梅枝 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

梅枝のまとめです。

和歌

63.花の香は散りにし枝にとまらねどうつらむ袖にあさくしまめや
     (朝顔の君)  朝顔の君よりの薫物合せへの礼賛

64.鶯の声にやいとどあくがれん心しめつる花のあたりに
     (蛍兵部卿宮) 薫物合せでの唱和。蛍宮の一首

名場面
59.かくて、西の殿に戌の刻に渡りたまふ
     (p201  明石の姫君裳着、秋好中宮腰結)

[「梅枝」を終えてのブログ作成者の感想]

梅枝を終えました。玉鬘はいなくなり明石物語と夕霧物語が並走します。

明石の姫君の入内準備と位置付けて薫物合せを行い薫物論を展開し、名筆の草子集めに絡めて書道論・仮名論を繰り広げる。紫式部の多芸多才、教養の深さには目を見張るばかりです。

薫物のことなど何も知りませんでしたが何となく分かったような気がしました。書道・仮名についてもこれまで殆ど関心がありませんでしたが本段を読み、先日観た「和様の書」展などとも併せ奥の深いものであることに思い至り俄然興味が湧いてきました(私はやりませんが)。

薫物と草子のことを通じ愛する姫子の輿入れには家を挙げてできる限りの支度をすること、そして嫁入り道具は物品だけでなく知的財産(教養・奥義・ノウハウ)を含んだものでなければならず、その知的教養の最たるものが源氏物語(写本・絵巻)ではなかったろうかと考えました。

そして夕霧と雲居雁、先が見えそうでまだ見えない、、、、全く気を持たせるものです。

薫物・書道と抽象論に終始してしまいましたが、要はあんまりよく分かっておらず噛み砕けないのです。これが実力です。ご容赦ください。

そして第一部の終幕「藤裏葉」の開幕です。

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梅枝(9・10・11・12) 夕霧と雲居雁 未だ進展なし

p214 – 223
9.兵部卿宮、昔の仮名の手本を源氏に贈る
 〈p279 今日はまた、書のことを終日あれこれと〉

 ①兵部卿宮との書道論の続き。
  →脚注にある通り作者の現代文明論

 ②嵯峨帝の万葉集-これは漢字(万葉仮名)だろうか。
  三筆=嵯峨帝・空海・橘逸勢  唐風漢字の能書家

 ③延喜帝(醍醐天皇)の書かせた古今和歌集-これは平仮名だろう。

 ④兵部卿宮所蔵の逸品を明石の姫君の入内用として源氏に差し出す。

10.源氏、姫君の草子の箱に収める書を選ぶ
 〈p281 源氏の君は、またこの節は、〉

 ①草子の箱に何を入れるか。身分の低い者が書いた書、身分が高くても上手でないものは入れない。
  →身分は低いが上手な書は源氏が然るべく処遇したのだろうか。

 ②源氏の切り札須磨の絵日記は入れない。
  →須磨に蟄居し明石に移って姫が生まれたとは知られたくない。当然の気配りだろう。

11.夕霧と雲居雁-内大臣の悩み 源氏の訓戒
 〈p281 内大臣は、こうした明石の姫君の〉

 ①明石の姫君入内のことを聞き内大臣は雲居雁のことを不憫に思う。
  →折角玉鬘裳着の儀のことで源氏と和解し夕霧・雲居雁問題も解決できたのに、チャンスを逃し未だにあれこれ悩んでいる。

 ②あさみどり聞こえごちし御乳母どもに、納言に昇りて見えんの御心深かるべし。
  →夕霧もしつこく執念深い。あっさり許せないものだろうか。

 ③右大臣、中務宮よりの縁談の話が持ち出される。
  →いかにもありそうな話。ある意味逆療法とも言えようか。

 ④「かやうのことは、かしこき御教へにだに従ふべくもおぼえざりしかば、、、、、中略、、、、、わがため、人のため、つひにはよかるべき心ぞ、深うあるべき
  
  →父源氏が息子夕霧に語る夫婦論・女性論。豊かな経験に基く正論である。
  →朧月夜との密会がばれて須磨に蟄居したこと夕霧は知っていたのだろうか。
  →母葵の上のこと、今母親として面倒をみてもらっている花散里のことも含まれている。

