若菜上(22・23) 秋好中宮&夕霧 それぞれに四十の賀

p134 – 142
22.秋好中宮、源氏のため諸寺に布施し饗宴す
 〈p100 十二月の二十日過ぎには、〉

 ①12月20日余り(23日)に今度は秋好中宮が源氏の四十の賀を行う。
  場所は当然自分の里邸、六条院秋の町

 ②秋好中宮は母六条御息所亡き後源氏が養父として後見し、藤壷との計らいで朱雀院の意向を無視して冷泉帝に入内させられた経緯がある。源氏は恩人である。

 ④源氏は一貫して派手なことを好まない。それでも中宮主催の賀宴、当然盛大になる。
  
23.勅命により夕霧、源氏のため賀宴を行う
 〈p102 帝は、せっかく御計画あそばしたいろいろなことを、〉

 ①四十の賀の最後に冷泉帝勅命により夕霧が主催して賀宴を行う。
  →冷泉帝と夕霧、、、、実は兄弟である。

 ②場所は六条院での夕霧の居所、夏の町。花散里の町である。
  →これで六条院での四十の賀は春の町(玉鬘)、秋の町(中宮)、夏の町(夕霧)と行われた。冬の町(明石の君)のところだけ行われない。

 ③夕霧は中納言にして右大将を兼ねることになった。異例の昇進。

 ④太政大臣(頭中)が主賓挌にて列席 
  太政大臣:今さかりの宿徳とは見えたまへる→老成の域
  源氏:なほいと若き源氏の君に見えたまへる→まだ若さを保っている

 ⑤例によって楽器を持ち出して遊びを行う。
  兵部卿宮=琵琶 源氏=琴の御琴 太政大臣=和琴 
  →それぞれが当代の名手

 ⑥夕霧の立派さを見ると源氏、頭中は昔のことが思い浮かぶ。
  →車争いのこと。物の怪に憑りつかれ出産後亡くなった葵の上のこと。
  →葵の上は頭中の妹である。

 ⑦夕霧のこの日の盛儀は養母花散里と正妻雲居雁がお世話している。

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若菜上(21) 紫の上による四十の賀

p127 – 134
21.紫の上の薬師仏供養と、精進落しの祝宴
 〈p95 十月には、紫の上が源氏の院の四十の御賀のために、〉

 ①G39年10月 紫の上が源氏が造営した嵯峨野の御堂(今の清凉寺)で薬師仏供養を行う。
  →丁度紅葉の頃で嵯峨野はきれいだったろう。
  →紫の上にとっては初めての嵯峨野行きではなかろうか。

 ②10月23日 これも紫の上主催で二条院で精進落しの祝宴
  →玉鬘の若菜の宴も1月23日。23日が源氏の誕生日だったか(脚注5)。

 ③二条院は紫の上の一番心安まる邸宅。
  →六条院には女君多く住んでおり気が安まらない。今後二条院に帰る機会が増える。

 ④楽宴となり舞・謡が披露される。
  夕霧(権中納言)と柏木(衛門督)が登場、落蹲を舞う
  いにしへの朱雀院の行幸に、青海波のいみじかりし夕、思ひ出でたまふ人々は、
  →G18年10月紅葉賀が思い出される。22年前のこと。
  →源氏(18才)&頭中(23才)vs 夕霧(19才)&柏木(25-6才)
  →若き二人の目出度い様子
  
 ⑤紅葉賀となると当然藤壷のことが思い出される。
  故入道の宮おはせましかば、かかる御賀など、我こそ進み仕うまつらましか、何ごとにつけてかは心ざしをも見えたてまつりけむと、飽かず口惜しくのみ思ひ出できこえたまふ
  →藤壷が亡くなったのは8年前@薄雲。源氏の心から藤壷が消えることはない。
  →そして藤壷の姪が女三の宮なのである。

