賢木(1・2) 源氏・六条御息所 野宮の別れ

【お知らせ】
 式部さんの朗読は「賢木」「花散里」一挙に載せています。

「賢木」五十鈴川神のさかひへのがれきぬおもひあがりしひとの身のはて(与謝野晶子)
  →「おもいあがりしひと」はないでしょうに、、、。

「葵」に続く重要で面白いと言われている巻です。巻名も神事に関わる草木ということで「葵」「賢木」と対をなしています。前半の主役は六条御息所。「葵」に続きこの人のことをじっくり考えてみたいと思います。「思い上った人」でしょうかね?
 御息所去っての後は桐壷帝崩御・藤壷との官能シーン~出家・朧月夜との密会露見と結構盛り沢山です。

p112 – 120
1.六条御息所、伊勢下向を決心する
 〈寂聴訳巻二 p228 斎宮の伊勢へお下りになる日が近づくにつれ、〉

 ①G23年秋 葵の上急逝から1年経っている。
  源氏23才、六条御息所30才、娘(斎宮)14才

 ②源氏の正妻葵の上が亡くなった。では次は誰が正妻になるだろうと世間は取沙汰する。車争い・葵の上との確執など深くは知らない世間からすれば、六条御息所こそ一番相応しいと思ったのではないか。

 ③御息所としても自分が正妻になれたらとは思うものの、葵の上を巡る経緯から源氏の心は自分にはもう戻らないと確信しているので未練をふりきり娘と伊勢に行こうと心を決めている。

2.源氏、御息所を野宮に訪れる  名場面です
 〈p229 御息所は野の宮から六条のお邸にほんのたまさかお帰りに〉

 ①既に1年前から野宮で潔斎に入っている。御息所も付き添っている。
  六条邸と野宮は随分離れている。嵯峨野は京内からすれば人里離れた辺鄙な場所であった。

 ②9月7日 源氏野宮へ。何故今になって野宮に行く気になったのか。
   → 人聞きなさけなくやと思しおこして、野宮に参でたまふ  
     ここは行っておかないと世間にたたかれると言うことか。何と利己的な。
     もう一つ、娘の斎宮はもう十四。一度見ておきたいという心があったという説もある。何れにせよ源氏に好意的な意見ではない。

 ③はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあわせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

  「野宮の別れ」と称される名場面。和歌のような名文・美文です。

 ④黒木の鳥居 野宮に特有。樹皮がついたままの鳥居。

 ⑤源氏・六条御息所 一年ぶりの対面か。
  御息所 神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきぞ 代表歌
  源氏 少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ

   源氏と御息所らしく引歌を駆使して歌を応酬する。互いにもう心が通い合うことはないと分かっている。それでいて形式的な歌のやりとりをする。空しいなあと思います。

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4 Responses to 賢木(1・2) 源氏・六条御息所 野宮の別れ

  1. 青玉 のコメント:

    幼い姫宮との伊勢への下向はさぞや思い乱れての果ての決意でしょうね。
    ああでもない、こうでもない微妙に揺れ動く女心の機微、女の性(さが)、その心情は理解してあげたいですね。
    決して思いあがっていたのではないと思います。
    御息所のような女性は好みではないけど、恨んだり嫉妬したり悩んだりその葛藤は人間的ですね。
    源氏の方もやはりこの女性の誰にもない高貴で優雅、高い教養に魅かれるところがあるのでしょうね。
    こういう関係を下々では「腐れ縁」と言うのかもしれませんが貴族の社会ではなぜか異次元に感じます。

    二条から六条さらに野宮、嵯峨野、随分距離がありそうですね。
    「はるけき野辺~・・・」
    晩秋の嵯峨野の風情が素晴らしく表現されています。いと艶なりですね。
    そして和歌の贈答、風流優雅そのもの、背景も見事です・・・

    ここが神域とは思えない、忘我の境地に入っていくのではないでしょうか?

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.賢木前半は御息所ですね。彼女の悲劇は夫東宮が亡くなったことにあるのは当然ですが、両親・兄弟など誰一人彼女を支える人(後見者)がいなかったということじゃないでしょうか。一人考えられるのは桐壷院で葵の巻以降ピンチに陥った御息所に手を差し伸べられなかったのでしょうか。そんな御息所に娘を斎宮として伊勢に差し出させる。酷い仕打ちで可哀相です。

      2.嵯峨野は嵯峨天皇の離宮以来平安貴族の郊外別荘地だったとのことですが、源氏物語では先ずこの野宮の別れ、これからも源氏の嵯峨の御堂・桂の院、明石の君の大堰山荘など主要舞台になります。秋の景色の描写有名場面ですが脚注にもある通り長月七日にしてはチト寒々しい感じがします(新暦では10月、未だ秋の花は盛りじゃないでしょうか)。

  2. 式部 のコメント:

     与謝野晶子さん、「おもひあがりしひと」は言い過ぎですよ。
     身分高く、教養豊かで、サロンにいっぱい公達が集う、王朝雅の中心のような女性でも、たった一人の男性故に思い乱れて、愛の妄執に苦しまなければいけなかったのです。少しは哀れだなーと思って、和歌をよんでほしかったです。 晶子さんも与謝野鉄幹さんの女性問題でいろいろ悩まれたでしょうに、その経験からの和歌がほしかったです。

    • 清々爺 のコメント:

      いやあ相変わらず明快ですねぇ、スッキリしました。
      因みに先述の西田先生の解説は、

        「御息所の「思ひ上がり」とは何であったのか。東宮妃であったということなのか、それとも、源氏の愛を一人占めにしていきたかったとでもいうのであろうか。そのような境遇よりは、彼女のプライドの高さのことであろう。」

      と言われてますがちょっと歯切れが悪いですもんね。

      御息所は決して思い上った人ではない、寧ろ哀れな人なのだ、、、、と捉えることにしましょう。晶子さんちょっとご機嫌が悪かったのかも知れませんね。ありがとうございました。

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