若菜下(26) 柏木、思いを遂げる

p118 – 128

さて源氏物語中屈指の官能場面です。私は源氏・藤壷のもののまぎれ(@若紫)に照応していると考えています。
26.柏木、小侍従の手引で女三の宮に近づく
 〈p237 どうなったか、どうしたかと、〉

 ①G47年4月10余日、賀茂祭御禊の前夜
  (紫の上が病を得て二条院に移ったのが3月初、六条院は人少なになっている)

 ②チャンス到来 女房たちは御禊への準備で忙しく女三の宮の周りには誰もいない。
  近くさぶらふ按察の君も、時々通ふ源中将せめて呼び出させければ、下りたる間に
  →描写が細かい。ジャジャーーン!という感じである。

 ③女三の宮の寝所を襲う柏木
  床の下に抱きおろしたてまつるに、物におそはるるかとせめて見開けたまへれば、あらぬ人なりけり。
  わななきたまふさま、水のやうに汗も流れて、ものもおぼえたまはぬ気色、いとあはれにらうたげなり。
  →驚く女三の宮、その様子が柏木には「いとあはれにらうたげ」に見える!

 ④必死に恋情を訴える柏木
  年月にそへて、口惜しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに深く思うたまへまさるにせきかねて、 
 
  そして柏木は(腕に抱いた)女三の宮の様子に我を忘れて一線を越える。
  いとさばかり気高う恥づかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、あてにいみじく思ゆることぞ、人に似させたまはざりける。さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちも率て隠したてまつりて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えてやみなばやとまで思ひ乱れぬ
  →強烈な場面です。7年間の妄執は計りしれない。源氏・藤壷も狂気だったが、、。
  →業平と二条の后の恋・伊勢物語六段が引かれている。

 ⑤ただいささかまどろむともなき夢は、この手馴らしし猫のいとらうたげにうちなきて来たるを、
  →情交場面。情交時に猫(獣)の夢を見るのは懐妊を暗示

 ⑥夜が明けて暗い寝殿から外へ連れ出し「あはれとだにのたまはせよ」と、おどしきこゆる
  →そんな大胆に振る舞っても見つからないのだろうか。開きなおっているのだろうか。

 ⑦柏木 起きてゆく空も知られぬあけぐれにいづくの露のかかる袖なり 代表歌
  女三の宮 あけぐれの空にうき身は消えななむ夢なりけりと見てもやむべく 代表歌 
  →ここは両者の歌を代表歌としたいと思います。

 ⑧脚注 柏木の破滅をも恐れぬ願望
  百人一首No.45 藤原伊尹 
   あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな 

 この26段はいつ読んでもすごい、汗が出てきます。

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若菜下(25) 柏木物語の始まり 柏木、小侍従を説得

p110 – 118
25.柏木、女三の宮をあきらめず小侍従と語る
 〈p231 さて、そういえば、あの柏木の衛門の督は

 紫の上が二条院に去って女三の宮が残された六条院春の町。柏木物語の始まりです。
 ①柏木、参議兼衛門督から中納言に昇進し、帝の覚えめでたい時の人。

 ②柏木は皇女でなくば結婚しないというブランド志向で女三の宮を所望したが身分が低く拒否され、女三の宮は源氏に嫁いだ。その後昇進もあり女三の宮の異腹の姉女二の宮を妻に迎えている。この女二の宮は母(一条御息所)の身分が低く父朱雀院の後援もない(脚注9)
  →そりゃあないでしょうに。源氏ならそんなことはしない。人間的に朱雀院は劣っている。

 ③柏木は女二の宮が気に入らない。
  →女三の宮に目がくらんでいるのであろう。不遜なり、衛門督!

 ④小侍従(女三の宮の侍女)の登場
  小侍従=女三の宮の乳母の娘 その乳母の姉が柏木の乳母
  →うまい設定。小侍従を通じ女三の宮の様子を幼少から知っていた。

 ⑤柏木は小侍従を呼びつけて女三の宮への手引を懇請する。
  源氏が朱雀院の期待に反し女三の宮を粗末にしていること、自分は女二の宮を戴いたが満足できず女三の宮への思慕の情が変わらないこと綿々と訴える。
  
 ⑥柏木と小侍従の問答が面白い。
  必死に訴える柏木。小侍従も最初は一蹴していたが柏木の熱意に負けて手引きを引き受ける。
  →柏木の恋情は何だろう。これほど一途になれるものか。
  →6ページにわたる柏木の小侍従説得劇、よく書けたものである。
  →ここは小侍従の若さ軽率さを責めるより柏木の熱意を評価すべきだろうか。

