p62 – 76
16.正月、女楽を催し、夕霧その席に招かれる
〈p198 正月二十日頃になりますと、〉
①正月二十日ころに女楽開催。
空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく
→必ず季節を投影した情況描写がなされる。
②女三の宮の居室(寝殿の西半分)で女楽の試楽(予行演習)
参加者は紫の上、明石の女御、明石の君、女三の宮。
それぞれの女童のきらびやかな装いが記される。
→謂わば定例フォームならん。
③弦の調子合わせ(調弦)は笛に合わせて行う。
髭黒・夕霧の息子たちに笛を吹かせる。筝の琴の調弦は力がいるので夕霧を呼んでやらせる。
夕霧20才。颯爽たる若公達の登場に女君たちも緊張する。
→更に夕霧は源氏に請われ筝の琴を一曲披露する。
→この辺夕霧の使い方がうまい!
④楽器はそれぞれ秘蔵の逸品。
明石の君 = 琵琶(入道に仕込まれ名手である)
紫の上 = 和琴(勿論源氏が幼少の頃から手ほどきしている)
明石の女御 = 筝の琴(源氏が手ほどき)
女三の宮 = 琴(源氏が特訓している)
17.女性四人の演奏それぞれに華麗をきわめる
〈p203 それぞれの楽器の調子合わせがすっかり整って、〉
①明石の君(琵琶)
すぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞こゆ
→名人の域。源氏も口出しできないのであろう。
②紫の上(和琴)
なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音のめづらしくいまめきて
→努力の人、紫の上
③明石の女御(筝の琴)
心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ
→伴奏楽器筝の琴。無難に弾いている。「心もとなく」は技量のことではない。
④女三の宮(琴)
たどたどしからず、いと物に響きあひて、優になりにける御琴の音かな
→特訓の成果、うまく弾けている。源氏も安心したことだろう。
18.源氏、女性四人をそれぞれ花に喩える
〈p204 月の遅くあらわれる頃なので、〉
楽器を演奏する女君を例によって花に喩える。順番は女三の宮から!
→源氏が今重要視している順番だろうか。
①女三の宮 = 青柳 柳の糸
紫式部日記の小少将の君の描写に類似している(脚注2)
(紫式部日記 参考)
小少将の君は、そこはかとなくあてになまめかしう、二月ばかりのしだり柳のさましたり。やうだいいとうつくしげに、もてなし心にくく、心ばへなども、わが心とは思ひとるかたもなきやうにものづつみをし、いと世を恥ぢらひ、あまり見苦しきまで児めいたまへり。、、、
→紫式部日記の方が先に書かれ、源氏物語の女三の宮の表現はそれに依ったと言われている。
②明石の女御 = 藤の花
並ぶ花なき朝ぼらけの心地ぞしたまへる
→宮中で安泰。また妊娠している。
③紫の上 = 桜(常套句)
④明石の君 = 五月まつ花橘(常套句)
→血筋では劣る明石の君。でも堂々としている。立派である。
女楽の試楽という場を設定し源氏にとって今一番重要な4人の女君の装い・演奏の様を語り源氏との距離を読者に知らしめる。いつもながらうまいものです。
この三場面とも豪華絢爛 華麗で女楽にふさわしいです。
季節 背景 衣裳共に大概の女性ならばうっとりします。
女楽の試楽というのはめずらしいですね。
六条院の女君の演奏はまるで弦楽四重奏さながら・・・
夕霧はそれを率いる音合わせのコンサートマスターのような存在。
場面はいよいよ女君の合奏。
それぞれ四人の女君の特徴がよくとらえられていてその華麗なる場面が衣裳と共に脳裏に刻まれます。
そして花に喩えるならば
女三の宮 柳の糸とはよくぞ・・・
細くて華奢な柳の糸のようにはかなげで幼い女三の宮、何やら啄木の歌を思い出しました。
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
明石の女御
出産経験のある若く艶っぽい女性を思わせます。
紫の上は当然桜、花の象徴ですね。
そしてて明石の君は 五月まつ花橘ですか。
いいですね、出自にかかわらず品があり凛としてやはり好きです。
明石の君っていつも感じていましたが抜群のセンスの良さですね。
私だけがひいき目に見ているのかもしれませんがこの君のセンスは素晴らしく天性のものかと思われます。
次々と華麗なる場面にはこれでもかという感じで今までに何が一番だったか決め難いですね。
女楽(試楽)に対する誠に適確なコメントありがとうございます。
1.そうか、正しく弦楽四重奏ですね。そして夕霧がコンサートマスターですか、なるほど。この表現いただきです。そうすると源氏はディレクターでしょうかね。女楽なんて催し物も紫式部の創造だと思います。大したものです。
2.女君の描写への解説、素晴らしいです。啄木の歌が出て来ましたか、参りました。柳とくれば細くやわらかで風のまにまになびく、、、頼りなく主体性のない感じが女三の宮にぴったりですね。p70脚注2にもあるように女三の宮だけが花ではなく柳に喩えられているのも面白いと思います。
3.作者は明石の君については一貫して「出自は劣るがそれを弁え万事に行き届いた女性」として描いていると思います。ひょっとしたら紫式部は「私もこんな女性になれたらよかったのに、、、」との思いを込めていたのかもしれません。