賢木 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

賢木のまとめです。

和歌

19.神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきぞ
    (六条御息所) 野宮の別れ

20.ここのへに霧やへだつる雲の上の月をはるかに思ひやるかな
    (藤壷) 故桐壷帝の宮中を偲んで

名場面

20.はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり
    (p114 六条御息所との野宮の別れ)

21.心にもあらず、御髪の取り添へられたりければ、いと心憂く
    (p154 藤壷寝所への侵入)

22.「かれは誰がぞ。きしき異なる物のさまかな。たまへ」
    (p206 朧月夜との密会、露見)

[「賢木」を終えてのブログ作成者の感想]

賢木の巻では葵の巻を受けて物語が大きく展開します。ストーリーテリングとしてよくできていると思います。主人公は女性三人、最初が六条御息所、中盤が藤壺そして最後は朧月夜です。

先ず六条御息所、野宮の別れ~伊勢下向。車争い・葵の上の死・後添いになれず伊勢へ下向。つくづくと哀れな人だなと思いました。

ところで冒頭の与謝野晶子の歌で「おもひあがりしひと」とあったので、それはないだろうとコメントを応酬しましたが、先日明石の部分を予習していて誤解であったことに思い至りました。明石10.のところです。投稿を先取りしますと、
 
【この段に明石の君を形容する詞として「思ひあがりたる」が二度出てくる(p148 注4)
  広辞苑を引いてみると「【思い上る】(平安時代にはきりっとした態度で高貴性を保持しようとつとめることを意味した)①心に誇りをもつ。自負する。②うぬぼれる。つけあがる」と書かれている。

  →賢木冒頭の与謝野晶子の歌 
   五十鈴川神のさかひへのがれきぬおもひあがりしひとの身のはて
    与謝野晶子の言う「おもひあがりしひと」もそういうことでしょう。
    浅学にして理解が届かなかったようで晶子さんにはお詫びしたいと思います。】

次が藤壷で源氏のあくなき突進に悩んだ末の究極の解決策、出家。これも哀しいです。

終盤が朧月夜。この人が出てくると明るく楽しくなりますね。実にいいキャラクターだと思います。

さて次は短い花散里を挟んで三月から須磨・明石への放浪編へと進みます。
須磨返りにならないよう張り切って参りましょう。よろしくお願いいたします。

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賢木(33・34) 朧月夜との密会露見

p202 – 212
33.源氏、朧月夜と密会 右大臣に見つかる
 〈p306 その頃、朧月夜の尚侍の君は、宮中からお里に退出なさいました。〉

 ①一転して風俗小説です。朧月夜が登場するとぐっとトーンが変わり楽しくなります。
  (丸谷才一)風俗小説的な面白さという点でいうと源氏物語中、随一の場面かもしれません。

 ②普段は宮中にいる朧月夜(尚侍の君)が病で里(二条の右大臣邸)に滞在している。
  ここぞよしと源氏は 夜な夜な対面したまふ
   →相手は病上がり、場所は右大臣邸。そんなところに毎晩通うなんて、、、。私にはコメント不能です。

 ③頃は夏、夕立雷。今でいうゲリラ豪雨でも来たのだろうか。設定が絶妙。

 ④右大臣登場。この人誠に面白い。この早口を式部さんの朗読はどう読むか、ものすごく楽しみです。
  (物語中 舌疾はこの右大臣と後に出てくる近江の君)

 ⑤雷鳴りやみ、雨すこしをやみぬるほど、大臣渡りたまひて、、、、、
    からこの段の終わりまで何度と声を出して読むといいと思います。分かり易いし面白さ抜群です。

 ⑥共寝のところに踏み込まれた場面は先の紅葉賀源典侍のところはおふざけとして、他にはこの場面だけです。
   右大臣はあわてふためいている。
   源氏は居直っている。
   朧月夜はきまり悪がっている。 
  三者三様の想いを読感してください。 