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若菜下(23・24) 紫の上 発病

p96 – 110
23.源氏、過往の女性関係を回想して論評する
 〈p222 「それほどたくさんの女とつきあったわけではないけれど、〉

 紫の上相手に昔の女性を回想(聞かされる紫の上は辛かろうに)
 ①大将の母君(葵の上)
  常に仲よからず、隔てある心地してやみにし
  うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかなとおぼゆることもなかりき
  いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしやとやいふべかりけむ

  →いつも聞かされてきた通り。葵の上への気持ちは変わっていない。

 ②中宮の御息所(六条御息所)
  心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びをかはさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見おとさるうことや
  →これも変わっていない。御息所は浮かばれまい。それにしても葵の上とよく似ている。
  →葵の上・六条御息所と源氏の苦手な女性を考えると源氏の性格が分かってくるかも。

 ③内裏の御方の御後見(明石の君)
  紫の上も見知っているから話が合う。二人して明石の君の控えめながら思慮深い人柄を評価する。
  →こんな「明石の君」を創出したこと改めてすごいと思います。

 ④女君の昔の思い出を語り、「じゃあ、琴が上手になったし、女三の宮の所へ行っておつむ撫で撫でしてあげなくっちゃ、、、」と出て行く源氏。
  →灰でもひっかけてやればいいのに、、、。

 ⑤、、、、とて、御琴ども押しやりて大殿籠りぬ。
  →。。。合体。。。

24.紫の上発病する 三月、二条院に移す
 〈p225 紫の上は、いつものように源氏の院がお留守の夜は、〉

 ①源氏が女三の宮の所へ出かけた夜(源氏と女三の宮が愛を睦び交している最中であろう)紫の上は胸の病を発病する。
  →溜まりに溜まったストレスが爆発したのであろう。
  →前段までの女楽の所が源氏得意の絶頂。ここから物語は暗転する。

 ②源氏の元へ明石の女御から使いが行く。
  →源氏は一瞬で事態の重さを悟りドキッと自分の心臓も止まる思いだったのではないか。

 ③厄年なのにキチンと厄払いの加持祈祷をしてなかった(藤壷の時もそうだった)。
  →激しく後悔し狼狽えたことであろう。

 ④2月になり容態は一進一退、源氏は紫の上を二条院に移す。
  朱雀院の五十の賀も女楽も無期延期。
  →二条院は紫の上の「わが御私の殿と思す」ところ。女三の宮と同居の六条院では心が安らぐことはない。

 ⑤みなある限り二条院に集ひ参りて、この院には、火を消ちたるやうにて、ただ、女どちおはして、人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ
  →女あるじ紫の上の去った六条院。六条院が紫の上でもっていたことが分かる。
  →静寂とした六条院、次なる展開への伏線でもある。

 ⑥明石の女御が若君を連れて紫の上を見舞う。
  紫の上「ただにもおはしまさで、物の怪などいと恐ろしきを、早く参りたまはね」
  →源氏を交えての3人の対話が切ない。

 ⑦源氏はずっと付きっきりで看病する。
  →当然のことながら源氏のいい所である。

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若菜下(21・22) 女楽の後、源氏と紫の上

p86 – 96
21.女楽終り、夕霧ら禄を賜り帰途につく
 〈p215 またあの笛吹きのお子たちが、〉

 ①試楽終り若君たち(髭黒の三男&夕霧の長男)をねぎらう。
 夕霧には女三の宮から礼品が贈られる。
 源氏「あやしや、物の師をこそまづはものめかしたまはめ。愁はしきことなり」
  →こういうジョークを聞くとホッとする。

 ②源氏が高麗笛を吹き夕霧が横笛を吹く。源氏一族みな笛の名手である。
  →源氏、得意の絶頂である。

 ③夕霧は自邸(三条左大臣邸)に戻る途中、紫の上の筝の琴を思い出し、自妻雲居雁が育児家事に追われていることに思いを馳せる。
  →後で出てくる夕霧の家庭問題への伏線

22.源氏、紫の上と語り、わが半生を述懐する
 〈p217 源氏の院はその夜、東の対へお越しになりました。〉

 ①翌朝、源氏と紫の上は昨夜の女楽(女三の宮の上達ぶり)について話を交す。
  気合いを入れて猛特訓した源氏、紫の上も「いかでかは、かく他事なく教へきこえたまはむには」と答えざるを得ない。

