行幸(16・17) 近江の君、愚弄さる 

p58 – 65
16.柏木ら、弘徽殿の前で近江の君を愚弄
 〈p157 しばらくは、世間の噂にならないようにと、〉

 ①舞台は替り宮中弘徽殿。弘徽殿女御の後宮サロン。近江の君の登場。

 ②近江の君、玉鬘のことを知って女御サロンで大騒ぎする。
  →近江の君と柏木・弁との掛け合い、リアルで凄く面白い。
  →近江の君のセリフは一々尤もで却って愚弄する方の愚かさが描き出される。

 ③尚侍の地位は天皇の妃を除けば最高のものであったのだろう。
  →キャリアウーマンとしての最高地位。
  →我こそ才媛と思う女性たち(その親たち)の憧れの的か。
  →天皇の寵愛を受けることもあったわけでそうすると既婚の女性は不可だったのか。

 ④堅き巌も沫雪になしたまう
  天の磐戸さし籠りたまひなんや

  →日本書紀 天照大神が引用されている。紫式部、脳ある鷹爪を隠せずか。
  →物語中最たる滑稽場面に天照大神が引かれているところが何とも面白い。

 ⑤尚侍におのれを申しなしたまへ
  →近江の君、愚弄されても苛められてもひたすらに努力する。
  →ある意味エライのじゃないでしょうか。

17.内大臣、近江の君をからかい戯れる
 〈p160 内大臣は、近江の君のこの大望をお聞きになると、〉

 ①内大臣登場。内大臣の愚弄ぶりは全く誠意がなくひどすぎる。
  →今まで頭中が好きだった人も考え直すのでは。

 ②内大臣 「いづら、この近江の君、こなたに」と召せば
  近江の君 「を」と、いとけざやかに聞こえて出で来たり

  →この「を」には大笑いしました。「おぅ、ハイよ!」って感じでしょうか。

 ③「尚侍のこともっと早く言ってくれたら何とかしたのに」
  「申文を作りなさい、歌で帝もその気になるでしょうよ」
  →これはない。紫式部はどんな心持でこの人間模様を書いたのだろうか。

 ④近江の君の言葉として下賤の言葉が使われている。作者の芸の細かいところ。
  「頼みふくれて」 =頼みにしきって
  「夢に富したる心地」 =一炊の夢
  「胸に手を置きたる」 =どういう意味だろうか
  「つま声のやうにて」 =言葉を添えるように

 ⑤内大臣 ものむつかしきをりは、近江の君見るこそよろづ紛るれ
  →アワレ、内大臣!

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行幸(14・15) 玉鬘の裳着の儀 内大臣、腰結役を 

p52 – 58
14.内大臣、腰結役をつとめる 源氏と歌の贈答
 〈p152 内大臣は、はじめはそれほど乗り気ではなかったのに、〉

 ①2月16日裳着の儀当日。内大臣は玉鬘を見るのが楽しみで駆け参じる。

 ②内大臣に真相は打ち明けたものの裳着の儀は六条院で源氏の養女として豪華盛大に行われる。

 ③御殿油、例のかかる所よりは、すこし光見せて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり
  →内大臣に玉鬘をよく見せようとの源氏の配慮(これも遊び心の一つか)。

 ④内大臣 うらめしやおきつ玉もをかづくまで磯がくれける海人の心よ 代表歌
  源氏 よるべなみかかる渚にうち寄せて海人もたづねぬもくづとぞ見し
  
  →内大臣の心内。今まで源氏が打ち明けてくれなかったことへの恨みがこもる。当然であろう。
  →源氏は逆に「私がみつけてあげたのですよ」との対応。さすが役者が上、相手にならない。

