行幸(1・2) 大原野へ行幸 玉鬘、冷泉帝を見る

「行幸」雪ちるや日よりかしこくめでたさも上なき君の玉のおん輿(与謝野晶子)

野分の8月から冬の12月に舞台が移ります。紅葉につけての遊宴が省かれてますね。
p12 – 18
1.源氏、玉鬘の処置について苦慮する
 〈寂聴訳巻五 p120 源氏の君はこのように、〉

 ①玉鬘の扱い、どうしたものか。紫の上には「源氏が玉鬘に手をつけない筈がない」と見透かされている。美しく愛敬のある玉鬘の色香は捨てがたいが妻にするには内大臣に申し出て婿にならねばならない。今まで一度たりとも後塵を拝したことのない内大臣の婿になどなりたくない。
  →妻にしたいと思う傍ら紫の上と内大臣の顔が交互に浮かびブレーキがかかったのであろう。

2.大原野の行幸 帝の麗姿に玉鬘の心動く
 〈p120 その年の十二月に、大原野への行幸があるというので、〉

 ①12月大原野への行幸
  大原野神社=洛西 桂川を渡って6-7KM、けっこう遠い。
        春日大社の分霊を祀る藤原氏の氏神
  小塩山=大原野の西 標高642M

 ②鷹狩りに行く。朝6時(卯の刻)出発。ゴルフに行く感覚か。
  行列を見ようと沿道に人々が押しかける。「葵」の巻、車争いを思い出す。
  雪がちらついている。12月というと雪がなければサマにならない。

 ③さながらスターのパレード。沿道の人々から見れば誇らしげに行進する親王・上達部たちにはオーラが発し眩しく思えたことだろう。その頂点が冷泉帝。

 ④帝の、赤色の御衣奉りてうるはしう動きなき御かたはら目に、なずらひきこゆべき人なし
  類なき帝の様子。冷泉帝礼讃の文章が続く。

 ⑤玉鬘は初めて帝を見てボオーっとしてしまう。実父内大臣も初めて見たが帝とは比較にならない。まして兄弟たる柏木中将・弁少将など物の数にも入らない。
  →美は相対的、観念的なもの。源氏でさえ帝と比べると劣ってると感じてしまう。

 ⑥右大将(髭黒)の様子。中々男らしくセクシーに思えるが。。。
  今日の装いひいとなまめきて、胡ぐいなど負ひて仕うまつりたまへり、色黒く髭がちに見えて、いと心づきなし。
  →「気に入らない」は可哀そう。もう帝以外誰をみてもダメなのだろう。

 ⑦玉鬘 「いかがはあらむ、宮仕は心にもあらで見苦しきありさまにや」
  →「あの天皇の所へなら宮仕えしてみたいけど、私になんて、、、寵愛を受けるなんて畏れ多いけど一般のご奉仕なら、、、、、」と思ったのだろう。

 ⑧源氏は物忌みを理由に行幸に参加していない。そこで歌の贈答
  帝 雪ふかきをしほの山にたつ雉のふるき跡をも今日はたづねよ
  源氏 をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ 代表歌
  →いつに変らぬ源氏と冷泉帝の内なる心の交流
  
 
  

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4 Responses to 行幸(1・2) 大原野へ行幸 玉鬘、冷泉帝を見る

  1. 青玉 のコメント:

    野分の冒頭で中宮のお庭の様子が語られただけですね。
    亡き父君前東宮の御忌月に当たり管弦の催しは為されなかったのでしょうか?

    紫の上には源氏の心がすべて見透かされているようです。

    時は12月、雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり・・・とあります。
    一気に冬を想像することで暑気払いとしましょう。

    玉鬘の目に映った帝の比類なきお姿。
    帝の前にはどんな男も影が薄い・・・
    あの帝の元なら出仕してみたい。
    しかし分別ある玉蔓のこと、あれやこれやひそかに思い悩む・・・気持ち解りますね。
    さて玉蔓の今後の成り行きや?

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.そうか、野分の冒頭に「御遊びなどもあらまほしけれど、八月は故前坊の御忌月なれば、、、」とありましたね。ちゃんと月見の宴は断りを入れていますね。でも紅葉は10月でしょうけどね、、、。

      2.12月の叙述には必ず雪のことが触れられる(雪がちらついてるとか降り止んだとか降りそうだとか)。季節の類型を書き込むことで読者との一体感が生まれる。日本文学ならではでしょう。

      3.帝の眩しい姿がこれほど書かれているのはこの段が一番でしょう。時に冷泉帝18才。若くて凛々しく華やかで、、、、。帝はかくあらねばならない!紫式部の道長(後一条帝以後三代に亘り外戚祖父)へのメッセージではないでしょうか。

  2. 式部 のコメント:

     娯楽が少なかったとおもわれるこの時代、行幸の行列をみることは、とても心躍る楽しみだったことでしょう。今も昔もイヴェント大好きな人は多いのでしょう。まして寺社参詣以外の外出がままならない女君にとっては外の空気に触れられる良い機会だったことでしょうね。
     年若い玉鬘の帝を見る目、きっとぼうーとしたのでしょうね。
     高貴な身分の方は、男子でもお化粧してましたし、帝のみに許される衣装、持ち物、雰囲気などで他とくらべることができないほどと玉鬘はおもったのでしょう。
     女のように美しいとか、女にして見てみたいという表現が源氏物語にはよく使われていますが、当時の美の一つの基準だったのでしょう。
     もちろん最近の男子にもそういう種類のタレントがいて、女性にきゃあきゃあ言われているようですが・・・
     玉鬘の好みは何となくわかりましたよねえ。 さて、どうなりますか?
     紫式部は上手いです、読者の心をもてあそび、つかむのが・・

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      おっしゃるように読者は紫式部にもてあそばれてますよね。上手いもんです。この物語はまり込んだら抜けられませんから。

      帝を礼讃するのに玉鬘の目を通して行った。これも見事です。玉鬘は田舎育ち、上流社会へは新参者。それだけに普段から帝を見慣れている姫君とか女房たちの通り一遍の感想よりぐっとリアル感があるのではないでしょうか。そしてこの貴重な体験を経て玉鬘自身も精神的に大きく成長する。いいものを見なくちゃいけない、、、これも教訓ですね。

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