p150 – 160
15.髭黒、男君らを連れ帰る 紫の上の立場
〈p227 幼い男君二人を車に乗せて、〉
①小君達をば車に乗せて、語らひおはす
→男君たちも一旦は北の方が式部卿宮まで連れて行ったのか?
→男君たちは母親から引き離され姉とも別れ心細かったであろう。
②周りから疎まれる源氏
→式部卿宮&北の方、兵部卿宮、冷泉帝にも面白からず思われている。
→やりたい放題の報いの兆しか。
16.髭黒、思案の末、玉鬘を参内させる
〈p228 こうした様々の事件でごたごたして、〉
①G38年正月 髭黒は玉鬘を尚侍として参内させる。
→妻をキャリアウーマンとして出仕させる。
②尚侍参内の儀式 盛大に行われる。
承香殿の東面に御局したり。西に宮の女御はおはしければ、馬道ばかりの隔てなるに、
→誰がどう決めたのか何とも皮肉な位置取りである。紫式部も嫌らしいですね。
③冷泉帝の後宮が語られる。
中宮、弘徽殿女御、この宮の女御、左の大殿の女御、中納言、宰相の御むすめ二人ばかりぞさぶらひたまひける
→けっこういますね。それでも乱りがましいこともなかったようですが。
④九州の田舎育ちの玉鬘が後宮に入った。
→源氏の威光とは言えこれぞシンデレラ物語であろう。
17.男踏歌、諸所を巡る 玉鬘の局での接待
〈p230 男踏歌は、これらの方々のところへ〉
①男踏歌はG36年(初音)はあったがG37年はなし。二年ぶり。
今回は六条院までは来ない。→どうしてだろう。
②玉鬘の局で饗応、髭黒が万事取り仕切る。
→もう源氏の手からは離れてしまったのだろうか。
18.髭黒、玉鬘の宮中退出を願い促す
〈p231 髭黒の大将は宮中の宿直所に一日中お詰めになっていられて、〉
①髭黒は玉鬘の参内を認めたが帝の手がつくこと、或いは玉鬘が宮中に留まりたいと言い出すことが怖い。
→髭黒の焦りは分かるような気がします。大事なものは手放さない方がいい!
②でも一旦参内させてすぐ退去させるのでは帝が怒るのではなかろうか。
19.兵部卿宮の消息 帝の御渡りと玉鬘の困惑
〈p232 蛍兵部卿の宮は、帝の御前の管弦の御遊びに〉
①兵部卿宮の恨み節
深山木に羽翼うちかはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな
→深山木と言うと紅葉賀青海波の場面を思い出す(脚注1)
②冷泉帝の登場 玉鬘は初めて帝と対面する。
帝 などてかくはひあひがたき紫を心に深く思ひそめけむ
→非常に技巧的な歌
→帝は玉鬘の心を開かせようとするが玉鬘は尚侍の職分の域を越えず。隙を見せない。
→「つれないじゃないか」と帝は思ったのだろうか。それにしても玉鬘のすばらしさには目を見張ったのであろう。
二人の幼い男君、お可哀そうです。
母の居ないお屋敷、それに父は玉蔓にうつつを抜かしているでしょうし・・・
公人を頼みたる人はなくやはある、と言うことは結婚した女性が尚侍として参内するという例、無きにしも非ずだったのですね。
中宮 女御 更衣 御方々おはす華やかな後宮。
田舎育ちの玉蔓にとってこの参内、気後れするところですがここは堂々としていらしたようですね。
男踏歌の場面でも
やむごとなくまじらひ馴れたまへる御方々よりも、この御局の袖口、おほかたのけはひいまめかしう・・・とありますものね。
さてそのような所へいつまでも妻を置くのは大将にとっては心配で気が気ではないでしょう。
仕事にも身が入らないのではないかしら?
帝との対面
未練な帝に対して凛とした玉蔓、カッコ良くて好きです。
ありがとうございます。
1.公人を頼みたる人はなくやはある、、、、そうですね。妻を宮仕えさせてる例もあったのでしょうね。でも普通一般の男は「妻は外へは出すべきではない。外へ出したらどんなことになるかも知れない」と考えていたのじゃないでしょうか。「妻は家庭内にあって家族とりわけ主人たる私に尽しておればいい!」つい最近まで日本人の大方の考えだったと思います。
尚侍は妃ではなく官職だったとはいえ実際には天皇の寵愛を受けるのが一般的だったようで(朧月夜しかり)髭黒はオチオチしておれなかったのでしょう。
2.玉鬘&その女房たちの宮中での振舞いは大したものですね。女房たちもよほどしっかりした人たちを付けて参内させたのでしょう。参内にあたっては厳かな儀式もあったようでこれらも実質的には全て源氏の差配・財力で行われたのでしょうね。