12.噂を聞き、内大臣、雲居雁を悲しむ
 〈p285 夕霧の中将は、思いあまる折々に、〉

 ①夕霧の他の縁談の話が内大臣の耳に入り、内大臣は悩み雲居雁にも打ち明ける。
  →そんなこと言われても雲居雁はどうしようもないでしょうに。
  →どこまでもウジウジして情けない内大臣です。もっとしっかりしなさいよ!

 ②夕霧と雲居雁の歌の贈答
  夕霧 つれなさはうき世のつねになりゆくを忘れぬ人や人にことなる
  雲居雁 かぎりとて忘れがたきを忘るるもこや世になびく心なるらむ

  →誤解が誤解を生み思わぬ展開に、、、、平安時代のコミュニケーションの難しさの典型ならん。(この場合は大事には至らないものの)

 ③何故大宮の生前に懸案が解決し大宮を喜ばすことができなかったのか。
  →意地の張り合いにも限度があろう。大宮が可哀そう。

そして第一部最終巻の藤裏葉へと続きます。

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梅枝(6・7・8) 書道論・仮名論

p205 – 214
ここからしばらく書道・仮名に関する論述が続きます。興味深いところです。

6.源氏、当代の女性の仮名を論評する
 〈p273 源氏の君は、「万事につけて、〉
  
 ①姫君の嫁入り準備で草子の話になり紫の上を相手に書・仮名のことを語り合う。

 ②源氏 よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなん今の世はいと際なくなりたる。
  →源氏は(源氏物語は)尚古趣味であるが仮名だけは当代の方がいいとする。
  →三蹟(道風・佐理・行成)
  「和様の書」[野分(3・4)野分の過ぎた朝 源氏と紫の上] コメント欄参照

 女君たちの仮名についての源氏の論評
 ③六条御息所 - 際ことにおぼえしはや
  秋好中宮 - こまかにをかしげなれど、かどや後れたらん
  藤壷 - なまめきたる筋はありしかど、弱きところありて、にほひぞ少なかりし
  朧月夜 - 今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる
  前斎院(朝顔)と紫の上は論評なし。
  →総じて当代では朧月夜・朝顔・紫の上が上手としている。
  →論評は正に「書は人柄を表す」ということだろうか(特に朧月夜)。

 ④兵部卿宮始め当代の書き手や若き公達(夕霧・柏木)に草子を書かせる。源氏も書く。
  →貴重品の紙&墨・筆ともに極上のものを選んで。

7.源氏、草子を書く 兵部卿宮、草子を持参
 〈p276 前の香競べの時のように、〉

 ①源氏自ら草子を書く。
  →愛する姫君のため。選りすぐりの歌を選んで心を込めて書いたのだろう。
  →源氏が女手(平仮名)も書く。この頃には男も平仮名を書くようになっていた証し。

 ②筆のしりくはへて
  →リラックスした様子、面白い表現。

 ③兵部卿宮が登場(頼まれた草子を渡しに来る)
  →風流事となると必ず登場する。

8.源氏をはじめ、人々の仮名を論評する
 〈p277 その場で早速御覧になりますと、〉

 ①兵部卿宮 - 格別の上手ではないが風流人らしくあかぬけている。
  源氏 - おほどかなる女手の、うるはしう心とどめて書きたまへる、たとふべき方なし
  →しどろもどろに =メチャクチャという意味ではない。

