賢木(8・9) 桐壷院 病重し

p131 – 134
8.桐壷院の御病重く、帝に遺戒する
 〈p245 桐壷院の御病気が、十月に入ってからたいそう重くなられました。〉

 ①G23年10月
 ②紅葉賀-花宴まではすごく元気、華やかな後宮での艶福家として描かれていた桐壷帝がその後譲位。それからは一転病気勝ちとなりこの段では死も近いような状況になっている。

 ③桐壷院→朱雀帝への遺言(真面目な朱雀帝にとってこれは重くのしかかる)
  ・春宮を頼む
  ・源氏を後見者として頼りにせよ(源氏の意に背くようなことはするな)

 ③御容貌もいときよらにねびまさらせたまへるを
  朱雀帝も立派に成長している。源氏はさらに光っているということだろう。

9.東宮と源氏、院に参上 最後の拝謁
 〈p246 東宮も御一緒にと思し召されましたけれど、〉

 ①源氏が春宮のお伴をして仙洞院に桐壷院・藤壷中宮を見舞う。
  春宮 5才 (もののまぎれから5年半たっている)
  春宮は普段宮中で朱雀帝といっしょにいるので藤壷にとっても珍しい。

 ②無邪気な春宮。ここでも桐壷院・藤壷・源氏は三者三様の想いだったろう。
  
 ③桐壷院→源氏 春宮を後見して朝廷を支えてくれよ、、、。
   →必死の訴えであったろう 
    桐壷院の朱雀帝・源氏兄弟への遺言はこの後ずっと大きな意味をもつ。

カテゴリー: 賢木 | 2件のコメント

賢木(5・6・7) 六条御息所 伊勢へ下向

p.125 – 130
5.群行の日 源氏、御息所と斎宮に消息
 〈p239 十六日に桂川で斎宮がお祓いをなさいました。〉

 ①群行=伊勢下向 野宮→桂川(お祓い)→内裏での儀式(御櫛の儀)→伊勢へ

 ②源氏→斎宮 母にまだ未練あることを訴える(まあ上辺だけだろうが)

 ③斎宮から返歌(女房代筆だが)。これを見て源氏のあやにくなる血が騒ぐ。
  今14才だが何年かして帰ってくるころにはいい女になっているだろう。
  (斎宮は神に仕える未婚の処女。手出しができない存在故好色の対象には格好)
  (もうここでは御息所への想いは吹っ切れているのではなかろうか)

6.斎宮と御息所参内、別れの櫛の儀
 〈p242 奥ゆかしく優雅な御趣味で定評のあるお二方なので、〉

 ①夫(東宮)の死後里にもどっていた御息所が久しぶりに宮中へ参内する。
  「ああ、その昔ここで東宮と睦まじく暮らしていたのに、、、」御息所の胸中や察するに余りあり。
  年令表示が不審ではあるがまああまり深く分析しなくてもいいのかも。
  でも、分析しておくと(こう言うの好きなので)

  この段の表示によると            
   御息所 入内=16才 東宮死去=20才  現在=30才
   即ち 東宮死去は10年前のこと

  通常の年立によると源氏は現在23才なので10年前(先東宮死去の時)には13才になっていたことになる。すると3才年長の朱雀帝は16才ということになる。→これは朱雀帝が東宮にたったのが源氏4才即ち朱雀帝7才の時だったという桐壷の記述に矛盾するというもの。 

  (源氏物語で年代が不審であるとされるのはこの件と若紫の巻で明石の君のことが語られる件であろうか。長編にしては殆ど齟齬がない。大したものです)

 ②宮中での御櫛の儀
  朱雀帝も恋情を抱く。後の物語(絵合)へと続く。
   →斎宮の美貌・立居振舞はすごいものだったのだろう。

7.御息所、斎宮に伴って伊勢へ出発する
 〈p243 斎宮が大極殿から御退出になるのをお待ち申し上げようと、〉

 ①行列は 二条より洞院の大路を折れらまふほど、二条院の前なれば、
  正しく源氏の居る二条院の前で曲がって行く。

 ②伊勢下向ということで鈴鹿川が出てくる。この歌のやりとりでは「ああ、この二人は終わってるな」と思うのですがいかがでしょう。

【補足】斎宮について
斎宮歴史博物館(三重県明和町)のホームページに詳しい
 ・群行ルートのこと(5泊6日で 六つの川で禊を) 
 ・別れの御櫛のこと(都のかたにおもむきたまふな)
 ・歴代斎宮 押し並べて期間が長い 一旦入ると大変
 ・伊勢物語 69段 狩の使い (業平-恬子内親王)
 ・源氏物語 六条御息所・秋好中宮のモデルは徽子女王
 等々興味深い記事がいっぱいあります。ご参考に。