 ②紫の上とのことを述懐
  最初は琴もけっこう教えたがその後忙しくなって途絶えがちであった。それなのにけっこうな腕前に上達している。孫宮たちの面倒もみて何事にも至らぬところがない。

   、、、、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は世に久しからぬ例もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ
  →紫の上に対する源氏の思いは偽りのないところであろう。

 ③紫の上の年令。
  G18年二条院に連れて来られた時が10才なのでG47年の今では39才の筈。
  37才というのは作者の意識的過誤(脚注6)
  →37才重厄の年でなければならない。
  →「意識的過誤」いいですねぇ。普通こういうの「故意」って言うのじゃないかしら。

 ④源氏の半生の述懐
  ・大事な人を失くしてきた。
   →母・祖母・夕顔・葵の上・父・六条御息所・藤壷・大宮
  ・須磨・明石への流謫
  ・藤壷への想い、冷泉帝皇統の途絶え

 ⑤源氏の紫の上に対する想い
  「貴女には須磨の時を除きずっと私がついていた。外で苦労することもなく私の屋敷内でずっと貴女を一番大事にしてきた。女三の宮のことは面白くないかもしれないが、私の想いは変わらない。賢明な貴女なら分かってくれますね」
  
  紫の上 心にたへぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける
  →脚注も難解と言っている。「私の苦悩が貴方に分かるものですか」ということだろうか。

 ⑥紫の上の出家願望。源氏は全く受け付けない。
  →これだけ訴えるのは心からのSOSということだろうに、、。

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若菜下(19・20) 女楽 続き & 音楽論

p76 – 86
19.源氏、夕霧とともに音楽について論評する
 〈p208 夜が更けるにつれ、あたりは冷え冷えとしてきます。〉

 源氏と夕霧による音楽・楽器論評。女君たちも聞いている。
 ①夕霧 演奏には秋より春の方がいい。
  源氏 春秋論争は一概には言えない。
  →春と言えば紫の上、夕霧には紫の上のことが頭から離れない。

 ②楽器の一流演奏者についての一般論
  →素人の女君たちによる演奏もまんざらでもない、ということが言いたいのであろう。

 ③和琴 自由な発想で弾きこなさねばならず難しい。頭中-柏木が名手。
  →紫の上は上手だったと夕霧が誉める。源氏もしたり顔で満足する。

 ④琴の琴 型(跡)が決まっていてその通りやらねばならない。これも難しい。
  →女三の宮は源氏の猛特訓でそれなりに上手に弾けるようになっている。
  →女三の宮も若く幼いが劣等生ではない!

 ⑤源氏はこの難しい琴の琴を明石の女御の皇子たちに教え伝えられればと口に出す。
  →明石の君はしてやったりと喜ぶ。明石一族の栄耀ぶりをさりげなく指摘している(脚注)

20.源氏も加わり、打ち解けた演奏になる
 〈p213 明石の女御は、筝のお琴を、紫の上にお譲りして、〉

 ①女御が筝の琴を紫の上に渡し、紫の上は和琴を源氏に渡す。

 ②源氏=和琴 女三の宮=琴の琴 紫の上=筝の琴
  →筝曲のこと詳しくないが琴の琴が主旋律で和琴がからみ筝の琴が伴奏をつけるという具合だろうか。そうだとするとこの三人の関係をよく表しているのかもしれない。
  →女三の宮を源氏が盛り立て紫の上が支えるという構図なのだが。
  (筝曲に詳しい人の意見が欲しい所です)

 ③女三の宮の琴の琴
  いとおもしろくすまして弾きたまふ。さらにかたほならず。いとよく澄みて聞こゆ
  →女三の宮、よくできました!源氏もホッとしたことでしょう。
  →紫の上の心内が記されていない。複雑な心境だったのではなかろうか。
 

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若菜下(16・17・18) 六条院春の町での女楽(試楽)

p62 – 76
16.正月、女楽を催し、夕霧その席に招かれる
 〈p198 正月二十日頃になりますと、〉

 ①正月二十日ころに女楽開催。
  空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく
  →必ず季節を投影した情況描写がなされる。

 ②女三の宮の居室(寝殿の西半分)で女楽の試楽(予行演習)
  参加者は紫の上、明石の女御、明石の君、女三の宮。
  それぞれの女童のきらびやかな装いが記される。
  →謂わば定例フォームならん。

 ③弦の調子合わせ(調弦)は笛に合わせて行う。
  髭黒・夕霧の息子たちに笛を吹かせる。筝の琴の調弦は力がいるので夕霧を呼んでやらせる。
  夕霧20才。颯爽たる若公達の登場に女君たちも緊張する。  
  →更に夕霧は源氏に請われ筝の琴を一曲披露する。
  →この辺夕霧の使い方がうまい!