 ②左衛門督 - 勿体ぶってるがあか抜けていない。
  女君たち - 兵部卿宮に見せない。朝顔のは取り出しもしない(源氏だけの秘密)。
  
 ③宰相中将(夕霧) -絵も書もすばらしく美しい

 ④難波の葦=歌枕 百人一首に二首採られている。
  No.19 難波潟短き葦のふしのまもあはでこの世をすぐしてよとや 伊勢
  No.88 難波江の葦のかりねの一夜ゆゑみをつくしては恋わたるべき 皇嘉門院別当

公家や将軍・大名家も大事な姫君のお輿入れにはこのようにして草子・巻物を用意して持たせたのだろう。そしてその筆頭が源氏物語だったのではなかろうか。

 

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仙台・松島に行ってきました

仙台・松島は学生時代にチラッと行っただけで一度じっくり行ってみたいと思っていました。天候に恵まれ快適な旅でした。煎じ詰めれば伊達政宗(六十二万石)と芭蕉(奥の細道)でした。以下備忘録的一口メモです。

1日目
1.青葉城跡(資料館・見聞館):
  天然の要塞。城はこういう地形に作られるんだと実感しました。それにしても仙台は坂が多い。普段の暮らしは大変だろうと思いました。東北大学のキャンパスがいっぱい。「杜の都」は伊達ではないなと思いました。

2.瑞鳳殿:政宗の霊廟 桃山調のキンキラキン

3.陸奥国分寺跡・薬師堂:奥の細道 薬師堂は古くて素朴でよかった。

4.仙台東照宮:奥の細道には出て来ないが芭蕉は行っている。坂の上。

5.輪王寺:庭園がよかった。東照宮と輪王寺は取り合せだろうか。

6.大崎八幡宮:
  国宝。桃山調日光東照宮風。坂の上。「街道をゆく」でも取り上げられている。1月の裸祭りは大変な賑わいらしい。

2日目 丸ごと奥の細道だった。
7.末松山宝国寺(末の松山)&沖の石:
  誰もいない。ゆっくり見れてよかった。お墓の上に立つ二本松は立派。そりゃあここまで波は来ないだろう。ただ沖の石が近く(60Mの所)にあった、今住宅街の真ん中だがここまでは波が来ていたということだろうか。よく分かりません。

8.多賀城碑(壺の碑)&多賀城政庁跡:
  芭蕉が感激した碑に感激してきました。政庁も復元模型があり立派さを思いました。

9.塩釜神社:奥州一之宮 これも坂の上。天然記念物「塩竃桜」が有名だと。

10.松島 島めぐり:かもめの餌やりクルーズか。高速であわただしい。

11.五大堂:地震・津波の被害もさほどなかった模様。松島湾と島々のお蔭。

12.瑞巌寺・円通院:
   瑞巌寺本堂は修復中。これも政宗が今の姿にした。
   円通院の庭はモミジがいっぱい。さぞ紅葉がきれいだろう。

13.石巻 日和山公園:
   芭蕉も司馬遼も行っている絶好のビューポイント。それだけに丁度2年半経った津波の爪痕をまざまざと見ることができた。折しも土地の青年が友だちに津波の有様を語っていた。背筋が寒くなった。

3日目
14.仙台市博物館・魯迅碑:仙台市も空襲で焼け野原となったことを知った。
   世界記憶遺産 「慶長遣欧使節関係資料」のうち支倉常長像他3点の展示があった。短編映画も見て如何に大変な使節だったか分かった。正にミッションとして使命を帯びて出国した(1613年)と同時にキリシタン禁教令。ハシゴを外されたとはこのことではなかろうか。あわれ、常長!

