若菜上(6・7) 朱雀院悩みの果てに源氏をと決意

[お知らせ] 右欄の源氏百首・名場面集・青玉和歌集、藤裏葉まで更新しました。
      (万葉さん、ありがとうございました)

p38 – 47
6.朱雀院、女三の宮の婿選びに苦慮する
 〈p26 朱雀院は、「わたしもそのようにあれこれ考え迷っている。〉

 ①乳母たちを相手に朱雀院の長い長い口説
  →朱雀院らしい心配性、優柔不断さがよく表れている。
  →一般論を踏まえて女性の生き方、男との関わり方が言及される。

 ②候補者たちに対する朱雀院の心の内
  源氏がやはり一番であろう。
  蛍兵部卿宮は風流人だが頼りない。
  大納言の朝臣(系図外の人物)では身分が低すぎる。
  右衛門督(柏木)は将来性あるがまだ若すぎる(23-4才)。
   (思ひあがれる=気位が高い)

  →段々と源氏へ源氏へと心が傾いていく。

7.求婚者多し 東宮、源氏への降嫁に賛成する
 〈p29 太政大臣も、「うちの柏木の衛門の督は、〉

 女三の宮の婿候補者たちの婚活状況
 ①柏木 皇女を妻にしたいと未だ独身。
  父太政大臣→母北の方(右大臣の四の君)→朧月夜(右大臣の六の君)→朱雀院と願いを伝える。

 ②兵部卿宮 玉鬘争奪戦に敗れ悔しい思いをした。今度こそはとの思いであろう。

 ③藤大納言 朱雀院の家別当であり内輪の意識から売り込んでいる。

 ④夕霧 朱雀院の内意もあるが雲居雁と結ばれていて今さら不義はできないとの思い。
  →物事をよく弁えた真面目男夕霧の面目躍如たるところであろうか。 

 ⑤春宮 13才 朱雀院に意見を述べる。
  人柄よろしとても、ただ人は限りあるを、なほ、しか思し立つことならば、かの六条院にこそ、親ざまに譲りきこえさせたまはめ
  →断定的な明瞭な言葉ではなかろうか。それにしても13才(女三の宮とほぼ同年令)、ご立派である。
  →これにて優柔不断な朱雀院も心を決する。

  同じ13才でも女三の宮の幼さと春宮の聡明さとは段違いである。

  脚注p48に「東宮がこの時わずか13才であることを、作者は意識していたのかどうか」とあるが、当然分かって書いていたでしょうに。紫式部が東宮の年を忘れてたなどあり得ないじゃないですか!

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若菜上(4・5) 乳母兄妹 源氏を推薦する

p28 – 37
4.女三の宮の乳母、源氏を後見にと進言する
 〈p19 朱雀院は、姫宮がたいそう可愛らしくて、〉

 ①朱雀院の言葉
  見はやしたてまつり、かつはまた片生ひならんことをば見隠し教へきこえつべからむ人のうしろやすからむに、預けきこえばや
  →女三の宮の至らなさ、それを心配する朱雀院の思いが凝縮されている。

 ②朱雀院と乳母たち(有識者として)の会話
  朱雀院:夕霧がよかったのに、、、
  乳母:夕霧は雲居雁と納まってしますよ、やはり源氏でしょう。
     →そうだろうけど余計なこと言うもんです。

 ③朱雀院
  我、女ならば、同じはらからなりとも、かならず睦び寄りなまし
  →朱雀院は何度もこのように言っている。
  →兄妹・姉弟間はさほどタブー視されなかったのだろうか。やはりタブーでしょうねぇ。

 ④源氏の女性関係を考えると朱雀院の心には必ず朧月夜(尚侍の君)のことが甦る。
  →朧月夜を巡る源氏と朱雀院との三角関係は極めて王朝的だと思います。

5.乳母、兄左中弁に源氏への仲介を打診する
 〈p22 この女三の宮の御後見たちの中でも、〉

 ①乳母の兄左中弁が登場。
  →話を進展させるためこういう仲介者が登場すること多い。

 ②乳母 皇女たちは、独りおはしますこそは例のことなれど、
  →内親王は独身でいることが多かった(付録p224)このこと頭に入れておくこと重要。
  →でも後見のしっかりしてない内親王が独身を通すのも心細い。
 