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若菜上(20) 紫の上 vs 女三の宮

p118 – 126
20.紫の上、はじめて女三の宮に対面する
 〈p87 桐壷にいらっしゃる明石の女御は、〉

 ① 明石の姫君はG39年4月に入内、1年余経っている。明石の姫君12才。
  懐妊して六条院春の町に里帰りする。春の町は誠にややこしいことになる。
  
  東の対:源氏&紫の上
  寝殿の西側:女三の宮
  寝殿の東側:明石の姫君  両者の間には中仕切りの戸があるだけ
 
 ②女三の宮は14才 源氏の妻
  明石の姫君は12才 春宮の女御で妊娠中 源氏の娘
  →ちょっと考えただけでもこりゃあヤバイと感じます。

 ③紫の上、明石の女御に会うついでに女三の宮と対面
  →紫の上の心遣い。自分の方から会いにいく。女三の宮を正妻と認めることになる。
  →秀吉と家康、会いに行くのか来させるのかが大問題なんて場面もあった。

 ④女三の宮 「恥づかしうこそはあらめ。何ごとをか聞こえむ」
  →典型的な皇女の言葉。自分の言葉を持っていない。

 ⑤紫の上 我より上の人やはあるべき 
  →自負はあるものの現実には女三の宮を立てねばならない。つらかったことだろう。
  →明石の君も紫の上に同じ気持ちを抱いたのかも。

 ⑥源氏は紫の上の美しさを見て改めて礼讃する。
  めでたき盛りに見えたまふ。去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、
  →紫の上32才。匂うような大人の美しさだったのだろう。

 ⑦紫の上 身にちかく秋や来ぬらん見るままに青葉の山もうつろひにけり 代表歌
  →源氏に対し悩む心の内を懸命に訴えている。分かってあげなくっちゃ。

 ⑧今宵は、いづ方にも御暇ありぬべければ、かの忍び所に、いとわりなくて出でたまひにけり。いとあるまじきことと、いみじく思し返すにもかなはざりけり。
  →あの再会が火をつけた。朧月夜がいくらよかったとしてもあってはならないこと。
  →女三の宮という爆弾を抱え悩める初老の源氏。心の安らぎを求めるにはこれしかなかったのか。

 ⑨紫の上、女三の宮に対面。
  →紫の上32才、女三の宮14才。親子の年令差。
  →女三の宮には紫の上への対抗心などあろう筈もなくただ優しいオバサンと映ったのではないか。

 ⑩紫の上・女三の宮二人の関係に世間は好奇心いっぱい。
  →紫の上は動じない。でも心の内で辛抱は膨らむばかり。

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若菜上(19) 朧月夜との15年振りの再会

p102 -117
19.源氏ひそかに二条宮を訪れ朧月夜に逢う
 〈p75 今はいよいよこれまでと、〉

 さてここで大変な話が挿入される。あの朧月夜の登場である。
 ①朧月夜はずっと朱雀院の寵愛を受けていっしょに暮らしてきた。朱雀院が西山に移ったので昔の実家、あの右大臣邸へ戻る。
  →源氏が藤の宴で朧月夜に再び逢った所(花宴)。そして密会を右大臣に見つけられた所(賢木)。

 ②源氏はそれを知って早速に行動を起こす。
 今一たびあひ見て、その世のことも聞こえまほしくのみ思しわたるを、
  →17段末で紫の上へのひたぶるの愛を再認識した源氏、、ああそれなのに。病気は治らない。

  百人一首No.56 和泉式部(情熱歌人の歌が引用される)
  あらざらむこの世のほかの思ひ出でにいまひとたびの逢ふこともがな

 ③伝手(女房の兄弟)をたぐって思いを伝える。朧月夜は何を今さらと断る。
  →断られると火がつくのが光の君。昔の情熱が甦る。

 ④東の院にものする常陸の君の、日ごろわづらひて久しくなりけるを、
  →バレバレの口実。末摘花も病気にされてしまう。いやはや。
  
  姫宮の御事の後は、何ごとも、いと過ぎぬる方のやうにはあらず、すこし隔つる心添ひて、見知らぬやうにておはす
  →もう昔の紫の上ではない。心が離れはじめている。
 
 ⑤そして二条の宮行きを決行する。
  、、、とわりなく聞こえたまへば、いたく嘆く嘆くゐざり出でたまへり。さればよ、なほけ近さは、とかつ思さる
  →源氏も朧月夜も変っていない。強引な源氏、拒みきれない朧月夜。