34.大臣の報告を聞き、弘徽殿源氏放逐を画策
 〈p309 右大臣は直情径行で、何事も胸に収めておけない御性分の上に、〉

 ①右大臣から弘徽殿大后に早口での長口上がある。とうとうと述べまくったのであろう。「大変だ!大変だ!大変だ!」って叫びながら駆け込んだのでしょうね。

 ②でも右大臣の口上、一一尤もだと私は納得なんですが。。。

 ③弘徽殿大后の口上・想いもさもありなんでしょう。政治的分析はさすがと思います。源氏須磨流謫への流れが見事に描かれていると感じます。
  
  →源氏は藤壷との不義密通がバレるのではないかとの恐れからむしろ朧月夜とのことが露見することで自ら一旦政治の表から身をひく(須磨に流れる)ことを計算していた、、、、という見方も多いようです。
  

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賢木(29・30・31・32) 藤壷出家後の情勢

p188 – 202
29.源氏、藤壷出家後の情勢を思いめぐらす
 〈p293 二条の院にお帰りになっても、〉

 ①帰っても源氏は藤壷出家のことをあれこれ考える。

 ②藤壷は吹っ切れて腹が据わった感じになっている。
   →それほどに出家には意味があった。

30.寂寥たる新年の三条宮に源氏参上する
 〈p295 年も改まり諒闇も明けましたので、〉

 ①明けてG25年。(藤壷出家はG24年12月中旬のこと)

 ②藤壷は三条の宮に居る。仏道に専念しての尼生活。

 ③源氏が訪れる。歌の贈答も素直な気持ちが表れてて好ましい
  源氏 ながめかるあまのすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島
  藤壷 ありし世のなごりだになき浦島に立ち寄る浪のめづらしきかな
 
31.藤壷・源氏方への圧迫 左大臣辞任する
 〈p298 春の司召しの頃になりました。〉

 ①賢木11.で語られた除目の様子が繰り返される。ますます露骨な人事異動になっているのであろう。
 
 ②左大臣辞任。56才くらい。帝は残念に思っている。本心からであろう。

32.源氏と三位中将、文事に憂悶の情を慰める
 〈p300 左大臣の御子息たちはどの方々も皆、〉

 ①右大臣家が栄え左大臣家が衰える中で微妙なのが三位中将(頭中)。しっくりいってない仲とはいえ正妻は右大臣家四の君で正に隆盛を極める右大臣邸に通う立場。それなのに昇進からは外される。

 ②そんな時源氏と頭中は文事(漢詩を作ったり韻塞をしたり)で徒然を慰める。
  教養人を集めて高尚な遊びをする。ふざけたおバカさん全盛の現代では考えられない。

  頃は夏の雨のどかに降りて、つれづれなるころ
   →雨夜の品定めが思い出される。8年前のことである。

 ③左右にこまどりに方分かせたまへり
   左右に分かれる。歌合せでも絵合わせでも同じ。左方が上位。従って源氏は常に左方、頭中は右方になる。(そして左の源氏が常に勝つようにできている)

 ③負態(まけわざ)。面白い。負けた方が勝者を招いて饗応する。
  この場所はどこだろう。源氏が招いたのは二条院だと思うが頭中の居場所はどこだったのだろう。左大臣邸だと思うのだが、四の君腹の二郎が出てくるしひょっとして正妻のいる右大臣邸だろうか。でも右大臣家に力を削がれた傷心の二人が慰め合う催しを右大臣邸で開くはずはないだろうに。よく分かりません。 

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賢木(26・27・28) 藤壷出家

p180 – 188
26.桐壷院の一周忌 源氏と藤壷の追憶の歌
 〈p287 藤壷の中宮は、故桐壷院の一周忌の御法要に引きつづいて、〉

 ①法華八講の準備。4日間連続朝夕で法華経全八巻を講説する。大変な仏事だったのだろう。

 ②源氏・藤壷で歌の贈答があるがこの辺で源氏は藤壷の出家の意志に気づかなかったのだろうか。まあ無理でしょうね。

27.法華八講の果ての日、藤壷出家する
 〈p288 十二月十余日ごろ、中宮の御八講が催されます。〉

 ①時はG24年12月 御八講の様子
  初日 藤壷の父(桐壷帝の前の帝) 二日目 藤壷の母 三日目 桐壷院(五巻の日)