 ③弁の言葉 源氏と女君の様子&源氏の心情を見事に読者に伝えている。
  →順当・公平な考え方であろう。
  →源氏の妻たちに内親王はいない、、、。この点が重要。

 ④弁との話を踏まえて乳母が朱雀院に言葉巧みに源氏に的を絞るようそそのかす。
  姫宮は、あさましくおぼつかなく心もとなくのみ見えさせたまふに、
  →如何に乳母とは言えちょっと露骨ではあるまいか。朱雀院に失礼でしょうに。

生来気が弱く優柔不断な朱雀院、悩みはつきません。

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若菜上(3) 朱雀院、夕霧に内打診

p20 -28
3.朱雀院、夕霧に意中をほのめかす
 〈p14 明けても暮れても朱雀院は女三の宮のことを〉

 ①朱雀院の病気増々重くなりもう長くないとの自覚が語られる。
  →でも結局はその後も永らえていて亡くなるわけではない。

 ②朱雀帝時代=母弘徽殿大后 →右大臣派が外戚として力を振るう。
  冷泉帝時代(現在)=源氏と頭中が中枢で右大臣派は零落。
  →朱雀院の心細さを読者に納得させる叙述

 ③朱雀院と夕霧との対話
  →病人なのに朱雀院はよくしゃべる。

 ④朱雀院 源氏との過去の経緯を総括 後悔と感謝
  さかしき人といへど、身の上になりぬれば、こと違ひて心動き、かならずその報い見えゆがめることなむ、いにしへだに多かりける
  →名言であろう。

 ⑤夕霧の返答(源氏の思いを詳しく引用している)
  二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひすぐして、容貌も盛りににほひて、いみじくきよらなるを、
  →まだ18才の夕霧。さすが源氏の長男、最高級の讃辞
   (作者は後に源氏とは比べものにならないとの古女房の言葉も忘れない)
  →ものの言い方も理路整然としており秀才のほどが覗える。

 ⑥朱雀院は女三の宮の婿候補に夕霧を考えるが、夕霧は雲居雁と正式に結婚している。
  →この綾が絶妙。夕霧と女三の宮では面白くもなんともない。

 ⑦朱雀院、源氏を顧みて絶賛する。
  →朱雀院は心の底から「よくできた弟」と思っていたのであろう。
  →朱雀院の優しさ&弱さ(他人を貶めることができない)。

 ⑧源氏と夕霧の昇進の具合
  →源氏も早かったが夕霧の方が更に早い。
   (どこかに昇進年令を書いたのですが忘れていまいました)
    

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若菜上(1・2) 朱雀院病む

若菜上 たちまちに知らぬ花さくおぼつかな天よりこしをうたがはねども 与謝野晶子

講読2年目いよいよ第二部に入ります。「源氏は若菜から読めばいい」(折口信夫) 専門家が挙って絶賛する若菜上下、どんな物語が待っているのか楽しみです。

p14 – 20
1.朱雀院出家を志し、女三の宮の前途を憂う
 〈寂聴訳巻六 p10 朱雀院は、先日の六条の院への行幸があったあたりから、〉 

 ①朱雀院の帝、ありし行幸の後、そのころほひより、例ならずなやみわたらせたまふ
  →この冒頭の一文は第二部の重苦しさを如実に語っている。

 ②藤裏葉の六条院行幸がG39年10月。この時皆華やかに歌を詠み合ったのに朱雀院の歌だけは物悲しげであった。
 朱雀院 秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉のをりをこそ見ね
  →この頃から体調思わしくなかったのであろう。
  →朱雀院は元々病弱、ひ弱いイメージ。目も患っていた。

 ③朱雀院の母弘徽殿大后は既に亡くなっており(G36~38年何れかの9月)、この点からも朱雀院は気弱になっていたのだろう。
  →脚注通り朱雀院は自分で判断していかねばならなくなっている。

 ④ここで女三の宮の出自が語られる。しっかりつかんでおきましょう。
  朱雀院の皇子たち
   春宮=母承香殿女御
   女一の宮・女二の宮・女四の宮=母不詳
   女三の宮=母藤壷女御(式部卿宮の妹!)