15.仙台市野草園:
   ここの萩はすごかった。輪王寺・多賀城跡など所々に萩はあったが野草園の萩は圧巻。萩祭りは今週末からで五分咲きくらいだったが数と種類に圧倒された。宮城野の萩を最後に堪能できてよかった。19日には月見の集いが行われるそうな。

以上とりとめないメモです。
(仙台の夜(国分町通り他)は活気があるように見受けられた。極厚牛タン、初めてで最後でしょう。おいしかった。)

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梅枝(3・4・5) 明石の姫君 裳着の儀

p197 – 205
3.薫物の試みを終えて、月下の酒宴を催す
 〈p265 月が昇りましたので、〉

 ①2月10日薫物合せが終りそのまま月下の酒宴に(雨はやんでいる)。

 ②いつもの源氏ゆかりの人たちが華々しく管弦の宴を催す。
  蛍兵部卿宮=琵琶、源氏=筝の琴、柏木=和琴、夕霧=横笛、弁少将=歌(ボーカル)

 ③酒を飲み楽器を鳴らし催馬楽を唄い和歌を詠み軽口をたたき合う。
  →源氏と兵部卿宮との軽妙なやりとりが面白い。

 ④催馬楽「梅が枝」が唄われる→巻名
  梅が枝に 来ゐる鴬や 春かけて はれ
   春かけて 鳴けどもいまだや 雪は降りつつ
    あはれ そこよしや 雪は降りつつ

 ⑤兵部卿宮 鶯の声にやいとどあくがれん心しめつる花のあたりに 代表歌
  →梅の宴の華々しさ 六条院賛美の歌

 ⑥花のにしきを着てかへる君
  →夜の錦の故事による。

4.姫君の裳着の儀 中宮、腰結役をつとめる
 〈p270 こうして、翌日、源氏の君は、〉

 ①翌2月11日姫君の裳着の儀
  昼ではなく夜に行う。何故だろう。裳着をつけるのは夜中の午前1時。

 ②腰結役は秋好中宮。中宮の秋の御殿で行われる。
  →腰結役に中宮を選んだ、さすが源氏。帝はさておき中宮にまさる権威づけはなかろう。

 ③ここで紫の上と秋好中宮が初対面する。
  →春秋論争でエールを送り合った二人。
   「あなたが秋の中宮ね」「あなたが春のお方ですか」感慨深かったことであろう。

 ④晴れての裳着の儀 姫君の実母明石の君は同席を許されない。
  →大堰で別れて8年、六条院で隣り合わせに住んで4年。まだ逢えない。

5.東宮の御元服、姫君の入内を延期する
 〈p272 東宮の御元服は、二月の二十日過ぎに〉

 ①G39年2月20余日 春宮元服 13才

 ②源氏はすぐにも明石の姫君を入内させたいが他の姫君の入内を妨げてはならないとして一歩譲り後回しにする。
  源氏「いとたいだいしきことなり。宮仕の筋は、あまたなる中に、すこしのけぢめをいどまむこそ本意ならめ。そこらの警策の姫君たち引き籠められなば、世に栄あらじ」

  →この一節は興味深い。後宮のあり方として女御・更衣とその女房たちが競い合うのがいいとする。
  →さすが政略家、というか余裕の表れか。

 ③先ず左大臣(ここだけの人)の三の君が入内 麗景殿に入る。
  明石の姫君入内は四月に。局は勿論源氏のホームである淑景舎(桐壷)

 ④嫁入り調度の準備、それは華々しいものであったのだろう。
  →取分け大事なのは本(草子)。次段からは草子・仮名の話になります。

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梅枝(1・2) 薫物合せ

梅枝 天地に春新しく来たりけり光源氏のみむすめのため(与謝野晶子)

