若菜下(7・8・9) ~それから4年~

p31 – 40
前段がG41年(蛍宮と真木柱の結婚後「二年ばかりになりぬれば」はG43年のこと)で4年間のブランクを経てG46年に入る。
 →物語で4年間何も語られなかったのは初めて。
 →4年は大きい。恋の亡者となっていた柏木はどうなったのか、柏木物語のその後を早く知りたい。

7.四か年経過 冷泉帝譲位 政界人事の異動
 〈p173 これといったこともなく年月が重なって、〉

 ①G46年 冷泉帝譲位(冷泉帝即位はG29年2月、18年目にして譲位)
  冷泉帝(中宮は秋好中宮)には子が生まれなかった。
  →不倫の子の帝は一代限り(作者も皇統の乱れをこれ以上は書けない)

 ②東宮(20才)(朱雀院の一の皇子=承香殿女御腹)が天皇に(今上帝)。
  明石の女御腹の一の皇子(6才)が東宮に!!
  →やった!源氏は次の天皇の外祖父に。明石の女御は国母への道が固まった。

 ③太政大臣(頭中)、致仕(退位)
  →51才、チト早いがご苦労さまでした。
  髭黒は右大臣に、夕霧右大将は大納言に。

 ④明石の女御18才、次々に子どもが生まれている。
  →今上帝は精力絶倫。父朱雀帝のか弱いイメージとは大違い。  
 
8.紫の上の出家かなわず 明石一族の態度
 〈p176 新しい帝は、女三の宮の御事を、〉

 ①新帝はきょうだいの女三の宮のことを心にかけている。
  やはり紫の上の勢いには勝てないようだ、、、。

 ②紫の上(38才)
  この世はかばかりと、見はてつる心地する齢にもなりにけり
  →平家物語平知盛「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」@壇ノ浦
  
  →紫の上が4年間どういう心持であったか描かれていない。読者それぞれに思いを馳せるところであろう。どう考えても一旦陥った絶望感からは脱し得ていないであろう。出家願望も納得である。

9.源氏、願ほどきに住吉参詣を計画する
 〈p177 源氏の院は、住吉の神に立てた願ほどきの御参拝を、〉

 ①源氏は明石の入道の残した長文の遺書を見、明石の入道の思いに改めて感慨を深くする。

 ②住吉参詣 左右大臣以外の上達部は皆参加、盛大である。
  一の車 源氏・明石の女御・紫の上
  →紫の上にとっては最初(で最後)の遠出である。

  二の車 明石の君・明石の尼君・女御の乳母(宣旨の娘)
  →源氏が尼君も連れて行くよう取り計らう(こういう所は誠に優しい)
  →あの宣旨の娘がずっと明石の女御を支えているのが何とも頼もしい。

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6 Responses to 若菜下(7・8・9) ~それから4年~

  1. 青玉 のコメント:

    四年もの歳月が経ちましたか。
    御代替わりそれぞれに昇進がありましたが柏木には触れられていませんね。

    その間の紫の上、表面上はこの上なく源氏に寵愛され世間には幸せそうにみえますがその実、心の底に深い諦観が見られます。

    住吉参詣の場面、晴れやかな中にもそれぞれの深い思いが感じられます。
    源氏の明石の入道への思い・・・
    因縁、宿縁に思いを巡らせ入道が只者ではなかったと思われるあたりはさすがです。
    入道が出てくると物語が一段と引き締まります。
    いまごろ山奥でどのようにお過ごしやら・・・・
    入道の生き方、高い志を持ちそれを成就しようとする信念、執着そして潔さに惚れ惚れします。
    源氏物語、ここまででは希有な人物です。
    そして尼君、又とない幸運の持ち主ですね、長生きされた甲斐があったというものです。
    入道の願文に始まり明石の君の忍従の賜物と言えるでしょうか。

    質問です
    明石の君、女御は二代にわたり国母になるのでしょうか?
    宣旨の娘は明石の姫君に遣わされた乳母の娘でしょうか?

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.~それから4年~と書きましたが正確には「それから5年目」が正しいですね。長い年月の経過を手短に語るところもさすがです。映画なんかでも字幕に「それから10年」とか出て画面がパッと変わることがありますね。居眠りなんかしてるとまごまごしてしまいます。

       ここでも時間の経過をしっかり認識することが大事だと思います。六条院の木々も大分大きくなって、唐猫が引き下ろした御簾も少し古くなっている、、、。そして赤子だった皇子が6才になって颯爽と登場するって感じでしょうか。

      2.ご質問について。
       ①国母とは天皇の生母のことなので明石の君は国母にはなりませんね。国母の母ですね。投稿部分誤りでした。ご指摘ありがとうございます。訂正しておきます。明石の女御の一の皇子が東宮になったのでこの皇子が天皇になれば明石の女御が国母ということになります。

       ②「宣旨の娘」は明石の姫君に遣わされた乳母その人です。源氏が人柄と教養を見込んで明石に派遣、その後ずっと明石の姫君(女御)に付き添っている。大河ドラマなら明石の女御が登場する場面ではいつもお傍で映っている重要脇役ということになりましょうか。

       

      • 青玉 のコメント:

        有難うございます。両方共に納得です。

        源氏の人を見抜く力、眼力はさすがですね。
        これほどの人が紫の上の心の奥底の苦悩に気付かないのは不思議です。
        見て見ぬふり、それとも母性への甘え、30余年の慣れ合い?
        どうもここらへん、納得がいきません。

  2. 式部 のコメント:

    青玉さんの明石入道への気持ちは私が感じているものと同じだと思います。理解者、仲間がいて嬉しいです。
    この章段に関わりはないのですが、面白い(たぶん新しく書き換えられた)ホームページを見つけました。
    今月中旬京都に行くので、「風俗博物館」に立ち寄ろうと思い調べました。
    「風俗博物館~よみがえる源氏物語の世界」です。
    さまざま詳しく目で見てわかりやすく工夫されています。
    読むべきところ、見るべきところ、いっぱいです。
    ぜひご覧ください。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.明石の入道ファンクラブ、いいじゃないですか。多分大勢集まると思いますよ。そしてファンクラブ会長を応募すれば紫式部自身が「会長は私よ!」って名乗りを上げるのかもしれません。

      2.「風俗博物館」HP見てみました。随分詳しく更新されてますね。六条院の様子などよく分かります。蹴鞠・唐猫事件の場面読んでみましたが詳しすぎてあんまりよく分からなかったほどです。折につけ参照させてもらいます。行かれたら感想聞かせてください。

  3. 青玉 のコメント:

    式部さん、私もすっかり入道ファンになってしまいました。
    偏屈で変わりものは本来好きではないのになぜか入道には魅かれますね。
    このような人物が身近にいないせいかも知れません。
    結婚したり付き合うには結構苦労は大変でしょうね。
    それだけに尼君の心情も理解できます。
    いくら娘のためとはいえ夫婦別れ別れの歳月は察して余りあります。

    風俗博物館、HP拝見しました。京都駅から近く便利な場所にあるのですね。
    風俗、風習がカラーで解りやすく書かれていました。
    源氏物語の場面を思い浮かべながらもう一度じっくり見てみようと思います。
    是非、京都の紅葉と共に見聞記、よろしくお願いします。

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