p76 – 88
22.女房ら、源氏との別離近きを悲しむ
〈p201 日がすっかり暮れてしまいましたので、〉
①主人(葵の上)が亡くなると主人を支えていた女房・女童など雇人は解雇となる。また妻の所に通ってきていた夫(源氏)も来なくなる。これは悲しい、寂しい。
②ただ忘れ形見の幼き子(夕霧)がいる。この存在が今後ともとてつもなく大きい。もし葵の上が子どもを産まず亡くなっていたらこの物語の厚みは損なわれたであろう。
23.源氏参院、涙ながらに左大臣家を辞去
〈p204 源氏の君は、こうしていつまでも引き籠ってばかりもいられないと、〉
①源氏、桐壷院のもとに参上しそのまま二条院に帰る。左大臣邸にはもう来ない。
②大宮には文で別れを告げる。幼いときから源氏を可愛がり、頼りにし、自慢にし、好き好んでいた大宮はさぞつらかったであろう。
③左大臣も同様。葵の上を源氏の妻としたのは自分の決断だっただけに左大臣の悔しさ無念さは並大抵ではなかっただろう。
「さらば、時雨も隙なくはべるめるを、暮れぬほどに」とそそのかしきこえたまふ
脚注にある通り理性が絞り出す最後の一滴のような言葉です。
24.源氏去って左大臣家の寂寥さらに深まる
〈p206 あたりを見回して御覧になりますと、〉
①葵の上に仕えていた女房たち三十人、、、すごい数です。
②涙ながらに源氏を見送って部屋に戻ると源氏が残した惜別の歌がある。長恨歌の一節のところに書き散らしている。泣かせる場面です。
③左大臣が大宮に丁寧な言い方で嘆きを分かち合うところ、これで長々と語られた哀傷の場面が終わりとなります。
言ふかひなきことをばさるものにて、かかる悲しきたぐひ世になくやはと思ひなしつつ、、、、
朝夕の光失ひてはいかでか永らふべからん
葵の上が亡くなられた今は源氏とのつながりは若君のみ。
心のよすがともなりその存在は大きいですね。
観賞 解釈にもありますが左大臣、大宮のすすり泣き、忍び泣きの声が聞こえそうな愁嘆場です。
名残り惜しくも左大臣の「さらば、時雨も隙なくはべるめるを、暮れぬほどに」は痛恨の極みのお言葉に聞こえます。
源氏が去った後の左大臣家の様子、まるで魂は抜け殻のようです。
源氏のお部屋に残されたお歌などもすべて懐かしく、せつなく胸を打ちます。
左大臣家にとって源氏はまさに朝夕の光だったわけですね。
葵の上そして源氏との二重の別れ、左大臣、大宮のお気持ちが胸に迫ります。
お忙しい所ありがとうございます。
源氏物語は亡き人を偲ぶ愁嘆の場面がけっこう多いですが葵の上を偲ぶこの段もその最たるものだと思います(一番は巻全体が紫の上を偲ぶ「幻」の巻でしょうが)。
葵の上、生前の様子は余り書かれておらず歌も一首も載せられていない。源氏も左大臣も「その内その内」と思ってたのに突如逝ってしまった。やはり不憫に思います。