 ⑥え心強くももてなしたまはず。なほらうらうじく、若う、なつかしくて、ひとかたならぬ世のつつましさをもあはれをも、思ひ乱れて、嘆きがちにてものしたまふ気色など、今はじめたらむよりもめづらしくあはれにて、明けゆくも口惜しくて、出でたまはむ空もなし。 名場面

  →名場面、名調子。読者は様々に情交場面を思い描いたのではないか。
  →朧月夜と初めて情を交したのはG20年2月(花宴)それから二人は密会を重ねついに見つかり弘徽殿大后を激怒させたのがG25年夏の雷の夜(賢木)。15年振りの再会である。

  →寝所は15年前雷の夜と同じかもしれません。源氏には見つかった時の右大臣の早口が甦ったことでしょう。「賢木」33段読み返してはいかがでしょう。
  
 ⑦中納言の君 さる方にてもなどか見たてまつり過ぐしたまはざらむ
  →源氏も朧月夜を妻にしておれば人生変わっていたのではなかろうか。

 ⑧源氏 沈みしも忘れぬものをこりずまに身もなげつべき宿のふぢ波
  朧月夜 身をなげむふちもまことのふちならでかけじやさらにこりずまの波
  →互いに愛しながら結ばれなかった二人の切ない歌ではなかろうか。

 ⑩六条院、紫の上の所へ帰宅
  いみじく忍びたまへる御寝くたれのさまを待ち受けて
  →これはいけない。キチンと身なりを整えて颯爽と帰らなくっちゃ。

 ⑪朧月夜のことを紫の上に白状してしまう源氏。さすがに涙ぐむ紫の上。
  →これは決定的ではなかろうか。女三の宮のことは何とか耐えようと必死の紫の上も朧月夜とよりを戻したと聞かされてはぶっちぎれたのではなかろうか。
  →女三の宮のことでたまったストレスを解消しに出かけたのかも知れないが、そりゃあマズイでしょうよ。源氏さん!

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講読開始1年経過、第二部に入りました。

昨年10月桐壷から始め本年9月末に第33巻藤裏葉まで終りました。10月から第二部源氏物語の中で最も面白く重要と言われている若菜(上・下)にかかっています。

これまでの分をプリントアウトしてみると紙数も相当にのぼり結構やってきたなと感慨深いものがあります。ただ読み返してみると文体も書式もテンでバラバラで恥ずかしくなりますし、内容的にも読み込み度が足らず上っ面を撫でただけの所もあり腹立たしくもあります。

投稿毎に熱烈コメントをいただき巻毎に和歌を詠んでいただいている青玉さん、本ブログの至宝朗読をアップいただいている式部さん、ブログ作成者の強引な勧誘にのってフォローいただいている進乃君さん、ハッチーさんそして本ブログを管理監修いただいている万葉さんに厚くお礼申し上げます。どうぞ引き続きブログ共同作成者としてバックアップいただきますようお願いいたします。

この所家族・一族のアッシーに駆り出されることが多く(勿論ゴルフやらカラオケやら飲み会やら自分の遊びも忙しく)中々机に座る時間がとれません。現在若菜上・下にとりかかっており、この重要な巻、色々調べてみたいこと考えてみたいこと一杯あるのですがサボってしまっているのが実情です。今はとにかく計画した通り来年の9月までに宇治の夢浮橋に辿り着くのが第一と考えています。