15.参上の人々の胸中 源氏の今後の方針
 〈p154 親王たちをはじめ、次々に、〉

 ①裳着の儀には関係者(玉鬘に思いを寄せる人を含め)が多数参列する。
  →一種の披露宴みたいなものであったのだろうか。

 ②柏木、弁それぞれ真相を知り姉に思いを寄せていたのかと驚く。

 ③源氏は内大臣に今後のことは私が慎重に事を運ぶから任せなさいとピシャリと言う。
  →さすが源氏、政治家である。内大臣は完敗、源氏に従う他ない。

 ④玉鬘の今後、出仕させるのかどうか。誰と結婚させるのか。
  →尚侍としての出仕と結婚は矛盾しないのだろうか(結婚してても尚侍が勤まるのか)。

 ⑤大宮が病気療養中なので裳着の儀の後の御遊び(楽宴)はない。

 玉鬘が内大臣の娘であることはもう皆に知れ渡っていたことだろう。それなのに源氏は自分の娘として(養女扱い)裳着の儀を六条院で盛大に執り行う。その後も後見者として面倒見続ける。ちょっと考えるとおかしいが源氏物語の源氏であればこそできることであろうか。

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行幸(11・12・13) 玉鬘の裳着の準備

p45 – 52
11.玉鬘の裳着の準備 夕霧の心懐
 〈p145 このお話があったのは、二月上旬のことでした。〉

 ①G37年に入っている。2月16日に玉鬘裳着の儀が行われる。

 ②玉鬘、実父内大臣に会えることを嬉しと思う。
  
 ③夕霧も事情を知る。
  →「えっ、姉ではなかったの! それで父とはあんな風に!」
  →それならボクもと一瞬思ったがすぐ雲居雁の顔が目に浮かぶ。真面目な夕霧です。

12.玉鬘の裳着の日、大宮祝いの消息を贈る
 〈p146 こうしていよいよ御裳着の当日になり、〉

 ①大宮の祝いの歌
  ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり 代表歌
  →今まで大宮の歌を代表歌に選んでなかったので。大宮最後の歌です。
  →源氏、内大臣どちらの子どもでも私の孫です。。。(源氏なら血は繋がっていないが)

 ②大宮の手紙 古代なる御文書きなれど、いたしや、この御手よ。
  →年をとり病気で筆跡は落ちているが掛詞・縁語仕立ての歌はさすがである。
  →脚注7 源氏は大宮の古風な詠み振りに批判的とあるがいかがなものか。末摘花とは違いますよ!

13.方々より寄せられる祝儀 末摘花と贈答
 〈p148 秋好む中宮から、白の御裳、〉

 ①六条院の今ヒロイン玉鬘の裳着の儀、女君から祝いの品々が届く。
  中宮、御方々(花散里・明石の君)、二条東院(空蝉・末摘花)

 ②ここで末摘花からの祝儀・歌を持ち出し面白おかしく読者をリラックスさせる。
  →衣配りの時も同様でちょっとマンネリ気味。空蝉からの歌などあったら面白かったのに。

 ③末摘花 わが身こそうらみられけれ唐衣君がたもとになれずと思へば
  源氏 唐衣またからころもからころもかへすがえすもからころもなる
  
  →愚弄するにも程があるんじゃないでしょうか、源氏さん!
  →いつまでも律儀で愚鈍な末摘花、読者は決してバカにしてないと思うんですが。。
 

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行幸(9・10) 源氏、内大臣に玉鬘の件を打ち明ける

p38 – 44
9.源氏内大臣相和す 内大臣、玉鬘の件を知る
 〈p140 内大臣も久しぶりの源氏の君との御対面に、〉

 ①源氏と内大臣、久しぶりに会見する。二人はしばらく疎遠な仲となっているが元々は朋友。顔を見て話せば昔のことが蘇りわだかまりも解けゆくのであろうか。

 ②源氏、内大臣がそれぞれ昔から公私にわたり協力し心を通わせて来たことを振り返る。
  羽翼を並べるやうにて

 ③源氏、内大臣に玉鬘のことを持ち出す。
  そのついでにほのめかし出でたまひてけり。
  →あっさりしている。どんな風に語ったのか書いて欲しかった。
  →夕顔との関係、夕顔突然死の経緯は語ったのであろうか。