 ②最終日に出家 世を背きたまふよし仏に申させたまふ
  横川の僧都(藤壷のおじ)登場 宮の内ゆすりてゆゆしう泣きみちたり 
   → ここは劇的な場面
    
   藤壷は出家を決意し御八講を企画し僧都にいいくるめて秘密裡に事を運んだ。連立方程式を解くには出家しかない。でも周囲にバレたら必ず反対される。源氏などはどんな手を使っても阻止しようとしたであろう。それを見事に実行した。藤壷って帝の皇女とは言えすごいウーマンだったのだなあと思います。

28.源氏、出家した藤壷の御前に参上する
 〈p290 故院の御子たちは、昔の中宮の御栄華のさまをお思い出しになるにつけても、〉

 ①源氏の恨み節。何て早まったことをされたのか。何故一言相談してくれなかったのか。
  源氏の心はいくつものWHY?で埋め尽くされたことであろう。

 ②源氏 月のすむ雲居をかけてしたふともこのよの闇になほやまどはむ
  藤壷 おほかたのうきにつけては厭へどもいつかこの世を背きはつべき

  こうなったら藤壷は強い。「もう私は出家したのだから東宮の力にはなれない。東宮はあなたの息子よ、あなたがトコトン面倒みるのよ」って心境だったのではないか。

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賢木(23・24・25) 源氏、参内&藤壷・朧月夜のこと

p172 – 180
23.源氏参内して、帝と昔今の物語をする
 〈p280 源氏の君はまず帝の御前に参上なさいますと、〉

 ①朱雀帝と源氏 兄弟の会話。これからも出てくるが二人の立ち位置が興味深い。

 ②尚侍の君(朧月夜)を巡る二人の会話。帝は優しすぎるのではないか。
  普通ならここは一発「オイお前、まだトンデモナイことしてるみたいだな。いい加減にせんかい!」とかますとこでしょうに。
  なんか愛人を仲良く共有しようと言ってるようで共感できません。

 ③朱雀帝の話に斎宮(御息所の娘)のことが触れられる。源氏は帝が斎宮に目をつけたなってピンとくる。そこで自分も野宮でのことを思い出し(野宮でもチラっとみかけたのだろうか)対抗心を燃やす(後の物語の伏線となっている)。

 ④麗景殿の女御=右大臣の孫にあたる。朱雀帝も右大臣の孫。ややこしいですね。
  右大臣から見れば娘が天皇の母(弘徽殿大后)、天皇は孫、その天皇に娘(朧月夜)と孫(麗景殿)が入っている。右大臣もこんがらがったのではないでしょうか。こういうのを摂関政治というのでしょうね。

 ⑤「白虹日を貫けり。太子畏ぢたり」
   漢籍が引かれているがピンと来ない(余り有名な話ではないのでは)

24.源氏、藤壷の方に参上、歌に思いを託す
 〈p283 月光が鮮やかに照り輝いているのを御覧になって、〉

 ①源氏、宮中に居て今日里邸に帰る藤壷にあいさつに行く。
  藤壷からの歌 意味深長(意図慎重)である。
   ここのへに霧やへだつる雲の上の月をはるかに思ひやるかな  代表歌