ところでここ最近の源氏と並ぶ私の三本柱はゴルフと朝の散歩です。
ゴルフは回数が増え益々面白さに魅せられています。思うようにならない、でもやっていると少しづつ何かが変わってくるって感じがしています。ゴルフについて最近私が思っているのは「ドライバーは運動能力、アプローチはセンス、パットはメンタル」ということです。年はとってもそれなりに楽しめる、そう思って続けていきたいと考えています。

自宅から江戸川土手までを周回する朝の散歩にもハマっています。一に野鳥、二に草花、三に富士山です。とにかく野鳥が多い。雉・カワセミ・おおたかが三大関心でこれらを見かけると嬉しくなります。今は百舌鳥ですが今日なんと雲雀が短時間ですが上空に上がり囀っているのを見聞きして興奮しました。「この辺、春は雲雀がいるところなんだけどなぁ」と言いつつ歩いていたら頭の上で声がしたのです。真夏日に惑わされてのことでしょうか。もう少し野鳥の知識を深めればもっと楽しめるのになあと思っています。

野原・土手の野草(草&花)にも興味が湧いてきました。どんな草にも花が咲き実がなる。草花図鑑でも買ってきて名前を覚えることから始めなくっちゃ。2シーズン(2年)くらいかければ色んなことが見えて来るのではと期待しています。エノコログサ・センダングサ・イヌタデ・マツヨイグサ、、、ここ2・3日で覚えた名前です(今まで何にも知りませんでした)。

以上とりとめもない雑記です。

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若菜上(16・17・18) 女三の宮の幼い様子

p93 – 102
16.源氏、女三の宮に歌を贈る 幼き返歌来る
 〈p67 昔のことをあれこれと思い出されながら、〉

 ①新婚四日目は雪のせいにして女三の宮の所へ行かない。手紙を送る。
  女三の宮の女房は不満に思う。源氏も朱雀院の手前マズイかなと悩む。

 ②新婚五日目の朝 白梅に付けて歌を贈る。
  源氏 中道をへだつるほどはなけれども心みだるるけさのあは雪
  →梅の花 匂いが強い。
   梅が香を桜の枝ににほはせて柳が枝に咲かせてしがな(中原致時)
    
  女三の宮からの返歌 はかなくてうはの空にぞ消えぬべき風にただよふ春のあは雪
  →筆跡は若々しい(幼い)。でも内容はそこそこ、乳母が書かせたのか。

17.源氏、幼い宮に比べ紫の上の立派さを思う
 〈p71 今日は、昼間はじめて、〉

 ①新婚五日目の昼、女三の宮を訪れる。源氏の素晴らしさに女房は驚き不安を感じる。

 ②女三の宮の様子
  いとらうたげに幼きさまにて、
  みづからは何心もなくものはかなき御ほどにて、
  ことに恥ちなどもしたまはず、ただ児の面嫌ひせぬ心地して、心やすくうつくしきさましたまへり