 ④内大臣 「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」
  →内大臣は仰天したことだろう。一瞬何のことか分からなかったのではなかろうか。

 ⑤二人には19年前の雨夜の品定めのことがまざまざと蘇る。
  →源氏は常夏2.p149で玉鬘に雨夜の品定めの話をしているがここで初めて内大臣(頭中)本人と昔を語り合えることとなる。

 ⑥大宮は源氏の立派な姿を見るにつけ15年前亡くなった葵の上のことを不憫に思う。
  →大宮の心には常に葵の上のことがある。

 ⑦もう一つの懸案事項、夕霧・雲居雁のことはどちらからも言いださず終わってしまう。
  →折角のチャンスだったのに。どちらからも言いだせなかったのであろう。

 ⑧これまでの源氏と内大臣(頭中)の関わりを整理しておくと、
  ・雨夜の品定め(常夏の女) -帚木 G17年
  ・末摘花を巡る恋の鞘当て -末摘花 G18年
  ・青海波を舞う。源典侍との情事の場面に頭中踏み込み -紅葉賀 G18・19年
  ・頭中、須磨に源氏を訪う -須磨 G27年
  ・斎宮女御vs弘徽殿女御 後宮争い -絵合 G31年
  ・夕霧・雲居雁仲を許さず -少女 G34年
  といったところでしょうか。今後の二人の関係どうなっていくか、楽しみです。

10.内大臣、源氏と玉鬘との仲を忖度する
 〈p144 内大臣は、突然の話なので、〉

 ①内大臣は帰って源氏の話を振り返る内にちょっと待てよ、と思う。
  →久しぶりに源氏に会い酒を飲みながら昔話をしている内に突然常夏の女(夕顔)の遺児の話を聞かされた内大臣。咄嗟には何のことか分からなかったのではないか。
  →よく考えると色々と腑に落ちない点が出てくる。

 ②内大臣 「尋ね得たまへらむはじめを思ふに、定めて心きよう見放ちたまはじ」
  →源氏が手をつけてない筈はなかろう、、、内大臣が疑うのも当然である。
  →源氏の妻になってもらうのがいいのか、入内させるのがいいのか、、それぞれ悩ましい。

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行幸(7・8) 内大臣、源氏の居る三条宮邸へ

p32 – 37
7.内大臣、大宮の招きに従い三条宮を訪れる
 〈p136 内大臣も、源氏の君がこうして三条宮に〉

 ①内大臣、三条宮に源氏が訪れていると聞きあわてる。
  →腰結役を断ったことと関係があろうとピンと来なくっちゃ。
  →粗相があっては困る。大宮があまり元気であっても困る。

 ②大宮→内大臣 文で三条宮に来て欲しいと依頼する。
  内大臣は懸案の夕霧・雲居雁のことなら源氏側の出方次第で事を治めようかと考える。
  →自分からは謝らない、譲歩を持ちかけない。内大臣の困った片意地な性格
  →でも余り気は進まないが行かねばならない。

 内大臣に一度断らせ、大宮を使って再度持ちかけ会見を実現する。実に巧妙な進め方である。
 
8.内大臣の威儀 人々、三条宮にまいり集う
 〈p138 御子息や親しい殿上人を大勢ひき連れて、〉

 ①内大臣、源氏それぞれの出で立ちの様。
  内大臣 葡萄染の御指貫、桜の下襲、いと長う裾ひきて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらし
  源氏 桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなきおほきみ姿、いよいよたとへんものなし

  →内大臣も優れているが源氏とは比較にならない。いつもの常套句。

 ②子だくさんの内大臣家の華々しい様子。藤原の頭領に相応しい。
  →何か事あると一族うち揃って事に対処する。
  →特に源氏には内大臣が特別の敵愾心を抱いているので郎党も敏感である。

