p172 – 180
24.源氏、玉鬘に消息 髭黒、返事を代筆する
〈p245 三月になって、六条の院のお庭に、〉
①G38年3月晩春 藤・山吹の季節
→山吹は勿論玉鬘を連想させる。
②源氏は性懲りなく玉鬘に和歌&鴨の卵・蜜柑を贈る。
源氏 おなじ巣にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらん
③髭黒が手紙・歌を見て玉鬘の代筆で歌を返す。
髭黒 巣がくれて数にもあらぬかりのこをいづ方にかはとりかへすべき
→如何に養父格だったとはいえ自分の妻になった女に恋情を訴えてくる源氏。
→それに対し勝手に代筆して「ご機嫌ななめですなぁ、代筆でシツレイ!」と返事する髭黒。
→現代感覚では考えられないおおらかさです。江戸時代なら即果し合いでしょう。
25.髭黒の男君ら、玉鬘に懐く 真木柱の悲嘆
〈p249 髭黒の大将のもとの北の方は、〉は
①その後の髭黒元北の方&姫(真木柱)&若君(男の子二人)の様子
元北の方は実家に戻り病状がますます進んでいる。髭黒は訪れようとしない。真木柱は父を慕って寂しい思いをしている。
→玉鬘が髭黒の北の方に納まりあらまほしき家庭を築きつつある様子。
②真木柱の姫は可哀そうである。
26.玉鬘、髭黒の子を出産する 柏木の感想
〈p250 その年の十一月に、玉鬘の君は、〉
①夏・秋が飛ばされてG38年11月 玉鬘男児を出産!
→あっと驚くタメゴロー! 懐妊・出産は愛が強かった証拠。玉鬘も髭黒に心を開いたのであろう。
②そのほどのありさま、言はずとも思ひやりつべきことぞかし
→その通りです。でも懐妊を知った時の髭黒の喜びよう、それを聞いたときの帝・源氏の落胆の様など書いて欲しかったです。
③内大臣の息子柏木の感想
宮仕にかひありてものしたまはましものを、、、「今まで皇子たちのおはせぬ嘆きを見たてまつるに、いかに面目あらまし」
→紫式部は冷泉帝には子どもは生ませはしないのです(皇統は乱れてはならない!)。
27.近江の君、弘徽殿の前で夕霧に懸想する
〈p251 そういえば、あの内大臣の御娘で、〉
①尚侍のぞみし君=近江の君を登場させ玉鬘物語を締めくくる。
②玉鬘に因んでは語られなかった秋の夕べの管弦の宴(月見か紅葉か)をここで登場させる。
③近江の君 おきつ舟よるべなみ路にただよはば棹さしよらむとまり教へよ
夕霧 よるべなみ風のさわがす舟人も思はぬかたに磯づたひいせず
→どこまでも真面目な夕霧。ここは少しユーモアを効かせて切り返すべきだろうに。
かくて玉鬘十帖は締め括られ明石の姫君&夕霧・雲居雁の話へと切替わります。
源氏、いまだ性凝りもなく玉蔓への和歌、未練たらたらです。
よほど逃がした魚が大きかったのでしょうね。
髭黒の代筆には苦々しい思いと勝ち誇った思いが感じられます。
元北の方とは疎遠になっても現代風にいえば慰謝料並みの養育費はお支払いになっていると言うことでしょう。
父のもとで暮らす弟君を羨む姫君、ということは玉蔓は継子いじめなどしなかったのですね。
ホッとして救われます。
更にいきなり玉蔓の男児出産、すべての省略の中に玉蔓の幸福を想像していいのでしょうか?それともあきらめの心境?
そして再び近江君の登場・・・
女君からの和歌ですね、すごい積極的。
今の時代なら不思議でもなんでもないですけどね。
玉蔓10帖をこの女君で締めくくったのは意外性を狙って面白いです。
去りがたき思ひ深けれ我が宿よ
真木の柱ぞ忘れかねつる
ありがとうございます。
1.全くこの24段の玉鬘を巡る源氏と髭黒にはびっくりしてしまいます。源氏からの手紙・歌を勝手に見て微笑みながら返事を書く髭黒。「盗られてしまった、返してよ」「返すものですか」、、、。何か物のやりとりをしているようでいい気持ちはしませんが、別に殺気立ってるわけでもなし。現代の感覚では理解不能としかいいようがありません。
2.25段では別居(或いは離婚)した家庭の子女はどういう風に育てられるのか窺い知れます。ここでは姫君は母が実家に連れて行き男君は髭黒のところに残っています。女は母の下で男は父の下でかというと必ずしもそうではなく、雲居雁の母は頭中と離婚して雲居雁は父方(大宮の所)で育てられてます。まあケースバイケースだったということでしょうかね。
3.近江の君で玉鬘十帖を締めくくる。落し胤さがしで玉鬘の対抗馬として登場した近江の君。「この人のことも書いておかなくっちゃ、、、」紫式部の洒落っ気でしょうか。
4.真木柱の歌、ありがとうございます。多感思春期の姫君が可哀そうです。夫婦は同居して仲良く子どもを育てなきゃいけませんよね。