 ②6才の東宮が母藤壷を慕う様子がいじらしい。

25.朧月夜より源氏へ消息をおくる
 〈p285 源氏の君は、あの時、頭の弁が史記の〉

 ①朧月夜と手紙のやりとりが続いている。
  
 ②逢瀬が少し途絶えると女君の方からモーションがかかってくる。ホントこの女君積極的ですねぇ。
 

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賢木(20・21・22) 源氏、苦悩の日々

p166 – 172
20.源氏、朝顔の斎院と贈答、往時をしのぶ
 〈p274 ここからは、吹く風もすぐ通うほどお近くに〉

 ①朝顔、斎院となって紫野に居る。そこへ文を出す。
  もう昔の思い出を語り合うだけ。斎院である間は進展すべくもない。

 ②六条御息所との野宮の別れから1年経っている。

21.源氏、雲林院を出て二条院に帰る
 〈p277 源氏の君は天台六十巻という経典をお読みになり、〉

 ①雲林院の僧侶たちも今をときめくスターである源氏を迎えて喜んでいる。

 ②二条院に帰ると紫の上が何とも愛らしい。

22.源氏、藤壷に山の紅葉を贈る
 〈p278 山寺からのお土産に持って帰られた紅葉を、〉

 ①でもでもやっぱり藤壷のことが頭から離れない。
  紅葉はひとり見はべるに錦くらう思ひたまふればなむ。をりよくて御覧ぜさせたまへ
   古歌を引いて洒落た表現

 ②藤壷は今宮中にいる。人目もありそっけなく扱う。全く困ったものである。

本日のタイトルに「源氏、苦悩の日々」と書いたが、正しくは「源氏、相変わらず煩悩の日々&藤壷、苦悩の日々」であろうか。

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賢木(17・18・19) 藤壷出家を決意

p156 – 166
17.源氏の憂悶、藤壷出家を決意して参内
 〈p266 「何の面目あって、再び中宮にお目にかかれよう。〉
 ①源氏の憂悶。これは相変わらずの狂気であまり同情に値しない。

 ②藤壷の憂悶。これは深刻。
  春宮を天皇につけるには何としても源氏を味方につけておかねばならない。
  でも源氏の情熱に身を任せてしまえばコトは露見し身の破滅となる。
  そんなこと聞き分けられる源氏ではない。どうすればいいのだろう。
  →正に連立方程式であります。そしてその解は出家、正にこれしかない。見事です。

 ③戚夫人の例え。大陸の国の残酷さはすさまじい。日本人でよかった。

 清々爺の疑問:
  藤壷はまだこの時中宮の位に居たのだろうか。中宮とは天皇の妃ではないか。それなら夫桐壷は死去していないのだからもはや中宮ではないと思うのですが。 

18.藤壷、東宮にそれとなく訣別する
 〈p268 源氏の君は、いつもはそれほどのことでなくても、〉

 ①藤壷参内し我が子東宮に出家前のあいさつ。
  東宮6才、大分分別のつく年になっている。

 ②藤壷と東宮との会話が何とも微笑ましい。無邪気な東宮の言葉が読者の涙をさそう。
 
 ③御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて

   →こういう具体的な表現がすばらしい。

19.源氏雲林院に参籠 紫の上と消息しあう
 〈p271 源氏の君は、東宮をたいそう恋しく思ってはいらっしゃいますけれど、〉

 ①源氏は藤壷の態度にすねて気晴らしにか雲林院に参籠する。

 ②雲林院に母桐壷更衣の兄弟(おじさん)がいる。
  そこで仏道勉強会みたいなもので心を紛らわす。

 ③藤壷は冷たいばかりだが紫の上がいる。便りを交してみると歌もなかなかだし筆跡はますます自分に似て上手になっている。源氏はつくづく嬉しく思ったことだろう。

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賢木(16) 源氏、藤壷の寝所へ

さて物語中有数な官能場面です。

p148 – 156
16.源氏、藤壷の寝所に近づく 両人の苦悩
 〈p258 こうしたことがあるにつけても、〉

 ①源氏の藤壷への想いは続いている。桐壷院が亡くなり自制の歯止めがきかなくなっているのだろうか。藤壷としては春宮をバックアップしてくれてるという点では唯一の味方なのだが、バレることも恐れないかのごとく突進してくる源氏にはほとほと手を焼いたことであろう。

