p266 – 276
14.夕霧夫妻三条殿に移る 父大臣訪ねる
〈p322 中納言になられて御威勢が増し、〉
この段は全体が故大宮追悼である。
①夕霧・雲居雁は二条の頭中の屋敷から三条大宮邸(左大臣邸)に移る。
ここは雲居雁が育てられたところであり、夕霧が生まれたところ(葵の上はずっとここに居た)
②太政大臣(頭中)も訪れて3人で大宮追悼の歌を唱和する。
夕霧 なれこそは岩もるあるじ見し人のゆくへは知るや宿の真清水
雲居雁 なき人のかげだに見えずつれなくて心をやれるいさらゐの水
太政大臣 そのかみの老木はむべも朽ちぬらむ植ゑし小松も苔生ひにけり
→大宮の死が書かれておらず不満だったがやはりちゃんと追悼されていた。紫式部に抜かりはない。
15・16段の描写は第一部の幕を閉じるに相応しい。声を出して読むのがいいでしょう。
15.当帝、朱雀院ともに、六条院に行幸
〈p326 十月の二十日過ぎの頃に、〉
①G39年10月20余日 前代未聞、六条院に冷泉帝と朱雀院が同時に行幸する。
→准太上天皇になったとはいえ凄いこと。第一部フィナーレに相応しい場の設定である。
②六条院での至れり尽くせりの饗応の様子
主の御座は下れるを、宣旨ありて直させたまふ
→父に礼を尽くす帝。描写が細かい。
③20年前朱雀院に桐壷帝が行幸し行われた紅葉賀のことが回想される。
→源氏と頭中が青海波を舞った。
源氏 色まさるまがきの菊もをりをりに袖うちかけし秋を恋ふらし
太政大臣 むらさきの雲にまがへる菊の花にごりなき世の星かとぞ見る
④時雨、をり知り顔なり
→10月は時雨の季節、必ず挿入される。
16.日暮れ、宴酣にして帝・上皇、感慨深し
〈p329 夕風が、濃い色や薄い色の〉
①宴は夜に入りピークを迎える。
朱雀院 秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉のをりをこそ見ね
→朱雀院の歌だけ物悲しい。第二部への伏線であろうか。
②そして大トリは勿論時の天皇冷泉帝
冷泉帝 世のつねの紅葉とや見るいにしへのためしにひける庭の錦を 代表歌
→20年前紅葉賀の時、冷泉帝は藤壷のお腹の中にいた!
→源氏はこの歌を聞いて藤壷との一部始終が走馬灯のごとく蘇り、青海波を舞った時の晴れ晴れしさ・うしろめたさなど入り混じり感無量であったろう。
かくて第一部は大団円となります。
(本当はちょっと休憩が入るべきかもしれませんが本ブログはすぐ第二部へと入ります。この第二部がまた何ともスゴイのです。どうぞ期待してください)
思い出の左大臣邸での親子の邂逅、大宮を偲んで追悼の場面、いいですね。
大宮もきっとほほ笑んでおられることでしょう。
帝 朱雀帝お揃いでの行幸、この上ない典雅ですね。
読者にも紅葉賀の青海波が思い出される所です。
今日の三段は第一部最終章にふさわしく感慨深いものがありました。
君待ちていくとせ春の巡りきや
藤の若葉の花となるらむ
ありがとうございます。
1.フィナーレ(第一部)の舞台の設定見事ですねぇ。正しくメデタシメデタシで読者もにんまり。読んできてよかったなあと感じさせてくれます。
それにしても准太上天皇になった源氏の六条院へ当帝&朱雀院揃っての行幸。盛儀もここに極まれりでしょう。行幸(天皇の外出)、源氏物語にも何度か出て来ますが何と言っても一番華やかなのは本帖でしょう。
源氏物語に出てくる行幸
①桐壷帝の朱雀院への行幸(紅葉宴)「紅葉賀」
②朱雀帝の桐壷院への行幸(病気見舞い)「賢木」
③冷泉帝の藤壷女院への行幸(病気見舞い)「薄雲」
④冷泉帝の朱雀院への行幸(放島の試み)「少女」
⑤冷泉帝の大原野への行幸(鷹狩り)「行幸」
⑥冷泉帝の六条院への行幸(准太上天皇昇進を祝して)「藤裏葉」
2.藤裏葉の歌、いいですね。筒井筒の恋の成就を切なく喜びを持って詠みこまれていると思います。「君」は雲居雁でしょうか。逆に夕霧ととってもいいかもしれませんが。