真木柱(11・12・13・14) 髭黒北の方実家へ帰る-真木柱の歌 

p136 – 150
11.式部卿宮、北の方を引き取ろうとする
 〈p215 父君の式部卿の宮は、〉

 ①式部卿宮は北の方を自邸に引き取ろうとする。
  →髭黒は三条の自邸に北の方を迎えて住んでいた(二条東院の東南)。
  →婿殿の不実を許せない父親。無理もなかろう。

 ②去るにあたっての北の方の子どもたちへの言葉
  →心的に正常時で非常にまとも。それだけに気の毒である。
  →出家するのでなく隠遁生活に入るとの位置づけ。

 ③12・3才の姉は連れていく。10才と8才の男の子は髭黒に残していく。
  →子どものある家庭の崩壊。なんとも哀れである。

12.真木柱、嘆きの歌を残す 女房らの悲別
 〈p218 その日も暮れ、雪の降りだしそうな〉

 ①別れにあたっての姫君の言葉
  「見たてまつらではいかでかあらむ、いまなども聞こえで、また逢ひ見ぬやうもこそあれ
  →実に切ない。12・3才と言えば成人して結婚してもいい年令なのに。

 ②姫君、慣れ親しんだ部屋の柱に別れの歌を挿し込む。 名場面
  真木柱 今はとて宿離れぬとも馴れきつる真木の柱はわれを忘るな 代表歌
  →われを忘るな → 春を忘るな → 道真の東風吹かば

 ③真木=杉・檜など常緑樹の美称 すぐれた美しい木
  真木柱は美しい柱という意味だろう。槙の木ではなかろう。
  百人一首No.87 村雨の露もまだひぬ真木の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮
  →これは槙の木と特定すべきだろうか。

 ④木工の君は髭黒邸に留まる。中将のおもとは北の方について式部卿宮邸へ。
  →どちらがよかったのだろう。

13.式部卿宮の北の方、源氏を憎みののしる
 〈p222 式部卿の宮のお邸では北の方を待ち迎えられて、〉

 ①母北の方、登場。源氏を憎みののしる。
  ましてかく末に、すずろなる継子かしづきをして、おのれ古したまへるいとほしみに、、、
  →婿の髭黒をそそのかし、自分が慰みつくしたお古を押し付け、、、
   何とも憎悪のこもった言い方である。

 ②式部卿宮の北の方にとって源氏は憎んでも余りある仇敵である。
  ・継子紫の上を一の人にして大事にしている(気にくわない)
  ・冷泉帝に入った娘王女御は秋好中宮の後塵を拝している。
  そして娘である髭黒の北の方から髭黒を奪い去った。

 ③この大北の方ぞさがな者なりける
  →弘徽殿大后に次ぐ性悪女No.2
  →弘徽殿大后同様存在感あるし、尤もな言い草でもある。
  →愛憎は世の常。さすが式部卿宮は抑えているが大北の方はストレート。
  
14.髭黒、式部卿宮家を訪れ、冷遇されて帰る
 〈p224 髭黒の大将は、北の方がお里へ〉

 ①髭黒、玉鬘に言い訳して式部卿宮に出向く。
  →玉鬘はIt’s none of my business とばかり知らんふり。
  →自分も不幸だが結果を受け入れもうちょっと機嫌よくできないものか(まあ無理なからんか)。

 ②北の方は勿論、式部卿宮も面会を拒否。姫君にも会えない。
  →この辺すごくリアルに描かれていて読者には読みごたえがあったのではないか。

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真木柱(8・9・10) 髭黒、灰まみれ

p124 – 135
8.髭黒外出の用意 北の方火取の灰をかける
 〈p206 日が暮れてきますと、〉

 ①早く玉鬘の所へ出かけたい髭黒。北の方に遠慮してウジウジしている。
  →こういう時はサッサと行くべきではないか。周りも気を遣っている。

 ②北の方 立ちとまりたまひても、御心の外ならんは、なかなか苦しうこそあるべけれ。よそにても、思ひだにおこせたまはば、袖の氷もとけなんかし
  →何と言う名言だろう。とても心を病んでいる人とは思えない。
  →妻のこんな言葉を聞けば外泊などできまいに、、、。