 ⑤藤壷女御=父先帝、母更衣(身分低かった)
  朱雀院の後宮では春宮の母承香殿女御と尚侍である朧月夜(弘徽殿大后の妹)が重んじられた。藤壷女御は朱雀院には愛されたのだが弘徽殿大后には苛められたのであろうか。そして女三の宮を残して死んでしまう。
  →藤壷女御&その母更衣ともに源氏の母桐壷更衣を思わせる。

2.朱雀院、女三の宮の将来を東宮に依頼する
 〈p12 東宮は、朱雀院がそうした御病気の上に、〉

 ①春宮のこと。母承香殿女御は朱雀院のお気に入りではなかったが(一番のお気に入りは朧月夜)何せ春宮の母、重視せざるを得ない。
  春宮には髭黒と源氏(明石の姫君が入内している)が後見についており安泰。
  →この春宮は心身ともに健全で将来的にも順調に帝位についていく。

 ②朱雀院は見舞に来た春宮に女三の宮のことを依頼する。
  他の皇女たちには後ろ盾がついている。

 ③同席している承香殿女御は女三の宮のことをよく思わない。
  →藤壷女御と帝寵争いをし劣勢だったのだから仕方なかろう。

 ④朱雀院の後宮での后たちの競争の有様を語りその結果として後見もなく一人残された可哀そうな女三の宮を読者の頭に植え付ける。
  →新しい舞台の見事な設定だと思います。

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藤裏葉 代表歌・名場面 & ブログ作成者の総括

藤裏葉のまとめです。

和歌
65.春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ
    (後撰集)  内大臣のつぶやき

66.あさき名をいひ流しける河口はいかがもらしし関のあらがき
    (雲居雁)  筒井筒の恋の成就、河口=津市白山町

67.世のつねの紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を
    (冷泉帝)  物語第一部の大団円終唱

名場面
60.男君は、夢かとおぼえたまふにも、わが身いとどいつかしうぞ
    (p244 夕霧・雲居雁、筒井筒の恋の成就)

61.たちかはりて参りたまふ夜、御対面あり
    (p258 明石の姫君入内 紫の上・明石の君初めての対面)

62.神無月の二十日あまりのほどに、六条院に行幸あり
    (p270 冷泉帝・朱雀院、六条院へ行幸 第一部のフィナーレ)

[「藤裏葉」を終えてのブログ作成者の感想]

第一部の終章藤裏葉を終えました。講読開始後1年、丁度折り返し点です。

ここまでフォローいただいた皆さま、ありがとうございました。お疲れさまでした。先ずはお互い第一部を無事終えられたことを喜びたいと思います。

物語的には桐壷の巻で幼い源氏の相を見て高麗人がたてた占い予想が見事的中、源氏は史上例のない准太上天皇に昇りつめたし、明石の姫君は無事入内を果たしたし、懸案だった夕霧・雲居雁も漸く結婚にこぎつけたし、最後には大邸宅六条院に冷泉帝と朱雀院が行幸、全てが成就しメデタシメデタシ、、、これ以上言うことなしという状況でしょうか。

恐らくこれで終わったとしても読み応えのある立派な物語だったと言えるでしょう。大方の読者はここまでも来るのも難しくここまでくれば達成感を抱けるのではと思います。普通源氏物語が論じられるのも大体この辺りまででしょう。光源氏が栄華を極めるサクセスストーリー、源氏にある部分反発を覚えつつ才色財全てを兼備したスーパーヒーロー源氏に感嘆の讃辞を送る。一般的な読み方だと思います。