玉鬘十帖(玉鬘~真木柱)を終えてメインストーリーの「紫のゆかり」&「明石物語」へと戻ります。一気に主人公が変わり玉鬘は姿を見せなくなります。源氏が昇りつめる第一部のフィナーレももうすぐです。

p186 – 196
1.明石の姫君の裳着と、六条院の薫物合せ
 〈寂聴訳巻五 p256 明石の姫君の御裳着のお支度に、〉

 ①G39年2月 六条院
  2月は梅→匂→香→薫物合せという発想だろうか。

 ②いきなり主人公が変わり明石の姫君(11才)の裳着の儀のこととなる。
  春宮(13才)も2月に元服する。即ち妃を迎えることとなる。

 ③明石の姫君の入内に向けての諸準備
  →源氏の切り札である明石の姫君。やがては国母へ。源氏総力を挙げての嫁入り支度に。

 ④嫁入り道具に香道具&薫物を持たせる。そのために内輪で薫物合せを行う。
  旧来からのもの新規のものありったけを出して来ていいものを選ぶ。
  →綾・緋金錦(高麗人より)など古いものの方を尊ぶ(尚古思想)。

 ⑤薫物の調合は秘伝が多い。源氏も紫の上も別々の所で秘密裡に調合する、
  →源氏と紫の上が競い合う。面白い。(久々に紫の上が登場する)

2.御方々の薫物を試み、兵部卿宮判定する
 〈p258 二月の十日、雨が少し降り、〉

 ①2月10日雨まじりの日に薫物合せ(薫物は空気の湿っている方がよくにおう)

 ②源氏の異母弟蛍兵部卿宮が判者として参上する。
  →風流事の判定者となるといつもこの人。聖代の風流人・教養人の象徴
 
 ③前斎院(朝顔の姫君) 源氏が依頼した。風流事につけては交流は続けているのだろう。
  →六条御息所亡き後、この人が最高の教養を身につけた女性なのだろう。源氏と同年齢なら39才。
   
  朝顔 花の香は散りにし枝にとまらねどうつらむ袖にあさくしまめや 代表歌
  →自分を卑下して明石の姫君を讃えている。床しいですね。
 
 ④右近の陣の御溝水のほとりになずらへて、西の渡殿の下より出づる、汀近う埋ませたまへるを、
  →湿気のある土中に薫物を埋めて保存、においが深くなる(脚注13)。香は深いですね。

 ⑤惟光の宰相の子の兵衛尉掘りてまゐれり
  →惟光は出世して宰相になっている。息子が源氏に仕えているのであろう。

 ⑥同じうこそは、いづくにも散りつつひろごるべかめるを、人々の心々に合はせたまへる、深さ浅さを嗅ぎ合はせたまへるに、いと興あること多かり。
  →薫物論である。

 さて、源氏の女君たちからの出品作の紹介(実際どんなものかさっぱり分かりませんが、、、)
 ⑦朝顔の姫君  黒方(冬の香)
  源氏     侍従(秋の香)
  紫の上    梅花(春の香)
  花散里    荷葉(夏の香) 謙虚に控えめに
  明石の君   薫衣香の内の百歩の方(冬の香は朝顔に取られてしまったのでやむなく)

 ⑧蛍兵部卿宮も優劣の判定をつけられない。
  →源氏「ちゃんと判定してくださいよ!」 ジョークが面白い。

以上香道のことがしっかり書かれています。興味ある人には堪らないところでしょう。というかこの段がベースとなって室町時代の香道に繋がったのではないでしょうか。

[追伸]
香についての参考文献として以前青玉さんから紹介いただいた「伽羅の香」(宮尾登美子・中公文庫)を挙げておきます。またウオームアップ「閑話 源氏香‐52通り」「年立 年表」及びそのコメント欄もご参照ください。

カテゴリー: 梅枝 | 4件のコメント

真木柱 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

真木柱のまとめです。

和歌
61.今はとて宿離れぬとも馴れきつる真木の柱はわれを忘るな
    (真木柱の姫君)   髭黒、、家庭崩壊の悲別

62.ながめする軒のしづくに袖ぬれてうたかた人をしのばざらめや
    (玉鬘)       玉鬘十帖の締めくくり

名場面
57.にはかに起き上がりて、大きなる籠の下なりつる火取をとり寄せて
    (p129  髭黒北の方、逆上)