 ④楽器はそれぞれ秘蔵の逸品。
  明石の君 = 琵琶(入道に仕込まれ名手である)
  紫の上 = 和琴(勿論源氏が幼少の頃から手ほどきしている)
  明石の女御 = 筝の琴(源氏が手ほどき)
  女三の宮 = 琴(源氏が特訓している)
  
17.女性四人の演奏それぞれに華麗をきわめる
 〈p203 それぞれの楽器の調子合わせがすっかり整って、〉

 ①明石の君(琵琶)
  すぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞こゆ
  →名人の域。源氏も口出しできないのであろう。

 ②紫の上(和琴)
  なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音のめづらしくいまめきて
  →努力の人、紫の上

 ③明石の女御(筝の琴)
  心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ
  →伴奏楽器筝の琴。無難に弾いている。「心もとなく」は技量のことではない。

 ④女三の宮(琴)
  たどたどしからず、いと物に響きあひて、優になりにける御琴の音かな
  →特訓の成果、うまく弾けている。源氏も安心したことだろう。

18.源氏、女性四人をそれぞれ花に喩える
 〈p204 月の遅くあらわれる頃なので、〉

 楽器を演奏する女君を例によって花に喩える。順番は女三の宮から!
 →源氏が今重要視している順番だろうか。 
 
 ①女三の宮 = 青柳 柳の糸
  紫式部日記の小少将の君の描写に類似している(脚注2)
  (紫式部日記 参考)
   小少将の君は、そこはかとなくあてになまめかしう、二月ばかりのしだり柳のさましたり。やうだいいとうつくしげに、もてなし心にくく、心ばへなども、わが心とは思ひとるかたもなきやうにものづつみをし、いと世を恥ぢらひ、あまり見苦しきまで児めいたまへり。、、、 

 →紫式部日記の方が先に書かれ、源氏物語の女三の宮の表現はそれに依ったと言われている。

 ②明石の女御 = 藤の花
  並ぶ花なき朝ぼらけの心地ぞしたまへる
  →宮中で安泰。また妊娠している。

 ③紫の上 = 桜(常套句) 

 ④明石の君 = 五月まつ花橘(常套句)
  →血筋では劣る明石の君。でも堂々としている。立派である。

女楽の試楽という場を設定し源氏にとって今一番重要な4人の女君の装い・演奏の様を語り源氏との距離を読者に知らしめる。いつもながらうまいものです。

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若菜下(12・13・14・15) 朱雀院の五十の賀に向けて

p52 – 62
12.源氏、院と宮との対面のため御賀を計画
 〈p191 朱雀院から、「この頃は死期が今にも近づいたような気がして、〉

 ①朱雀院 さらにこの世のことかへりみじと思ひ棄つれど、対面なんいま人たびあらまほしきを、もし恨み残りこそすれ
  →何という未練たらしいことを! 出家して姫宮は源氏に預けたら思い残すことはなかろうに。西山で仏道修行と病気治療に専念すべきではなかろうか。

 ②源氏 このたび足りたまはむ年、若菜など調じてやと思して
  →そう言われては仕方がない。五十の賀を企画する。

 ③舞人に孫の世代を抜擢する。
  髭黒(玉鬘)の男君二人 →先妻の男君はもう大人になったのか。
  夕霧の藤典侍の男君三人 + 雲居雁との男君も(何才何人か不明)
  蛍兵部卿宮の子どもたち
  →紅葉賀では源氏・頭中が舞人であった。その後夕霧・柏木となり、今や孫世代。
 
13.源氏、御賀のときのため、宮に琴を教える
 〈p193 女三の宮は、前々から琴のお琴を〉

 ①朱雀院 「参りたまはむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。さりとも琴ばかりは弾きとりたまひつらん」
  →何とも図々しい。チョッとやめてよ!って感じです。
  
 ②そんなプレッシャーかけられては仕方がない。源氏は女三の宮に気合いを入れて琴を教え込むしかない。
  →琴にことつけて源氏がいかに女三の宮を大事にしているかテストする。
  →朱雀院の知恵とは思えない。朱雀院の情愛を利用しての紫式部の知恵であろう。うまいもんです。

