p134 – 142
22.秋好中宮、源氏のため諸寺に布施し饗宴す
〈p100 十二月の二十日過ぎには、〉
①12月20日余り(23日)に今度は秋好中宮が源氏の四十の賀を行う。
場所は当然自分の里邸、六条院秋の町
②秋好中宮は母六条御息所亡き後源氏が養父として後見し、藤壷との計らいで朱雀院の意向を無視して冷泉帝に入内させられた経緯がある。源氏は恩人である。
④源氏は一貫して派手なことを好まない。それでも中宮主催の賀宴、当然盛大になる。
23.勅命により夕霧、源氏のため賀宴を行う
〈p102 帝は、せっかく御計画あそばしたいろいろなことを、〉
①四十の賀の最後に冷泉帝勅命により夕霧が主催して賀宴を行う。
→冷泉帝と夕霧、、、、実は兄弟である。
②場所は六条院での夕霧の居所、夏の町。花散里の町である。
→これで六条院での四十の賀は春の町(玉鬘)、秋の町(中宮)、夏の町(夕霧)と行われた。冬の町(明石の君)のところだけ行われない。
③夕霧は中納言にして右大将を兼ねることになった。異例の昇進。
④太政大臣(頭中)が主賓挌にて列席
太政大臣:今さかりの宿徳とは見えたまへる→老成の域
源氏:なほいと若き源氏の君に見えたまへる→まだ若さを保っている
⑤例によって楽器を持ち出して遊びを行う。
兵部卿宮=琵琶 源氏=琴の御琴 太政大臣=和琴
→それぞれが当代の名手
⑥夕霧の立派さを見ると源氏、頭中は昔のことが思い浮かぶ。
→車争いのこと。物の怪に憑りつかれ出産後亡くなった葵の上のこと。
→葵の上は頭中の妹である。
⑦夕霧のこの日の盛儀は養母花散里と正妻雲居雁がお世話している。
玉蔓 紫の上 秋好中宮、そして締めは帝の仰せで夕霧が執り行う祝賀の宴。
源氏の意思にかかわらずさぞかし華やかな宴だったのでしょう。
最後を飾る賀宴は一層華やかに舞、管弦のお遊び等その描写も事細かで四十の賀にふさわしく故人を回想したり年月の流れにしみじみ感慨深い場面でした。
夕霧は異例の昇進で太政大臣をバックに持ち北の方とも穏やかな様子で安泰ですね。
ありがとうございます。
G40年源氏40才の年は実に4回に亘り四十の賀行事が行われたのですね。その締めくくりが冷泉帝思し召しによるもの(謂わば公式行事だったのだろう)。
それで太政大臣(頭中)も参列する。(玉鬘のはサプライズパーテイだし、紫の上と中宮のものもプライベートな位置づけなので地位的に重すぎる太政大臣は参列していない)
昔の御物語どもなど出で来て、今、はた、かかる御仲らひに、いづ方につけても聞こえ通ひたまふべき御睦びなど心よく聞こえたまひて、御酒あまた度まゐりて、物のおもしろさもとどこほりなく、御酔泣きどもえとどめたまはず。
→源氏は頭中が来てくれてどんなにか嬉しかったことか。二人して酔いつぶれるまで飲んだことでしょう。