p142 – 151
24.新年、明石の女御出産迫り加持祈祷する
〈p106 新しい年になりました。〉
①さて四十の賀の年は過ぎてG41年、明石物語へと話が移る。
②明石の女御が懐妊して昨年来里下がりで春の町寝殿の東側に住んでいる。
出産が近づき加持祈祷が行われる。
→源氏には葵の上を出産で失った痛恨事が頭から離れない。
③明石の女御は方違えで同じ六条院内の実母明石の君の冬の町中の対に移る。
④母君、この時にわが御宿世も見ゆべきわざなめれば、いみじき心を尽くしたまふ
→実母明石の君にとっても一世一代の大勝負。無事男の子を産んで欲しい!
25.尼君、女御に昔を語る 明石の君の狼狽
〈p107 あの女御の祖母にあたる大尼君も、〉
①明石の尼君登場。65-6才。呆けてはいるが元気である。
②母明石の君は女御が入内の時対面しているが明石の尼君はまだ会っていなかった。大堰の別れ以来10年振りに孫と対面。
→これは嬉しかったことでしょう。生きていた甲斐があったと思ったでしょう。
③女御の出自については源氏も養母紫の上も実母明石の君も言葉を濁してきた。尼君が嬉しさの余り見境なく女御に昔のことを語り聞かせる。
→そりゃあ仕方ないでしょう。尼君を責めるのは可哀そうです。
④これを聞いた女御(13才)の物分りの良さが素晴らしい。教育の賜物であろう。
わが身は、げにうけばりていみじかるべき際にはあらざりけると、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へるさまなどもかたほにはあらぬなりけり、、、、
⑤明石の君も尼君が余計なことを喋ったなと気づくが苦笑するしかない。
→いつかは知らねばならないこと。冷泉帝もそうだが出生のことは早く知る方が望ましい。
⑥明石三代の女性の唱和
尼君 老の波かひある浦に立ちいでてしほたるるあまを誰かとどめむ
明石の女御 しほたるるあまを波路のしるべにてたづねも見ばや浜のとまやを
明石の君 世をすてて明石の浦にすむ人も心の闇ははるけしもせじ
→尼君の歌も衰えていない。13才の女御も素直で好ましい。
→明石一族の聡明さが表れている。
この頃の出産は今と違って命がけだったのでしょうね。
そのために加持祈祷は欠かせない。
明石一族にとって国母となるためには男児の出産に賭ける・・・
そして尼君、久々の登場。
この場面感動的です。尼君の昔語り、これがあってこそ物語も効果的です。
卑しい出自で女御を卑屈にさせたくない親心に対し尼君の正直な告白。
「こんなに苦労があったんですよ」と思わず口を突く・・・
尼君の気持は痛いほどわかりますね。
現代とは比べるべくもないですが自らのアイディンティティとして知るべきであり女御も結果的に知ってよかったと尼君を労わっていますよね。
紫の上はしっかりと聡明な女性に教育なされたようです。
この親子三代の女性素晴らしいと思います。
お互いを思いやり気遣う気持ち。
和歌の唱和も素晴らしい!!
ありがとうございます。
おっしゃる通り明石一族の尼君-明石の君-明石の女御、この女三代はよくできた素晴らしい女性だと思います。偏屈な入道と真っ当な尼君との夫婦愛、両親の期待に沿って自制に生きる明石の君、その血を受け紫の上の英才教育で見事に国母として花開こうとしている明石の女御。この三人の和歌の唱和は読んでいて気持ちよくなります。
尼君と女御の対面場面はホント感動的です。年老いた尼君に思い出話をさせる、、、これも作者の意図あってのことでしょう。万事理性に生きる明石の君に語らせてもそれほど面白くないでしょうから。
方違えという方便で女御を冬の町に移すのも上手いなあと思います。
家族の結びつきの強さ、目的意識のぶれないこと、それぞれが聡明であることなど明石一族からは読者として学ぶことが多い気がします。
家族のありかたとしては現代に置き換えても納得できるものです。
平安時代にもこういう家族(貴族)がいたのでしょうね。すべて紫式部が架空のお話として書いたわけではないように思います。
ありがとうございます。
入道を長とする明石の一族は受領階級(中の品の階級)のお手本だったことでしょう。現代にも通じると思います。明石の君・玉鬘、出自は一流でなくっても地方で育っても教育さえ間違えなければ超一流に伍して行ける人物になることができる。紫式部は自らを投影しつつそう言いたかったのではないでしょうか。
おっしゃる通り当時にもそのような素晴らしい家族がいて評判になったりしていたのでしょうね。マスメディアがない時代でもスキャンダルやらサクセスストーリーはすぐ人の口から口へと伝わるでしょうから。