若菜下(5・6) 玉鬘・髭黒夫妻のその後 & 真木柱

p23 – 30
柏木物語から離れ玉鬘・髭黒と真木柱との後日談がエピソード的に語られる。

5.玉鬘・髭黒と式部卿宮家のその後の動静
 〈p167 髭黒の左大将の北の方玉鬘の君は、〉

 ①髭黒が玉鬘を手に入れてから4年経っており結婚生活も安定、髭黒は左大将になって重臣として仕え玉鬘も折に触れ六条院に出入りし源氏・夕霧と親しく付き合っている。
  →結果的に髭黒でよかった! 玉鬘フアンとしては安堵の想いです。

 ②真木柱の姫君、実母の実家式部卿宮家で育っている。今16才、娘盛りである。
  誰に嫁がせるか、柏木に打診したが、
   「猫には思ひおとしたてまつるにや」
   →これは強烈。女三の宮&形代の猫に心を囚われていて真木柱には目もくれない。

6.蛍宮、真木柱と結婚 夫婦仲よからず
 〈p169 蛍兵部卿宮は、いまも独身を通していらっしゃいます。〉

 ①また蛍兵部卿宮が登場。玉鬘に失恋して4年。今度は今は玉鬘の継子にあたる真木柱にモーションをかける。

 ②祖父の式部卿宮は「やはり親王がいい」として蛍宮の申し出を承諾する。
  →蛍宮・式部卿宮、この二人の親王は何とも好きになれない。でも親王とはこうしたものであろうか。

 ③蛍宮は結婚後すぐに真木柱の所に通わなくなる。
  あしくはあらねど、さま変わりてぞものしたまひけると思すに、口惜しくやありけむ、通ひたまふさまいとものうげなり。
  →自分の方からプロポーズして何が不満か。女性を蔑ろにするのも甚だしい。全くケシカラン話です。
  →玉鬘よ、蛍に捕まらなくてよかったな!

 ④大北の方といふさがな者 と蛍宮とのやり取りが面白い。
  →どっちもどっち。読者は苦笑を禁じ得なかったのではなかろうか。
  →可哀そうなのは真木柱。紫式部さん、何とかしてやってください。

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4 Responses to 若菜下(5・6) 玉鬘・髭黒夫妻のその後 & 真木柱

  1. 青玉 のコメント:

    時々こうやって過去の登場人物の消息窺いができるのは読者にとっても興味のある所です。
    こんな仕掛けも心憎いですね。

    玉蔓、望まぬ結婚ではあったけど子宝にも恵まれ幸せな様子に安堵します。
    よほど髭黒に大事にされているのでしょう。
    こういった事って現代にもありますね。
    大恋愛の結婚が必ずしもうまくいくとは限らない・・・

    「猫には思ひおとしたてまつるにや」猫以下とは何たること、柏木いよいよ狂ってしまわれたか?
    あの健気な笄の君(私の造語)真木柱が幸せでないのは哀しいです。
    蛍宮、ウジウジと亡き北の方を恋しがるなんて今更どういうことですか!!
    周囲に翻弄されて大切にされない真木柱こそハズレくじを引いてしまったようなものです。
    容易く手に入ったものに対してはこんな扱いしかできないのかしら?

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      玉鬘は玉鬘十帖の最後真木柱の後梅枝・藤裏葉では全く出て来ませんでした。第二部に入ってメインストーリー(紫のゆかり・明石物語)とサブストーリー(玉鬘系)が合体し若菜上で玉鬘が主催する四十の賀宴が語られそして本段でその後の様子が語られています。第一部で別れていた二つのストーリーが一つに合流し第二部へ入っていくことを象徴的に表しているのだと思います。

      最早主役ではありませんが玉鬘のその後を聞くのは嬉しいことです。
      (もっと後では聞きたくもない玉鬘のその後も出てくるのですが、、、)

  2. 式部 のコメント:

    真木柱は気の毒ですね。母親と一緒に祖父の式部卿宮のところに帰らないで、父親と玉鬘の邸にそのままいたほうが良かったのかもしれませんね。父親は今や実力者になっており、もっと違った婿選びができたかもしれません。
     この時代の結婚は、男がふっつりと女のもとに通わなくなると自然消滅的に離婚となりました。それは女にとって、愛情面だけでなく経済生活も苦しくなることを意味します。
     真木柱は今のところ式部卿宮が健在なので、すぐに困るということはありませんが、後見の力がない女は困ったことになったでしょう。
     だから雲居雁の実母のような再婚のケースも多かったことと思います。
     真木柱のもとにほんの時折通うような通わないような、そういう煮え切らない態度はいけません、蛍宮!
     

    • 清々爺 のコメント:

      当時の結婚・離婚についてのコメント、ありがとうございます。

      青玉さんも言われてますが真木柱の君は気の毒ですね。式部卿宮(祖父)に引き取られたのが分かれ道だったのでしょうか。父(髭黒)が引き取っていたならば藤原ですから生きのいい成長株の若公達との縁談があったでしょうに。式部卿宮は「親王がいい」として蛍宮に嫁がせたようですが逆に蛍宮は「藤原の娘なんぞ」という気持ちがあったのかもしれません。考え過ぎかもしれませんが。。。

       →身分・出自が大きくものを言った当時、源氏の結婚観・女性観は見上げたものだと思います(女三の宮へのスケベ心はさておいて)。

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