p41 – 52
10.源氏の住吉参詣 社頭に威儀をきわめる
〈p181 十月二十日のことですから、〉
①十月中の十日=十月二十日 初冬
十月中の十日なれば、神の斎垣にはふ葛も色変りて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり
→以下晩秋~初冬の情景描写が詳しくなされる。
→「秋風の音は勿論、色彩もまだ晩秋の色を込めている」ということか。
②道中源氏は明石の尼君の車に歌を詠みかける
源氏 たれかまた心を知りて住吉の神世を経たる松にこと問ふ
尼君 住の江をいけるかひある渚とは年経るあまも今日や知るらん
→明石でのこと、入道のこと、二人の間には共感が広がる。
③住吉神社への願ほどき参詣の様子は記されていない。
住吉での夜を徹しての大宴会、紫の上・明石の女御・中務の君の歌。
→紫の上には初めての京外遠出。珍しく感じるが住吉神社への願ほどきには関係ないので感慨は違うであろう(むしろ「何で私が住吉に」と疎外感を味わったのかもしれない)。
④かの致仕の大殿の近江の君は、双六打つ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ賽はこひける
→これは傑作。紫式部のユーモアセンスを感じます。
11.紫の上の寂寥 六条院の女性たちのその後
〈p188 御出家あそばされた朱雀院は、〉
①二品になりたまひて、御封などまさる 朱雀院は女三の宮を二品内親王とする。
→これも紫の上にとっては手痛い。朱雀院はやりすぎだろう。
②朱雀院の変らぬ想い入れ&帝も女三の宮に声援を送る。源氏はそれに応えねばならず紫の上&女三の宮に通う回数を半々にする。
紫の上 さるべきこと、ことわりとは思ひながら、さればよとのみやすからず思されけれど、なほつれなく同じさまにて過ぐしたまふ
→ストレスはたまる一方。
③春宮の御さしつぎの女一の宮をこなたにとりわきてかしづきたてまつりたまふ
→何と言っても実子のないのが辛い。でも紫の上は本当に明石の女御を吾が子として愛していたのであろう。その女御の一の姫、可愛くない筈がない。
④花散里は夕霧と藤典侍との間の子を預って養育する。
→源氏も花散里のところへ出かけて可愛がったことだろう。
→やはり孫はかわいい!!
⑤姫宮のみぞ、同じさまに若くおほどきておはします
→女三の宮だけが降嫁当時と変わらず、、、成長していない!
「神の斎垣にはふ葛も色変りて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり」~この風景描写は素晴らしいですね。
晩秋の情景を色彩で感じさせ波風や松風の音に楽の音色を響かせる・・・夢見心地の趣です。
源氏と尼君の和歌
お二人だけに共感しあえる深い感情ですね。
近江の君、相変わらずユニークなキャラです。
尼君にあやかりたい、正直ですね。
今はどんな立場におられるのかしら?
明石一族の繁栄やこのような華やかな場面で一人疎外感を味わう紫の上・・・
この気持ちが次の紫の上の寂寥場面へつながっているように思います。
朱雀院と帝にとって女三の宮は血縁の娘と妹、守り庇護したくなるのは当然でしょうね。
益々紫の上の立場は危うくなりつつあります。
源氏の夜離れも多くなり孤独感を幼い子で紛らす・・・
六条院のそれぞれの女性が表向きの華やかさの陰に悩みや屈託を抱えているのとは対照的に女三の宮だけがまるで能天気に見えますが果たしてそれだけの女性なのでしょうか?
ポイントを整理いただき、ありがとうございます。
1.源氏の住吉神社参詣、明石から帰って京に復帰できた時に願ほどきとして一度行ってますね(G29年秋・澪標11)。この時は明石の君も同時期に訪れたがまだ公然と源氏の前に出られる情況ではなく源氏一行の華やかさに気圧されて参詣もせず引き上げてます。それから17年、国母となるべき女御といっしょに晴れて明石一族の願ほどきを行う。。。明石の君はしみじみと幸せ感に浸ったことでしょう。
2.「神の斎垣にはふ葛も色変りて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり」 素晴らしい秋の情景描写だと思います。
他にもいっぱいありますが二つ思い出しました。
1)須磨の秋 (須磨15)
「須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆると言ひけん浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものはかかる所の秋なりけり」
2)六条御息所との野宮の別れ(賢木2)
「はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり」
3.近江の君の「明石の尼君、明石の尼君!」は傑作ですね。
「少賽、少賽」「御返しや、御返しや」(常夏7)もよかったけど、この「明石の尼君」は何とも味があると思います。
近江の君の登場はこれが最後で物語からは消えています。その後どうなったか想像をめぐらすことも面白いですね。
4.女三の宮の能天気な様子は歯がゆい限りですが皇女たるものはそれが普通で、藤壷中宮や大宮のように世知にたけた女性は例外かも知れません。