p156 – 166
17.源氏の憂悶、藤壷出家を決意して参内
〈p266 「何の面目あって、再び中宮にお目にかかれよう。〉
①源氏の憂悶。これは相変わらずの狂気であまり同情に値しない。
②藤壷の憂悶。これは深刻。
春宮を天皇につけるには何としても源氏を味方につけておかねばならない。
でも源氏の情熱に身を任せてしまえばコトは露見し身の破滅となる。
そんなこと聞き分けられる源氏ではない。どうすればいいのだろう。
→正に連立方程式であります。そしてその解は出家、正にこれしかない。見事です。
③戚夫人の例え。大陸の国の残酷さはすさまじい。日本人でよかった。
清々爺の疑問:
藤壷はまだこの時中宮の位に居たのだろうか。中宮とは天皇の妃ではないか。それなら夫桐壷は死去していないのだからもはや中宮ではないと思うのですが。
18.藤壷、東宮にそれとなく訣別する
〈p268 源氏の君は、いつもはそれほどのことでなくても、〉
①藤壷参内し我が子東宮に出家前のあいさつ。
東宮6才、大分分別のつく年になっている。
②藤壷と東宮との会話が何とも微笑ましい。無邪気な東宮の言葉が読者の涙をさそう。
③御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて
→こういう具体的な表現がすばらしい。
19.源氏雲林院に参籠 紫の上と消息しあう
〈p271 源氏の君は、東宮をたいそう恋しく思ってはいらっしゃいますけれど、〉
①源氏は藤壷の態度にすねて気晴らしにか雲林院に参籠する。
②雲林院に母桐壷更衣の兄弟(おじさん)がいる。
そこで仏道勉強会みたいなもので心を紛らわす。
③藤壷は冷たいばかりだが紫の上がいる。便りを交してみると歌もなかなかだし筆跡はますます自分に似て上手になっている。源氏はつくづく嬉しく思ったことだろう。
藤壺の憂悶に比べれば源氏の憂いなんて何のこともないように思います。
藤壺の奥深く秘められた胸中にまでは思い至らない源氏。
ここは苦労知らずの御曹司ですね。
中宮とは天皇亡きあと退くものであれば清々爺さんの疑問、もっともですね。
でも、院の思しのたまはせしさまのなのめならざりしを思し出づるにも・・・とあり脚注には、中宮の位を返上することは普通あり得ない・・・とありますのでここはそのまま中宮にとどまられたように思いますが・・・
院が何か特別な遺言でもなさったのでしょうか?
東宮の御ために参内を決意される藤壺、それとなく別れを告げられる母心はせつないですね。
東宮の無邪気ないじらしさがよけいに涙を誘います。
源氏、雲林院の風情ある景色に多少は心慰められたのでしょうか?
それとも余計に心乱れる日々なのでしょうか?
やはり思い出されるのは紫の上。
移り気な源氏を恨めしく思う紫の上、何だか紫の上が可哀想!!
ありがとうございます。
1.中宮のことウィキペディア見てもよく分かりません。桐壷院が亡くなり実家に戻っても中宮の位はそのまま(俸禄も)で呼称もそのままだったと考えておきましょう。出家の後も「入道の宮」あるいは「中宮」と呼ばれて出てきますから。
2.この巻の藤壷と六条御息所。それぞれに深く深く想い悩んでますねぇ。源氏よりもむしろこの二人が主役でしょう。この時藤壷29才、御息所31才(源氏は24才)。悩める二人の対談を独占中継でもしたら面白かったでしょうに。田辺聖子女史にお願いしたいもんですね。