の教育は怠らない。連れてきてから1年3~4か月経ってすっかり馴染んでいる。 → 可愛くて仕方がなかったのだろう。

5.源氏、大殿を訪れ、大臣らと語る 
 〈p134 左大臣家では、女君が例によってすぐにはお逢いになりません。〉

 ①左大臣邸 葵の上は相変わらず。 大殿には、例の、ふとも対面したまはず

 ②左大臣と源氏の対話。左大臣家の繁栄が愛でられる。
   → これで葵の上に娘が生まれたら最高だったのに。

6.右大臣家の藤の宴で、朧月夜の君と再会
 〈p135 あの朧月夜の夜の姫君は、〉

 ①三月二十余日 藤の宴 @右大臣邸(実に藤壷の三条宮の西隣り!)
  ちょうど内裏での花の宴から一ヶ月後である。

 ②この右大臣邸は当然弘徽殿女御のお里で、ここで春宮も女君も生まれた。
  ここに源氏が招かれていく。

 ③桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて
  源氏の衣装、まことにあでやか。他の人は礼装のところ源氏だけがピンク色と葡萄色の襲で登場。そりゃあすごいでしょう。

 ④藤の花の宴、御簾の下から競うように女房たちの袖口が出されている=出し衣(いだしぎぬ)

 ⑤扇を取られてからきめを見る
   → ここでも催馬楽石川が引かれて謎がとかれる。

 ⑥朧月夜 心いる方ならませばゆみはりのつきなき空に迷はましやは 代表歌

 ⑦藤原俊成(定家の父)がこの巻を絶賛し「花の宴の巻は殊に艶あるものなり。源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」と言っています。特に2.で朧月夜が詠む
  うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ 

  の「草の原」が今まで詠まれたことがなかった表現ですごいということらしい。
   → よく分かりませんがそういうものなんでしょうか。  
    

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花宴(1・2・3) 花の宴 朧月夜登場

「花宴」春の夜のもやにそひたる月ならん手枕かしぬ我が仮ぶしに(与謝野晶子)

G18年秋の紅葉賀に対応する春の宴(桜&藤)、G20年春のことです。これからの物語に文字通り彩りを添える人気抜群「朧月夜」の登場です。短いですがウキウキの巻です。

p244 – 256
1.花の宴に、源氏と頭中、詩作し、舞う
 〈寂聴訳巻二 p122 二月の二十日すぎに、〉

 ①G20年2月20日余 紫宸殿の左近の桜は満開(内裏図で位置をチェック)
  藤壷は中宮として帝の横に、弘徽殿女御は一介の女御として後列に(女御の心境如何)

 ②紅葉賀の試楽の描写に対比させて春の宴が語られる。
  題字を与えられて作詩する。この催し優れて文化的。
  いつもながら源氏が段トツ次いで頭中将、他はぐっと落ちる。

 ③年老いた博士どもの様子。貧相だがプライドを持っており帝も一目おいている。
 
 ④舞いは
   紅葉賀では 青海波(源氏&頭中) ・ 秋風楽(承香殿の四の皇子)
   花の宴では 春鶯囀(源氏ちょっとだけ) ・ 柳花苑(頭中)
 
 ⑤藤壷が複雑なまなざしで源氏の光輝く姿に見入る。
  藤壷 おほかたに花の姿を見ましかば露も心のおかれましやは 

2.宴後、弘徽殿の細殿で朧月夜の君に逢う  ここも名場面です
 〈p125 夜がたいそう更けてから、花の宴のすべてが終わったのでした。〉

 ①内裏図で藤壷・弘徽殿の位置関係をチェック。向かい合わせです。
  そのあたりをフラフラと藤壷を求めて彷徨う源氏

 ②藤壷はガード固くロックされている。弘徽殿は甘い、三の口開きたり
   かやうにて世の中の過ちはするぞかし
   「朧月夜に似るものぞなき」

  この辺りは解説不要で一気に読むべしです。何度読んでもワクワクする。
  紫の上の登場に匹敵する朧月夜の初出。女君が酔ってる所もこの場面だけか。

  こなたざまに来るものか。 →来るではないか。筆が躍っている。

 ③源氏 深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契とぞ思ふ 代表歌
  まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらん。ただ忍びてこそ → 源氏のゴーマン言葉集