さて、暫くは六条院での紅葉の賀宴に浸っていたいところですが明日から2年目、第二部に入ります。驚くことにトーンがガラッと変わります。これまでが「表」「明」としたら「裏」「暗」ということになるでしょうか。物語の味わい方も筋を追うのではなく人物の心の奥へ更に深く入って行くということになるかと思います。第一部をキチンと読みこんできたからこそ第二部の醍醐味を味わえるのだと思っています。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

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藤裏葉(14・15・16) 冷泉帝・朱雀院 六条院へ行幸 大団円

p266 – 276
14.夕霧夫妻三条殿に移る 父大臣訪ねる
 〈p322 中納言になられて御威勢が増し、〉

 この段は全体が故大宮追悼である。
 ①夕霧・雲居雁は二条の頭中の屋敷から三条大宮邸(左大臣邸)に移る。
  ここは雲居雁が育てられたところであり、夕霧が生まれたところ(葵の上はずっとここに居た)

 ②太政大臣(頭中)も訪れて3人で大宮追悼の歌を唱和する。
  夕霧 なれこそは岩もるあるじ見し人のゆくへは知るや宿の真清水
  雲居雁 なき人のかげだに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水
  太政大臣 そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ植ゑし小松も苔生ひにけり 

  →大宮の死が書かれておらず不満だったがやはりちゃんと追悼されていた。紫式部に抜かりはない。

15・16段の描写は第一部の幕を閉じるに相応しい。声を出して読むのがいいでしょう。
15.当帝、朱雀院ともに、六条院に行幸
 〈p326 十月の二十日過ぎの頃に、〉

 ①G39年10月20余日 前代未聞、六条院に冷泉帝と朱雀院が同時に行幸する。
  →准太上天皇になったとはいえ凄いこと。第一部フィナーレに相応しい場の設定である。

 ②六条院での至れり尽くせりの饗応の様子
  主の御座は下れるを、宣旨ありて直させたまふ
  →父に礼を尽くす帝。描写が細かい。

 ③20年前朱雀院に桐壷帝が行幸し行われた紅葉賀のことが回想される。
  →源氏と頭中が青海波を舞った。

  源氏 色まさるまがきの菊もをりをりに袖うちかけし秋を恋ふらし
  太政大臣 むらさきの雲にまがへる菊の花にごりなき世の星かとぞ見る

 ④時雨、をり知り顔なり
  →10月は時雨の季節、必ず挿入される。

16.日暮れ、宴酣にして帝・上皇、感慨深し
 〈p329 夕風が、濃い色や薄い色の〉

 ①宴は夜に入りピークを迎える。

  朱雀院 秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉のをりをこそ見ね
  →朱雀院の歌だけ物悲しい。第二部への伏線であろうか。

 ②そして大トリは勿論時の天皇冷泉帝
  冷泉帝 世のつねの紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を 代表歌
  →20年前紅葉賀の時、冷泉帝は藤壷のお腹の中にいた!
  →源氏はこの歌を聞いて藤壷との一部始終が走馬灯のごとく蘇り、青海波を舞った時の晴れ晴れしさ・うしろめたさなど入り混じり感無量であったろう。

かくて第一部は大団円となります。
(本当はちょっと休憩が入るべきかもしれませんが本ブログはすぐ第二部へと入ります。この第二部がまた何ともスゴイのです。どうぞ期待してください)  

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藤裏葉(10・11・12・13) 明石の姫君 入内

p258 – 265
10.姫君入内、明石の君参内し姫君に侍する
 〈p316 入内の儀式は、〉

 ①いよいよ姫君の入内。前段で物分りよく明石の君に託し姫君を手放そうと決心した紫の上だが8年も手塩にかけて慈しんできた姫君が手元にいなくなる。
  →紫の上の悲哀如何ばかりか。

 ②たちかはりて参りたまふ夜、御対面あり  名場面
  ジャジャーーン! 紫の上と明石の君の初対面。
  →言葉を交わし即座に双方ともに認め合う。さすができた二人である。