カテゴリー: 賢木 | 4件のコメント

賢木(3・4) 野宮での一夜

p120 – 125
3.感慨胸中を往来、歌を唱和して別れる
 〈p234 思いのままにいつでもお逢いすることができ、〉

 ①源氏・御息所 逢って歌を応酬し気持ちを探り合い元に戻れないか試みるも断絶は深い。互いに未練を残しつつ別れを決心する。

 ②やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり
  源氏♡♡御息所 ラストラブの場面です。

  源氏 あかつきの別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな 
  御息所 おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫
    
   松虫の鳴きからしたる声も、をり知り顔なるを 
     →晩秋の嵯峨野の早朝の情景 いいですねぇ。

 この段、源氏は逢いには行ったものの縁りを戻す気は端からなかったのであろう。御息所もそれが分かっているから未練なことは言わず最後の一夜を思い出に刻み潔く別れる。この辺が御息所のプライドの高さであろうか。
 
4.伊勢下向の日近く、御息所の憂悶深し
 〈p238 源氏の君からのその朝のお手紙は、〉

 ①男は、さしも思さぬことをだに、情けのためにはよく言ひつづけたまふべかめれば、、、
   →源氏の口上手が語り手の口から述べられる。御息所には元よりお見通しである。

 ②十四才の斎宮しっかりしている。さすがに御息所の娘です。
  (そして行く末この娘こそが母がなれなかった中宮になるのです)

カテゴリー: 賢木 | 4件のコメント

賢木(1・2) 源氏・六条御息所 野宮の別れ

【お知らせ】
 式部さんの朗読は「賢木」「花散里」一挙に載せています。

「賢木」五十鈴川神のさかひへのがれきぬおもひあがりしひとの身のはて(与謝野晶子)
  →「おもいあがりしひと」はないでしょうに、、、。

「葵」に続く重要で面白いと言われている巻です。巻名も神事に関わる草木ということで「葵」「賢木」と対をなしています。前半の主役は六条御息所。「葵」に続きこの人のことをじっくり考えてみたいと思います。「思い上った人」でしょうかね?
 御息所去っての後は桐壷帝崩御・藤壷との官能シーン~出家・朧月夜との密会露見と結構盛り沢山です。

p112 – 120
1.六条御息所、伊勢下向を決心する
 〈寂聴訳巻二 p228 斎宮の伊勢へお下りになる日が近づくにつれ、〉

 ①G23年秋 葵の上急逝から1年経っている。
  源氏23才、六条御息所30才、娘(斎宮)14才

 ②源氏の正妻葵の上が亡くなった。では次は誰が正妻になるだろうと世間は取沙汰する。車争い・葵の上との確執など深くは知らない世間からすれば、六条御息所こそ一番相応しいと思ったのではないか。

 ③御息所としても自分が正妻になれたらとは思うものの、葵の上を巡る経緯から源氏の心は自分にはもう戻らないと確信しているので未練をふりきり娘と伊勢に行こうと心を決めている。

2.源氏、御息所を野宮に訪れる  名場面です
 〈p229 御息所は野の宮から六条のお邸にほんのたまさかお帰りに〉

 ①既に1年前から野宮で潔斎に入っている。御息所も付き添っている。
  六条邸と野宮は随分離れている。嵯峨野は京内からすれば人里離れた辺鄙な場所であった。

 ②9月7日 源氏野宮へ。何故今になって野宮に行く気になったのか。
   → 人聞きなさけなくやと思しおこして、野宮に参でたまふ  
     ここは行っておかないと世間にたたかれると言うことか。何と利己的な。
     もう一つ、娘の斎宮はもう十四。一度見ておきたいという心があったという説もある。何れにせよ源氏に好意的な意見ではない。

