行幸(7・8) 内大臣、源氏の居る三条宮邸へ

p32 – 37
7.内大臣、大宮の招きに従い三条宮を訪れる
 〈p136 内大臣も、源氏の君がこうして三条宮に〉

 ①内大臣、三条宮に源氏が訪れていると聞きあわてる。
  →腰結役を断ったことと関係があろうとピンと来なくっちゃ。
  →粗相があっては困る。大宮があまり元気であっても困る。

 ②大宮→内大臣 文で三条宮に来て欲しいと依頼する。
  内大臣は懸案の夕霧・雲居雁のことなら源氏側の出方次第で事を治めようかと考える。
  →自分からは謝らない、譲歩を持ちかけない。内大臣の困った片意地な性格
  →でも余り気は進まないが行かねばならない。

 内大臣に一度断らせ、大宮を使って再度持ちかけ会見を実現する。実に巧妙な進め方である。
 
8.内大臣の威儀 人々、三条宮にまいり集う
 〈p138 御子息や親しい殿上人を大勢ひき連れて、〉

 ①内大臣、源氏それぞれの出で立ちの様。
  内大臣 葡萄染の御指貫、桜の下襲、いと長う裾ひきて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらし
  源氏 桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなきおほきみ姿、いよいよたとへんものなし

  →内大臣も優れているが源氏とは比較にならない。いつもの常套句。

 ②子だくさんの内大臣家の華々しい様子。藤原の頭領に相応しい。
  →何か事あると一族うち揃って事に対処する。
  →特に源氏には内大臣が特別の敵愾心を抱いているので郎党も敏感である。

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4 Responses to 行幸(7・8) 内大臣、源氏の居る三条宮邸へ

  1. 青玉 のコメント:

    意固地な内大臣にはちょっと困りもの、しかし源氏のほうが一枚上手・・・

    内大臣にとって一族の数の多さ(子だくさん)が唯一源氏に勝っている所かしら?

    何かにつけ源氏に張り合うお衣裳も対照的、礼装に対して源氏の装束はお洒落。
    さすがです、「光こそまさりたまへ」・・・

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      内大臣(頭中)は父左大臣が右大臣との権力争いに勝ち左大臣亡き後は兄弟間の争いもなく順調に藤原摂関家の頭領となっている。さすがに源氏を凌ぐことはできないが決定的な敵対関係まではいっておらず藤原家としては最高権力者として君臨している。。。。これはまさしく藤原道長がイメージされているのではないでしょうか。道長も物語を追いながらある時は内大臣に自分を投影しある時は「オレならそうはしない!」と反発し読み進めたのではないかと思います。

      • 式部 のコメント:

          私も内大臣(頭中)の設定に、道長のある部分を使ったのだと思います。娘、息子が大勢いるところなんか、まさしくそうですよね。
         物語の中では、どの娘も中宮にはなれず嘆いていますが、実際には彰子(一条天皇中宮)、妍子(三条天皇中宮)、威子(後一条天皇中宮)、他女御などあり、おもうがまま状態ですよね。 物語では源氏が思うが儘状態なので、道長を内大臣、源氏の二人に分割しているような気がします。
         紫式部は藤原摂関家の専横をよしとせず、天皇家につながる代表として光源氏を生みだしたのでしょうか? せめて物語の中だけでもなんて考えて・・・

        • 清々爺 のコメント:

          ポイントをついたコメントありがとうございます。

          スポンサー道長が源氏物語のプロデュースにどのように関わっていたのか極めて興味深いところです。物語の筋書きそのものに口出しすることはなかったのでしょうが紫式部は道長の顔色を見ながら書いていたのではないでしょうか。

          道長自身も天皇家そのものにとって替わろうとは思っていなかった筈で摂関家の長として栄華を極めることが望みだったのでしょう。自分が内大臣と源氏の二人に分割して描かれていると聞けば道長は小躍りして喜んだと思います(私もその考えに賛成です)。

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