 ③愛人のところへ出かける夫を甲斐甲斐しく手助けする北の方。
  →紫の上はしょっちゅうこんなことやってきている。

 ④さて名場面
   にはかに起き上がりて、大きなる籠の下なりつる火取をとり寄せて、殿の背後に寄りて、さと沃かけたまふほど、人のやや見あふるほどもなう、あさましきに、あきれてものしたまふ。
  →北の方の振舞 どこまで正気でどこまで狂気か
  →思わぬ一大事発生。驚く髭黒。でも取り乱してはならない。
  →中将・木工など女房も気の毒

 ⑤北の方逆上の小道具に火取りの灰を使ったのも素晴らしいアイデア。
  →夫の衣服に甲斐甲斐しく香をたきしめてる内に急に「What am I doing now?」と疑問が湧いてきて己を見失ってしまったのだろうか。

 ⑥北の方についた物の怪を調伏すべく僧侶が急遽呼ばれる。
  →さしづめ夜中に救急車で医者が駆け参じたというところだろうか。

 ⑦北の方の心の病はいつからか。原因は何なのだろう。従来は(玉鬘に懸想する前は)夫もまあまともだし子どもにも恵まれておりストレスある結婚生活とは思えないが、、、。
  →夫婦の仲、人の心の中は計りがたい。現代にも通じる話であろう。

9.髭黒、玉鬘に消息 北の方の平癒を念ずる
 〈p210 その夜一晩中、北の方は〉

 ①夜一夜、打たれ引かれ泣きまどひ明かしたまひて
  →何ともお気の毒な北の方である。

 ②髭黒から玉鬘への言い訳の消息。玉鬘からは返事も来ない。
   尚侍の君、夜離れを何とも思されぬに、 
  →何ともつれない玉鬘。せめて返事だけでもしてあげなくっちゃ。

10.髭黒、玉鬘方にこもる 北の方を厭う
 〈p212 日が暮れてきますと、〉
 
 ①髭黒の装束が整えられてないとあるが、この辺面倒をみる女房はいないのだろうか。木工の君はどうなのか。北の方に同情するのはいいが髭黒の面倒はみないのか。

 ②いかなる心にてかやうの人にものを言ひけん
  →召人という人との関係がよく分からない。妻とか愛人でないことは分かるが単なる性的な関係なのか、情けを通わす関係なのか。
  →それにしても髭黒のこの言い方はないでしょう。

 ③髭黒は玉鬘に夢中。他に何も目に入らない。
  →髭黒の一途な所。不器用でアレコレ両方うまくやることができない。

 ④髭黒と北の方には子どもが3人
  12・3才の姫(真木柱の君) & 下に男の子が二人
  →いい家庭ではないですか!
  

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真木柱(5・6・7) 髭黒と北の方 重っ苦しい会話

p114 – 124
5.髭黒、北の方を無視して玉鬘に熱中する
 〈p199 髭黒の大将は、玉鬘の君が宮中に〉

 ①人物関係を整理しておきましょう。
  髭黒:父右大臣(弘徽殿大后の父と違う)妹は朱雀帝妃承香殿女御、即ち東宮(後の今上帝)の伯父。政治的に源氏・内大臣に次ぐ三番手の重要人物

  髭黒の北の方:父は式部卿宮 母は大北の方(正妻=紫の上をよく思わない継母)、従って紫の上とは異母姉妹(母の身分では紫の上の方が低い)

 ②髭黒はとにかく玉鬘を連れ添いたい。六条院では窮屈、一旦尚侍として出仕させ里下がりを願い出て六条院に戻さず自邸に引き取ろうと考える。

 ③問題は北の方。
   あやしう執念き御物の怪にわづらいたまひて、この年ごろ人にも似たまはず、うつし心なきをりをり多くものしたまひて、
  →唯一の欠点として心の病。何とも気の毒である。

 ④かの疑ひおきて皆人の推しはかりしことさへ、心清くて過ぐいたひけるなど
  →玉鬘は処女だった!髭黒の喜びは分かるが、How do you know?