 ③はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあわせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

  「野宮の別れ」と称される名場面。和歌のような名文・美文です。

 ④黒木の鳥居 野宮に特有。樹皮がついたままの鳥居。

 ⑤源氏・六条御息所 一年ぶりの対面か。
  御息所 神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきぞ 代表歌
  源氏 少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ

   源氏と御息所らしく引歌を駆使して歌を応酬する。互いにもう心が通い合うことはないと分かっている。それでいて形式的な歌のやりとりをする。空しいなあと思います。

カテゴリー: 賢木 | 4件のコメント

葵 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

葵のまとめです。

和歌
17.なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま
   (物の怪) 六条御息所の絶叫

18.あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れし夜の衣を
   (源氏) 若紫 → 紫の上

名場面
17.これは、さらにさやうにさし退けなどすべき御車にもあらず
   (p20 葵の上vs六条御息所 壮絶なる車争い)

18.すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことあり
   (p44 葵の上・物の怪・六条御息所)

19.男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり
   (p92 紫の上との初夜)

[「葵」を終えてのブログ作成者の感想]

「葵」の巻、さすがに重厚で密度が濃かったのではないかと思います。この巻の主役は葵の上と六条御息所。どちらも源氏とは遂に打ち解けることができなかったプライド高き貴婦人。二人とも哀れだなあと同情の念を禁じ得ません。

コメントをいただき改めて別の角度から読み返したりちょっと気になってたことを調べ直したり、益々源氏物語の面白さに憑りつかれています(まあいい方の「物の怪」でしょうか)。引き続きよろしくお願いいたします。

来月は「賢木」と「花散里」。「賢木」を14回、「花散里」を3回で予定してます。「賢木」は「葵」に続く重厚な巻ですがストーリーの展開もあり楽しめると思います。ボリューム的には1月に比べ軽いので余裕があるかと思います。

【オマケ】
 式部さんに推奨いただいた尾張徳川家の至宝展(江戸東京博物館)に行ってきました。源氏物語絵巻は日にちの関係で本物は見られませんでしたが模写はあり、初音の調度(蒔絵貝桶)も見てきました。徳川家にとって武具もさることながら源氏物語・百人一首などの文芸、茶・香・音曲など雅美・教養も極めて大事だったのだと実感しました。そして源氏物語がその中心であったと知り嬉しかったです。出張展示があれだからご本家名古屋の徳川美術館はさぞかしすごいんだろうなと思いました。

 

カテゴリー: | 5件のコメント

葵(28・29・30) 三日夜の餅

p96 – 107
28.源氏、三日夜の餅を紫の上に供する
 〈p217 その夜のことです。〉

 ①亥の子餅 = 大豆他7種の粉で作る餅、このような食べ物があったのだ。

 ②久々の惟光の登場。万事を弁えたまめな男である。

 ③三つが一つ 古来源氏物語の三大秘事の一つとされたらしい。
  脚注どおり、三分の一ということだろう。では他の二つの秘事は何なんだろう。

  【追記】
  源氏物語三大秘事とは以下の3つ (何れも言葉の意味の難しさ)
   1.「揚名介」=名ばかりの介ということ (夕顔3 ①p198)
   2.「三つが一つ」=三分の一 (葵28 ②p96)
   3.「宿直物の袋」=宿直用の夜具などを入れる袋 (賢木11 ②p138)

 ④今は一夜も隔てむことのわりなかるべきこと
  契った後、もう手放せないと思うほど愛おしさが増す。いいですねぇ。

 ⑤少納言にしてみればこれで正式に女君の一人に加えてもらえたということで安堵する。
  (でもこんな略式では正妻にはなり得ない。それが問題となっていく)

29.紫の上と新枕後の源氏の感懐
 〈p220 こうしたことのあった後は、源氏の君は〉

 ①二条院に帰った源氏、他の通い処への足は遠のく。 → 当然だろう。

 ②朧月夜のその後。源氏とのことがバレて入内はできず御くしげ殿になっている。
  朧月夜は源氏のことが忘れられない。右大臣は正妻葵の上が亡くなった今、朧月夜を源氏の正妻にしてもよいと思う。源氏嫌いの弘徽殿皇太后はあくまで入内を望む。

 ③六条御息所も正妻候補。でも源氏は気がすすまない。葵の上を呪い殺したと思えばなおさらである。あはれ、御息所!