 ③昼は落ち着かないから夜女三の宮の所へ出かけ琴の猛特訓をする。
  →紫の上にはますますストレスがたまる。
 
14.明石の女御と紫の上、琴を聞くことを望む
 〈p195 明石の女御にも、紫の上にも、〉

 ①明石の女御、三人目を懐妊している。里下がりして女三の宮の琴を聞きたいと思う。
  →子沢山ですね。女三の宮とほぼ同年齢というのに。

 ②源氏 冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば、、
  →枕草子への反論の一つ すさまじきもの師走の晦日夜(朝顔(9・10)参照)

15.源氏、女三の宮を相手に琴について語る
 〈p196 朱雀院の御賀は、まず今上帝の御催しがいろいろと多く、〉

 ①年改まってG47年、二月十余日に五十の賀を予定する。
  女楽試みさせむ
  →グッドアイデア! 朱雀院は喜ぶことだろう。

 ②源氏、女三の宮に対し楽器論をぶつ。
  このごろの若き人々のされよしめき過ぐすに、はた、浅くなりにたるべし
  →尚古主義。現代のあり方への批判。

 ③女三の宮 二十一二ばかりになりたまへど、なほいといみじく片なりにきびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ
  →女三の宮の幼さが繰り返される。

  いわけなくおはします御ありさま隠れなからまし
  →ちょっとやそっとで変えることは不可能。隠して取り繕うしかない。

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若菜下(10・11) 住吉神社への願ほどき

p41 – 52
10.源氏の住吉参詣 社頭に威儀をきわめる
 〈p181 十月二十日のことですから、〉

 ①十月中の十日=十月二十日 初冬
  十月中の十日なれば、神の斎垣にはふ葛も色変りて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり
  →以下晩秋~初冬の情景描写が詳しくなされる。
  →「秋風の音は勿論、色彩もまだ晩秋の色を込めている」ということか。

 ②道中源氏は明石の尼君の車に歌を詠みかける
  源氏 たれかまた心を知りて住吉の神世を経たる松にこと問ふ
  尼君 住の江をいけるかひある渚とは年経るあまも今日や知るらん
  →明石でのこと、入道のこと、二人の間には共感が広がる。

 ③住吉神社への願ほどき参詣の様子は記されていない。
  住吉での夜を徹しての大宴会、紫の上・明石の女御・中務の君の歌。
  →紫の上には初めての京外遠出。珍しく感じるが住吉神社への願ほどきには関係ないので感慨は違うであろう(むしろ「何で私が住吉に」と疎外感を味わったのかもしれない)。

 ④かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ賽はこひける
  →これは傑作。紫式部のユーモアセンスを感じます。

11.紫の上の寂寥 六条院の女性たちのその後
 〈p188 御出家あそばされた朱雀院は、〉

 ①二品になりたまひて、御封などまさる 朱雀院は女三の宮を二品内親王とする。
  →これも紫の上にとっては手痛い。朱雀院はやりすぎだろう。

 ②朱雀院の変らぬ想い入れ&帝も女三の宮に声援を送る。源氏はそれに応えねばならず紫の上&女三の宮に通う回数を半々にする。
  
  紫の上 さるべきこと、ことわりとは思ひながら、さればよとのみやすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ
  →ストレスはたまる一方。

 ③春宮の御さしつぎの女一の宮をこなたにとりわきてかしづきたてまつりたまふ
  →何と言っても実子のないのが辛い。でも紫の上は本当に明石の女御を吾が子として愛していたのであろう。その女御の一の姫、可愛くない筈がない。

 ④花散里は夕霧と藤典侍との間の子を預って養育する。
  →源氏も花散里のところへ出かけて可愛がったことだろう。
  →やはり孫はかわいい!!

 ⑤姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします
  →女三の宮だけが降嫁当時と変わらず、、、成長していない!