6.式部卿宮の態度 北の方思いわずらう
 〈p200 北の方の父式部卿の宮がこのことの次第を〉

 ①式部卿宮、父として娘の不幸を放っておけない。
  →至極尤もな態度であろう。

 ②北の方 今は限りの身にて、たち返り見えたてまつらむこと
  →本性はいと静かに心よく、児めきたまへる人の、時々心あやまりして
  →病気さえなければ。あわれ、かわいそう。
   
7.髭黒、病む北の方の心を慰め、説得する
 〈p201 お部屋などもひどく乱雑で、〉

 ①髭黒邸は荒れている。
  →北の方が病気がち故に更に気を配って綺麗にしておくべきではなかろうか。髭黒の杜撰なところか。

 ②髭黒と北の方の会話。今どきのドラマにもありそう。
  →精神的に少しおかしい妻を持った夫、どう対応すべきなんでしょう。
  →髭黒のエクスキューズも分からぬではなし、北の方の言い分も尤も。

 ③御召人だちて、仕うまつり馴れたる木工の君、中将のおもとなど
  →夫婦関係が正常であってこそ女房たちも平和でいられる。

 ④式部卿宮&髭黒の北の方にとっては玉鬘が源氏の世話になっていた養女であるということが引っ掛かるのであろう。
  →式部卿宮にとって源氏は娘婿にあたる。なのにうまくいってない所が悩み。今もよくある話であろう。
  

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真木柱(1・2・3・4) 玉鬘、髭黒に!

[お知らせ]
源氏百首・名場面集・青玉和歌集、藤袴まで更新しました。万葉さんお忙しい中ありがとうございました。

真木柱 こひしさも悲しきことも知らぬなり真木の柱にならまほしけれ(与謝野晶子)

玉鬘十帖の最後です。玉鬘十帖は最初の「玉鬘」と終わりの「真木柱」以外は面白くないという意見もあるぐらいで、この「真木柱」はこれだけで一遍の小説になると思うほど内容豊富です。藤袴に続くG37年冬から一年間が舞台です。

p104 – 114
1.髭黒大将、玉鬘を得て喜ぶ 源氏の気持ち
 〈寂聴訳巻五 p190 「こんなことを帝がお耳にされたら、〉

 ①冒頭あっと驚く源氏の言葉から始まります。
   「内裏に聞こしめさむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ」と諌めきこえたまへど、さしもえつつみあへたまはず。
   →主語もないし誰が何をしてどうなったのかさっぱり分からない冒頭です。
   →脚注を参照し主語を補って何度か読むべき所でしょう。

 ②髭黒が弁のおもとの手引きで玉鬘を襲い手に入れた!源氏の厳戒網をくぐりぬけて!
   →髭黒:やった、やったぞ!石山寺さま、おもとさま!
   →源氏:抜かった。ああ、何たること!
   →玉鬘:えっ、何で髭黒なの!
   →紫式部:驚いた?これが一番面白い展開よ。やってあげたわ。
   
    六条院全体が「じぇじぇじぇ!」と驚きその内しらーっとした異様な雰囲気に包まれたのではないでしょうか。

 ③弁のおもとが手引きをした。
   →藤袴6.p94 この弁のおもとにも責めたまふ
   →見事に伏線が張られている。
   →王命婦に手引きさせ藤壷との思いを果たした源氏。しっぺ返しの一つ。

