p152 – 156
26.明石の女御 男御子を出産 人々の喜び
〈p113 三月の十日過ぎに、〉
①三月の十余日のほどに、たひらかに生まれたまひぬ。、、、、男御子にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿も御心落ちゐたまひぬ。
→出産の様子は省筆されていきなり無事の出産が語られる。
→全く同じ描写が明石の姫君(女御)誕生の時にある。
「(三月)十六日になむ。女にてたひらかにものしたまふ」(澪標p202)
②出産は冬の町でなされたが産湯の儀式は正式な居所春の町で行う。
紫の上が白装束で新生児を抱いて(本当の祖母のように)産湯の儀式を行う。
産湯を使わすのは春宮の宣旨、明石の君はその介添え役をつとめる。
→紫の上も嬉しかったことだろう。明石の君はあくまで裏方に回る。
③産養の儀、産後3・5・7・9日目。7日目は冷泉帝・秋好中宮・朱雀院からも祝いが寄せられる。
→3・5・7・9日それぞれ紫式部日記に詳しく書かれている(それが目的であった)。
④大殿の君も、若宮をほどなく抱きたてまつりたまひて、、
→孫を抱く源氏。夕霧には孫沢山できているが夕霧は源氏に見せない。
→源氏は天にも昇る気持ちだったろう。
⑤紫式部日記(史実)との対比
源氏物語: 源氏 - 明石の女御 - 男御子 (御湯殿=春宮宣旨 介添え=明石の君)
紫式部日記(史実): 道長 - 彰子 - 敦成親王 (御湯殿=宰相の君 介添え=大納言の君)
→源氏と道長が相通じていることがよくわかる。
27.若宮成長し紫の上と明石の君の仲睦まじ
〈p116 若宮は日ましに、ものを引き伸ばすように〉
①御乳母など、心知らぬはとみに召さで、さぶらふ中に品、心すぐれたるかぎりを選りて仕ふまつらせたまふ
→乳母は重要。人品・人格がポイント。(源氏物語が教育書と謂われる所以であろう)
②紫の上と明石の君、姫君入内の時初対面。その後互いに認め合う好ましい関係になっている。今回女御の出産は両者にとって素直に嬉しかったであろう。
→源氏も胸をなでおろしたことだろう。
③男御子は紫の上・明石の君にとって初孫。
→孫は可愛い。実子のない紫の上は出ない乳房を含ませ慈しみ育てた養女の子ども。天児(厄払いの人形)を自分で作ったり、幸せを実感したことであろう。
④古代の尼君(明石の尼君)にとってはひ孫。
→ひ孫となるともう孫ほどの嬉しさは湧かないのかもしれない。
→明石の尼君には大堰で別れたあとの孫(明石の姫君)と会えないのが辛かったことだろう。
無事念願の男御子誕生。
親王誕生の際の諸儀がめでたく盛大に執り行われ源氏、紫の上 明石の君それぞれ喜びこの上ない様子ですね。
特に紫の上、
白き御装束したまひて、人の親めきて若宮をつと抱きゐたまへるさまいとおかし~むつかしげにおはするほどを、絶えず抱きとりたまへば・・・
この辺りの表現は出産経験のある紫式部ならでこそ。
明石の君の態度も好ましくだからこそ紫の上もかつての嫉妬心を忘れ気を許されたお仲になられたのでしょうね。
この場面は終始微笑ましく心和みました。
ありがとうございます。
源氏物語中の出産シーン(これまでの所)
・冷泉帝(紅葉賀)
・夕霧(葵)
・明石の姫君(澪標)
そして今回の男御子
今回が一番詳しく喜びに富んだ調子で書かれていると思います。
いつの時代でも子どもができ孫ができる喜びは大きく一族は皆ハッピーな気持ちになれる。況や末は天皇と言う子であってみたら。
源氏の嬉しさは筆控えめで書かれていますね。道長の喜びようの方が源氏物語より物語的で素敵だと思います。