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行幸(5・6) 源氏、大宮を見舞い玉鬘のことを打ち明ける

p24 – 32
5.源氏、大宮を見舞い、懇ろに語り合う
 〈p130 源氏の君は、太政大臣となられた今は、〉

 ①内大臣からの断りの手紙を受けて源氏はすぐに三条大宮邸に赴く。
  →源氏の行動力の素晴らしいところ。

 ②大宮は源氏が来てくれて嬉しい。病気ながら起き上って源氏を迎える。

 ③源氏「異しうはおはしまさざりけるを、なにがしの朝臣の心まどはして、、、、」
  大宮「年の積もりのなやみと思うたまへつつ、月ごろになりぬるを、、、、」
  →源氏の年寄りに優しいところ。
  →大宮も老衰を自覚しつつ源氏に会えて命が延びる思いを訴える。
   この大宮のセリフは「夕顔」の巻で乳母が言うセリフに似ている(夕顔2.p194)

 ④大宮は夕霧が日々看病してくれることに感謝を述べる。
  →同時に雲居雁とのことが未解決で死にきれない思いなのであろうか。
  
6.玉鬘の件を語り、内大臣への仲介を依頼
 〈p132 昔や今やのお話をあれこれなさいますついでに、〉

 ①源氏 いかで聞こえ知らせんと思ふことのはべるを
  →大宮は当然夕霧と雲居雁のことだろうと思う。

 ②内大臣が大宮の見舞にあまり来ないことを大宮が語る。
  公事の繁きにや、私の心ざしの深からぬにや、さしっもとぶらひものしはべらず
  →紫式部らしい見事な対句

 ③内大臣の夕霧・雲居雁問題に対する心の葛藤の様が大宮から語られる。
  →玉鬘問題と夕霧・雲居雁問題の二つが同時に進行していく感じ。

 ④源氏 何ごとにつけても末になれば、落ちゆくけぢめこそ安くはべめれ。いとほしう聞きたまふる。
  →二人のことは親が反対してもダメ。現代の結婚も同じかもしれない。

 ⑤そして本題の玉鬘のことを打ち明ける。
  →源氏の大宮への説明は極めて巧妙。天皇の言葉を持ち出して玉鬘の重要性を訴え内大臣と会いたい旨を訴える。
  
 ⑥大宮 いかに、いかにはべりけることにか。
  →大宮も驚いたことだろう。でも何で源氏のところで面倒みてもらっているのかちょっと腑に落ちない。大宮の鋭いところ。

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行幸(3・4) 玉鬘の裳着に向けて

p18 – 23
3.源氏、玉鬘に入内を勧めて裳着を急ぐ
 〈p126 その翌日、源氏の君は、〉

 ①玉鬘が行幸の行列を見て帰った翌日早速源氏は玉鬘の反応を見るべく文を送る。
  →勿論行幸を見に行き帝を見るよう仕向けたのは源氏であろう。

 ②源氏 「昨日、上は見たてまつりたまひきや。かのことは思しなびきぬらんや」
  玉鬘 「あいなのことや」と笑ひたまふ
  →正に図星をつかれた感じか。 

 ③玉鬘からの返歌を見ながら源氏と紫の上の会話
  冷泉帝宮中には中宮として秋好中宮がいる。秋好中宮は源氏の養女扱いだし藤壷が入内させた経緯もあり疎かにできない。また内大臣の娘弘徽殿女御もいる。弘徽殿女御(19才)は玉鬘(22才)の妹にあたる。
  →入内させるのは無理筋であろう。そこで一般宮仕えを考える。

 ④御裳着(女子の成人式。男子の元服にあたるか)、玉鬘は22才なのにまだやっていない。
  →いかにも遅いが事情が事情故仕方なかったのであろう。
  →源氏が内大臣に真相を打ち明けようと決心したということ。

4.内大臣、玉鬘の腰結役を断る
 〈p129 その年が明けて、新春二月に、〉

 ①p22冒頭の源氏の心内難しくてよく分かりません。
  →出仕をするには出自身分を明らかにしなければならない。それには藤原の娘なのだから春日神社に申し立てねばならない。。。。ということだろうか。

 ②源氏は内大臣に玉鬘裳着の腰結役を依頼する手紙を送る。
  内大臣は大宮が病気であることを理由に断ってくる。
  →大宮が病気! 読者は驚いたことだろう。私も「えっ、雲居雁のこともまだだしまだ死ねないでしょう!と思いました。

 ③夕霧は律儀に三条大宮邸を夜昼訪れて大宮の面倒をみている。
  →エライゾ、夕霧!