 ④儀式いと二なくてかしづきたまふ
   →「三日の夜の餅」のことだろうか。複雑な源氏の心。

2.源氏と内大臣の感想 帝なお出仕を望む
 〈p191 髭黒の大将は、一日も早く自分のお邸に〉

 ①髭黒は源氏の警戒きびしく窮屈な六条院から玉鬘を自邸に引き取りたい。
   →通い婚が原則ではなかったのか。

 ②実父内大臣は髭黒でよかったと安堵している。

 ③冷泉帝は諦めていない。
   →妃として迎えるわけではなく尚侍(女官職)だから。
   →でも結局は手をつけることも狙っている。冷泉帝もなかなかのもの。

3.玉鬘、髭黒を厭い過往を恋う 源氏の胸中
 〈p193 十一月になりました。〉

 ①11月、真冬になってきた。玉鬘は既に尚侍になっていて六条院で在宅勤務をしている。女官たちが決裁を得るべく六条院に玉鬘を訪れる。
   →その玉鬘の部屋に昼間から髭黒が入り浸っている。
   →真面目男髭黒の変身。余程有頂天だったのだろう。羨ましい男です。

 ②源氏、やらなかったのがよかったのか。やった方がよかったのか。
   →源氏も今や中年。昔のようにイケイケドンドンではない。

4.源氏、玉鬘を訪れ、歌を交し思いを訴える
 〈p195 髭黒の大将のおいでにならない昼頃、〉

 ①髭黒が居ない留守を見計らって源氏が玉鬘の様子を見に来る。
   →源氏「髭黒め、思うようにやってるのだろな、チクショーめ。」
   →ほほ笑みたまひて 玉鬘の前では歌を交しつつ微笑むしか仕方がない。

 ②脚注「またこの不本意な結婚を運命づけられた玉鬘の、応対の物腰があざやかにかたどられる一場面である」
   →決して逆上しない。情況をある種冷静に判断し賢く振る舞う。持って生まれた天性であろうか。

(追記 9月の予定です。ご参考まで)
 真木柱 7回(9/2-10) & 総括(9/11)
 梅枝  4回(9/12-18) & 総括(9/19)
 藤裏葉 5回(9/20-27) & 総括(9/30)

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藤袴 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

藤袴のまとめです。

和歌
59.おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも
    (夕霧)  姉ではなく他人だったんだ!じゃあ

60.数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき
    (髭黒大将) 雅の中の野生派、髭黒

名場面
56.かかるついでにとや思ひよりけむ、蘭の花のいとおもしろきを、、
    (p77 多情なる15才 夕霧)

[「藤袴」を終えてのブログ作成者の感想]

藤袴を終えました。玉鬘十帖のラス前の帖でさしたるエピソードもないし、まあつなぎの帖ということでいいのでしょうか。

巻名が「藤袴」なのでやはりこの帖の焦点は「夕霧と玉鬘」ということでしょうか。

夕霧 おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも
大宮 ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり(行幸)

夕霧と玉鬘、亡き大宮ゆかりの二人の想いについて考えました。夕霧は六条院に姉として突如現れた玉鬘に最初はどんな想いを抱いたのでしょうか。花散里を母親として夏の町で暮らす二人(勿論部屋は違い顔を合わすことはなかったろうが)、六条院のマスコットガールとして公達たちが言い寄る玉鬘を夕霧は姉として誇りに思い同時に眩しく感じたのではなかろうか(「こんな姉さんを妻にする人はシアワセだろうな」)。

ところが実は姉ではなく二人とも大宮を祖母とする従姉弟であった、、、「何だ雲居雁と同じ関係ではないか」。雲居雁との結婚に見通しが立たない夕霧は「いっそ玉鬘と結婚できたらいいのに」と一瞬は思い「おなじ野の露にやつるる藤袴、、、」と訴えた。でも真面目人間の夕霧が雲居雁を見捨てられる訳はなく、亡き大宮も玉鬘よりも雲居雁が大事だった筈でこの話はどう考えても成り立たない、、、ということでしょうか。

そして玉鬘物語の結着、真木柱へと続きます。お楽しみに。

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藤袴(6・7) 髭黒か蛍宮か! 蛍宮か髭黒か!