 ③そして明石の君と明石の姫君の対面!意外にあっさりと書かれている。
  →大堰での別れ以来8年、「年月をまつにひかれて経る人」にやっと訪れた感激の一瞬。

 ④明石の姫君の素晴らしさ。東宮もすぐさま心を寄せる。
  先に入内してた麗景殿女御(左大臣の三の君)サイドから実母明石の方の出自をついて悪口が言い立てられるが明石の姫君の評価はびくともしない。
  →何ごとにも優れた明石の君がついている。負ける筈がなかろう。

11.諸事が終り、源氏、出家の志を立てる
 〈p319 源氏の君も、もう余生も長くないと〉

 ①源氏の懸案も全て解決した。一つは明石の姫君の入内、そして夕霧と雲居雁の結婚。
  これで思い残すことはない。出家しようとの心が強くなる。

 ②自分が出家しても
  紫の上には秋好中宮と明石の姫君が母親として仕えてくれるだろう。
  花散里は夕霧が面倒みてくれるだろう。
  →明石の方は勿論明石の姫君がいる。その他の方々(末摘花・空蝉)は経済的援助があればいいのだろう。

12.源氏、准太上天皇となり、年官年爵加わる
 〈p319 来年は源氏の君が四十歳におなりなので、〉

 ①明けむ年四十になりたまふ 「来年はG40年です」
  →この一文は非常に重要。ここから年を遡ることで源氏の年令が逆算されていく。

 ②G39年秋
  源氏は准太上天皇に (太上天皇になずらふ御位)
  →桐壷の巻での高麗人の観相が実現される。
   「国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人」

  →読者もみなよかったと納得したことだろう。
   
13.内大臣、太政大臣に、夕霧 中納言に昇進
 〈p320 内大臣が、太政大臣に御昇格なさって、〉

 ①内大臣は太政大臣に昇進。(父左大臣も太政大臣となっている)
  →頭中の太政大臣就任も読者の期待通りであったろう。

 ②夕霧は宰相から中納言へ昇進。
  夕霧 あさみどりわか葉の菊をつゆにてもこき紫の色とかけきや
  大輔の乳母 二葉より名だたる園の菊なればあさき色わく露もなかりき
  →大輔の歌は図太い。こうでなくては貴族の女房は勤まらなかったのであろう。

  「もののはじめの六位宿世よ」とけなされた時に夕霧の詠んだ歌。
   くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりとや言ひしおるべき(少女p120)

  →あれから6年、夕霧くん、よくぞ辛抱精進しましたね!

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藤裏葉(7・8・9) 明石の姫君 入内の後見役は明石の君に

p250 -257
7.紫の上、御阿礼詣での後、祭りを見物する
 〈p310 こうして、六条の院でお支度中の明石の姫君の御入内は、〉 

 夕霧・雲居雁のことは結着し話題は明石の姫君入内のことに移る。
 ①紫の上、葵祭りの日に御阿礼詣で(賀茂上社へ) 
  大臣は、中宮の御母御息所の車押しさげられたまへりしをりのこと思し出でて、
  →葵祭りと言えば車争いのことを思い出さずにはいられない。
  →葵の上の忘れ形見夕霧も立派に成長し晴れて結婚もした。
  →御息所の娘は伊勢斎宮の苦難時を経て今をときめく中宮である。

 ②源氏は過去を述懐し無常の世を思う。

8.夕霧、祭りの使いの藤典侍をねぎらう
 〈p312 近衛府から立てられる今日の祭りの勅使は、〉

 ①藤典侍のことが突如語られる。
  藤典侍=惟光の娘 少女の巻で五節の舞姫として登場し雲居雁との仲を割かれていた夕霧がチョッカイを出した所までは書かれていたがその後全く出て来ていなかった。

  典侍(ウィキペディアより)
  典侍(ないしのすけ/てんじ)とは、律令制における官職で、内侍司(後宮)の次官(女官)。単に「すけ」とも呼ばれた。長官は、尚侍であったが、後に后妃化して設置されなくなったため、典侍が実質的に長官となった

  →そうすると今の尚侍は玉鬘だから藤典侍はその部下ということでしょうか。実際には玉鬘は出仕してないので藤典侍がトップキャリアウーマンということか。さすが惟光の娘ですね。

