p250 -257
7.紫の上、御阿礼詣での後、祭りを見物する
〈p310 こうして、六条の院でお支度中の明石の姫君の御入内は、〉
夕霧・雲居雁のことは結着し話題は明石の姫君入内のことに移る。
①紫の上、葵祭りの日に御阿礼詣で(賀茂上社へ)
大臣は、中宮の御母御息所の車押しさげられたまへりしをりのこと思し出でて、
→葵祭りと言えば車争いのことを思い出さずにはいられない。
→葵の上の忘れ形見夕霧も立派に成長し晴れて結婚もした。
→御息所の娘は伊勢斎宮の苦難時を経て今をときめく中宮である。
②源氏は過去を述懐し無常の世を思う。
8.夕霧、祭りの使いの藤典侍をねぎらう
〈p312 近衛府から立てられる今日の祭りの勅使は、〉
①藤典侍のことが突如語られる。
藤典侍=惟光の娘 少女の巻で五節の舞姫として登場し雲居雁との仲を割かれていた夕霧がチョッカイを出した所までは書かれていたがその後全く出て来ていなかった。
典侍(ウィキペディアより)
典侍(ないしのすけ/てんじ)とは、律令制における官職で、内侍司(後宮)の次官(女官)。単に「すけ」とも呼ばれた。長官は、尚侍であったが、後に后妃化して設置されなくなったため、典侍が実質的に長官となった
→そうすると今の尚侍は玉鬘だから藤典侍はその部下ということでしょうか。実際には玉鬘は出仕してないので藤典侍がトップキャリアウーマンということか。さすが惟光の娘ですね。
②夕霧 なにとかや今日のかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな
藤典侍 かざしてもかつたどらるる草の名はかつらを折りし人や知るらん
→藤典侍の歌、さすが機智に富んだ歌ではなかろうか。
9.姫君入内の際、明石の君を後見役とする
〈p313 さて、姫君の御入内には、〉
①姫君入内の後見役をどうするか。北の方たる紫の上が普通なのだが、、、
ここで紫の上が源氏の心内を慮って明石の君を推す。
「このをりに添へたてまつりたまへ。、、、、みづからはえつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」
→これが夫婦の呼吸というもの。紫の上の聡明さ、優しさ。
②源氏がその旨明石の君に伝える。
「さなん」とあなたにも語らひのたまひければ、いみじくうれしく、思ふことかなひはつる心地して、、
→ちょっとあっさりし過ぎていないか。尼君ともどもいる前で伝えると涙涙であった、、、といった調子で書いて欲しかった。
③明石の尼君久しぶりの登場。随分年を召されたことだろう。でも健在、明石の姫君に逢う迄死にきれないのであろう。
④六条院から内裏まで随分と遠いが明石の君は牛車を遠慮して徒歩で行く。
過去の出来事から現在へ源氏の心には何か期することが芽生えつつあるのでしょうか?
一方読者の方も色々思い出させる場面で何やら感慨深いものがあります。
典侍と尚侍の違いよくわかりました。
藤典侍とは疎遠ながらも関係が続いていると言うことでしょうか?
さて姫君の後見役に実の母上を。
ここは源氏の心内を察し、紫の上が深い思いやりを示されるところで涙する思いです。
育ての親として長年慈しみ育てられた姫君を今度は紫の上が手放す・・・
一方、尼君。長生すればいつの日かと思われていたのでしょうね。
姫君の入内は永遠の別れを意味するのでしょうか。
めでたい入内にも紫の上 明石の君 尼君、それぞれに悲喜こもごもですね。
いつもながらの要を得たコメントありがとうございます。
1.夕霧と藤典侍とがどんな風に関係を続けていたのか、源氏物語には殆ど書かれていませんが一編の小説になるんじゃないでしょうか。今はキャリアウーマンで宮中に典侍として仕えているのですから夕霧は宮中に忍び込みよろしくやっていたということですね。その後五人の子どもを成していい家庭を作っていると出てきますからどこかで退職し惟光の実家にでも住んで夕霧が通ったということかなと想像しています。この部分後に続く夕霧物語の伏線でもあります。
2.姫君の入内は永遠の別れということではないようです。入内しても病気・出産時には必ず実家に戻ることが義務付けられてたのでこの時代天皇妃は宮中と実家を行ったり来たりしていた、、、、里に帰れば甘えられた、、、と思います。それだけに財政的にも権勢的にもしっかりした実家が大事であったということでしょうか。姫君の実家は勿論六条院春の町ですから何かあればここに戻ってくることになりますね。