p188 – 202
29.源氏、藤壷出家後の情勢を思いめぐらす
〈p293 二条の院にお帰りになっても、〉
①帰っても源氏は藤壷出家のことをあれこれ考える。
②藤壷は吹っ切れて腹が据わった感じになっている。
→それほどに出家には意味があった。
30.寂寥たる新年の三条宮に源氏参上する
〈p295 年も改まり諒闇も明けましたので、〉
①明けてG25年。(藤壷出家はG24年12月中旬のこと)
②藤壷は三条の宮に居る。仏道に専念しての尼生活。
③源氏が訪れる。歌の贈答も素直な気持ちが表れてて好ましい
源氏 ながめかるあまのすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島
藤壷 ありし世のなごりだになき浦島に立ち寄る浪のめづらしきかな
31.藤壷・源氏方への圧迫 左大臣辞任する
〈p298 春の司召しの頃になりました。〉
①賢木11.で語られた除目の様子が繰り返される。ますます露骨な人事異動になっているのであろう。
②左大臣辞任。56才くらい。帝は残念に思っている。本心からであろう。
32.源氏と三位中将、文事に憂悶の情を慰める
〈p300 左大臣の御子息たちはどの方々も皆、〉
①右大臣家が栄え左大臣家が衰える中で微妙なのが三位中将(頭中)。しっくりいってない仲とはいえ正妻は右大臣家四の君で正に隆盛を極める右大臣邸に通う立場。それなのに昇進からは外される。
②そんな時源氏と頭中は文事(漢詩を作ったり韻塞をしたり)で徒然を慰める。
教養人を集めて高尚な遊びをする。ふざけたおバカさん全盛の現代では考えられない。
頃は夏の雨のどかに降りて、つれづれなるころ
→雨夜の品定めが思い出される。8年前のことである。
③左右にこまどりに方分かせたまへり
左右に分かれる。歌合せでも絵合わせでも同じ。左方が上位。従って源氏は常に左方、頭中は右方になる。(そして左の源氏が常に勝つようにできている)
③負態(まけわざ)。面白い。負けた方が勝者を招いて饗応する。
この場所はどこだろう。源氏が招いたのは二条院だと思うが頭中の居場所はどこだったのだろう。左大臣邸だと思うのだが、四の君腹の二郎が出てくるしひょっとして正妻のいる右大臣邸だろうか。でも右大臣家に力を削がれた傷心の二人が慰め合う催しを右大臣邸で開くはずはないだろうに。よく分かりません。
源氏に比べ出家後の藤壺は堂々とした感じに見受けられますね。
新年の三条宮での和歌の贈答、これまでとは違いしみじみ、しっとりした味わいを感じます。お移りになった御堂の風情がよけいに寂しさを募ります。
源氏、藤壺関係の昇進が外れる一方、左大臣も辞任され世の中が著しく変化した様が窺われます。
無聊をかこつ源氏と頭中、往時を懐かしみ憂さを晴らしておられる。
そのお遊びが誠に高尚、雅で風流そのものですね。
特に「階の底の薔薇けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ」白氏文集からだそうですが良いですね~
ありがとうございます。
1.薔薇けしきばかり咲きて、、、の所いいですねぇ。梅雨どきで春秋の花がないのを漢詩から薔薇を持って来て描写する。すごいと思います。紫式部の頭には白氏文集初め漢詩集は全て頭に入っていたのでしょうか。
バラは古来からあったのでしょうが今のように園芸花として一般的に庭に植えられていたかは疑問ですね。ここでの「さうび」は書物上の言葉だったのじゃないでしょうか(単なる推測です)。
2.本段の負態は頭中の屋敷で行われた訳ですが、頭中将はどこを自邸としていたのか調べてみてもよく分かりません。源氏物語そのものには場所の記述がないので推定・想定するしかないのですが、それすらあまり見当たりません。
でもやはりそれは正妻四の君の実家、即ちあの右大臣邸であったと考えるのが一番自然ではないでしょうか。この二条右大臣邸は三条藤壷宮の東隣り。ここには右大臣が住み、弘徽殿大后と朧月夜には実家でしょっちゅう里帰りしている。そこが頭中の普段の自邸であった、、、、。疑問もありますが一応そう考えておきます。
そうすると源氏が右大臣邸のことをよく知っており、朧月夜との逢瀬も意のままであったことも納得できるのですがね。→明日の舞台です。
薔薇ですが、バラとは読まず、しょうび、つまり、
今で言う野ばら、野いばらを指すと思います。
→ 中国語では、(今は)華やかな、いわゆる西洋バラは
玫魂(花)mei-guiと言い、薔薇とは使い分けています。
この野いばらは、フツーの、そこらの 野原で、初夏に白っぽい
匂いのする小さな花をいっぱい咲かせ、秋に赤い実をつけます。
確か、薬草でもあります。
ちなみに、手持ちの『花ごよみ 図譜 9巻 源氏物語の「花」』には
薔薇の項目はなく野草扱い。源氏に出てくる薔薇は、そういう風に
(名もなく貧しく・・・・)とらえた方が良いと思います。
ありがとうございます。よく分かりました。
「メイグイファ」がバラでしたね。白氏文集にあるのは野いばらなんですね。これなら宮中の坪庭にもあったこと納得できます。
源氏物語の花、色々出てきます。また気がついたらコメントしてください。
進乃君さん、清々爺さん、薔薇のお話有り難うございます。
この場面、大輪の西洋バラばらよりmei-gui 野ばらが似合いますね。
昨日のある新聞の俳句投稿欄に沖縄の澤さんという方の句に
揺れ動く中に明日あり冬薔薇(ふゆそうび)
ふゆそうびと仮名がふってあったので目にとまりました。
この場合は今風の薔薇でしょうけどね。
私の歳時記にもちゃんと薔薇(そうび)とありました。
そしてもう一句見つけました。
みせばやを向かひに眺め紅茶飲む
18歳の女子高校生の句です。
この「みせばや」百人一首90殷富門院大輔
見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず
上は花を意味し90は見せるの意味でしょうね。
言葉に妙に敏感になってしまうこの頃です。
言葉に敏感になる、いいですね。年とるほどにそうありたいと思っています。
1.冬薔薇。冬そうびと読んで冬の季語ですが正体は所謂今の豪華なバラですよね。そりゃあ「そうび」じゃないでしょうにねぇ。「そうび」と言うからには「野いばら」であって欲しいと思います。
2.「みせばや」なんて花があるのですね。しかも季語ですか、女子高校生に拍手です。
そこから90番を思い浮かべる。我が意を得た感じです。90番と言えば「見せばやな」。ゴジラ松井の55番と言えば藤原公任。イチロー31番は「朝ぼらけ、、」です。そして私の一番好きな数字は勿論57番であります。