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行幸(1・2) 大原野へ行幸 玉鬘、冷泉帝を見る

「行幸」雪ちるや日よりかしこくめでたさも上なき君の玉のおん輿(与謝野晶子)

野分の8月から冬の12月に舞台が移ります。紅葉につけての遊宴が省かれてますね。
p12 – 18
1.源氏、玉鬘の処置について苦慮する
 〈寂聴訳巻五 p120 源氏の君はこのように、〉

 ①玉鬘の扱い、どうしたものか。紫の上には「源氏が玉鬘に手をつけない筈がない」と見透かされている。美しく愛敬のある玉鬘の色香は捨てがたいが妻にするには内大臣に申し出て婿にならねばならない。今まで一度たりとも後塵を拝したことのない内大臣の婿になどなりたくない。
  →妻にしたいと思う傍ら紫の上と内大臣の顔が交互に浮かびブレーキがかかったのであろう。

2.大原野の行幸 帝の麗姿に玉鬘の心動く
 〈p120 その年の十二月に、大原野への行幸があるというので、〉

 ①12月大原野への行幸
  大原野神社=洛西 桂川を渡って6-7KM、けっこう遠い。
        春日大社の分霊を祀る藤原氏の氏神
  小塩山=大原野の西 標高642M

 ②鷹狩りに行く。朝6時(卯の刻)出発。ゴルフに行く感覚か。
  行列を見ようと沿道に人々が押しかける。「葵」の巻、車争いを思い出す。
  雪がちらついている。12月というと雪がなければサマにならない。

 ③さながらスターのパレード。沿道の人々から見れば誇らしげに行進する親王・上達部たちにはオーラが発し眩しく思えたことだろう。その頂点が冷泉帝。

 ④帝の、赤色の御衣奉りてうるはしう動きなき御かたはら目に、なずらひきこゆべき人なし
  類なき帝の様子。冷泉帝礼讃の文章が続く。

 ⑤玉鬘は初めて帝を見てボオーっとしてしまう。実父内大臣も初めて見たが帝とは比較にならない。まして兄弟たる柏木中将・弁少将など物の数にも入らない。
  →美は相対的、観念的なもの。源氏でさえ帝と比べると劣ってると感じてしまう。

 ⑥右大将(髭黒)の様子。中々男らしくセクシーに思えるが。。。
  今日の装いひいとなまめきて、胡ぐいなど負ひて仕うまつりたまへり、色黒く髭がちに見えて、いと心づきなし。
  →「気に入らない」は可哀そう。もう帝以外誰をみてもダメなのだろう。

 ⑦玉鬘 「いかがはあらむ、宮仕は心にもあらで見苦しきありさまにや」
  →「あの天皇の所へなら宮仕えしてみたいけど、私になんて、、、寵愛を受けるなんて畏れ多いけど一般のご奉仕なら、、、、、」と思ったのだろう。

 ⑧源氏は物忌みを理由に行幸に参加していない。そこで歌の贈答
  帝 雪ふかきをしほの山にたつ雉のふるき跡をも今日はたづねよ
  源氏 をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ 代表歌
  →いつに変らぬ源氏と冷泉帝の内なる心の交流
  
 
  

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野分 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

野分のまとめです。

和歌
54.した露になびかましかば女郎花あらき風にはしをれざらまし 
      (源氏)  雨にも風にも負けぬ恋情

55.風さわぎむら雲まがふ夕べにもわするる間なく忘られぬ君
      (夕霧)  改めて女性に目覚めた15才

名場面
52.春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す 
      (p196   初めて見たり紫の上)

[野分を終えてのブログ作成者の感想]