  →心幼く、人見知りせず、おっとりしてる。正に皇女の典型。
  →源氏は不満ではあるがAcceptせざるを得ない。

 ③対の上の御ありさまぞなほありがたく、我ながらも生ほしたてけりと思す。一夜のほど、朝の間も恋しくおぼつかなく、、

  →源氏は女三の宮を見て紫の上を尚更に愛おしく思う。この辺人の心の機微を語っている。

18.朱雀院山寺に移り、源氏と紫の上に消息
 〈p73 朱雀院は、この二月中に西山の御寺にお入りになりました。〉

 ①G39年2月 女三の宮を六条院に移して朱雀院は西山に移る。
  →出家はしていたが女三の宮が居る間は朱雀院から出られなかったのであろう。

 ②朱雀院から紫の上によろしく頼むとの文が届く。
  →太上天皇から一女性に手紙が来る。異例のこと。余程女三の宮が心配だったのだろう。

  朱雀院 背きにしこの世にのこる心こそ入る山道のほだしなりけれ
  紫の上 背く世のうしろめたくはさりがたきほだしをしひてかけな離れそ

  →正直・率直な朱雀院。紫の上の返歌はチトきつい感じ。

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若菜上(13・14・15) 女三の宮、六条院に嫁入り

p80 – 92
13.二月中旬、女三の宮を六条院に迎え入れる
 〈p57 こうして、いよいよ二月の十日過ぎに、〉

 ①G40年2月10余日 女三の宮六条院に嫁入り!
  御車寄せたる所に、院渡りたまひて、おろしたてまつりたまふ 名場面

  よく抱きおろして姫を迎える源氏である。
  →紫の上を二条院に迎えた時:
   いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ(若紫p96)
  →明石の姫君を二条院に迎えた時:
   若君は、道にて寝たまひにけり。抱きおろされて、泣きなどはしたまはず(薄雲p180)

 ②婚儀が三日間続く。甲斐甲斐しく世話を焼く紫の上。
  
 ③源氏の述懐
  姫宮は、げにまだいと小さく片なりにおはする中にも、いといはけなき気色して、、、、、、いとあまりもののはえなき御さまかなと見たてまつりたまふ 
  →紫の上を引き取ったときに比べ余りに幼い女三の宮。源氏の苦悩の始まり。

 晶子の歌が情況を言い尽くしている。
  たちまちに知らぬ花さくおぼつかな天よりこしをうたがわねども

14.新婚三日の夜、源氏の反省と紫の上の苦悩
 〈p59 お輿入れから三日間は、〉

 ①源氏→紫の上
  今宵ばかりはことわりとゆるしたまひてんな。これより後のとだえあらんこし、身ながらも心づきなかるべけれ。またさりとて、かの院に聞こしめさむことよ

  紫の上→源氏
  みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も。いづこにとまるべきにか

  →後悔しつつ正当化せねばならない源氏。許すも許さないもない紫の上。

 ②気丈に冷静を装って源氏を送り出した後の紫の上
  自らあれこれ考えるに女房たちの同情と心配の声が耳に入る。知らん顔する紫の上。
  
 ③紫の上→女房たち 
  この宮のかく渡りたまへるこそめやすけれ。
  我も睦びきこえてあらまほしきを、

  →女三の宮の方が上なんですよと宣言する紫の上。
   女房たちが「あまりなる御思ひやりかな」と言うのも無理ないところでしょう。

 ④ふとも寝入られたまはぬを、近くさぶらふ人々あやしとや聞かむと、うちも身じろきたまはぬも、なほいと苦しげなり。
  →これは苦しい。ここまで周りを気遣わねばならないのだろうか。身が持たないでしょうに。

15.源氏、夢に紫の上を見て、暁に急ぎ帰る
 〈p65 ことさら恨んでばかりでいらっしゃるわけではないのですが、〉

 ①その夜源氏は紫の上のことを夢に見て急ぎ紫の上の所へ帰る。周りは雪、冷え込んでいる。

 ②戸をたたく源氏、寝たふり知らんふりの女房たち。
  「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。怖ぢきこゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは、罪なしや」
  →悪役源氏が報復を受ける痛快場面。ユーモアにも富んでいる。

 ③御衣ひきやりなどしたまふに、、、
  →ここで実事はあったのだろうか。丸谷・大野は「あった、それでも紫の上の機嫌は変わらなかった」との説。本文からは「迫ったけど拒まれた」と読むのが自然だと思うのだが、、、。

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若菜上(12) 玉鬘による四十の賀

p70 – 80
12.玉鬘、若菜を進上 源氏の四十の賀宴催す
 〈p48 新年になりました。〉

 ①夕霧の結婚、姫君の入内、六条院への栄えある行幸そして女三の宮との結婚話と随分色々あったG39年が暮れて、G40年となる。

 ②源氏40才。老年期に入る。長寿を祝う儀式が行われる。 名場面
  その第一弾として正月子の日に玉鬘が若菜(食べると若返る菜ということか)を持ってお祝いに参上する。
  →サプライズパーテイである。玉鬘のエライところ!

