p45 – 52
11.玉鬘の裳着の準備 夕霧の心懐
〈p145 このお話があったのは、二月上旬のことでした。〉
①G37年に入っている。2月16日に玉鬘裳着の儀が行われる。
②玉鬘、実父内大臣に会えることを嬉しと思う。
③夕霧も事情を知る。
→「えっ、姉ではなかったの! それで父とはあんな風に!」
→それならボクもと一瞬思ったがすぐ雲居雁の顔が目に浮かぶ。真面目な夕霧です。
12.玉鬘の裳着の日、大宮祝いの消息を贈る
〈p146 こうしていよいよ御裳着の当日になり、〉
①大宮の祝いの歌
ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり 代表歌
→今まで大宮の歌を代表歌に選んでなかったので。大宮最後の歌です。
→源氏、内大臣どちらの子どもでも私の孫です。。。(源氏なら血は繋がっていないが)
②大宮の手紙 古代なる御文書きなれど、いたしや、この御手よ。
→年をとり病気で筆跡は落ちているが掛詞・縁語仕立ての歌はさすがである。
→脚注7 源氏は大宮の古風な詠み振りに批判的とあるがいかがなものか。末摘花とは違いますよ!
13.方々より寄せられる祝儀 末摘花と贈答
〈p148 秋好む中宮から、白の御裳、〉
①六条院の今ヒロイン玉鬘の裳着の儀、女君から祝いの品々が届く。
中宮、御方々(花散里・明石の君)、二条東院(空蝉・末摘花)
②ここで末摘花からの祝儀・歌を持ち出し面白おかしく読者をリラックスさせる。
→衣配りの時も同様でちょっとマンネリ気味。空蝉からの歌などあったら面白かったのに。
③末摘花 わが身こそうらみられけれ唐衣君がたもとになれずと思へば
源氏 唐衣またからころもからころもかへすがえすもからころもなる
→愚弄するにも程があるんじゃないでしょうか、源氏さん!
→いつまでも律儀で愚鈍な末摘花、読者は決してバカにしてないと思うんですが。。
源氏の君の、唐衣の返歌は、おっしゃるように、やりすぎで、いささか気分を害してしまいます。
また、大宮の歌に対する訳者の注釈も、しっくりこないこと、同感です。
妙に意見が合いますが、
コメントありがとうございます。感じ方は色々あると思いますので私の独断になぞ引っ張られないで読んでいただけばと思います。でも勿論賛同いただくとルンルン気分になりますが。。。
1.唐衣の歌、これは末摘花の歌に対しての苛立ちを抑えきれず書いて傍らの玉鬘に見せて戯れたのでしょうが、実は出さなかった。思い止まってチャンとした別の返歌を出した、、、、と解釈するのはどうでしょうか。作者も最後に「ようなしごといと多かりや」と言ってますし。そうであって欲しいです。
2.大宮の手紙・歌に対しては源氏は筆跡も内容も「古いなあ、年をとられたなあ」とは思うものの決して批判的ではないと思います。「忍びて笑ひたまふ」はむしろ「手は落ちたけど歌はさすがだなあ」と拍手を送っているのじゃないでしょうか。源氏が年老いた大宮を批判するなどありえませんよねぇ。