野分を終えました。仲秋の八月、普通なら観月の大遊宴を描いて六条院の雅の様をこれでもかと書きたいところでしょうがさすがにそれでは空々しい(進の君の言葉を借用)と思ったのでしょうか、一転して無粋な野分を登場させた訳です。そして野分を道具として先ず夕霧に女君を巡回させ、紫の上垣間見の場を作る。その後源氏自ら六条院内を回り女君を見舞う。憎らしいばかりの舞台設計だと思います。

脚注にもありましたが、源氏が夕霧に命じて女君を巡回させることにより、夕霧が舞台回しの役割を果たし、夕霧の目と心に沿って物語が進められていく。主人公が源氏から夕霧に替ったとまではいってないが移りつつあると言えると思います。

玉鬘物語そのものは進展がありません。少し火種でもまいておけば面白いのでしょうが源氏とは相変わらず寄り添ってるのみでちょっとダレ気味です。

そうしてG36年も冬になり行幸の巻へ進みます。玉鬘物語はどう進展するのでしょうか。お楽しみに。

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野分(9・10) 夕霧、二人の女君に消息

p222 – 228
9.夕霧、明石の姫君を訪れ、その姿を見る
 〈p113 夕霧の中将は、源氏の君のお供をして、〉

 ①明石の姫君8才。夕霧は兄妹なので身近に入っていける。
 
 ②明石の姫君は野分が恐ろしく紫の上の所へ行っている(紫の上が心配して「いっしょに寝ましょう」と連れていったのであろう)。普段は乳母(宣旨の娘)といっしょにいる。

 ③夕霧は紙と硯を所望して二人の女君(雲居雁と惟光の娘)に消息を書く。
  →北の殿のおぼえを思ふに、すこしなのめなる心地して、
   この部分分かりにくい。夕霧は普段明石の姫君に遠慮している感じだが、夕霧は源氏の正妻葵の上の嫡男。今は紫の上の養女になっているとはいえ明石の姫君(&その周りの女房達)には何ら遠慮することないと思うのですが。。

 ④夕霧→雲居雁
  風さわぎむら雲まがふ夕べにもわするる間なく忘られぬ君 代表歌
  →脚注によるとこの歌ゆとりがないとかケチをつけられているが、素直に読めば野分の朝「大丈夫ですか。いつも忘れてませんよ」ということで真面目な夕霧らしくていいと思うのですが。

 ⑤惟光の娘への二通目は省略されている。

 ⑥明石の姫君が戻ってくる。夕霧は先の二人(紫の上・玉鬘)と比較して藤にたとえる。
  かの見つるさきざきの、桜、山吹といはば、これは藤の花とやいふべからむ、木高き木より咲きかかりて、風になびきたるにほひは、かくぞあるかし、と思ひよそへらる。

 ⑦かかる人々を、心にまかせて明け暮れ見たてまつらばや
  →野分3p204 と同じ表現

 以上野分の吹き荒れた朝、夕霧は六条院の女君たちを見舞う。夕霧の目で見て夕霧が感じた思いが比較対照的に語られる。紫式部らしい手法だと思います。

10.夕霧、大宮に伺候 大宮、内大臣を語る
 〈p117 夕霧の中将が、大宮のお邸に参上しますと、〉

 ①夕霧はまた三条宮に戻り大宮を見舞う。大宮は静かにお勤めをしている。
  →夕霧の律義さを語り舞台を三条宮に移す。

 ②さすがに息子内大臣(頭中)も見舞に来ている。
  大宮からは雲居雁のことが持ち出されるが内大臣は依怙地である!

 ③女子こそ、よく言はば、持ちはべるまじきものなりけれ。
  →それはないでしょう。ましてや母親の前で。

 ④それなん。見苦しきことになむはべる。いかで御覧ぜさせむ。
  →脚注のように内大臣が大宮に近江の君を引き取ってもらいたいと考えていたのならトンデモナイ間違い。親不孝者め!と思うのですが。。

これにて野分の二日間を描写した「野分」を終わり年末の大原野行幸へと話は移ります。テキストも8冊目に入ります。

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