車争いの後 御息所・葵の上ともに心身がおかしくなる。苦悩の場面です。
p32 – 40
10.車争いのため、御息所の物思い深まる
〈p163 六条の御息所は、この頃深くお悩みになって、〉
①車争いの直後はとにかく悔しいの一点張りだったのではないでしょうか。
「世が世なら私は中宮になっていたのに、、葵の上風情に辱められるとは!」
そして日が経つにつれ世間のこと、源氏のこと色々考えるうちに益々悔しさ・惨めさが嵩じてくる。本来こういう時に慰めてもらう(自分の身になって考えてくれる)のが源氏であるはずなのに相変わらず独善的な言を弄して心は離れていくばかり。
→ 御息所、さぞ辛かったろうと同情します。
②御禊河の荒かりし瀬に、いとどよろづいとうく思し入れたり
→ よくできた表現だと思います。
11.懐妊中の葵の上、物の怪に悩まされる
〈p164 左大臣家では、葵の上が物の怪に憑かれたらしく、〉
①懐妊中に病気になる。大分妊娠も進み安定期だったろうに。やはり葵の上にとっても車争いが心の負担だったのか。源氏もやっと妊娠した妻に対しもっと愛情深く接することはできなかったのか。→ 「やった、やっと私にも(表にだせる)子どもが生まれる!」なんて気持ちはなかったのでしょうね。
②物の怪とその調伏の仕方がよく分かる。
何れにせよ加持祈祷・物の怪調伏、これが病を治す唯一の方法であった。
③紫の上が「二条の君」と呼ばれて源氏の大事な女君との位置づけがなされている。世間もそういう認識になってきている。
④桐壷院も葵の上の病状を心配している。
→桐壷院にとって葵の上は息子の正妻であり、妹(大宮)の娘でもある。
12.源氏、物思いに乱れる御息所を訪問
〈p167 御息所は、こうした御憂悶が原因で沈んでばかりいらっしゃり、〉
①御息所の方も心労で心身おかしくなっている。そんな所に源氏が忍んで訪れる。
②色々語り繕って夜を過ごす。
→やはりここでも実事はあったのだろうか。
御息所は「金輪際源氏など」との思いもあったであろうが、夜を過ごしてみると なほふり離れなむことは思し返さる やはり別れることはできないと悩みは深まったのであろう。
③御息所 袖ぬるるこひぢとかつは知りながら下り立つ田子のみづからぞうき
御息所の絶唱。貴婦人の自らを泥の田んぼに立たせる。
細流抄(三条西実隆の源氏物語注釈書)では物語中第一の歌と評されている。
源氏の返歌 浅みにや人は下り立つわが方は身もそぼつまで深きこひぢを
脚注にもあるが御息所の歌に比べいかにも安っぽい。
→解説書では挙って「源氏と六条御息所との歌の応酬では常に御息所の歌の方が数段勝っている。紫式部の意図したところであろう」と言われています。和歌よく分かりませんがこの応酬などはいかにもそう思います。
御息所の苦悩は私が想像する以上に深いものだったことが窺えます。
さもありなん、御身分から言ってもこのような仕打ちは絶対許せない。
清々爺さんおっしゃる通り、辱めを受け誇りを傷つけられた口惜しさ、憎しみ、怨念は相当なもののようです。
その怨念が物の怪と化したのでしょうか?
一方葵の上の方も心穏やかとはいかなかったでしょうね。
懐妊中はそうでなくても心身ともに不安定になりがち。
源氏にもっと思いやり、労わりの気持ちがあれば子どもが生まれる喜びに満ちた日々だったはずなのに・・・
本来ならば夫婦ともども一番幸せの絶頂期と言ってもおかしくないわけですよね。
我々庶民の立場で考えるのが土台野暮と言うものでしょうか?
そんな折しも源氏の来訪、さぞや御息所も心乱れ悩んだことでしょう。
袖ぬるるこひぢとかつは知りながら下り立つ田子のみづからぞうき
この歌、御息所の極限の心のうちですね。悲痛ともいえる心の叫びというか・・・
どっちつかず、言い訳気味の源氏、覚悟が足りません。男らしくないですぞ。
ありがとうございます。
1.葵の上、御息所&源氏が三様に悩むところですね。でも葵の上の方はそんなに悪いこともしてないし(家来が御息所の車を蹴散らしたとはいえ)、地位も安定だし子どもも宿った。御息所に比べるとハッピーもいいところで本来ならもっと明るくていい筈です。一方御息所の方はどうにも幸せの方向が見いだせない。
2.物の怪を憑坐に移らせて名乗らせ憑りついた理由を語らせ調伏する。心身病気になってる人には個人として一族として恨みをかいそうな心当りがあろうからそれらが次々と現れる(現れさせる)。それらを一つ一つ脅したりなだめたり謝ったりして解決していくということだろうか。心身を清め反省したり鎮魂したりするのでしょう。病は気から。中々合理的ではないでしょうか。