p166 – 172
20.源氏、朝顔の斎院と贈答、往時をしのぶ
〈p274 ここからは、吹く風もすぐ通うほどお近くに〉
①朝顔、斎院となって紫野に居る。そこへ文を出す。
もう昔の思い出を語り合うだけ。斎院である間は進展すべくもない。
②六条御息所との野宮の別れから1年経っている。
21.源氏、雲林院を出て二条院に帰る
〈p277 源氏の君は天台六十巻という経典をお読みになり、〉
①雲林院の僧侶たちも今をときめくスターである源氏を迎えて喜んでいる。
②二条院に帰ると紫の上が何とも愛らしい。
22.源氏、藤壷に山の紅葉を贈る
〈p278 山寺からのお土産に持って帰られた紅葉を、〉
①でもでもやっぱり藤壷のことが頭から離れない。
紅葉はひとり見はべるに錦くらう思ひたまふればなむ。をりよくて御覧ぜさせたまへ
古歌を引いて洒落た表現
②藤壷は今宮中にいる。人目もありそっけなく扱う。全く困ったものである。
本日のタイトルに「源氏、苦悩の日々」と書いたが、正しくは「源氏、相変わらず煩悩の日々&藤壷、苦悩の日々」であろうか。
斎院といい御息所といい果ては藤壺と、まことに煩悩多き源氏には困りものですね。
雲林院での仏道修行も源氏のお心を鎮める役にはならなかったのでしょうか。
二条院では最愛の人が待っているではありませんか。
とは言えいつも目の前にいる人にはときめかない・・・
やはり思い出されるのは藤壺。
いやはや、物語とはいえ何と厄介な御性格でしょう・・・
ありがとうございます。
雲林院について調べてみました。場所は紫野、内裏の東北でそんなに遠くない。山ではないし籠るというほどでもないと思うが当時は人家少ない野原で寂しいところだったのでしょうか。紫野には朝顔が勤めている斎院があり、雲林院とは目と鼻の場所。源氏が雲林院に籠ったのは朝顔の近くに行って朝顔の気配を感じたかったのでしょうか。歌を詠み合っていますね。
序でながら雲林院は元々紫野の離宮であったのを僧正遍照が官寺(天台宗)にしたとのこと。
僧正遍照 No.12 天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ
→これは五節の舞姫を詠んだ歌
更に紫式部の墓(伝承)も雲林院の西隣にあるとのこと。
この辺り紫式部には愛着があったのでしょうか。
雲林院のこと有難うございます。
場所は紫野ですか、なるほどね~
斎院とは目と鼻の先ですか、それはもう源氏の事ですから朝顔の斎院をせめて身近に感じたかったに違いありません。
斎院、つかず離れずのお歌で源氏より大人ですね。
紫野と雲林院、僧正遍照、紫式部、何か繋がりを感じますね。
それとは別に額田王の「あかねさす紫野・・・」を思い出してしまいました。
紫という色、何かみやびで奥ゆかしいですね。
そうですね。紫野といえば額田王ですね。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫野というのは紫草が生える野原ということで普通名詞だったのを京都の地名に取り込んだのでしょうね。
武蔵野も紫ですね。
紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る
↓
手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草
武蔵野台地にあった立教大学の校歌にも紫が読みこまれている。
芙蓉の高嶺を雲井に望み 紫匂える武蔵野原に、、、
紫は高貴な色でこれをシンボルカラーにし自らの名前にもなった紫式部。源氏物語の品格を表していると思います。
以上、備忘メモです。