 ②夕霧 なにとかや今日のかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな
  藤典侍 かざしてもかつたどらるる草の名はかつらを折りし人や知るらん
  →藤典侍の歌、さすが機智に富んだ歌ではなかろうか。

9.姫君入内の際、明石の君を後見役とする
 〈p313 さて、姫君の御入内には、〉

 ①姫君入内の後見役をどうするか。北の方たる紫の上が普通なのだが、、、
  ここで紫の上が源氏の心内を慮って明石の君を推す。
  「このをりに添へたてまつりたまへ。、、、、みづからはえつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」
  →これが夫婦の呼吸というもの。紫の上の聡明さ、優しさ。

 ②源氏がその旨明石の君に伝える。
  「さなん」とあなたにも語らひのたまひければ、いみじくうれしく、思ふことかなひはつる心地して、、
  →ちょっとあっさりし過ぎていないか。尼君ともどもいる前で伝えると涙涙であった、、、といった調子で書いて欲しかった。

 ③明石の尼君久しぶりの登場。随分年を召されたことだろう。でも健在、明石の姫君に逢う迄死にきれないのであろう。

 ④六条院から内裏まで随分と遠いが明石の君は牛車を遠慮して徒歩で行く。

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藤裏葉(4・5・6) 夕霧・雲居雁 結ばれる

p236 – 250
4.宴深更に、夕霧、酔いをよそおい宿を依頼
 〈p297 宰相は、御自分のお部屋で、〉

 ①夕霧、内大臣邸に参上する。 心やましきほどに
  →ちょっと気をもたせて遅れ気味に。
 
 ②内大臣邸=元の右大臣邸(二条) 正妻四の君の里邸に住んでいる。
  →夕霧は初めて訪れたのではなかろうか。妻や女房たちに「これがあの夕霧だよ」って注意を引いている。

 ③4月は藤の季節。藤の花の下で遊宴が始まる。
  →梅の次は桜、桜の次は藤、それぞれに事つけて宴を催す。優雅なものです。藤の宴では朧月夜を思い出す(花宴)。

 ④内大臣、夕霧に酒を勧めて「年寄りをいじめてくれるなよ」と訴える。
  春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ(後撰集) 代表歌
  →「雲居雁をよろしく頼むよ」の意であろう
  藤の裏葉=藤の若葉、この歌を基に内大臣・夕霧・柏木が歌を唱和する。

 ⑤いつものボーカリスト弁少将が催馬楽葦垣を唄う。内大臣も加わり即興の替え歌を唄う。
  →もう座は乱れ大盛上がり。一挙に打ち解ける。
  →7年来の意地の張り合いを解消するには芝居がかった演出が必要だったのだろう。

5.柏木に導かれ、夕霧、雲居雁と結ばれる
 〈p303 柏木の中将は、「花の蔭の一夜の旅寝ですね、〉

 ①そして柏木が夕霧を雲居雁の寝所に案内する。
  →二人の会話が面白い。でも何といっても友だち。夕霧には柏木がいてありがたかったことだろう。

 ②少女の巻で最後に逢って以来6年振りの再会。感激や如何ならん。
  →やっと許されて二人が契り合うここは名場面であろう(情交描写は一切ないが)。

 ③催馬楽に因んだ歌の応酬が難しい。
  弁少将の葦垣:「夕霧は雲居雁を連れ出そうとしたが内大臣に見つかり失敗したよ」
  夕霧の言う河口:「雲居雁、あなたこそ外に出て遭いに来るんじゃないですか」
   という感じだろうか。

 ④雲居雁 あさき名をいひ流しける河口はいかがもらしし関のあらがき 代表歌  →「河口の関」三重県津市白山町川口 こんな所に我が故郷津市が出てくるとはびっくりです。勿論代表歌にしました。