58.今はとて宿離れぬとも馴れきつる真木の柱はわれを忘るな
    (p140  真木柱、嘆きの歌を残す)

[「真木柱」を終えてのブログ作成者の感想]
玉鬘十帖の締め括りの帖で結構ストーリーがあって面白かったと思います。

玉鬘は誰と結婚するのか、、、前帖の藤袴まで延々と語られてきた結着がいきなり冒頭で突きつけられます。何と髭黒! 大穴ですね。伏線はあったとは言え驚きの展開だったと思います。その方法は何とレイプ!髭黒が勝利者となるにはこれしかなかったのかも知れませんが何と言うこと。平和で雅で秩序が最重要の六条院でこともあろうに乱暴狼藉。その場面は一行も書かれていない。すごいと思います。

そして玉鬘を手に入れたはいいが家庭崩壊に見舞われる髭黒一家。北の方の心の病が何ともお気の毒です。灰をふりかける場面は記憶に残ります。夫婦のあり方について考えさせられる場面だと思います。真木柱の姫君の歌も涙を誘います。

玉鬘の女性としての生き方・身の処し方が手本となるのかとんでもないのか、意見が分かれるところでしょうか。確かにぶりっ子的だし偽善的なところがある感じです。でも容貌は抜群だったのでしょう。何せ本来理性のあるべき家庭持ち中年である髭黒を狂わせてしまったのですから。

さて長かった玉鬘物語もこれで終わり、メインストーリー梅枝へと進みます。第一部フィナーレまでもう少しです。

カテゴリー: 真木柱 | 10件のコメント

真木柱(24・25・26・27) 玉鬘物語の締め括り

p172 – 180
24.源氏、玉鬘に消息 髭黒、返事を代筆する
 〈p245 三月になって、六条の院のお庭に、〉

 ①G38年3月晩春 藤・山吹の季節
  →山吹は勿論玉鬘を連想させる。
 
 ②源氏は性懲りなく玉鬘に和歌&鴨の卵・蜜柑を贈る。
  源氏 おなじ巣にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらん

 ③髭黒が手紙・歌を見て玉鬘の代筆で歌を返す。
  髭黒 巣がくれて数にもあらぬかりのこをいづ方にかはとりかへすべき
  →如何に養父格だったとはいえ自分の妻になった女に恋情を訴えてくる源氏。
  →それに対し勝手に代筆して「ご機嫌ななめですなぁ、代筆でシツレイ!」と返事する髭黒。
  →現代感覚では考えられないおおらかさです。江戸時代なら即果し合いでしょう。

25.髭黒の男君ら、玉鬘に懐く 真木柱の悲嘆
 〈p249 髭黒の大将のもとの北の方は、〉

 ①その後の髭黒元北の方&姫(真木柱)&若君(男の子二人)の様子
  元北の方は実家に戻り病状がますます進んでいる。髭黒は訪れようとしない。真木柱は父を慕って寂しい思いをしている。
  →玉鬘が髭黒の北の方に納まりあらまほしき家庭を築きつつある様子。

 ②真木柱の姫は可哀そうである。

26.玉鬘、髭黒の子を出産する 柏木の感想
 〈p250 その年の十一月に、玉鬘の君は、〉

 ①夏・秋が飛ばされてG38年11月 玉鬘男児を出産!
  →あっと驚くタメゴロー! 懐妊・出産は愛が強かった証拠。玉鬘も髭黒に心を開いたのであろう。

 ②そのほどのありさま、言はずとも思ひやりつべきことぞかし
  →その通りです。でも懐妊を知った時の髭黒の喜びよう、それを聞いたときの帝・源氏の落胆の様など書いて欲しかったです。

 ③内大臣の息子柏木の感想
  宮仕にかひありてものしたまはましものを、、、「今まで皇子たちのおはせぬ嘆きを見たてまつるに、いかに面目あらまし」
  →紫式部は冷泉帝には子どもは生ませはしないのです(皇統は乱れてはならない!)。