  この君なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。
   → 源氏と知って抵抗の力が弱まる 酒井順子の言う「強制和姦」

 ④朧月夜 うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ
   と言ふさま、艶になまめきたり

    「艶になまめきたり」という表現は、本来、朧月夜の君の持っている特質かもしれないが、この場合は、一夜にして男を知ってしまった女の、もはや清純ではない婀娜っぽさが一言にいいつくされている。(瀬戸内寂聴 「わたしの源氏物語」)

 ⑤あれは誰であったのか源氏の推量と想い→現代感覚では受け入れがたいひどい話
  六の君は春宮への入内が決まっていた→それにしてはガードが甘いのでは。

 それにしてもコトの現場は弘徽殿の細殿。細殿って庇の間でいわば屋外ではないのだろうか。よく分かりません。。。

3.従者をやって、朧月夜の君の素性を探る 
 〈p131 その日は大きな宴会の後につづくきまりの小宴会があって、〉

 ①良清、惟光に素性を探らせる。、、、やっぱり右大臣の娘か。

 ②源氏 世に知らぬ心地こそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて
  昨夜の女性、よほどいい女性だったのだろう。

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カラオケのこと

先日カラオケ友だちのハッチーさんからこのブログに参加するとの投稿がありしてやったりと喜んでいます。この仲間とは3カ月に一度新宿のスナックで歌いまくるというのが何年も続いています。メンバーは会社の同期4人、選曲に多少の違いはあるものの所詮は同年代、昭和歌謡曲を洗いざらいに歌い合い時間がいくらあっても足りないという状態です。毎度縛り(「阿久悠作詩の歌」とか「題名に『霧』が入ってる歌」とか)を決めて曲を持ち合い何巡かは縛りの歌を歌いそれが尽きたら後はどうぞご自由にってことでやっています。誠に楽しいひと時なんです。

歌謡曲は昔から好きで機会があれば押し出される形で(遠慮気味に)歌ってたのですが、数年前とにかく歌える歌を全てカラオケで歌ってみようということを思い立ち1000曲(童謡・唱歌・寮歌・軍歌を除く)を目標にリストアップを始めました。700曲くらいまではスンナリいったのですがそれからが大変。プロ向けの全音の歌謡曲歌詞集なんてのも漁りやっとのことで1000曲にたどりつきました。歌を探す中で50年間一度も歌ったことも聞いたこともなかった歌に出会い即座にメロデイが蘇った時など感激しました(若原一郎「吹けば飛ぶよな」とか春日八郎「あれから十年たったかなぁ」とか)。思い切り声を張り上げ昔の歌を歌うことは快感そのものです。1000曲リストを傍らにこれからも歌い続けて行きたいと思っています。

さてカラオケ・快感と言えば先日故郷で高校の同窓会がありそこで感動的場面に遭遇しました。高校・大学そして会社時代とずっと石より固い真面目一筋であった友人が故郷に帰り何と大変身、カラオケなんて生易しいものでなく衣装を換え振りも付けての「なりきり演歌ショー」を披露してくれたのです。演目は振り分け姿の三度笠とシルクハットのダンデイ紳士。大変なものでした。本番の前彼を応援していると「頼むから途中で声をかけるのだけはやめてくれ」とのこと。どうしてと聞くと「XX、ガンバレ!」なんて聞こえると頭の中が真っ白になり歌詞もセリフも全て分からなくなってしまうんだとのこと。むべなるかな、彼は歌詞は勿論長いセリフも真面目にひたすらに勉強しているのです。カラオケ歌謡ショーなどとやってることは彼らしくはないものの彼の一途な真面目さは全く変わっていない、、、なるほどなあととても安堵した気分になったものでした。

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