p26 – 32
7.源氏、葵の上と御息所の車争いを聞く
〈p156 祭りの当日は、左大臣家では御見物なさいません。〉
①なほ、あたら、重りかにおはする人の、ものに情おくれ、すくすくしきところつきたなへるあまりに、、、、、、いかに思しうむじにけん
葵の上・御息所に対する源氏の心内 →その通り分かってるじゃない。
②源氏が御息所の所へ行くが会ってくれない。
→そりゃあそうでしょう。でも行くだけエライ。
榊の憚りにことつけて
斎宮に卜定されると門に榊を立てて不浄を避ける。ややこしいですね。
8.祭の日、源氏、紫の上と物見に出る
〈p158 その日は二条の院に、源氏の君はひとりでお帰りになられ、〉
①二条院に来て紫の上と戯れると気も心も晴れる。嬉しそうな源氏。
②君の御髪は我削がむ
髪は女性の命、自ら切り揃えてあげる。こういう愛情を葵の上に示せなかったものか(年令的にも無理だろうな)。
③源氏 はかりなき千尋の底の海松ぶさの生ひゆく末は我のみぞ見む
紫の上 千尋ともいかでか知らむさだめなく満ち干る潮ののどけからむに
紫の上の返歌がかわいい。
9.源氏、好色女源典侍と歌の応酬をする
〈p160 今日も見物の車が隙間もなくびっしりと立てこんでいます。〉
①かの典侍なりけり
→またもや出た~~アラ還源典侍! 作者もこの人好きですねぇ。
②源典侍 はかなしや人のかざせるあふひゆゑ神のゆるしの今日を待ちける
源氏 かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏人になべてあふひを
「葵」の巻の巻名はこの歌から来ている。「葵の上」の呼び名は源氏物語には一切出て来ず、「あふひ」の巻で亡くなる女君ということで後世の人が「葵の上」と呼ぶようになったもの。
→とすると「葵の上」の名付け親は源典侍と言うことじゃなかろうか。
御息所と葵の上の車争いの件で心痛められる源氏。
「なぞや。かくかたみにそばそばしからでおはせかし」
全ての原因は源氏にあるにもかかわらず「うちつぶやかれたまふ」お気持ちわかりますね。
私なら「もう~面倒くさいな、女子どもは」となります。
そんな時にやはり心慰められる存在は紫の上。
目に入れても痛くないほどの可愛さなのでしょうね。
御髪の千尋、海の底にたゆたう海松ぶさが想像され見事な表現です。
紫の上の返歌、いいですね。ちょっと皮肉っぽく切り返すところが・・・
お出ましですね、源典侍再登場。
姫君、女房の数や多かれど、このキャラ、読者には絶対忘れられない存在ですね。
巻名の「葵」と「あふひ」、そう言えば直接に葵の上とは何処にも出てこないですね。
そういうことだったのですね・・・
ありがとうございます。
1.御息所と葵の上の間に立たされて悩む源氏。「お互いに角立たずにいてほしい」なんて土台無理でしょう。ここはうちつぶやいてなんぞおらず大きなお腹の己が正妻を大事にするのが一番でしょうに。
2.かの典侍!いいですよね。重い話に一息入れてくれますもんね。
この件、源氏は紫の上と同乗して出かけている。世間の人も源氏の愛人たちもそれを目撃している。「葵の上と御息所、二人のことで大変なのにまたどなたかを連れて来ておられる。いったいどうなってるのだろう」なんて噂が広まる。当然葵の上の耳にも(もっと尾ひれをつけて)入る。辛いだろうなと同情します。
この「車争い」の描写、唸りました
写真もTVも無い時代、実物を見ると言うのが、どんなに
刺激的な事であったのが良く分かります。
その中で、源典侍の登場は、ずっこけました。
『と ある手を思し出づれば、 かの典侍なりけり。「 あさましう、旧りがたくも今めくかな」と、憎さに、 はしたなう、』の “旧りがたくも今めく”、これは “若づくりして・・・”と言う意味だと解しますが、作者(紫式部)も楽しみながら描いているようです。こういう人物描写が大きな流れの中に浮いたり沈んだりしながら出て来るところに作者の技を感じます。
コメントありがとうございます。
「車争い」唸りましたか。それは素晴らしい!ほんとリアルに描かれてますもんね。
物語を自分の目で読んで感動を覚える。それこそ大事なことだと思います。苦労して原文を読んでる価値があるというものでしょう。(他人の講義を聞くのは他人の感動を押し付けられるに過ぎない)
源典侍にずっこけるの大いに結構だと思います。どうぞ「唸ったり」「ずっこけたり」「大笑いしたり」「バカヤロー・チクショーめと叫んだり」してください。紫式部も喜ぶことでしょう。でも満員電車の中では止めましょうね。そんなことすると即座に変質者か変態者に思われるでしょうからね。