 ⑤後朝の文を見ての内大臣と雲居雁
  →夕霧が雲居雁の所に来てくれた。内大臣も嬉しかったことだろう。自ずと笑みがもれる。  

6.源氏、夕霧に訓戒 内大臣 婿君をもてなす
 〈p307 六条の院の源氏の君も、〉

 ①源氏も藤の宴に招待されて行った夕霧のことが心配でならなかっただろう。
  →無事雲居雁と結ばれて帰ってきた息子を見て源氏も嬉しかっただろう。
  →いつもの調子であれこれ訓戒を垂れる。性分は変わりませんね。

 ②以後せっせと内大臣邸(雲居雁の所)に通う夕霧
  六条院の召人は恨めしと思う。→必ずいる。それを紫式部はさりげなく言う。
  内大臣は夕霧の素晴らしさに改めてよかったと思う。

 ③内大臣の北の方(四の君)は雲居雁の幸せを面白からず思う。
  雲居雁の実母按察の北の方は夕霧との結婚を嬉しく思う。
  →継母・実母それぞれの想いである。 

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藤裏葉(1・2・3) 内大臣、夕霧に招待状

藤裏葉 ふぢばなのもとの根ざしはしらねども枝をかはせる白と紫 (与謝野晶子)

さていよいよ第一部のフィナーレ藤裏葉です。物語冒頭の高麗人の観相が実現し源氏は栄華を極め頂点に昇りつめます。光源氏のサクセスストーリーとしての完結編を迎えることになります。

p228 – 236
1・夕霧、雲居雁、内大臣、それぞれ苦しむ
 〈寂聴訳巻五 p290 明石の姫君の入内のお支度で忙しいさなかにも、〉

 ①G39年春 梅枝からの続き。夕霧・雲居雁問題をどう結着つけようか内大臣も悩み続けている。
  →内大臣・源氏・夕霧のお互いの意地の張り合いから膠着状態に陥っていたわけで、誰かが意地を捨てて下手に出れば解決は見えてた筈。
  →読者もそろそろいい加減にしてよ、、、って感じてたのではないか。

2.大宮の法事の日、内大臣、夕霧と語る
 〈p291 表面はさりげなく振る舞っていますけれど、〉

 ①G39年3月20日 大宮の三回忌 極楽寺で行われる。

  →脚注6に一周忌とあるが大宮はG37年3月に亡くなった筈で三回忌だと思うがいかが。
  →やはり大宮の死が重要な役割を果たしている。

 ②宰相中将、をさをさけはひ劣らずよそほしくて、容貌など、ただ今のいみじき盛りにねびゆきて、とり集めめでたき人の御ありさまなり
  →夕霧(宰相中将)は18才。立派に成長し大宮の法事を取り仕切る。

 ③心ときめきに見たまふことやありけん、袖を引き寄せて
  →やっと内大臣が夕霧に話かける。それに応じる夕霧
  →一気にコトが進む気配

 ④3月20日で極楽寺の桜は盛りを過ぎて春霞から雨模様。
  →一気に春来たると言う訳にはいかない(和解の契機は作るも結果は後日に・脚注5)

3.内大臣、藤の宴に事よせ夕霧を招待する
 〈p294 長の年月にわたって、〉

 ①そして4月の初め、内大臣邸の藤が満開となる頃合いに夕霧を招待する。
  →使いは夕霧の友人柏木。彼が来てくれたことで夕霧もほっとしたことだろう。

 ②内大臣 わが宿の藤の色こきたそかれに尋ねやはこぬ春のなごりを
  夕霧  なかなかに折りやまどはむ藤の花たそかれどきのたどたどしくは
  →「雲居雁をもらいに来て下さいよ」「本当にもらっていいのですか」

 ③夕霧から報告を聞いた源氏は勝ち誇った感じでものを言う。
  御心おごり、こよなうねたげなり
  →さすがに語り手も源氏に批判的です。

 ②夕霧は慎重に「単に管弦の宴に誘われただけでしょうよ」との対応だが源氏には事の重大さが分かっている。宰相らしい立派な衣装を着せて行かせる。
  →長い間ウジウジしていたがやっと解決しそう。作者の筆も踊っている。

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