p93 – 98
6.髭黒大将、玉鬘に対して熱心に言い寄る
 〈p182 髭黒の大将は、この柏木の中将と同じ右近衛府の長官なので、〉

 ①玉鬘への求婚者の一人 髭黒大将
  妹が承香殿女御(朱雀帝の女御、現東宮の母)
  北の方は式部卿宮の長女=紫の上の異母姉(この北の方とうまく行っていない)
  現在32~3才 右近衛府の大将 柏木中将の上司

  大臣たちを措きたてまつりて、さし次ぎの御ぼえいとやむごとなき君なり。
  →政治的にも源氏、内大臣に次ぐ第三番目の実力者 

 ②髭黒は部下である柏木を通じて玉鬘の実父内大臣に玉鬘との結婚を願い出ている。
  内大臣はそれでよいと思っているが源氏に働きかけるようなことはしない。
  源氏は髭黒との結婚には反対である。
  →玉鬘本人が好きではないこと。蛍宮の方が望ましいこと。そして北の方の母が紫の上の継母だからであろうか。

 ③髭黒 「ただ大殿の御おもむけのことなるにこそはあなれ。実の親の御心だに違はずは」
  →実に明快な整理のつけ方ではなかろうか。ウジウジしていないところがいい。

 ④この弁のおもとにも責めたまふ
  →次巻の展開への見事な伏線である。手引き者弁のおもとが突如登場する。 

7.九月、玉鬘に文集まる 兵部卿宮に返歌
 〈p184 やがて九月になりました。〉

 ①G37年9月に入った。9月は初霜の月。

 ②髭黒 数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき 代表歌
  →命をかくる、、、如何にも思いつめた決意がうかがえる歌ではなかろうか。

 ③蛍宮 朝日さす光を見ても玉笹の葉分の霜を消たずもあらなむ
  →結婚をあきらめた歌だろうか。髭黒に比べ軟弱極まりない。

 ④式部卿宮の左兵衛督=初登場(ここだけ)、紫の上の異母兄弟

 ⑤玉鬘は初めて蛍宮に返歌を贈る
  玉鬘 心もて光にむかふあふひだに朝おく霜をおのれやは消つ
  →蛍宮ならいいかと心を決めた玉鬘だったが、、、、。

 ⑥巻末の草子地 女の御心ばへは、この君をなん本にすべきと、大臣たち定めきこえたまひけりとや
  →脚注8の通り。玉鬘への語り手の讃辞
  →物語中No.1女性は紫の上、No.2が玉鬘(私の勝手な好みです)

そして玉鬘十帖の最後「真木柱」へと続きます。

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藤袴(4・5) 柏木、玉鬘を訪問

p86 – 92
4.玉鬘の出仕決定に、懸想人たち焦慮する
 〈p176 こうして喪服もお脱ぎになり、〉

 ①今8月、玉鬘の尚侍としての出仕は9月(忌月)を避けて10月と決まる。
  →尚侍は別に天皇の妃ではないから結婚は構わない。でも宮中に行ってしまうと求婚活動ができなくなる。従って求婚者たちは焦って玉鬘に近づこうとする。
  →頼れるのは取り次ぎの女房たち。勿論玉鬘(源氏側)のデフェンスは固い。

 ②夕霧は一旦打ち明けたが後は自然体、大人しくしている。

5.柏木、玉鬘を訪問、恨み言を述べる
 〈p178 それでも取り次ぎなしのお話はやはりきまり悪いので、〉

 ①柏木が父内大臣の伝言を伝えにくる。
  →兄弟と分かってからも玉鬘は柏木に冷たい。柏木はイラついて恨み言を述べる。

  柏木 妹背山ふかき道をばたづねずてをだえの橋にふみまどひける
  玉鬘 まどひける道をば知らで妹背山たどたどしくぞたれもふみみし

  →をだえの橋 宮城県古川市にあった橋、歌枕 奥の細道で芭蕉が通っている。
   陸奥の緒絶えの橋やこれならむ踏みみ踏まずみ心惑わす(藤原道雅)
   道雅は定子の甥。百人一首No.63(今はただ、、、)。紫式部はこの歌を知っていたのだろう。