 ④父兵部卿宮に知らせて結婚のこともはっきりさせようと思う。
   → 脚注通り事の順序は逆であろう。先ず連れてきたことを知らせ詫びて正式に妻にしたいと言わなければ、、。

30.源氏、参賀の後、左大臣家を訪れる
 〈p223 元日には例年のように、源氏の君はまず院に参上なさってから、〉

 ①年改まってG23年。元旦に桐壷院→内裏(朱雀帝)→春宮と回って左大臣邸へ。

 ②久しぶりの源氏の晴れやかな姿に左大臣&大宮の嬉しさと悲しみが交差する。
  若宮(夕霧)の存在が明るさを振る舞う。

かくて葵の巻は閉じられ賢木の巻に移ります。

カテゴリー: | 3件のコメント

葵(25・26・27) 源氏、紫の上と新枕をかわす

喪に服していた左大臣邸から舞台は桐壷院を経て二条院に移り紫の上との新枕の場面になります。

p88 – 96
25.源氏、桐壷院並びに藤壷の宮に参上する
 〈p210 源氏の君が院へ参上いたしますと、〉

 仙洞御所に父院&藤壷の宮を訪ねる。さすがにここでは葵の上への弔意をいただいたことへのお礼で精いっぱいだったのであろう。

26.源氏、二条院に帰り紫の上の成人を知る
 〈p212 二条の院では、邸中のお部屋を磨き清めて、〉

 ①久しぶりに源氏が帰った二条院の様子。不在中は里に暇を出されていた者たちも急遽戻ってくる。賑わしい様子。

 ②紫の上の初々しい様子。久しぶりで人見知りしている様がかわいい。

 ③中将の君(召人)に足をもませる。
   御足などまゐりすさびて大殿籠りぬ
  当然ここでは♡♡であります。

27.源氏、紫の上と新枕をかわす
 〈p214 所在ないままに、源氏の君はただ西の対で、〉

 ①紫の上とは碁を打ったり漢字遊びをしたり。いっしょに遊び過ごし教育している。

 ②男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり
  男女の関係を語るには「男」「女」と表現される。二人の初夜を語る有名なフレーズです。時に源氏22才、紫の上14才。二条院に連れてきて丁度4年ですね。