 ③玉鬘は髭黒左大将の北の方に納まり世をときめく勢い、自ずと豪華な儀式、宴会になる。
  御地敷40枚、籠物40枝、折櫃物40
  →四十の賀だから40としたのであろうか。

 ④源氏と玉鬘久しぶりの対面 G38年初に玉鬘が出仕して以来だから2年ぶりか。
  →う~ん、お互い懐かしかったことだろう。源氏の目に人妻となり子どもを連れて来た玉鬘はどう映ったのだろう。

 ⑤玉鬘の子ども(男子二人)について
  髭黒玉鬘(強制)結婚 G37年10月(真木柱)
  第一子誕生      G38年11月(真木柱)
  第二子誕生      G39年暮 ないし G40年1月 
   即ち第二子が産まれていてもまだ生後2ヶ月くらいの筈。
  →ちょっとおかしいが良しとしましょう。

 ⑥二人の子ども、玉鬘は恥ずかしくて見せたくないが髭黒は見せて自慢したい。
  →二人の心境よく分かります。髭黒もカラッとしていて好ましい。
  →髭黒が玉鬘に「四十の賀、サプライズでやろう」とそそのかしたのかも。

 ⑦夕霧は源氏に子ども見せない。
  →夕霧の結婚はG39年4月(藤の宴にて)なのでこれもちょっとおかしいが、、、。

 ⑧玉鬘 若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根をいのる今日かな
  源氏 小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき 代表歌
  →感情のこもった歌の贈答ではなかろうか。

 ⑨式部卿宮も遅れて参列
  →髭黒・玉鬘と顔を合わせるのは気まずかったことだろう。

 ⑩楽宴になる。
  柏木(衛門督)の登場。和琴の名手である。
  →これからの物語の主役になる柏木をさりげなく紹介している。

 ⑪朝になり宴果てて玉鬘は帰っていく。
  →源氏は玉鬘に逢えて嬉しかったとともに老人期に入ったことを自覚させられ、かつ女三の宮のことが頭をよぎり複雑な気持ちだったのではなかろうか。

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若菜上(10・11) 源氏、女三の宮を承引 紫の上の苦悩始まる

p56 – 70
10.源氏朱雀院を見舞い女三の宮の後見を承引
 〈p39 六条院の源氏の君も、〉

 ①源氏が出家した朱雀院を見舞いに訪れる(@朱雀院)
  源氏は准太上天皇、本来仰々しいはずだが簡略スタイルで訪れる。

 ②源氏・朱雀院互いに昔話をするついでに朱雀院が女三の宮のことを切り出す。
  皇女たちを、あまたうち棄てはべるなむ心苦しき。中にも、また思ひゆづる人なきをば、とりわきてうしろめたく見わづらひはべる
  →朱雀院らしからぬストレートなものの言い方。切迫した気持ちが伝わる。

 ③源氏は先ず春宮を立て、一般論として女性の身の処し方を語る。
  なほ、強ひて後の世の御疑ひ残るべくは、よろしきに思し選びて、忍びてさるべき御あづかりを定めおかせたまふべきになむはべなる
  →そう言えば答えは「源氏」しかなかろうに、、、。自分の首を絞めている感じ。

 ④朱雀院 かたはらいたき譲りなれど、このいはけなき内親王ひとり、とりわきてはぐくみ思して、さるべきよすがをも、御心に思し定めて預けたまへと聞こえまほしきを
  →これも極めてストレートなお願い。必死の願いであることがよく分かる。