 ②内大臣はその後玉鬘の入内の段取りなど源氏から聞かされていない。源氏に遠慮して何も口出しせずじっとしている。
  →源氏が玉鬘のことを打ち明けてくれたのをきっかけに実の父として攻勢をかけたらいいのに。。。やはり源氏には敵わない。何もできないのであろう。

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藤袴(3) 夕霧、玉鬘につき源氏を問いつめる

p80 – 86
3.夕霧、玉鬘の件につき源氏に問いつめる
 〈p172 かえって、言わでものことを打ち明けてしまったと、〉

 ①夕霧、源氏に復命すべく春の町を訪れる。
  源氏は紫の上を見られることを警戒してすぐ出てくる。
  →源氏の神経質なところ。人の心理を見抜くに敏なるところ。

 ②内大臣の娘であることが分かり裳着を済ませ入内も決まった玉鬘をどうするべきか、源氏と夕霧が意見を述べ合う。夕霧(16才)、随分大人びた言い方で源氏に自分の意見を言う。

  ・玉鬘は誰に嫁がせるのがいいのか。
  ・蛍宮か髭黒大将か。
  ・参内すると秋好中宮・弘徽殿女御と争うことになるがそれでいいのか。

 ③問答の中で夕霧は源氏と玉鬘は何もなかったのか、源氏は玉鬘をどうしようとしているのが探ろうとする。
  「内々にも、やむごとなきこれかれ年ごろを経てものしたまへば、えその筋の人数にはものしたまはで、、、、、、、、(中略)、、、、、いと賢くかどあることなりとなんよろこび申されけると、たしかに人の語り申しはべりしなり。」

  →内大臣の源氏に対する疑惑を他人からの伝聞として述べ源氏を追及する。さすが秀才夕霧、矛先が鋭い。

 ④源氏 「いとまがまがしき筋にも思ひよりたまひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。いまおのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。思ひ隈なしや」 

  →図星を指され源氏は笑いに紛らすが夕霧との話の結果、「こりゃ、ダメだ。玉鬘はあきらめよう」と心に決めたのではなかろうか。
  →そうと決まったら玉鬘とは何もなかったことを証明せねばと思い立つ。現金なものです。
  

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藤袴(1・2) 夕霧、玉鬘に恋情を訴える

「藤袴」むらさきのふぢばかまをば見よといふ二人泣きたきここち覚えて(与謝野晶子)

前帖「行幸」で玉鬘の裳着の儀が行われたのがG37年2月。それから半年後に舞台が移ります。
p70 – 80
1.玉鬘、尚侍出仕を前に身の上を思い悩む
 〈寂聴訳巻五 p164 玉鬘の姫君に、尚侍としての宮仕えを、〉

 ①裳着の儀で成人式を行い、実の父は内大臣であったことが世間に公表された玉鬘。未だ六条院に住んでいる(源氏の後見の下に)。

 ②源氏・内大臣・玉鬘 3人のそれぞれの想い。

 ③尚侍として宮仕えを迫られる玉鬘
  ・養父源氏は実父でないことが公になったことを幸いに益々気軽に迫ってくる。
  ・実父内大臣は源氏に遠慮してか自分を引き取ることもせず、頼りにならない。
  ・結局誰も親身になって相談に乗ってくれる人がいない。母親がいないのが大きい。
  ・尚侍。帝に近づけることは嬉しいが寵を受けて中宮・弘徽殿女御と争うのは気が進まない。
  →玉鬘は少なくとも六条院を出たかったのではないか。今までは六条院の姫君だったけど、今では如何にも中途半端な立場の居候的存在である。