  

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若菜下(7・8・9) ~それから4年~

p31 – 40
前段がG41年(蛍宮と真木柱の結婚後「二年ばかりになりぬれば」はG43年のこと)で4年間のブランクを経てG46年に入る。
 →物語で4年間何も語られなかったのは初めて。
 →4年は大きい。恋の亡者となっていた柏木はどうなったのか、柏木物語のその後を早く知りたい。

7.四か年経過 冷泉帝譲位 政界人事の異動
 〈p173 これといったこともなく年月が重なって、〉

 ①G46年 冷泉帝譲位(冷泉帝即位はG29年2月、18年目にして譲位)
  冷泉帝(中宮は秋好中宮)には子が生まれなかった。
  →不倫の子の帝は一代限り(作者も皇統の乱れをこれ以上は書けない)

 ②東宮(20才)(朱雀院の一の皇子=承香殿女御腹)が天皇に(今上帝)。
  明石の女御腹の一の皇子(6才)が東宮に!!
  →やった!源氏は次の天皇の外祖父に。明石の女御は国母への道が固まった。

 ③太政大臣(頭中)、致仕(退位)
  →51才、チト早いがご苦労さまでした。
  髭黒は右大臣に、夕霧右大将は大納言に。

 ④明石の女御18才、次々に子どもが生まれている。
  →今上帝は精力絶倫。父朱雀帝のか弱いイメージとは大違い。  
 
8.紫の上の出家かなわず 明石一族の態度
 〈p176 新しい帝は、女三の宮の御事を、〉

 ①新帝はきょうだいの女三の宮のことを心にかけている。
  やはり紫の上の勢いには勝てないようだ、、、。

 ②紫の上(38才)
  この世はかばかりと、見はてつる心地する齢にもなりにけり
  →平家物語平知盛「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」@壇ノ浦
  
  →紫の上が4年間どういう心持であったか描かれていない。読者それぞれに思いを馳せるところであろう。どう考えても一旦陥った絶望感からは脱し得ていないであろう。出家願望も納得である。

9.源氏、願ほどきに住吉参詣を計画する
 〈p177 源氏の院は、住吉の神に立てた願ほどきの御参拝を、〉

 ①源氏は明石の入道の残した長文の遺書を見、明石の入道の思いに改めて感慨を深くする。

 ②住吉参詣 左右大臣以外の上達部は皆参加、盛大である。
  一の車 源氏・明石の女御・紫の上
  →紫の上にとっては最初(で最後)の遠出である。

  二の車 明石の君・明石の尼君・女御の乳母(宣旨の娘)
  →源氏が尼君も連れて行くよう取り計らう(こういう所は誠に優しい)
  →あの宣旨の娘がずっと明石の女御を支えているのが何とも頼もしい。

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若菜下(5・6) 玉鬘・髭黒夫妻のその後 & 真木柱

p23 – 30
柏木物語から離れ玉鬘・髭黒と真木柱との後日談がエピソード的に語られる。

5.玉鬘・髭黒と式部卿宮家のその後の動静
 〈p167 髭黒の左大将の北の方玉鬘の君は、〉

 ①髭黒が玉鬘を手に入れてから4年経っており結婚生活も安定、髭黒は左大将になって重臣として仕え玉鬘も折に触れ六条院に出入りし源氏・夕霧と親しく付き合っている。
  →結果的に髭黒でよかった! 玉鬘フアンとしては安堵の想いです。

 ②真木柱の姫君、実母の実家式部卿宮家で育っている。今16才、娘盛りである。
  誰に嫁がせるか、柏木に打診したが、
   「猫には思ひおとしたてまつるにや」
   →これは強烈。女三の宮&形代の猫に心を囚われていて真木柱には目もくれない。

6.蛍宮、真木柱と結婚 夫婦仲よからず
 〈p169 蛍兵部卿宮は、いまも独身を通していらっしゃいます。〉

 ①また蛍兵部卿宮が登場。玉鬘に失恋して4年。今度は今は玉鬘の継子にあたる真木柱にモーションをかける。

 ②祖父の式部卿宮は「やはり親王がいい」として蛍宮の申し出を承諾する。
  →蛍宮・式部卿宮、この二人の親王は何とも好きになれない。でも親王とはこうしたものであろうか。

 ③蛍宮は結婚後すぐに真木柱の所に通わなくなる。
  あしくはあらねど、さま変わりてぞものしたまひけると思すに、口惜しくやありけむ、通ひたまふさまいとものうげなり。
  →自分の方からプロポーズして何が不満か。女性を蔑ろにするのも甚だしい。全くケシカラン話です。
  →玉鬘よ、蛍に捕まらなくてよかったな!

 ④大北の方といふさがな者 と蛍宮とのやり取りが面白い。
  →どっちもどっち。読者は苦笑を禁じ得なかったのではなかろうか。
  →可哀そうなのは真木柱。紫式部さん、何とかしてやってください。

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