p52 – 62
12.源氏、院と宮との対面のため御賀を計画
〈p191 朱雀院から、「この頃は死期が今にも近づいたような気がして、〉
①朱雀院 さらにこの世のことかへりみじと思ひ棄つれど、対面なんいま人たびあらまほしきを、もし恨み残りこそすれ
→何という未練たらしいことを! 出家して姫宮は源氏に預けたら思い残すことはなかろうに。西山で仏道修行と病気治療に専念すべきではなかろうか。
②源氏 このたび足りたまはむ年、若菜など調じてやと思して
→そう言われては仕方がない。五十の賀を企画する。
③舞人に孫の世代を抜擢する。
髭黒(玉鬘)の男君二人 →先妻の男君はもう大人になったのか。
夕霧の藤典侍の男君三人 + 雲居雁との男君も(何才何人か不明)
蛍兵部卿宮の子どもたち
→紅葉賀では源氏・頭中が舞人であった。その後夕霧・柏木となり、今や孫世代。
13.源氏、御賀のときのため、宮に琴を教える
〈p193 女三の宮は、前々から琴のお琴を〉
①朱雀院 「参りたまはむついでに、かの御琴の音なむ聞かまほしき。さりとも琴ばかりは弾きとりたまひつらん」
→何とも図々しい。チョッとやめてよ!って感じです。
②そんなプレッシャーかけられては仕方がない。源氏は女三の宮に気合いを入れて琴を教え込むしかない。
→琴にことつけて源氏がいかに女三の宮を大事にしているかテストする。
→朱雀院の知恵とは思えない。朱雀院の情愛を利用しての紫式部の知恵であろう。うまいもんです。
③昼は落ち着かないから夜女三の宮の所へ出かけ琴の猛特訓をする。
→紫の上にはますますストレスがたまる。
14.明石の女御と紫の上、琴を聞くことを望む
〈p195 明石の女御にも、紫の上にも、〉
①明石の女御、三人目を懐妊している。里下がりして女三の宮の琴を聞きたいと思う。
→子沢山ですね。女三の宮とほぼ同年齢というのに。
②源氏 冬の夜の月は、人に違ひてめでたまふ御心なれば、、
→枕草子への反論の一つ すさまじきもの師走の晦日夜(朝顔(9・10)参照)
15.源氏、女三の宮を相手に琴について語る
〈p196 朱雀院の御賀は、まず今上帝の御催しがいろいろと多く、〉
①年改まってG47年、二月十余日に五十の賀を予定する。
女楽試みさせむ
→グッドアイデア! 朱雀院は喜ぶことだろう。
②源氏、女三の宮に対し楽器論をぶつ。
このごろの若き人々のされよしめき過ぐすに、はた、浅くなりにたるべし
→尚古主義。現代のあり方への批判。
③女三の宮 二十一二ばかりになりたまへど、なほいといみじく片なりにきびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ
→女三の宮の幼さが繰り返される。
いわけなくおはします御ありさま隠れなからまし
→ちょっとやそっとで変えることは不可能。隠して取り繕うしかない。
時は子から孫の世代に移りつつあるようですね。
そんな時朱雀院の御賀に合わせて女三宮に琴の指導・・・
琴という道具にかこつけて朱雀院、帝が源氏を試すかのような場面ですね。
ちょっと嫌味を感じますが源氏の事、それならば最高の技術を駆使して宮の指導に当たらざるを得ない。
これは源氏のプライド、意地でもあるでしょう。
当然紫の上の苦悩は深まる・・・
琴を聞きたいと願う女御と紫の上には温度差がありますね。
女御の熱心さに比べ覚めているように感じます。
源氏の熱心な伝授により女三宮の腕もかなり上達されたようです。
源氏も尽くすべきは尽くされて後は華やかな女楽を待つばかりですね。
ありがとうございます。
なるほど、ここは紫の上の心境を忖度すべき所なんでしょうね。朱雀院の五十の賀に向けて六条院を挙げて女楽の準備に必死になる。そんな中で紫の上だけは「何でそんなことしなきゃならないの!」「やるなら勝手にやって、私はやりたくないわ!」ってのが正直な気持ちだったのかもしれませんね。
(紫の上)「春のうららかならむ夕などに、いかでこの御琴の音聞かむ」
脚注16 通り紫の上は「なほつれなく」(白々と知らん顔している様子で)日常を過すしかなかったのでしょう。源氏も明石の女御もそんな気持ちは分かってくれない。つらい日々ですね。
「聞香」体験記
生まれて初めての世界「組香」を体験してきました。
もっともこの講座は正式の作法に則ったものではなく香道とはなんぞやという初歩の段階で気軽に楽しめるものでした。
ですから和服でもなく足を崩す人もいれば椅子席の人も有りでした。