 ③あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れし夜の衣を
  代表歌です。

 ④驚き、戸惑い、怒り、恥ずかしがり、すねる紫の上。
  機嫌を直してくれない紫の上を愛おしむ源氏。
  この段は何度読んでもいいなあと思います。

正妻葵の上が舞台から去り、若紫が紫の上として成長する。源氏はこの女性をどのように遇していくのか、読者の期待は高まったことでしょう。
  

カテゴリー: | 2件のコメント

葵(22・23・24) 喪を終えて源氏左大臣邸を辞去

p76 – 88
22.女房ら、源氏との別離近きを悲しむ
 〈p201 日がすっかり暮れてしまいましたので、〉

 ①主人(葵の上)が亡くなると主人を支えていた女房・女童など雇人は解雇となる。また妻の所に通ってきていた夫(源氏)も来なくなる。これは悲しい、寂しい。

 ②ただ忘れ形見の幼き子(夕霧)がいる。この存在が今後ともとてつもなく大きい。もし葵の上が子どもを産まず亡くなっていたらこの物語の厚みは損なわれたであろう。

23.源氏参院、涙ながらに左大臣家を辞去
〈p204 源氏の君は、こうしていつまでも引き籠ってばかりもいられないと、〉

 ①源氏、桐壷院のもとに参上しそのまま二条院に帰る。左大臣邸にはもう来ない。

 ②大宮には文で別れを告げる。幼いときから源氏を可愛がり、頼りにし、自慢にし、好き好んでいた大宮はさぞつらかったであろう。

 ③左大臣も同様。葵の上を源氏の妻としたのは自分の決断だっただけに左大臣の悔しさ無念さは並大抵ではなかっただろう。

  「さらば、時雨も隙なくはべるめるを、暮れぬほどに」とそそのかしきこえたまふ

  脚注にある通り理性が絞り出す最後の一滴のような言葉です。

24.源氏去って左大臣家の寂寥さらに深まる
 〈p206 あたりを見回して御覧になりますと、〉

 ①葵の上に仕えていた女房たち三十人、、、すごい数です。

 ②涙ながらに源氏を見送って部屋に戻ると源氏が残した惜別の歌がある。長恨歌の一節のところに書き散らしている。泣かせる場面です。

 ③左大臣が大宮に丁寧な言い方で嘆きを分かち合うところ、これで長々と語られた哀傷の場面が終わりとなります。

   言ふかひなきことをばさるものにて、かかる悲しきたぐひ世になくやはと思ひなしつつ、、、、
       朝夕の光失ひてはいかでか永らふべからん

カテゴリー: | 2件のコメント

葵(番外) 平安の人生相談

ちょっとふざけてみました。紫の上の投稿です。どうぞ回答してあげてください。

[人生相談]

 10代前半の処女です。母は生まれたばかりに亡くなり祖母に育てられていたのですが、その祖母が4年前に亡くなり直後にさる高貴な男性に否応なく引き取られ彼のもとに住んでいます。彼はとっても優しく読み書きはじめ色んなことを教えてくれ満足しています。時には父であり時には兄のような存在として尊敬しています。ところが最近私も成人になったしるしが現れ目ざとくそれをみつけた彼の目つきが変わったような気がします、迫ってくるのです。身体に触れてくるのも今までとは違ってるような気がします。私はそんな彼にどのように接したらいいのでしょうか。
                             
                少女M@二条院

カテゴリー: | 3件のコメント

葵(19・20・21) 葵の上を追悼 続き

p64 – 76
19・源氏と御息所和歌を贈答、ともに悩む
 〈p189 晩秋の寂しさのいよいよ深まっていく風の音が、〉

 ①ならはぬ御独り寝に、
   → 思わず「どういうこっちゃ!」と叫びました。こういうさりげない一言に作者のユーモアを感じます。

 ②御息所からの哀悼の贈歌・源氏の返歌
  御息所は心を尽くして弔意を表している(すばらしい)のだが、源氏はすげない。これも仕方ない。心が離れすぎている。

 ③御息所と桐壷帝
  故東宮(桐壷帝の弟)が死んだとき桐壷帝は御息所にそのまま宮中に留まって(私の妃になって)はと誘いをかけた。
  それを断り里に下がってる間に息子の源氏とできてしまった。
    → 桐壷帝・源氏 vs 御息所の3人にも三角関係が感じられる

    → 故東宮は何故死んだのか、単なる病死だったのか、それとも何か政治的からみがあったのか?(そういう考察は聞いたことないですが)

20.時雨の日源氏・三位中将・大宮、傷心の歌 
 〈p193 亡き葵の上の七日毎の御法事などはすみましたけれど、〉

 ①物さみしい時雨の日。三位中将(頭中)が慰めにくる。友だち感覚の頭中との語らい・冗談の言い合いは源氏にとっては何よりだったのだろう(源典侍とのこと末摘花とのこと)。

 ②頭中 →← 源氏 & 源氏 →← 大宮
  哀傷歌の応酬。秋の時雨が涙を誘う、故人を偲ぶにぴったりの背景。

21.源氏、時雨につけ、朝顔の姫君と歌を贈答 
 〈p199 源氏の君は、独居がやはりまだ、〉
 
 ①朝顔の姫君。ちょこちょこっと登場する。正妻を亡くした源氏が次の正妻を考える場合の有力候補だったのだろうか。

 ②朝顔 大内山を思ひやりきこえながら、えやは
  脚注14で「源氏の現在の居所をさし、その心境に及ぶ語であると考えられる」とあるが、何故今源氏が居る左大臣邸が大内山なのか私には疑問です。

 ③朝顔から紫の上に想いはめぐる。

カテゴリー: | 4件のコメント