p93 – 102
16.源氏、女三の宮に歌を贈る 幼き返歌来る
〈p67 昔のことをあれこれと思い出されながら、〉
①新婚四日目は雪のせいにして女三の宮の所へ行かない。手紙を送る。
女三の宮の女房は不満に思う。源氏も朱雀院の手前マズイかなと悩む。
②新婚五日目の朝 白梅に付けて歌を贈る。
源氏 中道をへだつるほどはなけれども心みだるるけさのあは雪
→梅の花 匂いが強い。
梅が香を桜の枝ににほはせて柳が枝に咲かせてしがな(中原致時)
女三の宮からの返歌 はかなくてうはの空にぞ消えぬべき風にただよふ春のあは雪
→筆跡は若々しい(幼い)。でも内容はそこそこ、乳母が書かせたのか。
17.源氏、幼い宮に比べ紫の上の立派さを思う
〈p71 今日は、昼間はじめて、〉
①新婚五日目の昼、女三の宮を訪れる。源氏の素晴らしさに女房は驚き不安を感じる。
②女三の宮の様子
いとらうたげに幼きさまにて、
みづからは何心もなくものはかなき御ほどにて、
ことに恥ちなどもしたまはず、ただ児の面嫌ひせぬ心地して、心やすくうつくしきさましたまへり
→心幼く、人見知りせず、おっとりしてる。正に皇女の典型。
→源氏は不満ではあるがAcceptせざるを得ない。
③対の上の御ありさまぞなほありがたく、我ながらも生ほしたてけりと思す。一夜のほど、朝の間も恋しくおぼつかなく、、
→源氏は女三の宮を見て紫の上を尚更に愛おしく思う。この辺人の心の機微を語っている。
18.朱雀院山寺に移り、源氏と紫の上に消息
〈p73 朱雀院は、この二月中に西山の御寺にお入りになりました。〉
①G39年2月 女三の宮を六条院に移して朱雀院は西山に移る。
→出家はしていたが女三の宮が居る間は朱雀院から出られなかったのであろう。
②朱雀院から紫の上によろしく頼むとの文が届く。
→太上天皇から一女性に手紙が来る。異例のこと。余程女三の宮が心配だったのだろう。
朱雀院 背きにしこの世にのこる心こそ入る山道のほだしなりけれ
紫の上 背く世のうしろめたくはさりがたきほだしをしひてかけな離れそ
→正直・率直な朱雀院。紫の上の返歌はチトきつい感じ。
稚児のごとく幼い姫宮に対しすべてにおいて立派な紫の上を再認識する源氏。
宮の幼稚さを理由に暗に貴女とは比較にならない程度ですよとばかりに言い訳をする源氏。
女心はそんな言葉で騙せるものではありません。
まして賢明な紫の上です。
宮のお歌はさぞかし幼くたどたどしい筆跡だったのでしょうね。
朱雀院の育て方に対して若紫の育て方に満足をする源氏ですがそんな悠長に構えておれるのでしょうか?
出家してもなお嫁いだ姫宮を心配しなければならない朱雀院。
異常なまでに愚かしい親心、そこまで庇護せざるを得ない女三の宮だったのでしょうか?
異例とまで言える院から紫の上への文、哀しいまでの親心ですね。
それに対する紫の上の切り返し、女の矜持を感じます。
ありがとうございます。
1.女三の宮の幼い様子が繰り返し述べられます。昔10才で(無理やり)引き取った紫の上との比較もさることながら、今比較するのは明石の女御でしょうに。明石の女御の方が2才ほど年下、それで女御として東宮の寵愛を勝ち取り世間の覚えもめでたい。これも朱雀院には気の毒ですが育て方の違いということでしょう。
→明石の女御は源氏サイド(紫の上&宣旨娘)が将来の入内・国母を念頭にキチンと英才教育をした。女三の宮はただただ皇女らしくおっとりと育てられた。人間力において差が出るのは当然だと思います。
2.初め読んだ時この朱雀院の紫の上への手紙には驚きました。出家先からこれほどあからさまに弱味を見せられる朱雀院の正直さに逆に感心しました。
紫の上の返信は「女の矜持」ですか。なるほど、ピッタリです。
脚注7にある通りやや批判がましい内容でこんなの書いていいのかなと思いましたがそこは紫式部。 、、、などやうにぞあめりし、、、、とぼかしてるんですね。これも細かいながら配慮じゃないでしょうか。