 ⑤そして源氏は うけひき申したまひつ
  →ああとうとう源氏は女三の宮を引き受けてしまった!
  →朱雀院は風邪をひいていたがさぞやホッとしたことだろう。

 第二部メインストーリーの一つ女三の宮物語の始まりです。

11.源氏、紫の上に女三の宮のことを伝える
 〈p44 源氏の君は、女三の宮のことをお引き受けしたものの、〉

 ①さて紫の上の苦悩の始まりです。
  さることやあるとも問ひきこえたまはず、何心もなくておはするに、、、、、見定めたまはざらむほど、いかに思ひ疑ひたまはむ

  紫の上は朝顔とのことで相当苦しめられた。それがなくなりもう結婚話はないだろうとある程度安心していたであろうに。

 ②翌日源氏は紫の上に女三の宮のことを切り出す。
  いみじきことありとも、御ため、あるより変ることはさらにあるまじきを。心なおきたまひそよ
  →紫の上の心は凍りついたのではないか。

 ③紫の上 あはれなる御譲りにこそはあなれ。、、、、かの母女御の御方ざまにても、疎からず思し数まへてむや
  →これが良くも悪くも紫の上。泣きわめいてもいい所なのに。
  →それにしても出来過ぎの対応ではなかろうか。

 ④源氏の言い草は誠に白々しい。都合のいい話である。
  →愛する妻への甘えであろうが、こう言い繕うしかないのであろう。

 ⑤紫の上の心内
  心の中にも、かく空より出で来にたるやうなることにて、のがれたまひがたきを、、、、、、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひあはせたまはむ
  →これが紫の上なのであろう。優しくて寛容で物分りがよくて、、、。

 ⑥おいらかなる人の御心といへど
  いとおいらかにのみもてなしたまへり

  「おいらか」=「「おいらか」というのは、このごろ「おおらか」と訳すけど、そうじゃない。年老いて、いろんなことを経験した人が何にあってもそれほど騒がないということです」(大野晋) 

  →紫の上の心中は言葉通りだけではなかったということでしょう。
 

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若菜上(8・9) 女三の宮の裳着の儀・朱雀院出家

p48 – 56
8.源氏、朱雀院の内意を伝えられ辞退する
 〈p32 源氏の君は、女三の宮の結婚の件で、〉

 ①朱雀院の内意を聞いての源氏の反応
  自分も老い先は短い、出家の妨げにもなる。
  →ごく真っ当な考え。
  夕霧ならいいのだろうが、正妻がいて朱雀院も遠慮するだろう。
  →妻を複数持つのが当たり前の当時夕霧の身の処し方真面目さは異常にも思える。

 ②源氏 ただ内裏にこそ奉りたまはめ
  冷泉帝に入内させてはどうか、、、
  →冷泉帝には秋好中宮がおり弘徽殿女御がいる。源氏は本気でそう思ったのだろうか?
  →女三の宮は藤壷入道の姪、紫のゆかり。源氏はそれを思いぐっと心が動いたのであろう。 

9.女三の宮の裳着の儀終わり、朱雀院出家する
 〈p34 その年もおしつまりました。〉 

 ①G39年暮れ 朱雀院は女三の宮の裳着の儀を急ぎ行う(@朱雀院邸)。
  腰結役は太政大臣(頭中)、玉鬘の時もそうであった。
  →朱雀院の儀式としてはこれが最後、誠に華やかに行う。

 ②秋好中宮から 
  御装束、櫛の箱心ことに調ぜさせたまひて、かの昔の御髪上の具、ゆゑあるさまに改め加へて、さすがにもとの心ばへも失はず、

  中宮 さしながら昔を今につたふれば玉の小櫛ぞ神さびにける
  朱雀院 さしつぎに見るものにもが万代をつげの小櫛の神さびるまで

  朱雀院は秋好中宮を愛しいと思っていた。朱雀院の意向を無視して源氏と藤壷入道が冷泉帝に入内させた(絵合)。
  その時の朱雀院の悔しげな歌
   わかれ路に添へし小櫛をかごとにてはるけき仲と神やいさめし

 ③女三の宮の裳着の儀を終えて朱雀院は出家する。
  →出家のタイミング、何故この時なんだろう。まだ女三の宮の身の振り方も決まっていないのに。
  →自分でテキパキと決めていける人ではなかった。ここで出家するのも気弱のなせる業か。
  

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