香手前も解説をなさる方もボランティア。
香道の世界では香りをかぐことを聞くと言います。
香りを聞く体験はそう味わえるものではなく興味津々・・・
香もやはり季節感を大事にするそうで今回は「水鳥香」というものがが実施されました。
水鳥は秋から冬の渡り鳥、水に浮かぶ鳥を総称して今回は鴨、鴛 鳰の三種の組香が薫きしめられました。
香炉(猪口よりも大きめで三つの足付き)に灰と炭と銀葉(薄い雲母の板)に載せた香木(4ミリ角の板状のもの)をあたためたものを鼻元まで近づけて香りを心ゆくまでじっくり鑑賞します。
香炉の扱いは茶道のお手前に似ておりますした。
香炉が五回、廻ってきて、三種類の香が用意されています。
最初と二回目は試し聞きで、主が鴨とか鳰とか香銘を伝え、その香りを記憶しておきます。
次に鴨 鳰 鴛の三包みをシャッフルし順次焚き出します。(主にもわかりません)
五個の香炉に三種類の香を焚き二種迄は主が伝え三香炉以降は二回の記憶を元に聞き分けるのです。
つまり最初の二種以外の香りが鴛ということになります。
①と④が鴨 ②と⑤が鳰 ③が鴛という具合です。
五回聞き終わったら記録紙に答えをかくと言う一種の高尚なゲームです。
52種の源氏香を想像していただければいいかと思います。
高度になれば鴨と聞けば鴨の歌を記録紙に書くそうですが初心者は「鴨」と鳥の名前をかけば良いそうです。
とにかく文字で説明するのがとても難しいのですが奥の深い雅な遊びだと思いました。
源氏香を聞き分けるなんていうのは至難の業ですね。
ちなみに私は4と5は解りましたが3が紛らわしくて解りませんでした。
長々と解りずらい説明でごめんなさい。
ここで思い出すのは宮尾登美子の「伽羅の香」
この小説の主人公「本庄葵」は香道の発展に尽くされた山本霞月という人がモデルだそうです。
小説の取材を通じて知ったその方の高弟から蘭奢待の香席に招待されたそうです。
宮尾さんはその時のお席に美智子皇后さまの亡き母上様がいらしたことを「忘れ得ぬ人」と題したエッセーに残しておられます。
ことほどさように「香」というものが上流階級のものだったことが理解できます。
徳川美術館では毎年志野流家元が「名香観賞会」を開いているとの事でした。
もちろんこれは正式な香手前です。
美術館では香道具が展示されて徳川三代将軍の姫君、千代姫の香道具が一際輝いておりました。これが初音の調度なのですね。
このような貴重な体験が手軽にできるのも現代ならではの事ですね。
昔なら下々の者には生涯縁することも無かったかと思われます。
珍しい体験をした秋の一日でした。
「門香」体験記、ありがとうございます。
極めて貴重な体験をされましたね。詳しく説明いただき入口の入口くらいは分かった気がします。茶道・華道に比べるとマイナーなんでしょうがそれだけに諸事万端難しそうですね。おっしゃる通り庶民には手の届くものではなく限られた人たちが粋を極め流儀を競いあったものなんでしょうか。
「梅枝」の薫物合せの段、「初音」の冒頭の段を思い浮かべました。
(以下全くの余談です)
ゲームとなると悪い癖ですぐ何通りあるのだろうかなど考えるものでして。
1回目と2回目は異なる2種即ち ①と②
3~5回目は異なる3種、即ち ①②③が順不同で出てくるということでしょうか。
そうすると、
①② ①②③
①② ①③②
①② ②①③
①② ②③①
①② ③①②
①② ③②①
の6通りですかね。これでも十分難しいと思いますが、3~5回は源氏香のように3種類が重複して出てきてもいいとなると①②①①①以下①②③③③まで19通りになります。こうなると難しいでしょうね。
この「門香」体験記の部分、ウオームアップ「閑話 源氏香‐52通り」の所へも重複掲載させていただきます。
さっそく返信くださり有難うございます。
私のつたない説明を上手くまとめていただいています。
数字となると訳がわからなくなる私ですがとにかく聞くのは5回、扱う香は3種で2種は最初の試し聞きですでに解っている。
3回目以降は1、2回目と重複した香に異なる1種が追加されシヤッフルされるのでおっしゃる通り6通りになりますね。
昨日は①② ③①②の組み合わせでしたから少し鼻の敏感な人は結構正解しておられました。
では今から三重へ行ってきます。
問香も季節に合わせジャンル(花とか鳥とか風月とかでしょうか)を決めて競い合うというのもいいですね。答えを和歌で書くというのも面白いと思います。相当勉強しないとついていけない世界なんでしょうね。