2.夕霧、玉鬘を訪れ、その胸中を訴える
 〈p166 玉鬘の姫君は、亡き大宮の喪のため、〉

 ①大宮は裳着の儀の後3月20日に死亡している。夕霧・玉鬘ともに孫であり喪に服し鈍色の喪服を着ている。

 ②夕霧(宰相中将に昇進ている)が玉鬘の所へ源氏の伝言を伝えに来る。
  →夕霧は玉鬘を姉と思ってたのが従姉弟と分かって「それならば」と想いを募らせている。

 ③源氏の伝言に脚色を加え自分の恋心を訴える夕霧。
  そのキーワードが「二人とも大宮の孫、ゆかりがありますよ」ということ。

 ④夕霧 おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも 代表歌
  玉鬘 たづぬるにはるけき野辺の露ならばうす紫やかごとならまし

  →真面目で雲居雁のことを忘れていない筈の夕霧なのに。まだ雲居雁のことの見通しが立たず頼りにしていた大宮も死んでしまい夕霧は少し心のバランスを失っているのであろうか。
  →或いは玉鬘のことは左程真剣にではなく浮気心的な軽い気持ちからであろうか。

 ⑤p79脚注3 玉鬘は既に尚侍に任官(辞令交付)している。辞令はもらったがまだ宮中には行っておらず里(六条院)に居るということか。ややこしい。
  
  →脚注3 の通り「尚侍の君」と呼称されているのは夕霧を恋の相手にしていないとの意味合いであろう。もし恋の語り合いの場面なら単に「女」となるところだろうに。

 ⑥藤袴は蘭の一種と言うがさほど華々しい感じはしない。秋の七草。紫色の小さな花が袴状に咲くからであろうか。これも紫に因んだものであることには違いなかろう。

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行幸 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

行幸のまとめです。

和歌
56.をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ
    (源氏) 冷泉帝の美麗なるパレード

57.ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり
    (大宮) すばらしきバイプレーヤー大宮

58.うらめしやおきつ玉もをかづくまで磯がくれける海人の心よ
    (内大臣) 親友・ライバル・政敵、頭中将

名場面

53.その十二月に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、 
    (p12 大原野の行幸 冷泉帝の麗姿)

54.かのいにしへの雨夜の物語に、いろいろなりし御睦言の定めを思し出でて
    (p41 旧頭中将との懐旧談)

55.亥の刻にて、入れたてまつりたまふ。例の御設けをばさるものにて
    (p54 玉鬘の裳着の儀)

[「行幸」を終えてのブログ作成者の感想]

行幸を終えました。玉鬘物語の進展を図るべく舞台を六条院から大原野行幸へと転じ、更に懸案であった玉鬘の出自を内大臣に明かし、玉鬘の裳着の儀を行う。玉鬘物語起承転結の転にあたる巻であったと思います。或いは玉鬘出生謎解きの巻と言えるかも知れません。

さて、貴人の落し胤について考えてみました。当時結構多かったのではないでしょうか。貴人がさる女性の所へ通い始めるが飽きが来たり女性と合わなくなって通わなくなってしまう。宿った子どもは父親に認知されず母親の元で父無し子として育つ。ところが父の境遇或いは考えが変わり、子を引き取ろうとする。母親は今さら何をと思う、、、、一杯物語が生まれそうです。

内大臣には正妻他女性が多数いて娘も沢山います。玉鬘物語ではそれぞれのパターンを描き出していて興味が尽きません。投稿欄でも書いたと思いますが再度まとめると、
 
 内大臣の娘たち
  母 右大臣の四の君(正妻)= 弘徽殿女御
  母 按察使大納言の北の方(第二の妻か) = 雲居雁
  母 夕顔(三位の中将の娘 愛人)= 玉鬘
  母 不詳(そこそこの身分の娘か 愛人)= 近江の君

落し胤とは言えないかもしれませんが紫の上も正妻腹ではなく父の愛は薄い女性で落し胤に近い感じがします。

そして勿論落し胤として一番重要なのは宇治十帖のヒロイン浮舟です。一年後をお楽しみに。 

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