 ②源氏にとって三条宮は勝手知ったるところ、王命婦の手引きもなしで勝手に入りこむ。
  夢のやうにぞありける
  うつし心失せにければ
    →情事を暗示

 ③途中藤壷の気分が悪くなる。源氏は下着だけで塗籠に隠れる。
  王命婦・弁が源氏の脱ぎ捨てた衣服を持ってウロウロする。
    →ちょっとコミック調でしょうか。

 ④源氏は隙を見て塗籠から抜け出し再び藤壷に迫る。

 ⑤「見だに向きたまへかし」と心やましうつらうて、ひき寄せたまへるに、御衣をすべしおきてゐざり退きたまふに、心にもあらず、御髪の取り添へられたりければ、いと心憂く、宿世のほど思し知られていみじと思したり。 
   
   →私が源氏物語絵巻を画かせるとしたら第一にこの場面でしょうね。若紫の巻のもののまぎれの叙述は抽象的でぼやっとしているのに対し、ここの描写はリアル。もう天皇の妃ではなくなってるから遠慮しなかったのだろうか。

   →さすがに二日目のこの場面では実事までは行かなかった。だからこそ描写は却って細やかなのだって丸谷・大野先生はおっしゃってますが、、、。

いやあ何とも迫力がありますね。狂気の沙汰と見るか情熱の嵐と見るか。

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賢木(13・14・15) 左大臣家の不遇

p141 – 147
13.左大臣家の不遇 源氏まめやかに訪れる
 〈p253 左大臣も、おもしろくないお気持ちで、〉

 ①左右大臣家の確執
  右大臣(弘徽殿女御)は葵の上を時の東宮(今の朱雀帝)へと思ったのに
  左大臣は源氏にあげてしまった。

 ②桐壷帝が院政を布いていたときは右大臣側もおとなしかったが桐壷院が亡くなり、歯止めがなくなった。右大臣側の世の中となった。寂れる左大臣家。それでも忘れ形見の若君がおり源氏は左大臣家を頻繁に訪れ左大臣・大宮を慰める。
   →この辺はまじめでエライ。
   →軽々しき御忍び歩きも、あいなう思しなりて ちょっと自粛でしょうか

14.紫の上の幸運 朝顔の姫君斎院となる
 〈p254 西の対の紫の上の御幸運を、〉

 ①物語に叙述はないがこれまでに紫の上のことを父兵部卿宮に告げている。
   →どのように告げたのだろう。父のリアクションはどうだったのだろう。
   →どうして何か正式な儀式はやらなかったのか。やってれば紫の上は正式な正妻の地位を得られたのではなかろうか。

 ②朝顔の姫君斎院になる。
  これは大きい。朝顔はここから実に8年間も(源氏と同年令として24才から32才まで)斎院として賀茂神社に仕えることになる。
  源氏も手出しできない(手紙は出してるにしても)。これで朝顔の君が源氏の後妻になる線も消えた。
   →六条御息所が伊勢に下向し朝顔が斎院になる。後妻候補が二人とも消えた。
   →それにしても8年とは(結果的にだが)。朝顔の君がかわいそう。

 ③ここで紫の上の幸運というのは、
  ・正妻葵の上が亡くなった
  ・後妻候補の六条御息所は伊勢へ下向、朝顔の君は斎院になって目は消えた
  ということだろうか。

15.源氏、朧月夜と密会 藤少将の非難
 〈p255 帝は院の御遺言をお守りになり、〉

 ①朱雀帝は優しく柔和、妥協的。母后(弘徽殿)の思うまま。

 ②五壇の御修法のはじめにてつつしみおはします隙をうかがひて、例の夢のやうにきこえたまふ。かの昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君紛らはして入れたてまつる。

   公式行事の仏事で宮中は慎まねばならない。そんな隙をねらって帝の寵姫を思い出深い細殿に連れ出して密会を重ねる。→気の弱い私にはとてもコメントできません。

   中納言の君(いつの間に手なずけたのであろう)が万事手配する。

 ③「宿直奏さぶらふ」   
   この件誠に面白い。細殿あたりのここかしこに男が忍んできて秘め事が行われている。定刻に宿直の部下が回ってきて、チクショーめとつぶやきながら「XX参りました。異常ありません」なんて報告する。異常だらけなのにねぇ。