27.近江の君、弘徽殿の前で夕霧に懸想する
 〈p251 そういえば、あの内大臣の御娘で、〉

 ①尚侍のぞみし君=近江の君を登場させ玉鬘物語を締めくくる。

 ②玉鬘に因んでは語られなかった秋の夕べの管弦の宴(月見か紅葉か)をここで登場させる。

 ③近江の君 おきつ舟よるべなみ路にただよはば棹さしよらむとまり教へよ
  夕霧  よるべなみ風のさわがす舟人も思はぬかたに磯づたひいせず
  →どこまでも真面目な夕霧。ここは少しユーモアを効かせて切り返すべきだろうに。

かくて玉鬘十帖は締め括られ明石の姫君&夕霧・雲居雁の話へと切替わります。

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真木柱(20・21・22・23) 玉鬘 宮中から髭黒邸へ退出

祝 東京五輪開催決定!
 これで日本も元気になるでしょう。7年後だと73才、元気で五輪を満喫したいものです。

p160 – 171
20.玉鬘、宮中を退出 帝と歌を詠み交す
 〈p236 髭黒の大将は、帝がこのように〉

 ①帝のご意向に背くことを畏れて一旦は玉鬘に宮中出仕をさせたものの髭黒は玉鬘のことが心配でならない。帝が玉鬘を来訪したと聞きこれは拙いとすぐに退出させようとやっきになる。
  →髭黒はよほど玉鬘のことを思いつめていたのだろう。
  →帝寵を受ければ簡単には連れ戻せないということか。

 ②帝は恐らく源氏から吹きこまれていたのだろう、玉鬘に期待を寄せていた。実際に逢ってみると聞いてたよりもすばらしい。
  聞こしめししにもこよなき近まさりを、はじめよりさる御心なからんにてだにも、

 ③未練がましく玉鬘から離れようとしない帝
  帝 九重にかすみへだてば梅の花ただばかりも匂ひこじとや
  →玉鬘を巡る帝と髭黒大将。変な感じだがこれこそ色好みの極致なんだろうか。

 ④玉鬘の局を訪れたなら有無を言わさずものにできるのではと思うのだが、職掌が尚侍なのでそうはいかなかったのだろうか。
  →女御として上るのとは違う。 

21.髭黒、玉鬘を自邸に退出させる
 〈p239 髭黒の大将は、今夜このまま玉鬘の君を、〉

 ①玉鬘を退出させるのにはお許しを得、儀式めいたことをする必要があったのだろう。

 ②玉鬘は六条院→宮中→髭黒邸へと移る。

 ③最早六条院の源氏の手からは離れてしまった。

 ④髭黒はとにかく「やった!」と喜んでいる。家庭は崩壊してしまったのに、、、。

22.源氏、玉鬘互いに旧交を恋い偲ぶ
 〈p241 やがて二月になりました。〉

 ①思わぬことで玉鬘を手元からもぎ取られた源氏は悔しくてならない。
  大将の、をかしやかにわららかなる気もなき人に添ひゐたらむに、、
  →髭黒はそれほど無粋なんだろうか。聊か八つ当たり的である。

 ②いっしょに付いて行っている右近経由玉鬘に文を贈る
  源氏 かきたれてのどけきころの春雨にふるさと人をいかにしのぶや 
  玉鬘 ながめする軒のしづくに袖ぬれてうたかた人をしのばざらめや 代表歌
     →これが玉鬘の最後の歌になります。

  右近が出てくるのも興味深い。右近の心境はどうだったのだろう。

 ③尚侍の君(朧月夜)・弘徽殿大后が回想されるのも面白い。

 ④すいたるひとは、心からやすかるまじきわざなりけり、今は何につけてか心をも乱らまし、似げなき恋のつまなりや
  →源氏の述懐。ひたすら自分のことだけを考えていればよかった昔と色々しがらみができた今では状況が違ってきている。源氏の成長、源氏の衰え。

