「藤袴」むらさきのふぢばかまをば見よといふ二人泣きたきここち覚えて(与謝野晶子)
前帖「行幸」で玉鬘の裳着の儀が行われたのがG37年2月。それから半年後に舞台が移ります。
p70 – 80
1.玉鬘、尚侍出仕を前に身の上を思い悩む
〈寂聴訳巻五 p164 玉鬘の姫君に、尚侍としての宮仕えを、〉
①裳着の儀で成人式を行い、実の父は内大臣であったことが世間に公表された玉鬘。未だ六条院に住んでいる(源氏の後見の下に)。
②源氏・内大臣・玉鬘 3人のそれぞれの想い。
③尚侍として宮仕えを迫られる玉鬘
・養父源氏は実父でないことが公になったことを幸いに益々気軽に迫ってくる。
・実父内大臣は源氏に遠慮してか自分を引き取ることもせず、頼りにならない。
・結局誰も親身になって相談に乗ってくれる人がいない。母親がいないのが大きい。
・尚侍。帝に近づけることは嬉しいが寵を受けて中宮・弘徽殿女御と争うのは気が進まない。
→玉鬘は少なくとも六条院を出たかったのではないか。今までは六条院の姫君だったけど、今では如何にも中途半端な立場の居候的存在である。
2.夕霧、玉鬘を訪れ、その胸中を訴える
〈p166 玉鬘の姫君は、亡き大宮の喪のため、〉
①大宮は裳着の儀の後3月20日に死亡している。夕霧・玉鬘ともに孫であり喪に服し鈍色の喪服を着ている。
②夕霧(宰相中将に昇進ている)が玉鬘の所へ源氏の伝言を伝えに来る。
→夕霧は玉鬘を姉と思ってたのが従姉弟と分かって「それならば」と想いを募らせている。
③源氏の伝言に脚色を加え自分の恋心を訴える夕霧。
そのキーワードが「二人とも大宮の孫、ゆかりがありますよ」ということ。
④夕霧 おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも 代表歌
玉鬘 たづぬるにはるけき野辺の露ならばうす紫やかごとならまし
→真面目で雲居雁のことを忘れていない筈の夕霧なのに。まだ雲居雁のことの見通しが立たず頼りにしていた大宮も死んでしまい夕霧は少し心のバランスを失っているのであろうか。
→或いは玉鬘のことは左程真剣にではなく浮気心的な軽い気持ちからであろうか。
⑤p79脚注3 玉鬘は既に尚侍に任官(辞令交付)している。辞令はもらったがまだ宮中には行っておらず里(六条院)に居るということか。ややこしい。
→脚注3 の通り「尚侍の君」と呼称されているのは夕霧を恋の相手にしていないとの意味合いであろう。もし恋の語り合いの場面なら単に「女」となるところだろうに。
⑥藤袴は蘭の一種と言うがさほど華々しい感じはしない。秋の七草。紫色の小さな花が袴状に咲くからであろうか。これも紫に因んだものであることには違いなかろう。
中途半端な立場の居候的存在である.
私も真っ先にそう思いました。
源氏や内大臣がついていながら宙に浮いた感じで玉蔓にとっては頼りなく落ち着かない状況です。
またその複雑な心境も察してあまりあります。
大宮が亡くなられたことは喪に服すことでしか触れられていませんね。
内大臣と源氏の仲介を取りもちすべての役割を果たされ今や重要な登場人物ではないと言うことでしょうか?
それにしてもお可哀そうです。
さぞや夕霧と雲居雁の結婚を見届けたかったでしょうにね~
巻名の藤袴、私もピンときません。
藤袴と言えば地味な草花で蘭といわれても?という感じでした。
ありがとうございます。
1.この巻の冒頭は玉鬘の中途半端な立場を殊更に強調していると思います。貴族女性が結婚する(婿取りにしても嫁入りにしても)にはしっかりした父親の経済的・権威的後ろ盾が必要なのに玉鬘にはそれがない(源氏は父親として玉鬘を結婚させようと真に思っているかどうかよく分からない。結婚しなくても何れは自分が面倒みてもいいと思っている節あり)。内大臣も頼りにならない。
→この行き詰った局面はどう打開されるのか、、こういう中途半端なバランスは何かの加減で突如崩れるのではないか、、、と読者に思わせたいのでしょうか。
2.大宮の死が語られてないのは不満です。まだ役割は終わっていないと思うのですがねぇ。
3.尚侍の君と呼ばれるのは源氏物語では朱雀帝後宮の朧月夜と今の玉鬘(冷泉帝後宮)。尚侍とは妃(女御・更衣)ではなく内侍司の女官長だが実際には後宮で寵愛を受ける存在。
→うまい役職があったものです。ワケありの朧月夜や玉鬘のポジションに最適だと思います。
そのような立場の「尚侍」になりたかった近江の君、「尚侍におのれを申しなしたまへ」
今振り返ってみるとやはり荷が勝ち過ぎているようです。
それを弁えていない近江の君の幼さはやはり育ちでしょうか?
近江の君には向いていないようですね・・・
そうでした、近江の君のこと忘れていました。おっしゃるようにチト無理でしょうね。誰が考えても無理なことを期待を持たせるように言う誰かのことまた思い出してしまいました。
近江の君は何故か玉鬘十帖の締め括りに再登場します。「尚侍のぞみし君」と書かれています(真木柱p178)。よほどなりたかったのでしょうね。