行幸 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

行幸のまとめです。

和歌
56.をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ
    (源氏) 冷泉帝の美麗なるパレード

57.ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり
    (大宮) すばらしきバイプレーヤー大宮

58.うらめしやおきつ玉もをかづくまで磯がくれける海人の心よ
    (内大臣) 親友・ライバル・政敵、頭中将

名場面

53.その十二月に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、 
    (p12 大原野の行幸 冷泉帝の麗姿)

54.かのいにしへの雨夜の物語に、いろいろなりし御睦言の定めを思し出でて
    (p41 旧頭中将との懐旧談)

55.亥の刻にて、入れたてまつりたまふ。例の御設けをばさるものにて
    (p54 玉鬘の裳着の儀)

[「行幸」を終えてのブログ作成者の感想]

行幸を終えました。玉鬘物語の進展を図るべく舞台を六条院から大原野行幸へと転じ、更に懸案であった玉鬘の出自を内大臣に明かし、玉鬘の裳着の儀を行う。玉鬘物語起承転結の転にあたる巻であったと思います。或いは玉鬘出生謎解きの巻と言えるかも知れません。

さて、貴人の落し胤について考えてみました。当時結構多かったのではないでしょうか。貴人がさる女性の所へ通い始めるが飽きが来たり女性と合わなくなって通わなくなってしまう。宿った子どもは父親に認知されず母親の元で父無し子として育つ。ところが父の境遇或いは考えが変わり、子を引き取ろうとする。母親は今さら何をと思う、、、、一杯物語が生まれそうです。

内大臣には正妻他女性が多数いて娘も沢山います。玉鬘物語ではそれぞれのパターンを描き出していて興味が尽きません。投稿欄でも書いたと思いますが再度まとめると、
 
 内大臣の娘たち
  母 右大臣の四の君(正妻)= 弘徽殿女御
  母 按察使大納言の北の方(第二の妻か) = 雲居雁
  母 夕顔(三位の中将の娘 愛人)= 玉鬘
  母 不詳(そこそこの身分の娘か 愛人)= 近江の君

落し胤とは言えないかもしれませんが紫の上も正妻腹ではなく父の愛は薄い女性で落し胤に近い感じがします。

そして勿論落し胤として一番重要なのは宇治十帖のヒロイン浮舟です。一年後をお楽しみに。 

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8 Responses to 行幸 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

  1. 青玉 のコメント:

    玉蔓に始まる10帖、いよいよ次回、転から結の部分に入るのですね。
    ということは玉蔓の運命にもようやく決着が見えてきそうです。

    思えば筑紫を逃れて上京の途に出立したのが前々年3月末、そして初瀬で右近との運命的な出会いがその年の秋。
    行幸の冬まで約二年近くの月日が経っていると言うことでしょうか?
    源氏35歳からそして今、36歳の12月から翌年の2月とあります。
    紫式部は季節の流れを上手く利用して物語を進めているのに気付かされます。

    季節と言えばこの秋、興味深い催しが徳川園(美術館の日本庭園)であります。
            西田久美子さんの朗読で聞く「源氏物語」
     9月19日(6時30分~7時30分) 桐壺、紅葉賀、須磨の帖より
    10月17日(同じく)           野分、御法の帖より

    11月1日古典の日にちなんだ催しで京ことばのアクセントで原文の朗読があります。
    旧暦8月15日仲秋の名月、旧暦9月13日十三夜の夕べ、日本庭園を背景に特に秋の場面が朗読されます。
    朗読者は御所勤めをした祖母から美しい京ことばを伝えられ幼児から古語に親しんだとありました。
    式部さんの朗読と西田さんの京風イントネーションの朗読を聞き比べてみるのもなかなかいいのではないでしょうか。
    詳細は蓬左文庫のHPへどうぞ。

    • 式部 のコメント:

      お知らせいただきありがとうございます。
       名古屋まで出かけるのは無理ですが、興味があります。
       青玉さん、その朗読聞いて、後でどんなだったか教えてくださいな。
       源氏物語の書かれた始めの頃は、京都の貴族階級のみが読むことができただけでしょうから、当然ゆったりとした上流の公家言葉(京ことば)で朗読もされていたのでしょうね。
       時代がどんどんくだり、写本もいろいろでき、地方でも身分が低くても読めるようになり、朗読もいろいろだったでしょうね。考えると楽しいです。
       1000年変わらないものは、源氏物語を愛する人の気持ちです。

      • 青玉 のコメント:

        一応二日間ともに申し込みハガキを出したのですが抽選に弱い私、ハズレの可能性もあり確実とは言えません。
        一体源氏物語に興味のある人がどのくらいなのか見当もつきません。
        幸いにも参加できることになれば感想をお伝えしたいと思います。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.G36年正月から年末まで六条院の春夏秋冬の移り変わりが玉鬘を中心にゆっくりと描き出されています。おっしゃる通り紫式部は必ず背景の季節を織り込んで話を進めて行きます。素晴らしいと思います。(逆に言うとしつこいほど繰り返し季節を書き込むことで「ああ五月か、長雨に橘の花が匂い時鳥の声が聞こえる頃だな」と読者は一瞬にしてその季節に浸らせられる訳です。上手いものです)

      2.徳川園での催しのご案内ありがとうございます。本年度の古典の日の催しを一早く執り行うとはさすが徳川美術館です。しかもお得意の源氏物語関連で、言うことありませんね。名古屋はなかなかの文化都市ですね。

      西田さんってそういう方ですか、なるほどお上手なわけです。先日徳川美術館に行ったとき記念に「朗読できく 国宝源氏物語絵巻」(朗読 西田久美子)というCDを買ってきました。五島美術館の源氏物語絵巻展示の時もこの方の詞書朗読が流れていました。今の京都弁とは違うのですね。当初源氏物語に京ことばは合わないのではないかと思ってましたが浅はかだったと反省した次第です。
       
      HP見ました。 桐壷は坪前栽のところ、紅葉賀は青海波、須磨の秋、野分は冒頭、御法は源氏物語絵巻にある明石の中宮と源氏が紫の上を見舞うところでしょうか。何れも名場面ですね。(他に秋の名場面と言えば夕顔の宿と明石の君の岡辺の宿が思い浮かびます)

      式部さんのコメントにもありますが時間あれば是非いらして感想を聞かせてください。

  2. ハッチー のコメント:

    独り言にちかいですが;

    今までは、どちらかといえば、物語のストーリーをただ追いかけているところが多かったのですが、清々爺のコメントや青玉さんの感想など皆さんのコメントを読んでいて、登場人物の人間性まで考えさせられるようになってきました。まだまだ未熟ですが、少しは成長してきたのかとうれしく思っています。このブログのお陰です。ありがとうございます。
    ということで、内大臣、末摘花、近江の君など脇の役者を固め、いささか悪ふざけが過ぎ、道化を誇張しすぎで壁壁ともすることがありますが、登場人物をうまく対比させ、物語に抑揚をつけ、読者を放さず、物語が進展していることが、解ってきました。

    今の関心事は、これから玉鬘と夕霧がどうなっていくのか、そんな中で、源氏と紫の上がどうなるのか、といったところです。

    歌では、爺が書いている

    をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ

    と、ちと意味が解りにくかったが、古歌

    ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり

    でした。
        

        

    • 清々爺 のコメント:

      貴重な独り言嬉しく拝聴しました。

      1.源氏物語は読み込めば読み込むほど味わいが深くなってきます。それこそ古来専門家から素人の野次馬まで色んな観点から読み尽くされそれでも色褪せず歴然と輝いています。すごい文化遺産だと思います。どうぞ引き続き思うところを書き込んでください。私たち素人ですがそれでいいのです。六十余年生きてきたしるしをぶつけ合い楽しめればと思っています。

      2.玉鬘と夕霧、源氏と紫の上。物語の進展をお楽しみに。
        

  3. 進乃君 のコメント:

    この帖は なかなか濃い内容でした。
    それに、雲上人の世界に、下世話な雰囲気が醸し出される エピソードが
    あちこちに出てきて、現代小説を読む味わいもあります。
    でも、白眉は、源氏と頭中の 再開の場面;

    「大臣も、めづらしき御対面に、昔のこと思し出でられて、
    よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、
    挑ましき御心も添ふべかめれ、さし向かひきこえたまひては、
    かたみにいとあはれなることの数々思し出でつつ、
    例の、隔てなく、昔今のことども、年ごろの御物語に、
    日暮れゆく。」 

    好いですねぇ!
    若い遊び友達、終生のライバルが 再開と言うか久方に顔を合わす。
    男同士の何ともいえぬ歯がゆい友情が漲っています。
    紫式部の男性観は とても 歯切れがよく 好いですねぇ。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      進乃君さんは頭中のフアンでしたね。私も頭中は好きでした。さっぱりしてて若さでドンドン行く源氏の友だちであり兄貴分であり子分でもある。流謫中の須磨に源氏を訪ねる場面なんて心を打たれました。

      でも源氏もそうですがやはり年をとると何やかやあってスッキリした感じが失われていると感じるのですがいかがでしょう。藤原摂関家の長に昇りつめて行くには人智に長けていくのも仕方がないというところですかね。おっしゃる通り紫式部の男性観(男性観察)には感心します。

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