23.帝、玉鬘への恋情に苦しむ 玉鬘の胸中
 〈p245 帝におかせられても、〉

 ①内裏にも、ほのかに御覧ぜし御容貌ありさまを心にかけたまひて、
  →帝はちょっとだけしか玉鬘を見ていない。逃がした魚は大きいの心境だろうか。

[付記]
本日から2泊3日で仙台・松島に行ってきます。宮城野の萩と松島の月ですが萩はともかく月齢が若くて月はダメなようです。予定投稿にしてますが例によって返信は遅れると思います。ご容赦ください。

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真木柱(15・16・17・18・19) 玉鬘参内 帝のお渡り

p150 – 160
15.髭黒、男君らを連れ帰る 紫の上の立場
 〈p227 幼い男君二人を車に乗せて、〉

 ①小君達をば車に乗せて、語らひおはす
  →男君たちも一旦は北の方が式部卿宮まで連れて行ったのか?
  →男君たちは母親から引き離され姉とも別れ心細かったであろう。

 ②周りから疎まれる源氏
  →式部卿宮&北の方、兵部卿宮、冷泉帝にも面白からず思われている。
  →やりたい放題の報いの兆しか。

16.髭黒、思案の末、玉鬘を参内させる
 〈p228 こうした様々の事件でごたごたして、〉

 ①G38年正月 髭黒は玉鬘を尚侍として参内させる。
  →妻をキャリアウーマンとして出仕させる。

 ②尚侍参内の儀式 盛大に行われる。
  承香殿の東面に御局したり。西に宮の女御はおはしければ、馬道ばかりの隔てなるに、
  →誰がどう決めたのか何とも皮肉な位置取りである。紫式部も嫌らしいですね。

 ③冷泉帝の後宮が語られる。
  中宮、弘徽殿女御、この宮の女御、左の大殿の女御、中納言、宰相の御むすめ二人ばかりぞさぶらひたまひける
  →けっこういますね。それでも乱りがましいこともなかったようですが。

 ④九州の田舎育ちの玉鬘が後宮に入った。
  →源氏の威光とは言えこれぞシンデレラ物語であろう。

17.男踏歌、諸所を巡る 玉鬘の局での接待
 〈p230 男踏歌は、これらの方々のところへ〉

 ①男踏歌はG36年(初音)はあったがG37年はなし。二年ぶり。
  今回は六条院までは来ない。→どうしてだろう。

 ②玉鬘の局で饗応、髭黒が万事取り仕切る。
  →もう源氏の手からは離れてしまったのだろうか。

18.髭黒、玉鬘の宮中退出を願い促す
 〈p231 髭黒の大将は宮中の宿直所に一日中お詰めになっていられて、〉

 ①髭黒は玉鬘の参内を認めたが帝の手がつくこと、或いは玉鬘が宮中に留まりたいと言い出すことが怖い。
  →髭黒の焦りは分かるような気がします。大事なものは手放さない方がいい!

 ②でも一旦参内させてすぐ退去させるのでは帝が怒るのではなかろうか。

19.兵部卿宮の消息 帝の御渡りと玉鬘の困惑
 〈p232 蛍兵部卿の宮は、帝の御前の管弦の御遊びに〉

 ①兵部卿宮の恨み節
  深山木に羽翼うちかはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな
  →深山木と言うと紅葉賀青海波の場面を思い出す(脚注1)

 ②冷泉帝の登場 玉鬘は初めて帝と対面する。
  帝 などてかくはひあひがたき紫を心に深く思ひそめけむ
  →非常に技巧的な歌
  →帝は玉鬘の心を開かせようとするが玉鬘は尚侍の職分の域を越えず。隙を見せない。
  →「つれないじゃないか」と帝は思ったのだろうか。それにしても玉鬘のすばらしさには目を見張ったのであろう。
  

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