 ③朧月夜→源氏 心からかたがた袖をぬらすかなあくとをしふる声につけても
   この歌はすごい。異例の女からの贈歌。朧月夜も本気だったことが分かる。

 ④承香殿の御兄弟の藤少将にみつかる。
   →見つかるのは当たり前だろう。
   →この男も藤壷に忍んでの帰りだろう。
   →じっと慎んでいるのは気の弱い朱雀帝だけなのだろうか。いやはや。

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賢木(10・11・12) 桐壷院崩御 世の中変わる

p134 – 140
10.桐壷院の崩御 そののちの藤壷と源氏
 〈p247 弘徽殿の大后も、お見舞いに上がろうとお思いになりながら、〉

 ①桐壷院崩御 G23年11月か(四十九日が12月20日)
  
 ②譲位はしても院政を布いてた。それが変わる。
  桐壷院の世 → 朱雀帝=外戚の祖父右大臣の世へ(実際には弘徽殿大后)

 ③藤壷、三条宮(里邸)に13年振りに戻る。
  15才頃入内
  23才春宮誕生(もののまぎれ)
  26才桐壷帝譲位 仙洞院へ移住(宮中に11年居た)
  28才桐壷院死去 三条宮へ帰る(仙洞院に2年、桐壷帝とは13年連れ添った)  

 多くの女御・御息所をかかえ艶福家であった桐壷院が亡くなった。文化・教養的にも優れた聖代とも言われた時代が幕を閉じ、いと急にさがなくおはして・舌疾にあはつけき右大臣主導の世の中になる。 →困ったことになるぞ、、、との予感が作者にも読者にもある。

11.源氏の邸、昔と変って寂寥をきわめる
 〈p251 年も改まりましたが、諒闇中なので、〉

 ①年が変わってG24年

 ②除目(官吏、春の人事異動) 源氏の衰勢、右大臣側の隆盛
  人事異動の悲喜交々は今も昔も変わらない。
  内閣改造の時など短い命と分かっていても新大臣の破顔一笑が映し出される。

 ③宿直物の袋
  先日出て来た源氏物語三大秘事の一つとされるもの。漢字で書けば当たり前だが「とのゐもののふくろをさをさみえず」 と仮名書きされていたので長らく分からなかったのであろうか。

12.朧月夜、尚侍になる 源氏と心を通わす
 〈p252 あの朧月夜の御匳殿は、二月に尚侍におなりになられました。〉

 ①朧月夜のことが語られる。ここでは説明のみ。
  G20年 花宴で源氏と契る 女御としての入内はご破算に
  G22年 御くしげ殿になる (この頃から朱雀帝に召されていたのであろう)
  G24年2月 尚侍になる(女性官僚の最高位、キャリアウーマン兼愛人) 
   弘徽殿大后が梅壺に移ったので朧月夜が弘徽殿に移り住む
    →これはもう女御といっていい地位だろう。後宮もにぎわう 

 ②朱雀帝は余程朧月夜がお気に入りだったのだろう。
 人柄もいとよくおわすれば、あまた参り集まりたまふ中にもすぐれて時めきたまふ
   →物語冒頭の桐壷更衣の叙述とそっくり。
   
 ③御心の中は、思ひの外なりしことどもを、忘れがたく嘆きたまふ
   朱雀帝の寵愛を人一倍受けながら心中は源氏との逢瀬のことが忘れられない。
   それも過去のことだけでなく現在もやり続けている。
   朱雀帝・朧月夜・源氏の三角関係、よくもまあこんな風になるのだと思います。
 
   →A氏 何という節操のない女だろう!
    B女 安定した帝の愛情を受けながら源氏との恋にも身を委ねる、ちょっと素敵。
    C氏 悪いのは優柔不断な帝と勝手な源氏。彼女は無邪気で可愛い女に過ぎない。

   色々意見があるでしょうね。でもまだ議論は早いかも。もうちょっと進展を見ましょう。  
      

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