葵(16・17・18) 葵の上急逝

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 右欄の源氏百首・名場面集・青玉和歌集を「花宴」までアップデートしました(万葉さん、ありがとうございました)。ご参考に。今後もアップの都度お知らせします。

p52 – 64
16.源氏、左大臣家の人々、すべて参内する
 〈p180 源氏の君は、若君のお眼もとの愛らしさなどが、〉

 ①源氏が産後の葵の上を訪れ言葉を交わすシーン。薬を飲ませやさしい言葉をかける。葵の上の方もそれに応えていつもとは違った愛着の眼差しで源氏を見送る。そしてそれが最後の別れとなる。

  →子どもを身籠るに至る過程、懐妊中の夫婦の労わり合いなどが一切語られず(なかったのだろう)、最後の最後で少し心が通い合う。そりゃ遅すぎってことじゃないでしょうか。

17.留守中に葵の上急逝、その葬送を行う
 〈p183 こうしてお邸の中が人少なになり、ひっそりとなったころ、〉

 ①G22年8月20余日 葵の上急逝

 ②足を空にて誰も誰もまかでたまひぬれば
 殿の内の人 物にぞ当たる  
  → あわてふためいている様子を表わす面白い表現

 ③葵の上は桐壷院にとっては妹(大宮)の娘であって息子(源氏)の嫁。
  左大臣も自分が源氏に嫁がせたばかりに夫婦仲もうまく行かずに死なせてしまった、、、との気持ちがあったのではなかろうか。

18.源氏、葵の上の死去を哀悼する
 〈p186 左大臣のお邸にお戻りになってからも、〉 

 ①改めて冷たかった夫婦関係を悔いる源氏

 ②大宮の嘆きは一番だったのではないか。この後も源氏の顔を見る度に葵の上のことを思い出すことになる。

 ③源氏は四十九日が過ぎるまで左大臣邸で喪に服している。さすがにおとなしくひたすらに念仏を唱え、ここで初めて出家の心が芽生える。

死去の場面は意外にあっさりと語られる。ただその後葵の上哀悼の様子は延々と語られる。皆にとり如何に衝撃だったのかを物語っているのだと思います。

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4 Responses to 葵(16・17・18) 葵の上急逝

  1. 青玉 のコメント:

    若君も無事お生まれになりやっと夫婦らしい会話や労わりの言葉も見られた矢先の急逝・・・
    本当、やっとここに至って優しい眼差しの情景が目に浮かびます。

    遅きに失するとはこの事じゃないでしょうか?
    失って初めてその存在価値に気づかされる・・・ありますよね。こういう事って。

    左大臣、母宮の嘆きはいかばかりだったことでしょう。
    特に母宮の悲嘆、宮は沈み入りて、そのままに起き上りたまはず・・・以下悲痛なまでの嘆きようです。

    巻名「葵」とある以上、薄幸の姫君「あふひ」をたっぷり味わいたいです。
    何だか葵がかわいそうで涙が止まりません。
    葵は葵なりに源氏を愛していたのだと信じます。
    ただ素直に思いのままを伝える手段に乏しかったのでは?と私の想像です。
    このままさっさと忘れられては余りにも無常ではありませんか。
    今日はちょっと葵に同情、贔屓したい気分です。

    紫式部、悲嘆の場面でも源氏の姿の優美さを描くこと忘れていないですね、さすがです。

    • 清々爺 のコメント:

      青玉さんのコメントに全面的に同意です。最初読んだ時「えっ、何で葵の上こんな所で死ぬの?!」ってショックでした。「そりゃあ可哀相だろう」と思いました。

      葵の上との夫婦関係については作者はいつも多くを語らずプライド高くとりすました年上妻が源氏になつかないことを非難がましく述べるだけでした。読者はもうちょっと仲良くできないのかとやきもきしてたのではないでしょうか。

      とにもかくにも子どもができる(懐妊)。悪阻で苦しむ妻を見れば夫は妻を労わる気持ちになる。そして難産の末無事出産、よかった!これからは心を通わせいい夫婦になろう、、、、源氏も葵の上もそんな心境になったのではないでしょうか。
         常よりは目とどめて見出して臥したまへり

      葵の上は涙をためて愛おしそうに源氏を見送ったのでしょう。そしてそれが最後となったわけです。

      哀れ、葵の上! ですね。でもやっぱり遅すぎ。形だけで心の通わない夫婦を10年も続けるのはアカンということでしょうね。

  2. 式部 のコメント:

    源氏の君の元服時の添い臥ということから始まった夫婦関係が、後々にも影響したのかなと感じます。 この時代の恋愛はまず和歌のやり取りが何度もあって、(たとえそれが女房の代作であっても)押したり、引いたり、楽しんだり、悩んだり、苦しんだりすることで、お互いの理解が深まっていったように思います。その過程がなく、いきなりではちょっとねえ。夫婦になってから、何だかしっくりこない、困ったなと二人は思ったのでしょうか。その上二人とも良い関係をつくる努力もしないで、10年経ってしまった。葵の上の亡くなる直前ようやっと心通じた、これは哀しすぎますよね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      そうですよね。結婚10年と言ったって元服直後の12才で添い臥では添う方も添われる方も夫婦なんて意識はなかったのでしょうね。ままごと夫婦みたいなものでしょうか。

      でも数年経ち源氏が他の女君の所へ通い始めるころから(男女のこと・夫婦のことも分かってきてから)はもうちょっとやりようがあったのではと思いますねぇ。義兄の頭中も忠臣惟光も何をしてたのでしょうか。

      (この時代の恋愛の進め方の解説、分かりやすいです。やはり呼吸をはかり合い息を合わせなくっちゃね。相撲の仕切りを思い出しました)

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